18
「ねぇ、本当に来るの?」
「わからないです。でも、来てくれそうな気がするので」
お姉様と私は部屋の中でコソコソと話していた。真夜中ということもあり、部屋の中はすっかりと暗かった。
「そうはいっても、今日の出来事もあって、警備体制が厳しくなっているのよ。いくら手引きがあるからといって、ここまでたどり着けるのかしら」
「ご心配なく」
「っ!」
悲鳴を上げかけたお姉様の口を慌ててふさぐ。声の方向を探ると、部屋の扉が開いていて、そこにほっそりとした影があることが確認できた。
――クリフだ。
慣れた様子で入ってきた彼は、そっと扉を閉めると、愉快そうに笑みを浮かべた。わざとらしく礼をして見せながら、視線はお姉様へと向いている。
「そちらがリリアンお嬢様だね。はじめまして……とは言っても、街で1回会っていたね。あの時、本を投げてくるとは思わなかったよ」
「妹の本を盗った相手をみすみす逃がすわけにはいかないもの」
「おや、随分と強気なお嬢様だ」
ふふっと笑った彼が近くにあった椅子に腰かける。毎度思うのだが、彼は本当に遠慮がない。今も、すぐ隣に置いてあった私の本を、勝手に手に取ってめくっている。
「あなたが今日は来るんじゃないかって、ミルドレッドが言うから待っていたの」
「ふぅん……そうなんだ。確かに、2人でそろっているのは初めてだね」
つまらなそうな顔で本を元の位置に戻した。どうやら内容がお気に召さなかったらしい。
「じゃあ、これ以上無駄話をしても意味がないよね。本題に入ろうか」
その言葉に私は素直にうなずき、お姉様は腕を組んで彼をにらみつけた。
「今日、お嬢さんたちは街で危険な目にあったようだね。こちらでも、そのことについて情報収集はさせてもらったよ。どうやら、馬が暴走して走り出したところで、後ろからミルドレッドお嬢様を押した人間がいたみたいだね。幸い、馬に蹴られることはなかった。そして、押し出した犯人は自害」
「そうよ」
お姉様の言葉にうなずいて、クリフは続きを話し出した。表情は真剣で、ふざけている様子はない。
「さて、ここまでがお嬢さんたちの耳に入っている情報なんじゃないかな」
「そうね。他にも何かあるのね?」
「うん、あったよ。例えば、君たちのところにたどり着く直前で倒れた馬」
「あぁ、あの馬ね。足をくじいたように見えたわ」
お姉様の返答に、クリフは首をゆるゆると横に振った。足をくじいたわけではないようだ。
「違うのですか」
「正確には足にナイフが刺さっていた」
「ナイフ……」
「ちょっと待って、なんでナイフなんか刺さって――」
そこまで言いかけて、お姉様がはっとしたように固まった。何かに気が付いたようだ。何に気が付いたのだろうか。
考えるられる状況としては、例えば、暴れ馬を止めようとして、誰かが馬にナイフを投げつけた、という状況だろか。それでは、それは何のためだろうか。単純に考えれば、これ以上被害を出さないため。他の可能性としては、道に飛び出してきた私たちを見て、貴族だと判断して、誰かがナイフを投げた。
どちらもあり得そうな話ではあるし、特に問題がある行動とも思えない。それだけならば、クリフがここにきてまで話すほどの内容ではないだろう。
そうであるならば、そういった自然な動機とは何か別の動機があって馬を止めようとしたということだろうか。
そこまで考えて顔を上げると、彼と目があった。どうやら、私の考えがまとまるのを待っていてくれたようだ。
「2人ともある程度推測できたみたいだね。そう、想像の通りだよ。これ以上被害を大きくしたくなくてナイフを投げたわけでもなさそうなんだ。ナイフを投げた人物はすぐに特定できたんだけれどね――見つけたときには死んでいたんだよ」
その言葉に絶句する。それと同時に、昼間の出来事が頭をよぎる。男の虚ろな目、流れ出す血、ざわめきと悲鳴――。思い出すと同時に、軽く吐き気がこみあげてくる。
「う……」
「ミルドレッド!」
すぐに気が付いたお姉様が、私の背中をさすってくれる。膝の上に置いていた自分の両手が震えていることに気が付いて、ぎゅっと握りしめた。
「無理しないで。辛かったら、今日は休みましょう。話なら私が聞いておくから、ね?」
「……大丈夫です」
「……そう、本当に辛くなったら、すぐに言ってね」
「その様子だと随分とひどい目にあったみたいだね」
クリフの声に顔を上げてみれば、彼は、珍しく同情しているかのような表情でこちらの様子をうかがっていた。
「大丈夫です。続けてください」
「本当に大丈夫かい? まぁ、だめそうなら、早めに言いなよ」
私が頷いたことを確認すると、彼は話を再開させた。
「死んでいたっていうのは、自害したわけではなくてね。私たちが、ナイフを投げた男に話を聞こうと思って近づいたとき、目の前で殺されちゃったんだ」
「犯人は?」
「わからない。矢がどこからともなく飛んできたからね」
「怪しいわね」
「リリアンお嬢様もそう思う? 僕も怪しいと思うんだよね。それで、ナイフを投げた男について調べてみたってわけ。ついでに、ミルドレッドお嬢様を押し出した男についてもね。見事に共通点が見つかったよ」
そこで、一息つくと、彼はお姉様を見た。お姉様は、突然、視線を向けられて困惑している様子はあるが、特に動じている様子もない。
クリフはそっと視線を外すと、つぶやく程度の小さな声で言った。
「――王家の狂信者だ」
「王家の……狂信者……。それは一体どのようなものなのですか?」
意味が分からず問い返したが、隣のお姉様は深刻そうな顔をしているため、ここで分かっていないのは私だけなのだろう。しばらくして、お姉様がいつもよりも低い声で話し出した。
「エルデ王国には表向きは2つの派閥があるの。1つは王家を支持する派閥、もう一方は中立派。中立派ももちろん王家に忠誠を誓っているけれども、辺境の地で王家とのかかわりが薄かったりする貴族たちが所属している派閥よ。でも、実際のところは、もう1つ派閥があって、それが、王家の狂信者と呼ばれる人たちの派閥」
「ちょっと、異常なくらいに王家を支持していて、王家の邪魔になりそうな者には容赦をしない派閥でさぁ。それこそ、手段は選ばないんだよね。普通は派閥同士で争うにしても、社会的地位から相手を引きずり落とすとか、その程度だと思うんだけれど、狂信者たちは本当に人を消しちゃったりするから」
お姉様の解説に続けて、クリフが話した内容は随分と物騒だ。しかし、そのような物騒な狂信者たちが、なぜ私たちの周りで動いているのだろうか。馬にナイフを投げた者は、私たちには危害を加えていないが、私を押し出した男は、私を消そうとしたということではないだろうか。私は王家の邪魔になるような存在だっただろうか。
「私、狂信者の方々に消されてしまうような心当たりがないのですが……」
「確かにそうなのよね。ミルドレッドは、基本的に領地内で過ごしていて、まだ夜会に出席するような歳でもないから、外部との接触はほとんどない。それなら、オールディス家に問題があるかと思ったけれども、その可能性も低いと思うのよね。私たちの家は中立派だけれども、お母様は王家派閥の家出身だし、特に関係が悪化しているとも思えないわ」
「僕も、別の理由からだけれど、君たちが王家の邪魔になる存在だとは思っていない」
沈黙の時間が流れる。
「お姉様、オールディス家で先代や先々代などの派閥などは?」
「オールディス家はずっと中立派。でも、ここ数代は嫁いできたおばあさまも、その前も王家派閥の家だったと聞いているわ」
中立派ではあるものの、王家派閥の人間が嫁いできているということは、王家派閥との関係も悪くはないのだろう。派閥は恨まれる原因にはなり得ないようだ。
「それにしても、王家との古くからの誓約があるのに、オールディス家は中立派なのですね。王家派閥でもよさそうですが」
「そういえば……そうね」
お姉様が相槌を打って、ちらりとクリフを見た。その眉が寄る。
「あなた、このことについて何か知っているわね」
「……鋭いなぁ。話さないといけない?」
「そうね、話してもらいましょうか」
「このことを知ることで君たちが本格的に面倒ごとに巻き込まれることになるとしても?」
じっとこちらを見つめてくる。その瞳は真剣で、そして、どこか私たちを心配するような色が映っていた。その視線に怖気づくこともなく、まっすぐに見つめ返したお姉様は、ぶれない声で言い放った。
「もう十分巻き込まれているわよ」
お読みくださり、ありがとうございます。
明日は用事があるため、次回の投稿は明後日となります。
よろしくお願いいたします。




