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「お姉様っ!」
「リリアン! もう少し踏ん張ってくれ!」
カミラが戻ってくるまでの間、少しでも流れる血が少なくなるように、王子殿下と一緒に彼女の腹を押さえる。無駄に布面積の広いドレスの一部で押さえてみるものの、みるみるうちにドレスが血で染め上げられていく。
きっとカミラが私の部屋に向かってから、それほど時間は立っていない。それなのに、何十分も立ってしまったように錯覚する。気を失っているお姉様の顔色は悪くなるばかりで、それがさらに不安をあおる。
「お嬢様!」
転がるようにして駆けてきたカミラの手には、私が頼んだあの古代語の本がしっかりと握られていた。
「ありがとう!」
最後の力を振り絞って駆けてきてくれた彼女から本を受けとり、表紙をめくった。それと同時に本が青く輝きだす。
――お姉様の腹を押さえていたことで、彼女の血が付いていたのだ。
私の血を垂らすまでもなく、青い文字が浮かび上がったのを確認して、最初から読み上げ始める。血の量が関係しているのか、文字は力強く光り輝いている。
「ミルドレッド嬢……何を……?」
半ば呆然としたような声を出しながらも、王子殿下はリリアンの腹を必死で押さえて止血を試みることは忘れない。
「我は敬虔な教徒。慈愛と犠牲を心に人々の憂いを取り除くべく奔走する者――」
最初の文言を読み始めると、あの日の夜のように青い糸が周りを舞い始めた。しかし、あの日と同じようで異なる。その糸は、以前よりも強い輝きを放っている。
必死になって読み上げる。声が震えて安定しないが、何とか言葉を紡ぎ出す。焦りから涙がこぼれ、視界が歪むが、それをぬぐっては続きを読み進めた。
「傷を受けし者に癒しの光を――」
私の周りをふよふよと舞っていた光の糸が、徐々にお姉様の周りへと集まっていく。王子殿下が驚きの声を上げたような気がしたが、気にかける余裕がない。血でべたつく手でページをめくっては読むを繰り返していく。
「未熟な我らのもとに現れたるは慈愛と犠牲の象徴。ピメクルス教の唯一にして至高の存在」
その言葉と同時に、集まっていた光が神を形作っていく。目を閉じたまま慈愛の笑みを浮かべる姿は、教会でよく目にする石像と同じ姿だ。
「我らの光、我らの闇」
読み上げていくと、その姿はさらに精巧なものへとなっていく。その姿から放たれる光は神々しい。長いまつげを携えた目がゆっくりと開かれる。
「癒しの奇跡を与え給え」
その言葉を口にしたと同時に、光り輝くその人は、リリアンお姉様へと手を伸ばした。長く美しい指先が、お姉様の腹へと触れる。そこに形の良い口がふっと息を吹きかける。王子殿下が信じられないものを見るかのように目を見開いたまま固まっていた。
まばゆい光がお姉様を包みこむ。
お姉様の傷がふさがったのかどうか、すぐには判断が付かない。それほどまでに、お姉様のドレスは血がにじんでいた。
「祈りの奇跡に感謝を――」
それでも、きっと傷がふさがったのだと信じて読み進めていく。神にひたすら感謝を述べる言葉を、目の前の光り輝く人に向かって、心を込めて読み上げる。
最後まで読み終わると、美しい微笑みを携えたまま光が薄らいで散っていく。やがて形を崩し、跡形もなく消えていった。手元の本を見下ろしてみても、青色の文字はもう浮かび上がってはいない。
本を横に置くと、お姉様の状態を確認しようと手を伸ばした。ドレスは血まみれだが、布の切れ目を恐る恐る覗いてみても傷口は見当たらない。
何とか傷をふさぐことができたのだと確信したところで、力が抜けてへたり込んだ。
窓から入ってくる風でカーテンがそよそよと揺れている。
結局、散々な形で誕生日パーティーはお開きとなった。客人は、お姉様が誰かに刺されて倒れたことで、パニックになって逃げており、会場に残されていたのは、ほとんど身内だけだった。
そして、会場に残っていた人々も決して冷静だったわけではない。
お姉様を抱えていた王子殿下は血まみれのまま呆然としていたし、私も血まみれのまま座り込んでいた。そのすぐそばでは、ショックのあまりに気を失ったお母様が倒れていたし、お父様も青い顔をして事態の収拾に務めていた。
最初に正気に戻ったカミラが促してくれなかったら、私たちはお姉様を寝室に運ぶまでに、もっと時間をかけてしまっていたに違いない。
きれいな部屋着に着替えさせられたお姉様は、今は目の前で眠っている。顔色は相変わらず悪いままだが、何とか一命は取り留めた。
遅れてやってきた医師の話では、しばらくは重度の貧血症状に悩まされることにはなるだろうが、特に問題はないという。血まみれのドレスをまとっているのに傷一つないお姉様に首を傾げながらも診察してくれた医師には感謝しかない。
幸いというべきか、会場に人がほとんど残っていなかったことで、古代語の本の秘密を知る人は限られた。しかし、その中に王子殿下が含まれてしまったのは運が悪いとしか言いようがない。彼は、仮に今まで知らなかったのだとしても、今回の出来事によって、きっと古き誓約の意味を調べなおすだろう。オールディス家の人間が古き誓約に縛られて生きていくことを避けられそうにはない。
「お姉様が利用されないといいな……」
既に誓約によって、王家に嫁ぐことが決まっているお姉様が、一番利用されやすい存在と言える。いくら彼女を救うためだったとは言え、完全に面倒ごとに足を突っ込んだのは自覚している。しかも、お姉様も道連れにしてしまった。
思わずついたため息は、静かな部屋の中でよく響いた。
ドアがノックされたので入ってもらうと、カミラだった。彼女は、眉を下げている。私に切り出しにくい話だろうか。
「ミルドレッドお嬢様、王子殿下がリリアンお嬢様のご様子をご確認なさりたいと……」
「そう。伝えに来てくれてありがとう」
お姉様の婚約者である王子殿下がいらっしゃるということは、私はこの部屋から出なければならない。少し名残惜しいが、お姉様が静かに寝息を立てていることを再確認して、椅子から立ち上がる。彼女のことが心配なのは私だけではない。家族であり、いつでも傍にいられる私と違って、ご公務でお忙しい王子殿下に、この場は譲るべきだろう。
カミラに連れられて、部屋を後にする。怒涛の展開にかなりの時間が経っている気でいたが、窓から差し込む光を見る限りでは、まだお茶の時間くらいなのだろう。
疲れのためか、それとも、衝撃的な出来事から自分を守るために脳が考えることを放棄しているのか、ぼーっとしたまま自室へと戻る。そんな状態の私を気遣ってくれているのか、カミラはいつの間にか退室していた。
誰もいないのならば、遠慮する必要もないだろう。ぼふり、と音を立ててベットに寝転ぶ。うつぶせの状態のまま、何も考えることもなく、部屋の白い壁を見つめる。段々と眠気が襲い掛かってきて、意識が遠くなるのを感じていたが、今は、それらに抵抗する気力もない。掛け布団の上に寝転がってしまったが、今更、ちゃんと布団をかけようなどという気は起きない。
やがて、抗い難い眠気に促されるように目を閉じ、そのまま沈み込むかのように眠りについた。
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