17
「ん……」
わずかに目を開く。視界が歪んでいる。まどろみの中で、目を閉じて、もう一度眠りについてしまおうか迷いが生まれる。ふと頭を撫でられていることに意識が向いて、落ちかけた意識が再び浮上してくる。
目を開けてみると、視界は、やはりぼやけている。数回、瞬きをすると、私の頭を撫でている人物がはっきりと見えた。
「あ……」
「目が覚めたか」
私が起きたことに気が付いたランドルフ様は、頭から手を離した。
「……ここは」
「オールディス領内の医師の診療所だ」
「診療所……」
いつもよりもふわふわとしていて、考えがまとまらない。なぜ、私は診療所にいるのだろうか。ランドルフ様がいるのもどうしてだろうか。
「まだ頭が働かないか」
その言葉に静かにうなずく。ぼんやりとしていて、難しいことが考えられない。
「鎮静剤の効果が切れていないようだな」
「鎮静剤?」
私の言葉に、ランドルフ様の表情がわずかに動く。これは、どういう表情だろうか。悲しみ……いや、違う。怒り? これも違う。あぁ、そうか、これは心配や気遣いだろうか。
ランドルフ様は、表情があまり動かないけれども、優しい一面もあるのね。
「詳しいことは……省いた方がいいだろう。君は、男が目の前で自害したことにより、ショックを受けてパニック状態になったため、鎮静剤を打たれて診療所に運ばれた」
「男が……自害……?」
そうだっただろうか。働かない頭で思い出そうとしたところで、ランドルフ様の手が伸びてきた。軽く額を押さえられる。
「あまり考えるな。せっかく落ち着いているんだ」
「でも」
「今は休め」
強い口調ながらも、どこか優しさを含む声色に、自然と頷いてしまう。そういえば、ランドルフ様が診療所にいるのは何故だろうか。私が視線を投げると、そのことに気が付いたのか、普段は無口な彼にしては珍しく口を開いた。
「私がここにいるのは偶然だ。ブライトウェル侯爵領で輸入した商品が、ほかの領地ではどの程度の値段で売り出されているのかを調査するために、オールディス領の街に来ていた。そうしたら騒ぎの中心に君がいた」
淡々と事実を並べていく様子は彼らしい。しかし、いつも無感情にも見える赤い瞳は、今日はいろいろな感情を含んでいるようにも見える。
「お姉様は、無事ですか」
「あぁ。問題ない。けがもなく、精神的にも安定している。呼んでこよう」
そう言うと、彼は、ベッドの隣の椅子から立ち上がった。無駄のない動きで、私に背を向けると、すぐに歩き出した。
しかし、一歩を踏み出したところで、ぴたりと止まると、振り向いてこちらを見下ろした。若干、眉が寄っているようにも見える。一見すると不機嫌にも見えるが、眉が下がっているのを見ると困惑が混ざっているのだろうか。
何かあっただろうか、とぼんやりと考えながら、彼の視線の先を見てみれば、私の手と、その手がつかんでいるランドルフ様の上着の裾が見えた。
「あ……申し訳ありません。つい……無意識で……」
無意識にランドルフ様の上着を掴んでしまっていたらしい。普段なら絶対にしないことに首を傾げつつも、そっと裾から手を離す。鎮静剤の効果で頭があまり働いていないせいだろうか。
若干の居心地の悪さを覚えつつ、ランドルフ様からそっと目線を外す。
「無理もない。あのようなことがあった後だからな」
意外なことに、彼は部屋から出て行かずに、再び椅子に腰かけた。驚いて、そちらを見上げれば、やはり、あまり感情を映さない赤い瞳がこちらを見下ろしてくる。
「まだ薬の効果でぼんやりとしているのだろう。休むといい。君が寝付いたら、君の家族を呼んでくる」
そう言うと、彼は私の返事を待つこともなく、近くの机に置いていた本を手にして読みだした。ページをめくる音が静かな部屋の中に響く。
カーテンを揺らす風は、さわさわと私の頬を撫でていき、ぼんやりとしていた意識は、再びまどろみの中へと落ちていく。穏やかな昼下がりの診療室で、私は静かに意識を手放した。
次に目が覚めたのは、お腹のあたりに感じた重みに意識を引き戻されたからだろう。
ふと顔を上げて自分のお腹を見てみると、お姉様の頭が乗っていた。どうやら、私の様子を見に来て、そのまま、ここで居眠りをしてしまったようだ。
私がかすかに動いたことを感じ取ったのか、彼女の長いまつげがふるりと震えて、ゆっくりと目が開けられた。やがて、緑色の瞳が私のことをはっきりととらえると、彼女は勢いよく起き上がって、私の頬を包み込んできた。
「ミルドレッド! 起きたのね!」
「はい、お姉様」
「気分は大丈夫? 帰れそう?」
昼間に一度目が覚めた時よりも、頭がよく働いていることに安堵しながら、頷いた。そのことにほっとした様子のお姉様は、私の両手を包み込むと、優しく微笑んだ。
「ゆっくりでいいわ。まずは起き上がりましょう」
病人に触れるかのように、そっと背中を支えてくれる。言われた通りにゆっくりと、起き上がり、ベッドから降りる。周りを見渡して、薄暗いことに気が付いた。
「随分と長く眠ってしまったのですね」
「えぇ、そうね。とりあえず、帰って休みましょう。お医者さんも、もう大丈夫だろうって」
「はい」
お姉様に手を引かれながら、歩き出す。
「お姉様、ランドルフ様はお帰りになられましたか」
「えぇ、しばらくミルドレッドの様子を見ていたみたいだけれど、私を呼んだあとはお帰りになられたわ」
本当に私が眠るまで隣にいてくれたようだ。
不思議と胸が温かくなるのを感じながら、お姉様と共に診療所を後にする。外はすっかり日が落ちて、肌寒くなっていた。
ずっと目の前に止めてあったのであろう馬車に2人で乗り込むと、今日は珍しく、向かい合わせではなく、隣にお姉様が座った。私を気遣ってくれているのだろうか。
動き出した馬車の中で、隣のお姉様を見上げる。
「お姉様」
「んー?」
「お姉様は大丈夫ですか?」
「私?」
キョトンとした様子で、こちらを見返してくる。どうやら、本当に大丈夫なようだ。
「うーん、まぁ、そうねぇ。私の位置からだと直接見えたわけでもないから」
「それならよかったです」
お姉様にあまり影響がなかったことに、ほっとしながら俯いた。
「それから、馬から私をかばおうとしてくれてありがとうございました。……でも、お姉様が危険な目に遭うところはできれば見たくありません。自分のことも大事にしてください」
私の言葉に、目を瞬かせていたが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「そうね。確かに、冷静に考えると、あれはよくなかったと思う。私がかばったところで、2人とも馬に蹴られていただろうし。でも、なんていうのかしら、勝手に体が動いたのよね」
ふふっと笑った後に、すぐに反省した顔に戻る。
「ただ、ミルドレッドに注意されてしまったから、今後は気を付けるわ」
しばらくの間、反省していたのか、大人しくしていたお姉様だったが、馬車が大きく揺れた際に、楽しそうな表情に戻ると、その様子を隠すこともなく、私の方を向いた。
「それよりも、ミルドレッド! ブライトウェル侯爵子息とは上手くいっているみたいよね。今日もお見舞いに来てくださっていたし! お礼の手紙を書かなくてはいけないと思うの。それから贈り物も用意しましょうね!あとは――」
「お姉様、あの」
「それから、最近だと、男性に人気な贈り物は――」
「えっと、お姉様?」
「あぁ、そう言えば、今日はどんなお話をしたの? まさかお見舞いに来てくださるような方だったとは思わなかったわ。意外と情熱的な殿方なのね」
「いえ、ですから」
「ミルドレッド、そんなに消極的ではだめよ。あなたもちゃんと好意を態度に出さないといけないの。そうねぇ――」
勢いに乗ったお姉様が私の制止などで止まるはずもなく、アドバイスをつらつらと述べ始めた。それでも、そのおかげで、昼間に起こった気味の悪い出来事を、一時的とは言え、考えずに済む時間を手に入れた。
遅くなりましたが、本日分です。
投稿したつもりが、投稿ボタンを押せていなかったようです。先程気がつきました。
本日もお読みくださり、ありがとございます。
続きは明日投稿いたします。




