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木々が揺れて、さわさわと音が鳴る中で、私たちは石碑を囲んで立っていた。マルコム様は、猫背ながらも、心なしか、いつもよりは背筋が伸びているように見える。彼も研究者ということで、石碑への興味はあるのだろう。
平静を装っているものの、目の輝きを全く隠しきれていないケネス様の隣には、ランドルフ様が、その隣に私が立つかたちで石碑の目の前に歩みを進める。
ランドルフ様に、左手を差し出せば、彼は手にしていた短剣で私の指先を軽く傷つけた。
血が出てきたことを確認して、石碑へと近づき、指を押し当てる。石のざらりとした触り心地と、ひんやりとした冷たさが伝わってくるものの、特に変化はない。そっと指を離して、退くと、今度はケネス様が指先を石碑へと押し当てた。
遠くで、おしゃべりをしている侍女たちの笑い声が響いた。束の間の休憩なのだろうか。
ケネス様がゆっくりと指先を離して退く。何も起こらないように見えたその時、石碑がかすかに青く光り出した。
「そう、これだ! 私が昨日見た光はこれだよ」
振り向いて、興奮気味に訴えかけるケネス様に対して、私たちもうなずく。全員で石碑に近寄ってみて確認すると、石碑そのものが光っていることが分かった。
古代語の本のときのように、新たに文字が浮かんでくるわけではないらしい。
遠慮がちに、私へ視線を向けてきたマルコム様が口を開いた。
「よ、よかったら、石碑の文字を、よ、読んでみてくれないかな」
「はい、私でよろしければ」
屈んで石碑の文字を確認する。意味が取れないところは多くあるが、読むだけならば、それほど難しくもない。
そっと声を出し始め、視線を上げて石碑の様子を確認すると、ただでさえ弱かった光が徐々に輝きを失っていることに気が付いた。
それでも、一応読み進めてみるが、全体の四分の一ほどを読み終わるころには、光は完全に消えてしまっていた。古代語の本のときのように、光の糸も現れず、変わったことと言えば、石碑が光ったことくらいだった。
「だめ……みたいですね」
少し残念に思いつつも、顔を上げて三人に目線を向ける。いつも無表情のランドルフ様の表情は、変わることがないが、ケネス様とマルコム様は明らかに落胆していた。
「この石碑はただ光るだけなのか、もしくは、まだ発動条件が整っていないかのどちらかのようですね」
落ち着いた声で考えをまとめたランドルフ様は、そのまま考え込む様子を見せた。
「……別の石碑も関係しているという可能性はないでしょうか」
しばらくして、そう口にした彼は、周りを見回した。私もつられて見回してみるが、この庭園内には石碑は見当たらない。雑草や木々の間に隠れている可能性はあるが、そのことについて考えるよりも先に、ケネス様がマルコム様に話しかけた。
「そういえば、マルコム君は石碑の位置に詳しくなかった?」
「く、詳しいって程じゃ……な、ないけれど……」
思い出そうとしているのか目線が動いている。彼は、斜め上を見上げたまま、話し出した。
「西側の庭園の中で一番端にある庭園と、東の薬草畑の近く、それから、北門の近くの人目につきにくい場所、あとは、南の訓練場の近くの木々の陰にあるよ」
いつもの様子が嘘のように、すらすらと言葉を並べた彼は、私たちに目線を戻すと、はっとしたように背を曲げた。目線をさまよわせながら、そっとケネス様の後ろに隠れる。人に見られていると調子が出ないようだ。
「西側の庭園、東側の薬草畑、北門の近くと、南の訓練場近く……。一応全部確認してみた方が良いと思うのですが、どうでしょうか」
私の言葉に、ケネス様が肯定の意を示したかと思うと、踵を返しながら、言葉を残した。
「それじゃあ、私は順番に全部確認してくるよ」
「え、え、ケ、ケネス様、待って」
ケネス様の陰に隠れていたマルコム様は、歩き出したケネス様を追いかけて、ともに消えていった。ケネス様の行動力と体力には毎度驚かされている。
静かになった中庭には、小鳥の歌声が響いている。
「私たちも調べに行きましょうか」
「そうだな」
「どこから調べますか。東西南北にそれぞれ一つずつあるようですが」
「比較的近い東側の薬草畑はどうだろうか」
「そうしましょう」
彼の隣に並んで歩き始める。
それにしても東西南北とその中心ともいえる中庭に配置されているのは、偶然ではないように思える。やはり、一つの石碑だけでは効果を発揮できないように作られているのだろうか。そうであるならば、随分と大規模だ。
「……背が伸びたな」
「え?」
突然話しかけられて、上手く反応できなかったことに軽く後悔しつつ、見上げてみれば、比較的穏やかな顔をした彼が、こちらを見下ろしていた。
言われてみれば、彼と出会ったころよりも背はかなり伸びている。そうはいっても、元がかなり小柄だったこともあり、同世代の中では未だに小さい部類に入ってしまう。
それに対して、ランドルフ様は出会った当初から、あまり身長が変わっていない。離れすぎではないが、歳が少しだけ離れていたため、出会ったときには既に身長が伸びきっていたのだろう。ただ、成長に追い付いていなかった筋肉は、徐々に後から追いかけてきたようで、以前よりもたくましくなっているように見える。
もともと作りこまれた人形のように美しい彼だが、大人になっていくにつれて、色気とでも呼べるような何かが、少しずつ出てきている気がする。
現に、城の中を歩いている侍女たちが、軽く頬を染めてランドルフ様に目線を向けているところだ。
自分の地味顔を思い出して、頭の中で彼の隣に立たせてみると、悲しいほどに自分がかすんでしまう。不釣り合いだと言われるのも納得だ。
「また何か考えているのか」
「あ、いえ、大したことは考えていないのですが」
まさか彼の美貌の横で地味顔の自分が立っている様子を想像して悲しくなったとは言えない。適当に笑みを浮かべて誤魔化そうとするが、ランドルフ様は怪訝そうな顔をするばかりだ。
しばらく城の中を歩いていると、奥の方に小さな扉が見えてきた。どう見ても、貴族が出入りするような扉には見えない。使用人たちが使う簡素な扉に見える。首を傾げながら、周りを見ていると、曲がってこちらの通路に入ってきた侍女が驚いたように私たちを見た。
どうやら、いつの間にか使用人専用の通路に入り込んでいたらしい。私がぼーっとしていたからだろうか。全く気が付かなかった。
確かに下に目線を向けてみれば、ふかふかの絨毯はなくなっている。
「ここから外に出られる」
躊躇うことなく奥へと進んだランドルフ様は、質素な扉に手をかけると、そっと開いた。扉の向こうに目を向けてみれば、青々とした畑が見えていた。あれが薬草畑なのだろう。
それにしても、侯爵家のランドルフ様が、使用人専用の通路を知っていることを不思議に思った。後ろを振り返って、ランドルフ様に問いかける。
「なぜこのような道をご存じなのですか」
「……昔、使ったことがある」
若干視線を逸らされた気がしたが、彼に背を軽く押されて、考える暇もなく、外へと出る。土の香りと混ざって、薬草独特のすっとした匂いなどが鼻に入り込んできた。
周りを見回してみるが、石碑らしきものは見当たらない。
「あそこの裏ではないだろうか」
ランドルフ様が指さした先を見てみれば、大きな木が一本あった。確かに、石碑が裏にあったとしても気が付かないほどに、幹が太い。
「随分と古い木のようですね。何の木なのでしょう」
「薬の原料になる木だな」
「詳しいですね」
「少し薬草を調合している時期があったからな」
先ほどの通路のことといい、薬草の調合といい、普通の貴族であれば知らなそうなことを知っていることに驚きつつも、木の方へと歩みを進める。大きな木の陰に入って、裏を覗き込んでみれば、彼のいう通り、石碑があった。
こちらの石碑も保存状態は悪くない。
苔などが生えている部分はあっても、文字が読めないということはなさそうだ。
しばらく石碑の周りをぐるぐると回って、変わったことがないかを確認する。書かれている文字は古代文字で、文章の長さも中庭のものと大きくは変わらない。石の質も変わらないように見える。
「中庭の石碑とよく似ていますね」
「そうだな」
「次の石碑を探しに行きましょう」
お読みいただき、ありがとうございます。
続きは明日投稿いたします。




