13
最近は厳しかった暑さも落ち着き、外の風景はすっかりと秋色になっていた。馬車の外に見える木々は赤色や黄色に染まり、秋の農作物は収穫の時期を迎えている。畑で慌ただしく働く領民たちも、馬車が見えるとこちらに手を振ってくれたり、帽子を外してニコニコと笑ってくれる。私も、馬車の窓から小さく手を振り返しながら、オールディス家と領民の関係が良好であることに、ほっと胸をなでおろした。
少し前に、国内で領民が暴動を起こしたなどという情報が入っていたが、それは、おそらく領主一家が無理な税を領民に課していたのだろう。もしくは、余程領地経営が下手だったのか。どちらにしても、堅実な領地経営をしているオールディス家は、基本的には領民との関係も悪くなく、暴動を起こされてしまうようなことはないだろう。
お姉様や、訳ありの護衛騎士との会話をしてから、しばらく経っているが、大きな問題もなく過ごすことができている。また、なかなか見つからなかった私の古代語の家庭教師だが、どういうわけなのか未だに見つかっていない。隣国の貴族であれば、ある程度は教養で習っているはずなので、誰かしら受け持ってくれそうなものなのだが、不思議なことに何かしらの理由をつけては断られてしまうようだ。
既に、お姉様は2年ほど前から、家庭教師をつけてもらって古代語を学んでいるが、話を聞いてみると、やはり、家庭教師を探す際には時間がかかっていたという。それでも、やっとのことで見つけた家庭教師に教えてもらっているようだが、私の指導を頼もうとしたところ、それは理由をつけて、断られてしまったらしい。
ほかの科目では断られたことがないことを考えると、別に私が問題児というわけではないと思うので、古代語から私を遠ざけようとしている人がいるのではないかと勘繰ってしまう。それでも、平和に過ごせているのであれば、わざわざ、私の方から問題に向かって突き進んでいく必要はない。
やがて、馬車の揺れに眠気が刺激され、近くにあった小さな水色のクッションを抱えると、そのまま、うとうとと眠り込んでしまった。
どれほどの間、馬車に揺られていただろうか。目を閉じていてもわかる明るさに意識が引き戻される。
オールディス領とは異なり、きれいに舗装された道に変わっていることに気が付き、ここがブライトウェル侯爵領なのだろうと推測した。王都とは、また雰囲気が異なるが、明るく活気のある街が見えてくる。全体的に坂になっている街の最奥には、深く、しかし、透き通った青がどこまでも続いていた。海だ。
先ほど感じた明るさは、おそらく海に反射した光だったのだろう。
馬車は、そのまま海には進まず、途中で右に曲がると、街の中でも高台にあたる方向へと進んでいく。緑が比較的多いその高台には、立派なお屋敷が見えていた。街並みに合わせて、全体は白っぽく、屋根は赤い。海と対照的な赤色がよく映えている。
馬車が坂道を上っていくにつれて見えてきた門は、デザイン性が高く、複雑な形をしている。しかし、奇抜というほどでもなく、きれいに街並みに溶け込んでいる。門番と思わしき男性が、速度を緩めた馬車に近づいてくる。
御者に何やら確認を取ると、すぐに門へと戻っていき、門を開けた。馬車が再び動き出し、敷地内に入ると、そこには見事な庭園が広がっていた。少し奥には、小さな噴水も見える。
屋敷の入り口には、ブライトウェル侯爵夫人とランドルフ様が立っていた。馬車が止まりかけたところで、ふと先日の図書館のことを思い出した。しばらくして開かれた扉の前には、すでにランドルフ様が立っていて、手を差し伸べてくれている。私も左手を伸ばしながら、彼に話しかけた。
「ありがとうございます。あの、本日は自分で降り――」
自分で降りられますので、抱きかかえて降ろしていただかなくても問題ありません、と伝えたかったのだが、その前に降ろされてしまった。思わず目の前のブライトウェル侯爵夫人を見上げてしまうが、にこりと微笑まれてしまった。あらまぁ、といった表情が見える。気まずい。
「ブライトウェル侯爵夫人、ランドルフ様。本日は、お招きいただき、ありがとうございます」
ゆったりとしたカーテシーを行う。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。さあ、まずは中に入りましょう。ランドルフ、ちゃんとエスコートして差し上げるのよ」
その言葉にランドルフ様の眉が寄る。それを見逃さなかった夫人は、非難するような目を向けた。
「その様子では、この間の図書館でも碌にエスコートしていないのでしょう。確かに日常生活でいつも必要だとは思いませんが、やっていなかったことは突然できるようにはなりません。夜会などで恥をかかないためにも、今から練習だと思ってやりなさい」
夫人は、ごめんなさいね、といったような目線を私に向けてくる。さすがに、私から口出しなどできないので、曖昧に微笑んで誤魔化した。すると、目の前に彼の右手が差し出された。ふと見上げてみると、無表情の――よく見ると、どこか不本意そうな表情の――彼がこちらを向いていた。
「ありがとうございます」
苦笑したくなるところを何とかこらえて、左手をそっと乗せる。そのまま、ゆっくりと歩き出した。エスコートをしていることもあってか、図書館のときのように置いていかれることはない。
客室に通されたかと思うと、定型文的な挨拶をお互いに済ませ、その後は、適当な理由をつけて、夫人はさっさと退室していった。おそらく、婚約者同士仲良くやりなさい、ということなのだろう。成り行きで隣に座っていたランドルフ様が黙ってこちらを見下ろす。
座っていても、それほど差があるということは、身長差がかなりあるな、などと考えていると、彼が近くにいた使用人に何かをささやいた。
「君に渡すものがある。今取ってきてもらっているから少し待ってくれ」
「はい」
贈り物などするようなタイプには見えなかったため、意外に思いながらも返事をする。用意されていたお茶を飲もうとカップを手にすると、ふわりとフルーツの香りが漂った。
「……フレーバーティー?」
「苦手か?」
「いえ、単純に珍しいと思いまして……。最近、エルデ王国にも輸入されるようになったとは伺っておりましたが、なかなか手に入らないもので」
さすがは貿易の要と呼ばれているブライトウェル侯爵領だ。こくりと飲んでみれば、少し甘さを含んだベリー系の香りが鼻を抜ける。おいしい。思わず頬が緩むが、隣を見て固まった。赤い瞳がこちらをじっと見ていたのだ。何か変なことをしてしまっただろうか。
「あ、あの、何か?」
「いや、見ていただけだ。気に入ったのなら、帰りに少し持たせてやる」
「そんな、茶葉を頂くわけには」
「構わない。何なら新しいものを買って持たせても構わない」
「それはさすがに……」
「では、茶葉を分けるので大人しく持って帰ればいい」
「本当によろしいのですか」
「問題ない。後で包ませる」
この国では、まだ十分に出回っていないフレーバーティーの価値は高い。そのため、値段も格段に高い茶葉のはずで、分けてもらうのは少し悪い気がするのだが、ランドルフ様の様子を見ていると、引く気が全くなさそうだ。
しかし、フレーバーティーがおいしかったことも事実であり、正直なところ、分けていただけるのはうれしい。自然に笑顔がこぼれる。
「ありがとうございます」
「……あぁ」
再びお茶の香りを楽しんでいると、先ほど退出していった使用人が何冊かの本を抱えて戻ってきた。ランドルフ様がテーブルの上に置くようにと指示をする。それを見て、こぼさないように注意しながら、カップをソーサーに戻し、問いかけた。
「これは?」
「私の私物だ。君に貸そうと思って持ってこさせた」
促されて、本に目を向けてみる。積み上げられたうち、一番上の本を手に取ってみると、年季の入った本であることに気が付く。古いが、状態はよく、ランドルフ様がこの本を大切に扱っていたことがよくわかる。本の表紙を確認してみると、エルデ語でないことに気が付いた。
「……古代語?」
「以前、古代語に興味を示していただろう。冊数は多くないが、参考になるだろう」
本を貸していただける嬉しさ、読んだことのない本への興味、古代語を読む機会を手に入れた喜び。様々な感情が混じり合う。それでも、素直に笑顔を作ることができなかったのは、以前に忠告を受けている古代語が目の前にあることが原因だろう。
どうしましょう、お姉様。私が動かなくても、問題の方が向こうからやってきてしまいました――。
お読みくださり、ありがとうございます。
また、いいねや評価をしてくださった方もありがとうございます。
続きは明日投稿いたします。
(※投稿後に誤字に気が付き、修正させていただきました。)




