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「これ……でしょうか」

「これだろうな」


 私たちは首を傾げながら、石碑を眺めていた。確かに古代語が書かれている石碑には、苔が生えている部分もある。それでも、文字だけはしっかりと彫り込まれていることもあり、読めない部分は一つもない。


 マルコム様は、探せばすぐに見つかると言っていたが、実際に探してみるとなかなか見つからず、やっとのことで見つけたのが目の前の石碑だ。人の目にはつきにくい場所で、すぐに見つかるとは言い難い。


 古代語が書かれているということは、古代遺物の可能性は十分にあるだろう。本と同じ原理で動くのであれば、私の血を使用したうえで、これを読めば何かが起こるのかもしれない。見たところ、内容は3割程度しかわからないが、何かしらの反応はあるかもしれない。


 隣に立っているランドルフ様を見上げた。視線に気が付いたのか、彼がこちらを静かに見下ろした。お互いに黙ったまま数秒が過ぎる。


「……短剣は貸さないぞ」

「え、何故ですか」


 予想外の言葉に思わず問い返すと、ランドルフ様が眉を寄せた。


「研究室で言ったばかりだろう。連日傷をつけるのはよくない」

「あれは建前ではなかったのですか」

「……」


 特に表情を変えることもなく黙り込んだが、明らかに不機嫌な様子が伝わってくるのだから不思議である。しばらくの間、見つめ合っていると、彼は呆れたように息を吐いた。


「自分の立場を理解しているのか」

「はい、理解していると思います」

「いいや、していない」


 私が返事をしているところに被せるように否定をしてきたことに面食らう。彼の言葉の意味を理解しようと、上の空になりかけたところで、突然右手を強く掴まれ、引っ張られた。


「いっ!」


 ぎりっと掴まれた右手首が、痛みを訴える。思わず顔をしかめると、ランドルフ様の顔が目の前にずいっと寄った。


「君は人を信用しすぎだ」


 仄暗い瞳がこちらを見つめていた。いつもの穏やかな彼の視線ではない。反射的に体をこわばらせるが、それに構うこともなく、彼はつづけた。


「冗談ではなく、血をすべて抜かれかねないぞ」


 冷え冷えとした声に親しみやすさは全くない。普段の穏やかさもない。私に対する心配の色も見えない。それなのに、言葉の意味だけを取るのであれば、まるで私を心配するような言葉に思える。そのちぐはぐさが王子殿下と重なって、無意識に身をよじった。


「っ……。すまない」


 一瞬傷ついたような表情を見せたランドルフ様は、ぱっと私の手を離すと、少し距離を取った。その行動から、私が彼を傷つけてしまったことに気が付く。


「怖がらせるつもりはなかった」


 私から目線を外したまま、つぶやくようにそう言った彼は、やはり、先ほどと同様に暗さを含んだ目をしていた。


「……いえ、私の方こそ、申し訳ありません」


 彼の様子が少し心配で、まだ恐ろしさは残っていたものの、一歩踏み出して手を伸ばす。今、そうしなければ、この距離が縮まることは、もう無いような気がしたからだ。赤くなった右手首が目に入った。


「ランドルフ様」


 両手で彼の手を取ると、明らかに困惑した様子の彼と目が合った。


「前にもお話しした通り、私はランドルフ様の今までの婚約者候補の方々とは違います」


 突然、文脈に関係のないことを話し出した私に、怪訝そうな様子を見せるが、一応話を聞いてくれる気はあるようで、黙ってこちらを見ている。


「私から離れることはありません」


 少し目を見開いた彼だったが、すぐに目を伏せた。


「……いいや、君も私から離れていくことになるだろう。現に先ほど避けられたばかりだ」

「……そのことについては、申し訳ありません。ただ、あの状況だったら仕方ないではないですか。ちょっと怖かったですよ」

「怖かった……?」

「はい。怖かったです」

「君が?」

「私を何だと思っていらっしゃるんですか」


 少し半目になりながら、そう答えると、ランドルフ様は少し考える素振りを見せた。


「手首をいきなり強い力で掴んで引っ張った挙句、顔を至近距離に近づけて、いつもより低い声で説明不足の警告をされたのです」

「……言葉にすると確かに怖いかもしれないな」

「そうです。私でなければ泣いています」


 少し過言な気もするが、実際に、この整いすぎた顔が無表情で目の前にあれば大迫力だ。私と同じ体験をしたのであれば、気の弱い令嬢であれば泣き出すだろう。


「それは……。すまなかった」

「ただ、私がランドルフ様を傷つけたことも事実です。本来、あの場面で私が取るべき行動は、説明を求めることでした。反射的とはいえ、逃げようとしてしまったことは申し訳なく思っています。許してくれますか」

「許すも何も、君は悪くない」

「それでは、許してくださるんですね。では、仲直りです」


 にこりと笑って見せれば、ランドルフ様が虚を突かれたような表情をした。


「仲直り……?」

「婚約者なのですから、たまには喧嘩もするはずです。先程のあれは、ある意味喧嘩と言えるのではないでしょうか」


 疑問形なのは、喧嘩の定義が私の中で上手く定められていないからだ。先ほどの気まずさや彼が私から距離を取ろうとしたことなどは、喧嘩の定義から外れている気もするが、今はどうでもよいだろう。


「そうか、仲直りか」


 そうつぶやくと、ランドルフ様の口角が緩んだ。それは、いつかのお茶会で披露したような完璧に作りこんだ笑みではなく、ごくごく自然に漏れ出した彼の感情が、そのまま表れたもののように思えた。珍しい表情にくぎ付けになっていると、私たちの後ろから声が響いた。


「昼間から逢引かなって思って近づいてみれば、まさか弟とはね」


 少しおどけたような声が響くのと同時に、ランドルフ様の表情は再び普段の無表情に戻ってしまった。少し名残惜しく思いながらも、振り返ってみれば、太陽にキラキラと輝く銀髪がすぐに目に入った。


「やあ、ミルドレッド嬢」

「……セドリック様」

「何の用だ」


 明らかに不機嫌そうな声を出したランドルフ様に怯むこともなく、楽しそうに歩いてきたセドリック様の水色の瞳は、やはり冷たく私を見下ろしていた。これで表情は笑っているのだから不気味なものである。彼に黄色い悲鳴を上げている令嬢は、一体どこを見ているのだろうか。


 その手が伸びてきたのと同時に、後ろから引き寄せられた。ランドルフ様の腕の中にすっぽりと収まる形になった私を一瞬見た後に、セドリック様は意外そうに口を開いた。


「……意外だな。そんなに気にいったのかい」

「……」


 全く答えないランドルフ様に構うこともなく、彼は語り掛け続ける。


「ランドルフ、これは忠告だが、気に入っているのであれば、尚更、適切な距離を保つべきだ。それができなければ、後々苦しむのはお前自身だよ」


 いつもまとっている軽薄さを消して、真面目な表情でランドルフ様に向き合ったことに驚いていると、ランドルフ様の手に力が入った。


「……わかっている」

「そう、それならいいよ」


 私が、空気が緩んだことを感じ取ったのと同時に、セドリック様は背中を向けて歩き出した。2人のやり取りの意味は私には理解できなかったが、おそらく、私に何かを隠しているということだけはわかる。そっとランドルフ様の表情を覗き見るが、その表情はいつも通りに無表情で、何も読み取ることができなかった。

お読みいただき、ありがとうございます。

予定より遅れてしまい、申し訳ありません。

次回の投稿ですが、明日を予定しております。

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