3
目の前のリリアンをしばらく見ていたが、特に冗談を言っている様子はない。その強制力とやらが、本当に存在していて、結果がある一定のものに収束していくと考えているようだ。
「根拠は?」
「根拠? あなたが納得できるものかはわからないけれど、私の経験則かしら」
経験則ということは既に何かを試しているようだ。
「例えば、ミルドレッドが気絶することになった時の出来事とかはまさにそう」
気絶する原因というのは、伯爵令息の失言のことを指しているのだろうか。私は実際には見ていないし、聞いていない。あくまで伝え聞いただけだ。詳しく確認する必要があるだろう。
「庭に現れたお姉様を見た伯爵令息が、私に地味だと言ってきたというあれでしょうか」
「そう、それよ。あれは本来のストーリーでは、最初から婚約の話を進める場に私、つまり、リリアンが同席するはずだったの」
「でも、お姉様は今回はいらっしゃらず、途中で庭に現れたのですよね」
私の言葉にリリアンが頷く。
「私はこのままだと死ぬ羽目になるから、できるだけ物語を改変するつもりでいるの。その第一歩として、ミルドレッドとの関係をこじらせるわけにはいかなかった。伯爵令息が私の姿を見ることでミルドレッドとの婚約を拒否するのであれば、最初から同席しなければよいと考えたの。それで、今朝、私は両親を何とか説得して同席を免れた」
「でも庭へと姿を現したそうですよね。あれは何が起きたのですか」
リリアンが気まずそうに目をそらす。その行動は、少し後ろめたいことや都合が悪いことがあるときにとる行動のように思えるのですが。
「いや、本当にうっかりよ、うっかり。外にいれば伯爵令息の目に留まることもないだろうと思って……それで、そのお散歩をしていたのよ。そうしたら帽子が飛ばされてしまって、反射的に追いかけて、それで、その……」
「窓から見える位置に来てしまった、と」
「うぅ……ごめんなさい」
「いえ、私は別に気にしていません。ですので、お気になさらず」
驚いたことに、目の前のリリアン、というか転生者は随分とうっかりさんのようだ。少し考えれば、帽子が飛ばされる可能性を考慮できた気もするし、わざわざ外に出るのであれば、いっそのこと街にでも出てしまった方が伯爵令息の目には留まらないと思い当たりそうなものである。少し可愛らしい人だ。
しかし、自分がリリアンの立場だったとして、そこまで考えるだろうか。同席さえしなければ、回避できると考えてしまっても不思議ではない。風で帽子が飛ばされた位置を考えて、取りに行くことはあきらめそうな気もするが、本当に何かしらの強制力があるとすれば、たとえ自室に籠っていようと、街に出かけていようと伯爵令息の目に留まってしまう可能性はある。
強制力が働いているか否かは、今後の行動を考えるうえで重要な項目だ。ついでに哲学的な問題としても興味深い。強制力があからさまに働いているのであれば、運命論を裏付けることになる。この場合は、人間には自由意志がないということになり――。
いけない、考えすぎた。これもいったん置いておこう。
「ほかに試したことは?」
「王子との婚約を破棄したくて、色々試してみたけれど、これも今のところは上手くいっていない。ほかには特にないかな。そもそも、ストーリーとして描かれているのが、この婚約打診の部分からだから、これから試していくしかないと思う。次は、私の王妃教育が始まるころだから、ストーリーとしては、しばらくは何もないかな」
「なるほど……。でもひとつわかったことがありますね」
私の言葉にリリアンが首をかしげる。
「今のところ、お姉様と私の関係はこじれていません。つまり、必ずしも話を捻じ曲げることが不可能だというわけではなさそうです。私たちが、バッドエンドを回避する方法はあるかもしれません」
「本当に!?」
あくまで可能性の話である。実際、強制力のせいなのかはわからないが、リリアンは伯爵令息に姿を見られているし、ミルドレッドの婚約は決まらなかった。この点においてはストーリー通りともいえる。曲げることのできる展開と、曲げることのできない運命づけられた展開があるとするのならば、問題は最後の結末がどちらに分類されるのか、という点にあるだろう。
学んでいるときは面白いと思っていたが、できれば運命論ではない方向でお願いしたい。そうすれば、すべては私たちの行動で変えることができるのだから。
部屋はすっかりと暗くなってしまった。テーブルの上に置かれている明かりがテーブル周りだけを照らしている。明かりに照らし出されたリリアンの真摯な瞳がこちらを向いている。
「私たちはできるだけ小説と異なる道を選びましょう」
「そうですね。私は地味顔悪役令嬢なんてなる気はありません。ただの地味な令嬢、そう、モブを目指そうと思います」
そもそも、主人公をいじめる暇があるのならば、いろいろな事柄を考察したい。
「私も手伝うわ」
大真面目な顔をしてリリアンがそう宣言しているが、どうにも不安である。先ほどの話を聞く限り、少し、いやかなりドジのように思えるのだ。しかし、厚意は受け取っておくべきだろう。
「ありがとうございます」
私は今、自然に微笑んでいるだろうか。顔が引きつっていないか心配だ。
「お姉様、次のストーリー展開はまだ少し先というお話でしたよね」
「えぇ、そうよ」
「それならば、やりたいことがあるのですが」
「早速何か思いついたの?」
キラキラと目を輝かせて、私の手を取ったリリアンには申し訳ないが、全くもって乙女ゲームのストーリーとは関係ない。ただの私の趣味だ。
「いえ、あの、ストーリーとは関係ないのですが、本が読みたいのです」
「……本?」
「あ、本はこの世界だと高価で手に入れるのが難しい……とかあるのでしょうか。それならば、外国語の勉強とか、古代語があるなら、その勉強とかしてみたいですね」
「外国語? 古代語?」
あれ、ストーリーで隣国の存在があったから、てっきり外国語があるものだと思っていたのだが、違ったのだろうか。遺物という言葉から古代語を連想したのも間違いだっただろうか。確かに、私が今話している言語が日本語なので、そこらへんがどうなっているのかはストーリーに左右されそうだ。リリアンをちらりと見ると、相当困惑した様子である。
「あの、もしかして、外国語や古代語は存在しないのでしょうか」
「ううん、あるにはあるけれども、自由にできる時間をわざわざ読書や外国語の習得に使うの? 私たちは教育の一環で家庭教師から多少は学ぶから、別に急いで学ぶ必要はないと思うけれど」
「……趣味みたいなものなので」
「勉強が……趣味?」
怪訝な顔をされてしまった。これは何も初めての経験ではない。日本にいたときにも、読書はおいておくとして、勉強が楽しいというと不思議な顔をされた。言いたいことはまあわかる。趣味にしては変わりすぎているし、そもそも勉強が好きな割には私の頭はそれほどよくはなかったのだ。かなり良く見積もって上の下……上の中……いや、やはり上の下程度の頭の出来だ。そんなお前が勉強が好きとはどういうことだ、という奇異の目で見られたことは一度や二度じゃない。
「あの、無理なら大丈夫です」
「いえ、無理ではないと思う。お父様に私から話しておくわ。むしろ喜ばれそうな気がする。あなたって面白いのね」
怪訝な顔をされたことはあったが、面白いとは初めて言われた。どう返すのが適当だろうか。
「ありがとうございます……?」
同時にノックの音が響いた。
「リリアンお嬢様、ミルドレッドお嬢様。お夕食のお時間です」
「ありがとう、今行きます」
カミラに返事をして、私たちは立ち上がった。リリアンから聞いた内容は、後ほどメモで残した方がよいだろう。それから、状況の整理を軽く行い、しばらくはストーリーをどうすれば改変できるのか考えつつ、平穏な毎日を過ごせばよい。
目指すのは、地味な令嬢。そう、地味すぎて目立たないくらいでちょうどよい。地味顔悪役令嬢なんて御免である。私はモブで結構だ。
世界の強制力とやらが気にはなるが、もし強制力がないのであれば、私は主人公に絡まないだけでいいのだ。ただ外国語と古代語を学び、部屋に引きこもって本を読み、たまに哲学的思想にふける。これで、深窓の令嬢の出来上がりである。
お読みくださり、ありがとうございます。
本日は、あと一回投稿予定です。