第一部 第三章「彼」
これは輝井想志と美鮮想乃華がまだ中学三年生で、実想結愛が中学一年生の時のお話。
二〇一七年。九月十日。
「想乃華先輩!輝井先輩のライン教えてください!」
「えっ‥‥‥。急にどうしたの?」
部活終わりに、テニスコートのコート整備をしていた時のこと。
「実は、ちょっと輝井先輩のことが気になってて‥‥‥。」
もじもじと赤面しながら語る彼女を見て、想乃華は何かを察した。
「そっかそっか、そういうことか~。いいよ。教えるよ!アイツのライン。」
うんうんと頷き、結愛の肩にポンと手を置く。勇気を振り絞っている後輩を応援する意味を込めるかのように、軽く肩を叩く。
「ありがとうございます!助かります。」
「ところで、どうして想志のことが気になってるの?」
「んーと、そうですね‥‥‥。輝井先輩って生徒会の会長で、生徒総会とか他にも色んな行事ごとで前に立って話す事が多いじゃないですか。特に、去年の生徒会に立候補したときの演説がとっても凄くて。私だけじゃなくて友達とか他のクラスの人も、想志先輩のことを気になってる人、結構いますよ?」
『おぉ、すごい早口‥‥‥。』
想乃華は彼女が捲し立てる様子に呆気に取られていたが、一つ引っかかりのようなものを持っていた。
「そんなに凄い演説してたっけ?」
「それはもう、とても!」
「『理不尽なことを可能な限り排除した学校にします』ってそう公約を掲げて演説したんですよ!」
『あー、そういえばそんなことを言っていたなー』なんておぼろげに思い出す。
「でも結構かっこつけてない?」
「でも、それでも‥‥‥そういうことを堂々と全校生徒の前で言うことはとっても凄いことですよ!」
「少なくとも、私にはそんなの絶対無理ですし、校内でいったい何人の生徒が、輝井先輩のような行動を取ることが出来るのでしょうか。何より、学校をより良くしようと考えて実際に行動に移したのは、私が知る限りでは先輩だけです。」
「確かに、普通はあのような行動はかっこつけだと思われても仕方ないです。でも、輝井先輩のことです。きっと、周囲からそう思われるかもしれないと一度は考えたはずです。」
「それでも‥‥‥。それでも、先輩は実際に行動して見せて生徒会長として頑張っています!」
そう。結愛はただ単純に年上のかっこいい先輩に憧れているだけではなくて、彼の人としての在り方を好いているのだと理解した。
「それにですね、生徒会選挙の日の帰りのホームルームの時に、うちの担任の先生が言ってたんですよ。」
「彼は私たち大人が、世の中で効率的に生きていく為に、成長していく中で失っていった大切な何かを持っているって。そして、彼はそれをこれからも忘れずに身に宿して生きていけるって。あなたたちは私たち大人のようにはなるべきではない。彼のように、何か自分の中で大切な信念や大切な人、そういう純粋なものを持ち続けられていたら、いつか、君らなりの『幸福』を見つけることが出来るかもしれない。それはとても大変で難しいことで、今はまだ私の言っていることを理解できないかもしれないけれど‥‥‥、それでも、それを忘れずに前に進み続けたら、いつか分かる時がくるって、そう言ってましたよ。」
「なんて言うか、先生と生徒の関係ではなくて、一人の人間として、輝井先輩のことを尊敬しているように思えました。」
想乃華はなぜか少し苛立ちが混じったような表情を浮かべる。
「なんか、私ばっかり喋っちゃいましたね。すみません。」
「ううん、いいの。私も想志のことちゃんと見れてなかったようだし。」
「結愛は凄いね。そこまでちゃんと相手のことを見てる所とか。私には、そんなこと出来てなかったから。」
「ありがとうございます。でも‥‥‥、でも、私は想乃華先輩には遠く及びませんよ。」
結愛は何か諦めのような何かをにじませ、貼り付けたような笑顔を浮かべる。
想乃華はそれを疑問に思うも、より優先的な疑問を解消しようと問いかける。
「遠く及ばないって、どういう意味?」
「え‥‥‥。そんなの、私の口から言わせないでくださいよ。」
想乃華の困惑した表情を汲み取ってくれたのか、彼女は小さく息をついて続ける。
「つまりはですね!傍から見ても輝井先輩と想乃華先輩はお似合いだっていうことですよ!」
その言葉に想乃華は身動きを止める。まるで時間が止まったかのような感覚。想乃華はただ、彼女の言っていることが何一つ理解できないというような表情を浮かべた。
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結愛に想志のラインを送ってから、家への帰り道をとぼとぼと歩いていた。彼女と話してから、私には胸のつかえが二つあった。一つは、彼女の担任の先生の話。曰く、
『大人には、もう無いものを彼はこれからも大切に持ち続ける』
とのこと。どうしてか、それは綺麗なように見えて、その実とても恐ろしいものなのではないかという一抹の不安があった。もう一つのつかえは、私と想志がお似合いだと言っていたこと。想志とは断じてそのような関係ではない。ただ、彼とは一度、仲間のような親友のような感覚を得ただけのこと。それがたまたま、客観的にそう見えていただけなのだろう。当の本人たちからしてみれば、そういう誤解はいい迷惑だ。何より、想志とは今の距離感がとても心地よく思える。だから、間違っても今の関係を変えるなんてことはできない。
「私には、結愛みたいに強く在ることなんてできないよ‥‥‥。」
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Interlude
正門を出て、帰り道を歩く。
「輝井先輩のラインを難なくゲットできたのは幸先がいいですね。」
「早速送ってみますか!」
メッセージを送ろうとしている自分の手が震えていることに気付くと、つい自覚できるほどの下手な苦笑いをしてしまった。でも、それこそが私が生きていることの存在証明なのだと、そう信じて。
「輝井先輩、初めまして!」
「一年A組の実想結愛っていいます。」
「輝井先輩と仲良くなりたくて、それで想乃華先輩から―――」
三つ四つほどのメッセージを送って、画面を閉じる。今日、返信返って来るかな~。でも、先輩忙しいだろうし、さすがに無理かな~。なんて考えている間に、一つ疑問が浮かんだ。
「想乃華先輩って、輝井先輩のこと好きじゃないの??」
どう見ても、そういう風にしか見えないんだけどな‥‥‥。
「まあでも、恋のライバルが一人でも減るなら願ったり叶ったり、ってやつかな。」
「あ、そうだ。」
そうして、少しだけ寄り道をする。学校の正門を出て、右にしばらく道なりに進む。目的地に到着したときには、既に太陽が沈みかけていた。
「ヤバッ、暗くなっちゃう。」
もういつのまにか習慣となってしまったことを行う。ただし、いつもと違うのはお土産話があるという所。腰を下ろし、両手を合わせる。
「ねえ、聞いて。私ね、好きな人ができたの!」
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九月の中旬に入り、夏の残暑が和らぎ始めたある日のこと。美鮮想乃華が在籍している二年B組の教室内は、いつになく喧騒にあふれていた。それもそのはず、昨日は体育大会が行われ、学内は大いに盛り上がっていた。更に言えば、今はホーム―ルームの時間。何を隠そう、十一月下旬に行われる文化祭の目玉である、合唱コンクールの指揮者と伴奏者を決める会議という名の推薦大会が繰り広げられていた。
やれ、そこの堅物生徒会長が良いだの、会議に耳も傾けない不届き者にすべきだの、自由な意見が飛び交っていた。しかし、問題なのは、推薦だけが活発で立候補者が誰もいないということだ。
そんな中、教室の一番後ろのど真ん中の席についていた想乃華は会議に耳も傾けず、物思いにふけっていた。その原因は彼女が見つめるスマホに、とあるメッセージが映っていたからだ。
「想乃華先輩、昨日の運動会で想志先輩にタオルとかビブス渡せました~。」
「沢山は話せなかったけど、でも楽しかったです。ライン教えてもらってから、ちょっとずつ仲良くなれてます!ありがとうございます。」
「それで‥‥‥ですね。今度の文化祭の一日目の時に告白しようかなって思ってます。」
文化祭は十月末。二日間に渡って行われる。一日目は、各クラスや部活の出店、バンドライブや歌唱披露をはじめとした体育館での自由発表が目玉だ。そして、二日目には合唱コンクールが行われる。ただし、一日目と二日目では一ヶ月ほどの期間が置かれる。
今まで、彼女から彼との仲良くなったエピソードは沢山聞かされたけれど、少し胸がチクリとするような痛みに襲われただけだった。だが、『告白』という文字を目にした彼女は言葉で言い表すことの出来ない感情に苛まれていた。とても胸が苦しくて、締め付けられるよう感覚。ただし、想乃華がこの感情の正体に気付くのはもう少し先のことであり、今の彼女はそれを表現する言葉を持ち合わせてはいなかった。
そんな彼女を気にかけてか
「想乃華、どうかした?」
「何でもないよ、ありがとね、茜。」
何かあればすぐに心配してくれる友人がいてくれることに感謝する。
「想乃華は今年も伴奏者やらないの?」
「んー、どうしようかな~。」
「このままだと、誰も立候補者出ないから推薦になりそうな気がするけど。」
「そっか~。推薦って言っても、見た感じ誰に投票されそう?話の内容、全然聞いてなくて。」
「そりゃあ、もちろん、去年の優勝クラスの指揮者・伴奏者コンビがいるんだからその二人に決まってるじゃん。」
「‥‥‥。マジで?」
「マジで。」
想乃華は深いため息をつく。
「え、そんなに嫌だった?」
「別に嫌ってわけじゃないけど‥‥‥。」
「去年凄かったな~。あんなに息の合ってるペアは、そういないよ。お互いを信頼してる感じがしたなー。」
「アイツが私のことを信頼しているようにはあんまり見えないけどね‥‥‥。」
そう言いながらも、照れ隠しをしていることは茜にはバレバレであった。そして、想乃華が彼のことを無意識に目で追っていたことも。
「まあ、せいぜい頑張りなよ。」
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翌日、登校した想乃華は黒板に貼られていた一枚のプリントを凝視していた。
『昨日の投票の結果、指揮者は輝井想志君。伴奏者は美鮮想乃華さんに決定しました。』
「はぁ―――」
彼女は長い長いため息をついたのであった。