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テーブルには可愛らしいお菓子が並べられていた。夏のフルーツをふんだんに使ったそれらは、どこか涼しげな色をしている。リリアン付きの侍女がテーブルに音もなく紅茶を置いた。
「ありがとう。少し2人で話したいの」
「かしこまりました」
彼女は、ささっと道具を片付けると、無駄のない動きで速やかに退出していった。リリアンが微笑みながら頬杖をついて、こちらを見上げてくる。
「それで、どうしたの? 突然私と2人でお茶がしたいなんて」
「たまにはお姉様とゆっくりお茶を楽しみたくて」
「あら、うれしい」
ふふっと笑みをこぼしたリリアンは相変わらず美しい。光加減で深い色にも変わる緑色の瞳がこちらをとらえた。先ほどまでとは異なり、どこか含みのある笑みを浮かべている。
「それだけじゃないでしょう」
リリアンの言葉にこくりと頷く。この世界に来てから、しばらく彼女と過ごしてわかったことがいくつかある。彼女は少し抜けているところがあるが、鋭いところがある。それから、日本にいたときの彼女なのか、それとも、混ざってしまったという元のリリアンの性質なのか、もしくは、その両方なのか、とても頭が良い。
日本でごく平均的な大学生をしていた私とは大違いなのである。
その頭の良さと、王子の婚約者という立場を生かして、この世界に日本の知識を応用しているようだ。最近、日本でいう銀行にあたるものが運営され始めたが、その発案者は目の前の彼女だ。私も銀行がどういうものなのかを何となくはわかっているが、とても自分で設立できるほどの頭はない。
「お姉様のお力を借りたいの」
「私?」
少し意外そうな顔をしつつ、お菓子に手を伸ばしている。
「私では整理しきれないのだけれど、私もお姉様もどうにも面倒なことに巻き込まれているように思えて……。モブを目指すって話したけれども、それができないんじゃないかと危惧しているの」
「詳しく教えて」
お菓子を頬張って、少し頬を膨らませたまま真剣な表情でこちらを見つめてきた。態度は真剣なのに、どこか面白さを感じてしまう。
自分も紅茶を口にしつつ、たまにお菓子にも手を伸ばしながら、昨夜の出来事を伝えた。そのころには、紅茶から湯気は立たないほどになっていた。
私が話し終えても、リリアンは、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ミルドレッドは、少年をこの屋敷に招き入れた人物にある程度予想がついているのね?」
「はい。お姉様もですよね?」
「そうね」
彼女は、何でもないことのようにうなずいた。
「彼なら、私たちの状況についても知っていそうね。後で詳しく話を聞くとして、その前に私たちで状況を整理しましょう」
「そうですね。お姉様は誓約について、何かご存じですか」
「いいえ、ミルドレッドとほぼ同じ内容ね。オールディス侯爵家に女の子が2人生まれたら、長女を王家に嫁がせる。これは建国当初からある誓約だと聞いているし、ゲーム内でも同じ説明だったわ」
なるほど、私が知っている内容と大差ない。建国当初からという部分は、リリアンだけが知っていた内容のようだ。
「誓約からは状況をつかめそうにないですね……。それでは、古代語や古代遺物を学ぶなという忠告について何かお心当たりは?」
「そうねぇ……」
どこからか出した扇を優雅に広げると口元に持っていきながら視線は上を向いた。考えているようだ。口元は隠しているものの、目で表情が読めてしまっているので、扇の意味はあまりなさそうである。
「あ、そういえば」
ぱたりと音を立てて扇をたたむと、こちらに視線を向けて話し始めた。
「この国では古代語の文献が少ないらしいってミルドレッドから聞いたから、気になってお父様に聞いてみたの」
その言葉で、古本屋の店主との会話をリリアンに話したことを思い出す。確かに、古代語の文献は珍しい。王立図書館にも、それほど冊数はなかったように思う。
「そうしたらね、この国だと、ちゃんと家庭教師に教えてもらいながら古代語の勉強をするのは、オールディス家だけみたいなのよ。他は趣味で学ぼうとする人もいるみたいではあるけれど、難解で挫折する人が多いみたい」
「え、それはすごく怪しくないですか」
「怪しいわね」
リリアンも、父に尋ねたときには何も思わなかったのだろうが、私が忠告を受けたという話を聞いたうえで思い返すと不自然に感じたのだろう。
「オールディス家は何故、家庭教師から習う科目で古代語を必修にしているのでしょう……?」
「これが誓約と関係あったりするのかしら? いっそのことアイザック殿下に聞いてみる?」
「いえ、しかし……」
王子殿下に聞くのは難しいだろう。
「冗談よ。まぁ、聞けそうなときがあれば聞いてみるわ」
「はい、お願いします」
リリアンも無理だとわかったうえで発言していたのだろう。それは別に不仲だからではない。
王子殿下とリリアンは手紙のやり取りは毎月しているし、贈り物をしている姿も見かける。王子殿下の時間が空けば、2人で観劇に行ったりしているところも見たことがないわけではない。リリアンの頭の良さには王子殿下も惹かれているようであったし、主人公が登場していない今、2人の関係は良好だ。
しかし、聞くことができないというのは、理由がある。成人してから、王子殿下は公務に追われているようで、ほとんど時間が取れないのだ。そのため、最近はリリアンと会っているところも見かけない。また、リリアンは、手紙も、隙間時間で読めるようにと、できるだけ短い文章にしているらしい。
「でも不思議よね。隣国のミカニ神聖王国では、古代語は貴族の必修科目だそうよ」
「やはり、ピメクルス教の教典を読むために必要だからでしょうか」
「そうかもしれないわね。そうすると、代々オールディス家が古代語を学んでいるのは、ピメクルス教が関係しているかもしれないわね」
「それならば、私たちが巻き込まれかけているのはピメクルス教関連のことなのでしょうか」
「今の時点では何とも言えないわ。でも、可能性はあると思う。古代遺物だって、ピメクルス教に関連したものだし」
彼女の話を聞きながら、手にしていたカップをソーサーに戻す。ゆっくりと立ち上がる私を、落ち着いた様子で見ていたリリアンは、若干姿勢を正した。
「彼がどの程度知っているかはわからないけれど、答え合わせをしてみますか?」
「それがいいかもね」
いたずらっ子のように笑ったリリアンを見て、私も思わず同じように笑ってしまう。扉を開けて廊下に顔を出し、右と左に顔を向けてみれば、左側に護衛が立っていた。そう、古本屋に行ったあの日の護衛だ。
「ちょっといいかしら」
「はい、どうされましたか」
「ちょっと」
腕をつかんで力いっぱいこちら側に引く。
「お、お嬢様!?」
「いいから、中に入って」
私が彼を部屋に招き入れるのに苦労していると、後ろからやってきたリリアンも笑顔で彼の腕を引っ張り出した。私が引っ張っている腕とは反対の腕だ。
両腕をつかまれた彼は渋々といった様子で部屋の中に入ってくれた。おそらく、振り払おうと思えば、私たちの手など簡単に振り払うことができただろうに。
リリアンはさっさとソファーに座ると、優雅に紅茶を嗜みながら、彼を見上げて微笑んだ。その姿だけなら完璧な淑女だ。ただ、話し出すと押しが強い。
「さあ、おかけになって」
「いえ、私は護衛騎士という立場であり、席に座ることは……」
「さあさあ」
「しかし……」
「あら? ミルドレッドを本泥棒から守り切ることもできずに護衛を名乗ろうというの? ほら、あなたは護衛ではないのだから、私たちと同様に座っても問題ないわよ?」
「お姉様」
「冗談よ」
「わかっています、私は。しかし、彼は」
「あら、ごめんなさい」
リリアンが少し遊んでいただけなのはわかるが、目の前の彼は少し青ざめている。余程、先日のことを気にしていたのだろう。いくら計画通りとはいっても、普段から真面目な勤務態度の彼が気にするのも無理はない。
「ごめんなさい。お姉様は、ただあなたに座ってほしかっただけなの。ちゃんと騎士としてのあなたを認めているわ」
「あら、どうかしら」
「お姉様、事態をややこしくしないでください」
「ごめんなさい」
てへぺろっといった具合に軽く舌を出された。悔しいが、リリアンは今日も可愛らしい。落ち着かない様子を見せながらも、護衛の男性はリリアンの向かい側のソファーに腰かけてくれた。
「さて、私たちは、あなたが本泥棒の少年とつながりを持っていると考えているのだけれど、どうかしら」
私の言葉にびくりと肩を揺らした。やはり正解だったようだ。
「……どうして、そう思うのですか」
「まず、私が本泥棒の少年にぶつかられた時、護衛のあなたなら、ぶつかられるよりも前に阻止することができたのではないかと考えたわ。これが1つ目。次に、私が転んだあとの出来事。仮に、力不足で私を守れなかったとしても、お姉様が本を投げつけるよりも先に、護衛のあなたが動くことが自然。それなのに、お姉様に後れをとったうえに、特に行動を起こしていなかった。これが2つ目。最後に、昨夜、本泥棒の彼を手引きした人間がいると聞いたこと、それから、それが誰なのかを言わなかったけれども、私ならわかると思っている様子だったこと。これが3点目」
私が一通り説明を終えると、彼はしばらく黙っていた。
「別に責めているわけじゃないわ」
リリアンの言葉に彼の顔が上がる。
「ちょっと状況の整理を手伝ってほしいだけ」
口角を上げたリリアンの横顔を眺める。美形な彼女が、口の端を上げると、それだけで迫力がある。もはや、ストーリー上の悪役令嬢である私を差し置いて、悪役令嬢のような微笑みを浮かべているリリアンに隣の私も冷や汗をかいた。本当に状況の整理だけですよね、お姉様!
お読みくださり、ありがとうございます。
続きは明日投稿いたします。




