第一部 第二章「喧騒」
二〇一九年。四月八日。
二階校舎の端に位置する二年A組教室内は、いつものように昼食時には喧騒が絶えない。複数の机をくっつけてお弁当を広げる者もいれば、やれ学食にと駆け出す者もいる。そんな中、教室の向かって右奥に陣取っている男子生徒二名は普段よりも落ち着きがないようだ。
「なあ、想志。お前って本当はやる時はやる男なんだな。」
そんな意味深なセリフの真意を計りかねるかのように、輝井想志は首を横に傾げながら尋ねる。
「今日は何かやたらと落ち着きがないと思っていたけど、いったい何の話だ?」
「しらばっくれるんじゃねぇよ。俺は見たんだぞ。お前、昨日のちょうど下校時刻ぐらいに、裏門で他校の女子と密会してただろ?」
「ッ―――」
想志は驚いた表情を見せるも、すぐに苦笑いを浮かべる。
「そっか‥‥‥見られてたのか。‥‥‥うん。それなら、隠しようがないね。」
「あの子は俺と同じ中学の後輩だよ。昨日は単に、同じ高校に入学することになったから軽く挨拶しに来てくれただけだよ。」
懐かしむような想志の顔は、どこか、想太が昨日見た美鮮の表情と似ているようだった。
「そういうことか‥‥‥。」
「ん、なにか分かったことでもあるのか?」
「いや、何でもねぇよ。」
そう言って想太は追及の目から逃れた。しばらくすると、先程とは打って変わって、口の端々から笑みをこぼしていた。そのあまりの気持ち悪さに、想志は突っ込まざるを得なかった。
「どうした、なんでそんなに気味の悪い顔してるんだよ。」
「いやぁ、なに?その後輩ちゃんとはどんな関係なの?もしかして付き合ってるとか?」
「いや、もう何も言うな。俺はただお前の恋を応援してるゼッ☆」
『キラリン』と効果音の付くような気持ち悪い言い方に想志は呆れ顔を浮かべる。
「はぁ‥‥‥。何馬鹿な事言ってんだよ。そんなわけないだろ。」
「そうかー?」
「そうだよ。それに、俺が女子と仲が良くないことぐらい、想太だって気づいてるだろ?」
「そりゃまあな‥‥‥。」
「急に変なこと言いだすとか、変な物でも食べたか?賞味期限切れの肉とか。」
「ばっか、お前。うちのお袋がそんなドジする訳ねぇだろ。馬鹿なこといってんじゃねえよ。」
「相変わらずのマザコンっぷりだな。」
想志はやれやれと言うかのように呆れた顔を見せる。
「お前、次それ言ったらぶん殴るからな。」
そんな軽口を叩いてると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っていた。
「ま、この話はまた今度な。入学式ももうすぐだし、その子が入ってきたら紹介してくれよな~。」
「まぁ、気が向いたらな。」
二人は机を離し、元の席に移動する。後り数分で午後の授業が始まるという時。想志は心の中で想太に感謝を抱く。
『アイツなりに気にかけてくれたんだろうな。』
心の中でつぶやく。彼のお願いに応えることはできそうにないが、深入りしない程度に心配してくれることには素直に感謝する。
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二年B組教室。
授業を担当する教師が出張になったため、この時間は自習となっていた。自習課題を早急に終わらせた美鮮想乃華は机にうつ伏せになり、昨日見たあの後ろ姿をぼんやりと思い浮かべていた。
「あれって、きっと結愛だよね。」
「まさか、本当にここに入学してくるなんて‥‥‥。何となく、そんな気がしなくはなかったんだけどさ。」
さらに、思考は巡る。
「あの子もそうだけど、私も大概か‥‥‥。メールなんて一年近く未読だし、高校に入ってからはまともに話せてないし。それに、廊下とかですれ違っても目もくれないし‥‥‥。」
「はぁ‥‥‥。」
「どんだけ一途なの‥‥‥。」
声にならない声と、ため息とをともに飲み込む。
「そもそも、何で私はいつまでもアイツのことなんか気にかけてるんだろ‥‥‥。無視されてるならこっちだってそうすればいいじゃん‥‥‥。」
ただ、その思考に至った時に、無意識に彼女の表情に陰りが生じたことは本人が気付けるわけもない。
「っていうか、いくら自習だからといって誰も一言も声を発しないのはどうなの?」
「ため息すらろくにつけないし、窮屈すぎるよ、この教室。」
それもそのはず、彼彼女らが通っている、この星乃花学園は県内でも有数の進学校であり、想乃華が在籍しているクラスは、難関大学への進学を目的とした選抜クラスだからである。
「まだ二年の四月始まってすぐだってのに‥‥‥。」
「しかも、二年になってからは勉強に集中するために、部活を退部した人も何人かいたっけ。」
「何でそこまでするんだか‥‥‥。」
当然、個々の能力や考え方にもよるが、難関大学を目指す生徒の中には二年のうちに退部を選択する者が存在する。それは、特段変なことではない。むしろ、進学校ではよくあることだ。その選択を誰も止めることは出来ないし、ましてや止める理由すら持ち合わせていない。ただ、想乃華には、そうまでして勉強をする意味が理解できなかった。その意味を分かってはいても、理解して受け入れることができないという、ただそれだけのこと。
「やりたいことが見つからないうちは、とりあえず将来の事を考えて、一般的な『幸福』を得るために勉強しなさい。いつか、やりたいことが見つかった時に、勉強していなかったら手遅れになってしまう時があるかもしれないから。」
この高校に入学したときから、教師たちから口酸っぱく言われていたことを思い出した。
「そりゃあ、言いたいことは分かるし、ごもっともだけどさ‥‥‥。」
ふと、今日の一限の現代社会の授業で習った単語が思い浮かぶ。
「モラトリアムっていうやつを、ただ引き伸ばしたいだけなのかもだけど。」
そんな柄にも無いことを考えていると、それに連鎖するかのように祖父から言われたことを思い出す。
「想乃華、二度は言わん。金や利益、忖度のことだけを考えて生きるのは止めておきなさい。それしか考えられなくなったら、今際の際で何か大切なものを取りこぼしていたことに気付く時が、いつか必ずやって来る。あるいは、いつのまにか失っていた何かに気付くことなく人生を終えることになる。そんなのは、人の生き方とは程遠い。結局、積み上げたのは金だけで、自分は何のためにここまで生きてきたのか、行き着いてから本当のゴールが真逆の位置にあることに気付き、後悔の念に駆られる人間を何度も見てきた。中には現実に絶望して、ありもしない幻想を自分の幸せだと思いこむ者もいる。だからな、想乃華。金のためだけには生きるな。人生をかけてでもずっと一緒にいたいと思える者と、少しでも長く居られるために生き抜いておくれ。」
そう私に教えてくれた祖父は、どこか儚げで、とても泣きそうな顔をしていた。
そして、彼女は思い出したかのように
「あぁ、あと、こうも言ってたっけ。」
「お金がなければ、大切な人との生活を守ることすらできない。だから、せめて最低限、お金を得られる方法を学びなさいって。」
そんな遠い記憶を思い出していると、
「おーい、想乃華~。心の声ダダ漏れしてるぞ~。」
「あ、ごめん。え、私、今声に出しちゃってた?」
「そりゃあこんだけ教室が静かだとね~。つぶやき程度だったから、詳細までは聴こえなかったけど。」
「そっか。ありがと、茜。」
「うん。別にいいよ、これぐらい。」
「さっすが、茜と話してると勇気が出るな~。」
「次からはもう絶対助けてあげないから。」
「ごめんごめん、苗字いじられるの嫌だったこと、うっかり忘れちゃってた。もうしないから、怒んないでよ~。」
そんな会話を囁き声でしていると、自然と笑みが零れた。
彼女、結城茜は想乃華にとっての大切な親友だ。幼稚園から高校までずっと同じところに通っていたこともあり、幼い頃からの仲良しな関係である。所謂、幼馴染というやつだろうか。それもあってか、とにかくノリが良い。弄りをちゃんとお遊びとして受け流して突っ込んでくれるし、不快な時には『やめて』って伝えてくれる。
「怒らせちゃったお詫びと声かけてくれたお礼ってことで、駅前に最近できたパフェおごるから。それでチャラってことでどう?」
「パフェ‥‥‥。まあ、それなら今回のことは水に流してあげる。」
さっきの不機嫌さは何処へ行ったのか、想乃華はいつになく上機嫌な茜を見ていた。
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「四限も終わったことだし、一緒にご飯食べよっか。」
「うん‥‥‥。あのさ、今日は中庭で食べない?」
「珍しいね、中庭でご飯って。まあでも、たまにはいいね。」
「よし、じゃあ行こっか!」
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星乃花学園中庭の中央には噴水が設置されており、それを囲むかのようにいくつかのベンチが設けられている。その一つに腰を下ろし、各々、弁当箱を開ける。
「茜、はい。」
想乃華は自身の弁当箱に堂々と鎮座しているタコさんウインナーを、箸で一つ掴み、茜の弁当に入れる。
「ありがと。じゃあ今日はこれね。」
そのお返しにと、茜が卵焼きを彼女の弁当に入れてくれた。こうやって毎日、お互いの弁当のおかずを一つ交換するのが彼女たちの恒例行事である。
「じゃあ、いただきます。」
「いただきます。」
二人で、中庭から見える景色やら昨日おもしろかったテレビ番組やらを、思いつく度に茜に話をしていた。ただ、想乃華には茜の口数がいつもより少ない気がした。
「想乃華、別に無理して言う必要は無いんだけどさ‥‥‥。昨日、何か‥‥‥あった?」
「昨日の、終わりの授業まではいつも通りだったのに、何か今日はいつもと違って変っていうか‥‥‥そんな気がして。」
「あぁー。うん、ちょっとね‥‥‥。」
「はぁ‥‥‥。」
思わずため息がこぼれる。それは決してネガティブなものではなく、『参りました』と降参するかのようなもの。
「茜はホントすごいなぁ‥‥‥。」
茜はいつも想乃華を気にかけてくれている。あの時だってそう。彼女には隠し事は出来ないんだなと再度思い知らされた。とても温かい感情。そして、こういう時には彼女に相談するのが一番良いということも経験則で分かっていた。
「うん。ちょっと色々あってね‥‥‥。もしかしたら、長くなっちゃうかもだけど……それでもいい?」
「うん。いいよ。」
「ありがとう。実はね―――」
ちょっとだけ長いお話。とても大切な彼と彼女たちの過去と現在のお話。