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湯気がふわりとカップから上がり、華やかな紅茶の香りが部屋を満たす。どうやら、香りがよい紅茶のようだ。部屋に入り込む日差しは、すっかり夕方のものとなり、白を基調とした部屋はオレンジ色に輝いていた。カミラがリリアンと私の前にカップを置いた。可愛らしい花柄のカップだ。
「ありがとう、カミラ。お姉様と少しお話したいことがあるの。夕食になったら声をかけてくれる?」
カミラは、リリアンと2人きりになることを心配しているのか、少し眉を下げたが、私が微笑んで見せれば、問題はないと判断したのか、頷いた。
「かしこまりました。それでは、ご夕食の際にお声がけいたします」
ポットなどを手早く片付けると、彼女はそのまま部屋を出て行った。扉がしっかりと閉められたことを確認したうえで、目の前に座っているリリアンに目を向けた。それとほぼ同時に、リリアンは先ほどまでの淑やかさを捨て去って、姿勢を崩した。
先に口を開いたのはリリアンだった。
「ミルドレッド、さっきの発言からして、あなたも転生者ってことよね?」
「転生の定義があやふやですが、状況判断ではそうかと思います」
「……定義?」
「あ、ごめんなさい。それはいったん置いておいて大丈夫です」
ここで転生の定義を考えていては、いくら時間があっても足りない。これはいったん置いておくべきだ。まだ火傷しそうな温度の紅茶に口をつけてみるが、案の上、熱すぎて飲むことはできなかった。
「お姉様も転生者なのですか」
「うん、そう」
「いつからでしょうか」
リリアンは少し考えるそぶりを見せた。視線が斜め上方向を向いている。
「うーん、今が13歳だから……5年前くらいかな。リリアンが、風邪をこじらせて、高熱を出したことがあって、そのときに転生してしまったみたい。私は彼女の意識と融合したような感覚があったんだけれど……」
言葉を切って、私の方へちらりと目を向ける。言いたいことは何となくわかる。
「お姉様のお考えの通り、私にはそのような感覚はありませんでした」
「やっぱり、そうだよね。意識が融合していたならば、こんな記憶喪失のような状態にはならなかっただろうし」
意識の融合とは、また興味深い話を聞いてしまった気がする。が、今はこれを深堀りしてはいけない。後で1人のときに考えればよい。
「ミルドレッドは、この世界のことをどのくらい知っているの?」
「ほとんど何も。物理法則などが、前にいた世界と似ているんじゃないかなとか、使用している言語が日本語なんだな、くらいの推測の域を出ない程度のことしかわかりません」
「……そういうことを聞いたわけではなかったんだけれど」
困惑気味の彼女を眺めながら、再び紅茶に口をつけてみる。まだ熱いが先ほどよりも飲みやすい。
「乙女ゲームの『古代遺物と救国の少女』って知ってる?」
あまり乙女ゲームらしくないタイトルのように思える。どちらかというと冒険もののゲームでありそうなタイトルだ。どちらにしても聞き覚えはない。
「いえ。そのゲームが、この世界と似ているのですか」
「似ているというか、多分、その世界に私たちは入り込んでいると思うの」
にわかには信じがたいが、すでによくわからない状況にあるのだから、信じるしかないだろう。
「どのような話なのでしょうか」
「どこから説明するべきかしら……」
リリアンが少し悩んでから、説明した内容はこうだ。
私たちが所属している国の名前はエルデ王国。悪役令嬢ミルドレッドは、オールディス侯爵家の次女で、小さい頃の婚約打診がうまくいかなかったことをきっかけに、姉であるリリアンに苦手意識を持ってしまい、ぎくしゃくとした関係性になる。しかし、街に買い物に出かけた際に、何かに驚いた馬が突然暴れ出し、ミルドレッドを蹴り飛ばしそうになったところをリリアンが助け出したことにより、2人の関係は改善する。この出来事以降、ミルドレッドは姉であるリリアンを慕うようになる。
しばらくして、リリアンが王妃教育のために、王城へと通い出す。それとほぼ同時期に、城勤めを始めたのがヒロインであるアデラ・ターナー。伯爵家の三女だ。頭の回転がよく、初の女性文官として働く。まだまだ男性社会の文官仕事の中で、疲れもあり、王城内でも人目の少ない場所で昼食をとっていた。ある日、いつもと同様に昼食をとろうとしたところで、お忍びで街へ出ようとしていた王子と遭遇する。変装のせいで王子ということに気が付かないままに、アデラは様々な政策を述べる。王子としても、アデラの話す内容に興味を持ち、しばしば、彼女の話を聞きに、昼食時に現れるようになる。
この王子こそが、リリアンの婚約者である。リリアンは、当然といえば当然だが、彼らが親密そうにしていることにも気が付いていた。ただ、側妃を許さないほど、彼女の心は狭くもなく、むしろ、優秀な彼女を王室に迎え入れればよいと考えていた。
これでハッピーエンドに見えたが、1人、そのことを許さないものがいた。リリアンを慕うミルドレッドである。ミルドレッドは、自分の大切な姉とまだ結婚すらしていないのにも関わらず、王子がアデラと親しくすることを許さなかった。側妃自体は問題視していなかったものの、まだその時ではないだろうと激怒したのである。
そうして、ミルドレッドはアデラに執拗に嫌がらせをするようになる。お茶会の招待状を送らないことから始めて、自分の所属する派閥からアデラを閉め出し、ある時は彼女に不利な噂を流した。しかし、これくらいであれば、貴族社会ではよくあることである。王子もよい顔はしなかったが、リリアンを放っておいてしまった責任も感じていたのか、特に抗議されることもなかった。
そのことに気をよくしたミルドレッドの嫌がらせはエスカレートしていき、越えてはいけない一線を越えてしまった。アデラを亡き者にしようと計画したのである。幸いにも、計画が実行される前に王子が気がつき、アデラは無事。ミルドレッドは、法で裁かれ、貴族牢に一生幽閉となった。また、オールディス侯爵家は取り潰され、平民に落とされる。その過程でリリアンと王子の婚約は破棄され、新たに王子とアデラの婚約が結ばれた。
やがて、オールディス侯爵家の取り潰しによって、元オールディス侯爵領の平民たちが反乱を起こす。理由は明白で、混乱の中で領地の運営が追い付かなかったことだ。その反乱を国は武力で治めたものの、その過程で、元オールディス侯爵領の農地は荒らされた。元オールディス侯爵領は、広大な農地が広がる土地だったため、国の食糧庫となっていたが、国は自ら、それらをつぶしてしまったことになる。このままでは、冬に大量の餓死者が出てしまうとして、国がとった行動は、愚かなことに隣国への宣戦布告。
こうして隣国、ミカニ神聖王国へ戦争を吹っ掛けたエルデ王国だったが、相手は神に愛される国。最初は勢いのあった戦況も徐々に悪化していき、劣勢となる。もう降伏するしかないのではないか、という雰囲気の中で、戦争の先頭に立ったのが、アデラである。彼女は少しでも戦争が有利になるようにと、文官仕事の合間を縫っては、王立図書館で何か参考になるものはないかを探していた。そうして見つけた古代遺物を利用して、ミカニ神聖王国との戦争を勝利へと導く。
こうして、勝利の女神となったアデラはめでたく王子と結婚をしてハッピーエンド、というのが『古代遺物と救国の少女』の大まかなストーリーらしい。
「えぇ……」
思わず口から声が漏れた。これは本当に乙女ゲームなのか。乙女ゲームをプレイしたことはないが、イケメンとキャッキャするものかと考えていた。それなのにリリアンから話された内容はあまりにも物騒だ。嫌がらせ程度の可愛らしいもので終わらずに、殺人未遂に、内乱に、戦争。
それから、何よりも『古代遺物と救国の少女』の倫理観がいろいろと終了している。全体的にどうかなとは思うが、何よりもミカニ神聖王国が気の毒だ。本当に何もしていないのに、侵略されている。また、このよくわからない戦争が終わった後にハッピーエンドとして作品を締めくくっている。作者はサイコパスなのだろうか。全然ハッピーじゃない。私がアデラだったとして、よくわからない戦争をこちらから吹っ掛けて、隣国を侵略し、それが成功した後に幸せな結婚などできない。考えるだけで気分が憂鬱だ。
少し冷めてしまった紅茶を飲みながら、リリアンはこちらの様子をうかがっていた。
「どう思う?」
「最悪な気分だわ。これ、本当に乙女ゲームなのですか」
「驚いたことに、分類は乙女ゲームよ。それに」
手にしていたカップを置いたリリアンは、ため息を吐いた後に続けた。
「大まかな流れは今ので分かったと思うけれど、私たち、オールディス家もなかなかひどい結末だったわ」
「平民に落とされたという内容だったように思いますが、それほどひどいのですか」
「ひどいのよ、本当に。あのゲームの製作者は人の心ってものがないのかしらね……」
続けて話された内容にもげっそりとした。オールディス侯爵家の者たちの末路はこうだ。
まず、貴族牢に一生幽閉が決まっていたミルドレッド。罪人用の馬車に乗せられて、貴族牢へと向かう道中に謎の集団に襲われて行方不明。
次に、平民落ちしたオールディス家の者たちだが、訳あり貴族を雇ってくれる物好きなど普通はいない。王都内で仕事を探すが見つからず、カーティスは仕事を探している途中で行方不明になった。
クラリッサは、ある日、うっかり裏道に入ってしまい、ごろつきに目を付けられる。身ぐるみ剥がされて変死体として数日後に発見された。
リリアンは、やっとのことで娼婦として働き始めた。しかし、しばらくすると流行り病に倒れてしまう。誰にも看取られることなく、そのまま儚く亡くなってしまうのだとか。
「……」
「ね、ひどいでしょう」
リリアンの言葉に静かにうなずく。すっかり冷めきってしまった紅茶を飲み切る。日は沈みかけており、部屋は薄暗くなってきていた。明かりをつけようとすると、そのことに気が付いたリリアンが手早くテーブルの上の明かりを灯してくれた。
「それでね、ミルドレッド。あなたは通称、地味顔悪役令嬢って呼ばれるキャラクターなのよ」
「そうみたいですね」
「お願いがあるんだけれど」
「はい、主人公をいじめてくれるな、ということですよね。この話を聞いていたとしても、聞かなかったとしても、そのようなことをするつもりはなかったと思いますよ」
「うん、そうだよね。私もそんな気はしてた」
リリアンはそう言って微笑んだ。
「でもね、この世界って強制力みたいなものが働いているんじゃないかなって、私は思っているんだよね」
彼女のその言葉とともに、テーブルの上の明かりがゆらりと揺れた。
お読みくださり、ありがとうございます。
続きは明日投稿します。