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ケネス様は、すやすやと眠っていたマルコム様を容赦なくたたき起こして、研究室から引きずり出すと、その光ったという石碑に向かってズンズンと歩みを進めた。
私たちも顔を見合わせたのは一瞬で、二人に置いて行かれないように、すぐに研究室を後にした。彼らを追いかけてわかったのは、ケネス様は初老であるにも関わらず、体力があり、歩く速度も平均よりも速いということだった。
小柄な私では、早歩きではついていくことができず、途中途中で何度か小走りになった。
急いでいる様子の私たちとすれ違った文官や侍女たちは、不思議そうにこちらを見ていた。
「あそこの石碑だ」
歩きながらケネス様が指さした石碑は、やはり、私とランドルフ様が先ほど見ていた石碑だった。少し荒れていて寂し気な中庭には、雑草が生い茂っており、その陰に隠れるようにして、石碑が一つ存在していた。
もう光は放っていないようで、何の変哲もない古い石碑である。
近寄るにつれて、その近くに人影があることに気が付いた。一人ではない。二人分の人影がある。目を凝らしてみてみれば、片方は抜けるような銀髪で、もう片方は光り輝く金髪だった。
声が聞こえる距離になると、話している内容が聞こえてきた。どうやら揉めているようだ。
「困ります」
「ただ政策について話を聞きたいだけなのだが」
「ご婚約者のリリアン様に誤解をされるような行動はしたくないのです」
聞こえてきた言葉に思わず、人影をじっと見てしまった。すぐに、私の視線に気が付いた二人がこちらを振り向いた。アデラは、ただでさえ大きな瞳を、さらに大きくして驚いた様子を見せたかと思うと、ぶんぶんと手を横に振った。
「ミルドレッド様! これは違うのです」
「いえ、誤解はしていません」
私がそう一言返すと、安堵した様子で、ほっと息を吐いた。おそらく、王子殿下が浮気をしているとか、その相手がアデラだ、という誤解を避けたかったのだろう。
確かに、ゲームのストーリーでは、そういった話になっていたが、現在の二人が恋人関係にないことは、先ほどの会話の雰囲気からも明らかだった。
アデラの方が、明らかに拒絶の意を示していたし、王子殿下としても本当に政策の話を聞きたかっただけのように思えた。何より、王子殿下とお姉様の普段の様子を見ていれば、彼の心がどこにあるかなど明らかだ。
「古代遺物研究室の面々がそろってどうしてここに?」
特に慌てた様子もなく、そう答えた王子殿下に、暴走気味だったケネス様が、すっと頭を下げた。私たちもそれに倣って、王子殿下に挨拶を済ませると、ケネス様が落ち着いた声で話し出した。先ほどまでの暴走が嘘のように落ち着き払っている。
「研究対象が見つかりまして、現在は、その調査をしております。本日は、王子殿下の隣にございます、そちらの石碑の研究を行おうと考えております」
「なるほど、石碑か」
何でもない風を装いながら、視線だけはこちらに向けてきた。冷たい水色の瞳に射抜かれて、思わず手を握りしめる。
「はい、先ほど、調査の途中で光ったため、その原因を調べに参りました」
「結果を楽しみにしている」
「ありがとうございます」
王子殿下は、微笑みを浮かべたまま、その場を去っていった。彼の姿が見え亡くなった途端に、マルコム様が、その場にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか」
少し青白くも見える彼の具合が心配で、思わず声をかけてみれば、力なくこちらを見上げた。
「だ、大丈夫。ちょっと、き、緊張しただけ」
「マルコム君は王族と顔を合わせるといつもこうなんだ」
さして気にした様子もなく、そう言うと、ケネス様は石碑を調べ始めた。何を調べているのかはわからないが、ペタペタと石碑を触ったり、彫り込まれている文字を紙に写し取ったりしている。
その横で、何か言いたそうにアデラが立っていた。先ほどまで、きっぱりと王子殿下に意見を言っていた彼女は、今は少し所在なさげに、うろうろとケネス様の周りを動いている。
そのたびに彼女の長い金髪が腰のあたりではねていた。
やがて、石碑から目を離したケネス様が、そのことに気が付くと、アデラは表情を明るくした。嬉しそうに笑みを深めて、ケネス様に頭を下げた。
「ケネス・シェフィールド様。先日はありがとうございました」
突然お礼を言われたことに面食らったのか、目を瞬かせている。しばらく、黙って首を傾げていたが、何も思い当ることがなかったのか、目線が斜め上を向いた。私の隣でしゃがみこんでいたマルコム様が、そっとつぶやいた。
「ケネス様。た、多分、あれだよ。く、苦言を、て、呈しに行くって、い、言っていた、あれ」
「……あぁ、あれか」
やっと思い出したのか、納得した表情を見せた。
「そうです、そのことです。ケネス様のお言葉があったことで、元の部署に戻ることができました」
「そう、よかったね」
ニコニコと笑っているケネス様は、こうして見ていると、ただの優しそうな老紳士だ。普段の彼の様子からは、古代遺物に熱を上げて、突き進んでいく様子を想像できないに違いない。
ふと、彼女が中庭にいたことが気になって、声をかける。
「アデラ様はどうしてこちらに?」
「お昼を食べていたのです。その、一人でゆっくりと過ごす時間が欲しかったので、研究室ではなく、人目があまりない中庭を選びました」
周りを見回してみれば、確かに雑草が生い茂っていることで、あまり人には気が付かれなさそうだ。運悪く、王子殿下と遭遇した、というのが一般的な見方だろうが、あの王子殿下のことだから、すべて計算の内ということもあり得そうだ。
「皆様は、研究でこちらにいらしたのですか。お邪魔になるようでしたら、すぐに移動いたします」
「あぁ、別に大丈夫だよ」
穏やかな声色でケネス様が返すと、アデラは頷いた。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて、もう少しこちらで休んでいこうと思います」
「よかったら、研究内容については、その三人から聞くといいよ」
「ひっ」
ケネス様の言葉を受けて、マルコム様は大きな体を丸めるようにして、視線を必死に逸らしている。説明したくないのだろう。もともと人見知り気味の彼には確かに荷が重い。
隣のランドルフ様は、いつも通りの無表情で立っていて、全く感情が読めない。
前に目線を戻すと、案の定というべきか、アデラの緑色の瞳が興味に目を輝かせて、私を見ていた。私が説明するのが良いだろう。あまり説明は上手くないが、この際、それは仕方がない。
「私でよろしければ」
「うれしいです」
微笑んだアデラの隣のベンチに腰を下ろすと、彼女もまた座った。私たちが、こうして動いている間も、ケネス様はぶつぶつと何かをつぶやきながら石碑を調べていて、マルコム様はしゃがみこんだまま微動だにしていなかった。
ランドルフ様は石碑の様子が気になるのか、そちらへと歩いているのが目の端に映った。
「現在は、そちらの石碑を調べています。石碑に彫り込まれている字は古代語です。ケネス様がおっしゃるには、その石碑に血を垂らしたところ、石碑自体が光り出したとのことです」
「石碑が……光る……?」
不思議そうな顔をしている彼女に対して、頷いていると、石碑の横からケネス様が顔を出した。
「今からもう一度試してみるよ。良かったら、アデラ嬢も見ていくかい?」
「はい! 是非見てみたいです」
貴族令嬢のマナーの範囲内で出来る最速の動きで立ち上がった彼女は、石碑の目の前で、少しかがんだ。石碑の内容を見ているようだ。
私もアデラの後を追って、石碑の前に立つ。いつの間にか立ち直っていたマルコム様も、雑草の陰に隠れるようにしながらも、石碑に目線を向けていた。
「じゃあ、やってみよう」
ケネス様は、そう言うと短剣を手にしたが、横にいたランドルフ様が、何やら小声で話しかけた。その言葉にうなずいたケネス様は、大人しく短剣をランドルフ様に渡して、ついでに、手も差し出した。
おそらく、毎回、加減ができずに切りすぎてしまうケネス様を見かねて、ランドルフ様が声をかけたのだろう。
アデラは、この後、何が起こるのか緊張しているようで、ごくりと唾を飲み込んでいるようだった。
小さな傷がつけられた指先を、ゆっくりと石碑に近づけていく。私も、自分が思っている以上に、この先に何が起こるのか緊張しているようで、妙にゆっくりと時間が過ぎていくような錯覚に陥る。
彼の指がぴたりと石碑に触れた。
その場にいた全員が、固唾をのんで見守る。聞こえる音は、風に揺られて、さわさわと揺れる雑草や木々の音、遠くで話している文官や侍女の声だけだ。
一秒、二秒、三秒と時間が過ぎ去り、そして――。
「あれ、おかしいな」
拍子抜けしたようなケネス様の声が響いた。石碑は、先ほどと同じ姿のまま、そこに存在していた。
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