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血が流れる描写などがあるため、苦手な方はご注意ください。
窓から日が昇っていく様子を眺める。薄暗かったはずの空は、太陽が山の影から姿を見せると同時に一気に明るさを増した。広々とした空を小さな鳥たちが横切っていく。
昨夜、本が光ってから、あれこれ考えては結局眠ることができなかった。状況から判断すると、おそらく血に反応して青い文字が浮かび上がったのだろう。その推測にたどり着くまでに、それほど時間がかかるわけもなく、推測ができれば、今度は実際に実験をして結果を確かめたくなるのも自然な流れだろう。
しかし、仮説が間違っていた場合、自分の血で本を汚してしまうことになる。さすがにランドルフ様から借りた本に対して行うにはリスクが高すぎた。
そこで、前に王都の古本屋で買った古代語の本に対して試すことにした。裁縫用の針で人差し指の先を刺し、ぷっくりと出てきた血を開いた本に押し付けた。
血がにじんだかと思うと、みるみるうちに消えていき、代わりに弱い青色の光が本から放たれた。それは、だんだんと光の強さを増していき、やがて、文字として読むことができるようになった。最初のページからめくっていったが、どのページにも文字は浮かび上がり、本を閉じると同時に青い文字は見えなくなる。
ランドルフ様の本のときと全く同じことが起こったのである。
そうはいっても、試すことができたのは、その1冊だけ。いや、正確には自分の私物である大衆向け小説にも試してみたが、こちらは普通に血がにじんでしまった。やはり、古代語の本というのが重要な点なのだろう。
右人差し指に巻いていた包帯を外した。そのままにしておくと、身支度の際にカミラに心配されてしまうだろう。もうすっかり血は止まっている。
ノックと共にカミラの声が響く。
「お嬢様」
「入って」
「失礼いたします」
扉が開かれると、今日もきっちりと髪をまとめたカミラが入ってきた。
「ねえ、カミラ。今日は、お姉様を街に誘ってみようと思うのだけれど」
「まぁ、それは素敵でございますね。それでは、本日はそのように準備させていただきますね」
そう言うと、私を鏡台前に手招く。いつも通り、髪を丁寧にブラシで梳いてくれる。穏やかな光が窓から漏れて、少しくすんでいる私の金髪をきらめかせた。
器用に三つ編みや編み込みを施して、最後に可愛らしい花を模した髪飾りを差し込んでくれる。白色に近い黄色の髪飾りだ。その髪飾りと合わせるように、落ち着いた黄色のドレスを出して、着替えさせてくれた。
「本日は少し肌寒いので、お出かけの際には、こちらの上着を羽織られるとよろしいかもしれませんね」
そういって差し出されたのは、焦げ茶色のショールだった。よく見ると、可愛らしい花の刺繡がされている。黄色のドレスとの相性はよさそうだ。
「ありがとう、カミラ。朝食のときにお姉様を誘ってみるわ」
「ええ、きっとリリアンお嬢様もお喜びになられます」
ニコニコと笑って、扉を開けてくれる。廊下に出ると、ちょうど少し先のあたりをお姉様が歩いていた。
「お姉様」
声をかけると、ぴたりと止まって、こちらを振り向いた。艶やかな髪が、振り向いた拍子にふわりと揺れた。
「ミルドレッド。どうしたの?」
少し早足でお姉様に近づきながら、話をつづけた。
「お姉様、もし、お時間があるのならば、私と街に行きませんか」
「あら」
少しうれしそうな表情をした彼女の瞳を見る。どうやら、私の意図をくみ取ってくれたらしい。
「ぜひ行きましょう。楽しみだわ」
オールディス領ののどかな風景の中を馬車が走る。今日もオールディス領の領民たちは慌ただしく働いていた。収穫作業が落ち着くのは、もう少し先なのだろう。それでも、私たちを見かけると彼らは手を振ってくれる。
二人きりとなった馬車の中で、お姉様に昨夜の出来事を話した。
「なるほど、この話がしたくて、二人きりになれる馬車に乗るために街に出かけるということね」
「それもありますが、単純にお姉様とお出かけしたい気持ちも少しありました」
私の言葉に、お姉様が呆気にとられた様子で固まった。それほど意外だっただろうか。普段の私の態度は、それほど淡白だということだろうか。確かに、表現しようとはしないが、別に感情がないわけではない。
「お姉様は古代語の本の解読作業の進捗はいかがですか」
「全然駄目」
ため息をつく直前といった表情で首をゆるゆると振っている。
「意外です。お姉様は頭が良いので、古代語もあっさり解読してしまうかと思っていました」
「私、外国語は全然駄目なのよ。日本にいたときも、大学で必修だった第二外国語は単位取得にギリギリの成績だったし、英語もすごく苦手だったわ。話せないし、読めないし。古代語も家庭教師に習っているけれど、読める気配がないのよ。古代文字を覚えるだけで精いっぱいだったもの」
少し抜けている以外は完璧にも思えたお姉様にも苦手なものがあるのだと知って、少し安心してしまう。お姉様も人間なのだなと思いながら、手にしていたクッションを隣に置いた。オールディス領の中でも最も大きな街が見えてきた。侯爵邸からそれほど距離はなく、すぐにたどり着く。
「お姉様、今日はアクセサリーショップに行きましょう。前に、王都ではいけなかったので、是非」
「覚えていたの?」
驚いた様子で聞き返してきたお姉様だが、私が頷くと、小さく微笑んだ。馬車の速度が緩んでいく。街に入ったようだ。
王都やブライトウェル侯爵領の街のように大きくはないが、活気のある街のようだ。飾り気はないが、石造りの頑丈そうな建物が並んでいる。目的地のアクセサリーショップは街の中でも中心部にあると聞いているが、人が多いためになかなか進まない。
やっとのことで街の中心部にたどり着くと、馬車が停まった。扉が開かれ、護衛騎士の手を借りながら外に出る。賑やかな街の中で、まず目に入ってきたのは、目の前の噴水だ。この噴水を中心に広場になっているようだ。
お姉様の横に並んで歩き出す。アクセサリーショップはすぐそこだ。ちょうど大きな通りを挟んだ向こう側に見える建物がそうだろう。おしゃれな装飾が施された看板が立っている。
大通りがあるとは言え、そこを通るのは馬車だけだ。いつも馬車が通っているわけではないため、多くの人が気にせずに大通りを歩いている。
私たちが渡ろうと足を踏み出したところで、遠くから悲鳴が聞こえた。1人の悲鳴だけではない。さざ波のように悲鳴とざわめきは広がっていく。それは徐々にこちらにも広がってきて、ようやく状況が理解できた時には、視界の端に暴れ馬が映っていた。
「馬が暴れながらこっちにくるわ!」
お姉様の言葉にうなずき、大通りから距離を取ろうと後ずさる。それと同時に、護衛騎士のうちの1人もお姉さまと私を誘導しようと手を差し出した。その手を取ろうとして、視界がぶれた。
「え」
気が付くと目の前に地面があった。手を地面についている。誰かに押されたのだということを理解すると同時に顔を上げれば、暴れ馬がまっすぐにこちらに走ってくるのが見えた。暴れ馬の上には人が乗っている。あと数秒ほどで私のところまで来るだろう。妙にゆっくりと見えるその光景の中で、あぁ、死ぬのかもしれない、とぼんやりと思った。
「ミルドレッド!」
悲鳴に近い声で私を呼んだお姉様が必死に駆けだしてくるのが見える。こちらに来ては危ないと伝えたいのに間に合わない。お姉様は、かぶさるようにして、私を抱き込んだ。すぐ後に護衛が私たちをかばうように前に立ったのが見えた。
護衛騎士も、私たちもまとめて蹴られると思った瞬間、馬が突然足をくじいたかのように倒れこんだ。
それと同時に、私の耳に音が戻ってくる。ざわめきや悲鳴が響く中で、私を抱え込んでいるお姉様にそっと触れた。
「お……ね……さま」
声を出してみて、自分の声が思ったよりもかすれて震えていることに気が付く。声を聞いたお姉様が、強く抱きしめていた腕を緩めて、無事を確認するかのように、そっと私の頬に触れた。彼女の手もまた震えていた。
「ミルドレッド……無事なのね」
「は……い」
「よ……よかったぁ……」
泣き出しそうな顔をして、お姉様は安堵したのか、その場にへたり込んだ。私も震える手でお姉様の両手を包む。先程、馬からかばおうとしてくれた護衛が、私たちにけががないかを確認しようとしゃがみこんだところで、人混みの中から声が上がった。
「こいつだ!」
護衛騎士のうちの1人が、中年の男を捕えたようだ。担がれている男は逃げ出そうと暴れている。本泥棒のクリフのようにあきらめる様子はなく、護衛の手から逃れようとしていた。それでも、私たちのけがの様子を確認していた護衛騎士も加わって押さえこめば、さすがに逃れることはかなわない。
おそらく、護衛騎士が捕らえたということは、私を大通りに押し出したのは、この男なのだろう。少し体格はいいものの、特に目立った特徴はない。日に焼けた肌は、農作業が中心のオールディス領の領民では珍しくもない。
お姉様が私を安心させるかのように手を強く握ってくれる。
王国兵に引き渡そうと、護衛たちが準備をしていると、男は不気味な笑みを浮かべてこちらに声をかけてきた。
「鳥かごの中の生活をせいぜい楽しむといいさ」
その言葉を言い終わると同時に、彼の口からおびただしい量の血があふれた。すぐに目の焦点は合わなくなり、体が崩れ落ちる。ばたりと倒れた彼の頭が、すぐ目の前にあった。光を失った目は見開かれたまま、こちらを向いていた。口からは血が流れ続けて地面に広がっていく。
「――っ!」
舌を噛み切って自害したのだということに気が付いた瞬間、私は、声にならない悲鳴を上げた。頭が真っ白になり、何も考えられずに、ただ隣のお姉様に縋りつく。自分の指先が冷たくなっていくのを感じながら、それでも虚ろな目から視線をそらすことができずいた。
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