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馬車に揺られながら、王都を眺める。リリアンと来た時には、ストーリーを曲げることばかりに頭を使っていて気にしていなかったが、あらためて王都に目を向けてみると、その中心にあたる部分には城がそびえていた。前回、気が付かなかったことが不思議なくらいだ。
城は華やかな街並みの中でも目立っていた。白亜の城といった具合だろうか。目的地である王立図書館はあの中にある。だんだんと城に近づくにつれて、大きな門が見えてきた。門の手前には王国兵が数人。詰所もあるようだ。
徐々に馬車は速度を落としていく。数名いた兵のうち、2人がこちらへと歩いてきた。城ということもあり、警備も厳重なようだ。王族が暮らしている場所なのだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。扉をノックされる。
「どうぞ」
「失礼いたします。オールディス侯爵家のご令嬢とお見受けします。登城のための許可証はお持ちでしょうか」
「こちらを」
数日前にランドルフ様から届けられた許可証を手渡す。それを受け取った王国兵は、内容を確認すると、頷いて、許可証を返してくれた。
「問題ありません。ご協力ありがとうございます。許可証は、場合によっては城内で提示を求められることがあるかと思います。肌身離さずお持ちください」
「はい」
「それでは失礼いたします」
きっちりと角度をつけて礼をした彼らは、扉を閉めると門へと小走りに去っていった。しばらくして、大きな門がゆっくりと開く。それと同時に、馬車ものろのろと動き出した。
カタカタと音を鳴らしながら馬車がたどり着いたのは、前世でいうロータリーのような場所だ。少し開けたその場所にランドルフ様が立っているのが見えた。近くの建物の壁に寄りかかるようにして、腕を組んでいる。馬車が近づいていくにつれて、彼の視線も上がり、窓から外を眺めていた私と目が合った。
馬車が速度を失い、扉が開かれる。先ほどの許可証を手に、馬車を降りようとすると、ランドルフ様が手を差し伸べてくれた。意外に思いながらも、差し伸べられた手に自らの手を乗せたところで、ふわりと体が宙に浮き、次の瞬間には地面に足がついていた。いつの間にか腰に回されていた手が離れていく。
状況を理解できずに、その場に固まる。隣を見上げると、無感情な赤い瞳がこちらを見下ろしていた。首を傾げても、彼の表情は崩れない。
「あの、私、確かに小柄な方ではありますが、さすがに自分で降りられますよ……?」
「私が馬車から降ろした方が手っ取り早いと思った」
「手っ取り早い……」
なるほど、女心がわからないとはこういうことか。優しさがないわけではないのだろうが、少しずれているのだ。
「図書館はあちらだ」
私に背を向けた状態で、城内の奥を指さす。そして、そのまま歩き出した彼に、後ろからついていく。屋内に入ると、外の強い日差しが遮られたこともあり、涼しく感じた。
廊下には、ふかふかとした赤いじゅうたんが敷かれており、どこまでも奥へと続いている。所々、置物が置いてあったり、立派な絵画が飾られているが、芸術方面に疎い私にはどうすごいのかがよくわからない。きっと価値のあるものなのだろう。
こんなことなら大学で美学を学んでおくべきだった、などと後悔しながら早足で歩く。私がせっせと歩いても、ゆったりと歩いているようにしか見えないランドルフ様とは距離が離れていく。ふかふかとした絨毯で靴音が響かないせいなのか、私が離れていっていることに気が付く様子もない。
ただ、私としても、別にランドルフ様を見失わずについていければ、それで構わないと思っている。はぐれるほどに離れてしまってはさすがに困るが、それほど距離があるわけでもない。
休日でも働いているらしい城勤めの文官や侍女たちとすれ違いながらも、しばらく歩いていると、突きあたりに立派な扉が見えてきた。その扉の前で止まったランドルフ様はこちらを振り返ると、少し離れたところを歩いていた私を観察しながら口を開いた。
「君は歩くのが遅いな」
「歩幅が違うのです」
「それもそうか」
多分、世の中の婚約者同士の会話とはかけ離れている。
彼は、先ほどのやり取りを大して気にした様子もなく、扉を開くと、私の背中を軽く押した。軽くとはいえ、押された勢いで、少し前のめりになりながら部屋に足を踏み入れる。体勢が整ったところで、顔を上げると、そこには圧巻の光景が広がっていた。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
3階まであるようで、一部吹き抜けになっていることもあり、開放感がある。中央には螺旋階段があり、本は整理してあるものの、ずらりと隙間なく並べられている。本を読むための大きな机があちらこちらに見える。これほど立派な図書館であるにもかかわらず、人はまばらだ。
「本はある程度分類されて並べられている。言語に関する本は3階だ」
「はい!」
いつもよりも笑顔で返事をしてから、はっとする。最近の私は、前世よりも少し落ち着きがない。精神年齢が、体の年齢に引っ張られているのだろうか。だとしたら不思議な話である。
少し首を傾げつつも、歩き出したランドルフ様の後ろをついていく。図書館に入ってすぐに目についた螺旋階段を上り、3階へと向かう。思ったよりも一段一段の高さがある階段だ。図書館特有の静けさの中で、歩く際の音だけが小さく響く。
3階にたどり着いて、周りを見回してみると、1、2階よりもさらに利用者が少ない様子だ。
「このあたりの本棚だろう。古代語は文献が少ない。他の外国語のように文法書などがないから、比較的簡単な本を読みながら、単語を覚えていくしかない」
そういいながら、私の身長では届かない位置の本を1冊手に取ると、手渡してくれる。可愛らしい表紙だ。開いてみると、これまた可愛らしい絵とともに短い文章が並んでいる。子供向けの本のようだ。
「それはピメクルス教の教えを子供向けに絵本にしたものだ」
「ありがとうございます」
受け取った本を抱えながら、彼の様子を見ていると、先ほどの棚から少し分厚い本を取り出した。どうやら、自分用に本を選んだようだ。
近くの閲覧用の机に向かいながら、その本の表紙を見る。最近自力で覚えたばかりの古代文字が並んでいる。
「古代語の文献を?」
「まだ学んでいる最中だ」
そういいながら腰かけたランドルフ様に合わせて、向かい側の席に座る。大人に合わせて設計されているであろう机と椅子は、比較的小柄で身長が伸びきっていない私には少し大きい。
絵本を開いてみる。絵をよく見てみると、ピメクルス教の神様が描かれているようだ。単語帳や文法書がない以上、自力で学んだ古代文字の知識と、絵からの推測で単語を割り出していかなくてはならない。神様が描かれているということは、このページにある一文の中に、おそらく「神」という単語はあるはずだ。
このページだけでは判断が難しい。次のページをめくってみる。前のページと状況は異なるようだが、やはり神様の絵は描いてある。それならば、どちらのページにも共通している単語があれば、それが「神」という単語ではないだろうか。
どれほどの時間が経っただろうか。ふと顔を上げてみると、赤い瞳がこちらを見ていた。驚いて、手元の本を閉じてしまう。パタン、という音の後には、静けさが再びやってきた。
「随分と熱心に読んでいたな。そろそろ閉館時間だ」
「へ、閉館時間……!?」
「途中何度か声はかけた。昼食よりも本の方が好きなようだったが」
昼食。そうだ、今日は午前中からここにいる。私が声掛けに気が付かずに本に没頭していたとしたら、常に同行の必要があるランドルフ様は当然のことながら――。
「も、申し訳ありません。ランドルフ様のお昼が……」
「問題ない。気が済んだなら、今日は帰るといい。馬車は迎えに来ているだろう」
自分のお昼はどうでもよいが、さすがに人のお昼の時間をつぶしてしまったことには罪悪感がある。項垂れながらも、本を元の場所に戻そうと立ち上がる。それとほぼ同時に、本を取り上げられた。
「君の身長では届かないはずだ」
「すみません、ありがとうございます」
ランドルフ様の後ろについて歩き始めたところ、後ろから背筋が凍るような視線を感じた。思わず足を止めて周りを見回すが、目の前のランドルフ様以外に人の姿は見えない。
「どうした」
「いえ……」
気のせいだったのだろうか。視線を感じただけで何も起きてはいない。落ち着かない気持ちを抱えながらも、階段に差し掛かったところで、後ろから声をかけられた。
「――よかったね……られなくて――」
気のせいではない……!
勢いよく後ろを振り返るが、やはり、人影は見えない。本棚が多いことで死角となる場所が多すぎる。そのまま、静かに数歩後ずさるが、誰かにぶつかって文字通り肩がはねた。
「後ろを見ながら歩くのはよくない。しかも、ここは階段だ」
後ろを振り返ると、ランドルフ様が眉を寄せながら、こちらを見下ろしていた。足元に目線を下げてみれば、確かに階段ギリギリの位置である。少し前を歩いていた彼が、すぐ後ろで支えてくれたということは、わざわざ戻ってきてくれたのだろう。
「先ほどから様子がおかしいようだが、何かあるのか」
「あの……この階に私たち以外の人はいらっしゃいますか」
「どうだろうな」
投げやりにも思える言葉を吐きながらも、赤い瞳は周りを見回している。しばらく、様子を見ているようだったが、静かに首を振った。
「ここからではわからない。気になるなら見てくるが」
「いえ、そこまでのことでは……」
これでただの気のせいだったら申し訳ない。少しの不安を抱えつつも、ランドルフ様を見上げて、できるだけ平常を装って微笑む。
「本日はありがとうございました」
「あぁ、また来たいときは声をかけてくれ」
お読みくださり、ありがとうございます。
続きは明日投稿予定です。




