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test  作者: AMmd
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第一部 第八章「確かな想い」

 二〇一九年。四月十日。


 星乃花学園正門には『入学式』と書かれた看板が設置されており、校内の駐車場には車がぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。そして、体育館へと続く道にはいくつもの花壇が添えられていた。普段の学園ではめったに見ない光景。それが、今日が特別な日であることを演出している。

  入学式を間近に控えた新入生らは、新しい教室で各々が準備をしていた。卸したての制服に身を包み、左胸にはピンクの花のようなリボン。

  窓に映る自分を見ながら身だしなみを整える。視界には窓越しに見える風景が広がっている。

「そうだ‥‥‥。」

  教室後方に位置している、ベランダへと続くドアを開ける。

 一面には桜の木々。窓を介して見える風景より段違いに綺麗だ。つまるところ、窓はフィルターの役割をしており、それによって見え方が大きく異なっていた。それと同じように、いや、それとは比べ物にならないほど、私たちにとって先輩には幾重にものフィルターが掛けられているのだろう。それは気が遠くなるほどの長い距離。しかし、あの時から止まった時間を動かすためには、私たちと先輩を断絶する壁を取り払わなくてはならなかった。

「先輩、ごめんなさい。」

「私は先輩と関わらない選択をすることができないほど、あなたのことを―――」

 あの時とどこか似ているようで異なる決意。自身の終わらせようとした『恋』のためではなく、『愛』する人のために。

「どうか、正しい終わりが迎えられますように‥‥‥。」

 消え入りそうな声で、確かな祈りを捧げた。


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 体育館内では後方に取りつけられた扉から新入生が入場している。体育館の中央、縦一帯は人一人が入れるほどのスペースが確保され、前方左右には新入生が座るスペース。その後ろに在校生。さらに後方には新入生の保護者のスペースが設けられている。体育館両サイドには教師の面々。

「ほら、あの子じゃね?」

「どの子だよ。」

 隣に座る想太が小さく指をさす。

「今曲がって席についた子。」

 示されたその先には一人の女子生徒。肩まで伸びた髪。真っ直ぐ伸びた姿勢。そこからは堂々とした様子が感じられる。

「あぁ‥‥‥。」

 あの子は―――。

「この前の密会してた女子だろ?」

「そうだな‥‥‥。」

 呆れ笑いがこぼれる。あんなに嫌った態度を取ったはずなのに、どうして‥‥‥。

 そんな思考を遮るように

「俺はお前が普段何考えてるのか全く分かんねぇし、過去に何があったのかも知らない。」

「でも、何となくだけど」

「今のお前はどこか辛そうに見える‥‥‥。だから、何かあったら相談しろよな。」

 思わず呆気にとられる。想太とは特別仲が良い関係というわけではない。ましてや、俺と彼女らの過去を知っているわけでもない。何も聞かずにそう言ってくれる彼に底なしの感謝を抱く。

「うん。ありがと。」

 想太は少し照れたように顔をそらし、頬をかいた。


-----------------------------------------------------------------------------------


 Interlude


「本当に‥‥‥訳が分からん。」

 想志とは仲が良いわけではない。ただ単に、たまに冗談やらを言い合う仲。本当に解せない。想志はやたらと女子に距離を置く。拒絶しているかの如く、大抵は話しかけられても冷たくあしらうか無視をするのどちらか。そして、男子同士で会話している時に、近くに女子がいたら彼女らに聴こえる程度の声でしょうもない下ネタを言う。我ながら、男子高校生なんてそんなもんだろうと思う。自重しろよと思いこそすれ、別に変なことではない。気になることがあるとすれば、女子がいる前ではソレを言うが、男子しかいない空間においては一度たりとも口に出した所を見たことがないということ。

 想志は明らかに女子を避けていた。

「きっと、女性恐怖症とか、まあ何かあったんだろうな」

 そう思っていた。

 ただ、そんな奴が同じ中学の後輩の女子に見せた顔は、今まで俺が見たことのないものだった。嬉しさや悲しみや疎ましさ、他にも沢山の有り余る感情を含んだように見えた。まるで今まで見ていたのとは別人のよう。

「女性恐怖症というわけではなかったのか?」

「あの新入生だけ特別‥‥‥とか?」

 思考が駆け巡る。それに

「美鮮は何か知ってる風だったな。」

 数日前のことを思い出す。窓を介して外を見る彼女の表情は、どこか想志と似ていたような―――。そして、それに苛立ちを覚えたことも事実。

「はぁ‥‥‥。」

 思わずため息がこぼれえる。

「聞いてみるか。」


 Interlude out


-----------------------------------------------------------------------------------


 入学式があったため、新入生・在校生ともにお昼には帰宅となった。俺はクラスメイトに適当に挨拶を済ませ、こことお隣の教室に向かう。二年A組。想乃華が所属するクラスだ。

 A組教室内は帰りのホームルームをとっくに済ませたのか、まばらに生徒が残っているだけであった。

「美鮮まだ残ってやがるかな。」

 生徒らに目を向けると、ちょうど帰り支度をしている彼女の姿を見つけることができた。

「あ、いたいた。」

 彼女の席まで駆け寄る。

「美鮮、今ちょい時間いいか?」

 自然に声をかける。想志と美鮮の様子から察するに、とても軽々しく聞けるような事ではないと分かっていた。

「ん、いいけどどうしたの?」

「ここじゃあなんだ‥‥‥。屋上に行こうぜ。」


 -----------------------------------------------------------------------------------


 屋上へと続く扉を開ける。

「それで、どうかしたの?」

 美鮮はそう尋ねる。

 俺は一瞬、聞くことを躊躇する。

「‥‥‥」

「聞きたいことがあってな。」

「いいよー。え、何。もしかして好きな女子が出来たからその子の好きなタイプ聞きたいとか?」

 美鮮は早口でまたバカなことを言い出す。

「はぁ‥‥‥。」

「ちょ、なに。あからさまにデカいため息つかないでよ。」

 美鮮は不満そうに口をとがらせる。コイツはいつもこうだ。バカな冗談ばかり口にする。

 冗談‥‥‥ね。似たようなことを言っているヤツがいたっけか。

「そういうんじゃねーよ。俺が聞きたいのは想志の過去のことだ。」

 瞬間。美鮮は口をきつく締め、さっきまで笑顔だったのが急に無表情へと変化する。

「あぁ。想志ってのは、うちのクラスの―――。」

「知ってる。」

 即答する。

「悪いけど、それだけは答えられない。」

 きっぱりと否定する。美鮮はとても明るく、誰の相談にでも耳を傾けるし、誘いを無下にするような性格の持ち主ではない。断るにしても、ここまでハッキリとは言わない。遠慮がちに言うのが彼女のスタイルだ。少なくとも、それが俺が彼女に抱いている印象だ。だが、今回のはそれとは明らかに別種のもの。そんな奴があからさまに拒絶する態度を取るのは、深い理由があるからなのだろう。それを理解してなお、聞くことを止められなかった。

「想志は明らかに他の奴とは違う。最初は女子を避けているだけなのかと思ったが、それは俺の勘違いだった。アイツが中学の時なのかそこまでは分からないが、入学してきた新入生の子と、もしかしたら美鮮とも何かあったような気がするんだ。」

「やめて。聞きたくない。」

 俺は構わず続ける。

「俺は、知りたい。お前らのこと。」

「‥‥‥。どうしてそんなに知りたがるの?」

「‥‥‥」

 一瞬の沈黙。そんなの俺にだってわかんねぇよ。ただ、こう、胸がむしゃくしゃするんだ。知っておかないとどうにかしちまいそうな気がしていた。

「頼む‥‥‥。」

「できない。だって‥‥‥。だって、そんなの私にもわかんないんだからっ‥‥‥!」

 静かな怒りが籠っていた。

「何でアイツがああなっちゃったとか、何もなんにもわかんないんだよっ!」

「近くにいたはずなのに、私には何も出来なかったっ!」

「そんなの‥‥‥私が聞きたいぐらいだよ!」

 怒りが膨れ上がる。

「すまん。もう‥‥‥聞かない。悪かった。」

 俺は気が動転して、どうしていいのかまるで分からなかった。彼女を屋上に残したまま、俺はその場から逃げるように来た道を戻った。


「まただ‥‥‥。」

 この前の密会の時だってそう。美鮮は想志のことになると、きまって普段では見せない表情を表に出す。それに苛立ちを覚えていたことにようやく気づく。

「はっ‥‥‥」

 思わず鼻で笑ってしまう。苛立ちが『何か』への確信へと繋がる。。

「俺はただ‥‥‥、想志に嫉妬していたんだな‥‥‥。」


-----------------------------------------------------------------------------------


 Interlude


「はぁ‥‥‥。」

「想太には悪いことしちゃったかな。」

 自分でも、あそこまで言葉や感情をぐちゃぐちゃにした何かを、他人にぶつけたのは久しぶりのことだった。

「想志のばか‥‥‥。」

「私の‥‥‥ばかっ‥‥‥!」

 そのまま床に崩れ落ちる。涙は止まらない。

 閉ざしたはずの、止まったはずの時間を再び動かしたいと心から願う。彼に一生のお願いをされて、私は律儀に守っていた。

『二度と関わらないでくれ。放っておいてくれ。』

 あの声色。表情をフラッシュバックしてしまう。それでも―――

「一生のお願いっていうのは、破るためにあるんだよね‥‥‥。」

 自分でも理解できない体のいい言い訳。ただ、それでも今は彼と関わる理由が欲しかった。彼の持ち物が落ちていたとか、忘れ物をしているとか、そんなどうでもいい理由でもいい。

「あんな終わり方‥‥‥嫌だよ‥‥‥。」


 Interlude out


-----------------------------------------------------------------------------------


「やっと見つけた。」

「もう、探したんだからねっ」

 彼女は人差し指をピッと私に向ける。まるで、子供を叱る母親のよう。

 気づいたら目の前には茜色の空が広がっていた。私は未だに屋上から動けなかった。

「想乃華と工藤‥‥‥想太君だっけ?」

「二人が屋上に行ったって、クラスの女子たちが言ってるのを聞いてね。」

「私がお手洗いに行っている間にそんなことがって思って‥‥‥。」

「その子たちは別に野次馬しに行くつもりはなかったんだけど、二人がやけに真剣そうな顔をしてたっていうから、工藤君が告白でもするんじゃないかって噂してたの。」

「それで、想乃華のことが心配になってここまで来たってわけ。」

「工藤君は‥‥‥いない‥‥‥か。」

 茜は辺りを見回す。

「もう。女の子一人で屋上に残すなんて何考えてるのやら‥‥‥。」

 やれやれと呆れたように見えた。

「それで‥‥‥、何があったの?」

 茜は私の頭を軽く優しい手つきで撫でてくれる。あの時と同じ。茜には感謝してもしきれない、返しきれない恩が山ほどある。そんな親友の存在に再び感謝し、想いを吐露する。


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 想志を傷つけたこと。彼をネガティブな方向に変えさせてしまったかもしれないこと。それでも、そんな傷つけてばかりの自分だけど、想志とまた関わりたい。これからも関わり続けたい。あの時の、お互いに信頼しあえていた関係に戻りたい。

  そんな沢山のことを話した。

「そっか‥‥‥。気付いてあげられなくてごめんね‥‥‥。」

 茜は私を優しく抱きとめてくれる。

「何日か前のお昼にさ、中庭でご飯食べた時に想乃華が中学の時のこと話してくれたでしょ?」

 私は力なく頷く。

「文化祭の日のことは今でも鮮明に覚えてる。私はね、想乃華が相談してくれたことしか知らなかったから。」

「だから、あれから想乃華の知らない所で何が起きて、結局どうなっちゃったのかは知らないし、わかんないの。」

「それに‥‥‥。それは、想志君と結愛ちゃんと想乃華の問題だから私は関わるべきではないって思ったの。出しゃばり過ぎちゃいけないってね。」

『出しゃばり過ぎてはいけない』という、茜自身が関わろうとしなかったことへの言い訳とも呼べるそれは、一体、誰に対しての、何に対しての懺悔であり、後悔であるのか。

「でも‥‥‥。そんな私でも、わかったことはあるの。」

「それはね。」

 私は茜が言おうとしているその先を聴いてしまってもいいのか、という不安に襲われる。でも―――聴かなければいけないと思った。

「文化祭が終わってから、想志君は明らかに女子を避けるようになった。んー、正確に言うなら、女子から好かれないために、嫌われるために、恋愛対象として映らないために行動しているのではないかってね。」

「想乃華も知ってると思うけど、想志君スゴイモテるから女子から人気なの。‥‥‥nまあでも納得だよね。容姿とかそういうのじゃなくて、彼の中身を見て好きになっちゃう気持ちは分らなくもないよ。だって生徒会にいた時は特に凄かったからね。冗談抜きで生徒や先生からも尊敬されてた。想志君に嫉妬する男子もいたけど、彼のことは認めてた。まあそういうこともあって‥‥‥、告白されたことは一度や二度じゃないとか。断られたら、当然のごとく皆諦めてた。もちろん、好きな気持ちを軽んじてるわけじゃないよ。」

 私は驚きを隠せなかった。アイツを好きな人が他にも沢山いたという事実に。

「でもね、結愛ちゃんは断られても拒絶されても諦めなかった。ひたすらに想志君と向き合い続けた。彼にとって、彼女の姿がどう映っていたのかはわからない。」

「少なくとも、告白されるまでは仲良くしていたみたいだし。たぶん‥‥‥、想志君は友達として好いていたのかな‥‥‥。」

「それに‥‥‥。これは男子から聞いたことなんだけど―――。」

「さっきも言ったけど、文化祭が終わってから、想志君は明らかに変わった。でも、それは女子の前だけでの話。男子同士で話したり遊んだりするときは今までの彼のままだったらしいよ。」

「それに、そのことを不思議に思った男子も多くて、想志君本人に尋ねたこともあるらしいの。でも‥‥‥、彼がそれの質問に答えたことはただの一度も無かったらしいよ。」

 その事実に戦慄する。何も知らなかった。

「つまりね。男子同士の時だけとはいえ、彼の本質的な部分は何も変わっていないんじゃないかってこと。」

 でも、それでは納得できない。彼はいったいどうして女子から嫌われようとするというのか。

「だったら、何で女子には‥‥‥。」

 茜は苦笑いを浮かべる。その真意を計りかねるかのように。

「まあそうなるよね‥‥‥。」

「私だって本当のことはわかんないよ。でも、彼の今までの行動。男子から聞いたこと。女子への態度。そして‥‥‥、結愛ちゃんとのこと。あくまでこれは憶測に過ぎないけど―――」

 言葉を切る。茜は深呼吸をして確かに伝える。

「想志君は女子から好かれて告白されて、それを断って‥‥‥。言い方は悪いけど、そうやって沢山の人の想いを踏みにじってきた。そしてそれは、結果的に多くの人を悲しませてしまったということ。‥‥‥もしかしたら、それに責任を感じちゃってるんじゃないのかな。」

「彼、人のことを気にかけ過ぎる所があること、想乃華だって知ってるでしょ?」

 言葉が出ない。何でその思考に至らなかったのか。考え続けることを止めてしまったのか。自分の至らなさに腹が立つ。

「そうだね‥‥‥。」

「お人好しで、負わなくていい責任まで背負ってるなんてのはいつものこと。アイツにとってはそれが当たり前のことなのかもしれない。それでも‥‥‥、いや‥‥‥。だからこそ、辛い顔一つ表に出さない。何考えてるのかわかんないけど、きっと‥‥‥また‥‥‥、顔も名前もよく知らない誰かのために、必死になってるんだろうなってことは何となく伝わってくる。」

「アイツ自身は沢山の人に辛い思いをさせたと思っているんだろうね。‥‥‥確かに、それは事実。変えようのないこと。でも‥‥‥アイツは気づいてない。辛い思いをさせた人たちの何倍もの数の人たちを笑顔にさせたっていう事実に、アイツは気づくべきだったんだよ‥‥‥。」

 そう。ただ単純なこと。それでいて、彼にとってはとても複雑なこと。

 言葉を止め、茜に目を向ける。なぜだか、彼女は口角を上げ、ニヤニヤとしていた。

「さっすが、好きな人を想い続けて拒絶されても、諦めきれなくて同じ高校に行くだけのことはあるわね。」

 思わず赤面する。顔が沸騰しそうだ。

「もう‥‥‥、からかわないでよ!」

 顔の火照りを冷ますために手で扇ぐ。だが、一向に涼しくならないことに少しの苛立ちを覚える。

「まあでも、その様子だともう大丈夫そうだね。」

 優しく微笑み、座っている私に手を伸ばしてくれる。そうして、心の中のつかえが、ずっと引っかかっていた何かが綺麗さっぱり無くなっていたことに気づく。

「ありがと。」

 茜の手を取る。もうすべきことは決まった。あの時のように何も出来なかった私に別れを告げる。彼ともう一度話す。たとえそれが、今の私に残っていた彼との約束を破ることを意味していたとしても―――。

 『好きだからそうまでするの?』

 自分に問いかける。もちろんその気持ちは在る。ただ、それだけではない。あの時、何も出来なかった私自身のために。想いを伝えられなかった自分の為に。何より‥‥‥、彼に自身の価値をきづいてもらうために。私は止まったはずの‥‥‥、否。自ら止めてしまった時間を再び動かす。


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 Interlude


 私は想乃華と共に屋上を後にする。

「今日も話聞いてくれてありがとね!」

「お礼に何か奢るよっ。何がいい?」

 話を聞く前とは打って変わって、想乃華はまるで中学の頃に戻ったかのようだった。私は彼女に伝えていないことが一つだけあった。それは―――

『文化祭を経て、変わってしまったのは彼だけではなく、想乃華もそうだったということ。』

 何なら、ついさっきまでは変わったままの状態だった。しかし、彼女が再び前を向いてからは文化祭前の彼女に戻っているようだった。

 というのも、文化祭後の想乃華はまるで彼のような性格になっていたからだ。困っている人がいたら誰であれ、知らない人であれ手を差し伸べる。真意は誰にも分からない。本人だって気づいていないだろう。私にはその姿は‥‥‥まるで、失ってしまったものに気持ちの整理がつかず、想い出や彼の幻影に囚われているような『何か』に見えた。痛ましい、目を逸らしたくなるその在り様が私は放っておけなかった。今だって、『想乃華は変わってしまった』という事を、彼女に伝えるべきだったのかという正否はわからない。ただ、何もしてあげられずに傍観者として居続けた自分に苛立ちが募っただけのこと。つまるところ、私も過去に囚われていたのだろう。だから、今回はこうして彼・彼女らの後押しができたことで、とても気持ちが晴れ晴れとしている。


「ううん、大丈夫!」

「そんなことより、想乃華は早く彼の元に行ってあげて。」

 想乃華は少しの間思案する。

「わかった。そうするよ。」

「お礼はまた今度にするね!ありがと!」

 そう言って彼女は急いで彼の元へ向かっていった。

「‥‥‥行っちゃった。」

 私は来た道を戻る。再び屋上への扉を開ける。日は沈みかけ、少しずつ辺りは暗くなっていく。

 今はただ‥‥‥一人になりたかった。一連のことが彼・彼女らの問題である以上、茜は傍観者という立場から変わることはない。それはいい。傍で見守ると、彼女が彼に底知れない想いを抱いていると確信した時に決めたことだ。

  ふと、瞳が潤んでいることに気がつく。

 止まらない。彼女への、この苦しくて悲しくて胸が締め付けられる想いも、涙も‥‥‥。

「言えるわけ‥‥‥ないじゃん…。」

 傍観者で居続けた彼女の在り方は、まるで彼女に対する己の想いと同じであった。

「今なら‥‥‥。」

 今なら、最後までそう在り続けたことに胸を張って誇ることができる。そうして、三年に渡る初恋を終わらせることができた―――


 Interlude out


-----------------------------------------------------------------------------------


 時を同じくして、一人の少年もまた動き出していた。皮肉にもそれが、結果的に自身のうちにある『何か』を終わらせようとすることになるとも気づかずに。


 俺は屋上を去り、教室への階段を駆け下りる。今は想志と会って話しをすることしか考えが浮かばなかった。

  急いで教室に戻り、目的の人物を探す。

「いやがった‥‥‥。」

 走って想志のもとに行く。

「おう、想太。何かあったのか?」

 想志は俺の慌ただしい様子から何かを察したのだろう。

「今、いいか?」

 想志は深く息を吐く。

「―――いいよ。」

 俺は返答に頷きで返す。

「五分後、グラウンド集合な。俺は後でそっちに行く。だから、先に行っててくれ。」

「わかった。」

 想志は教室を出て、グラウンドへ向かった。アイツのあの顔を見れば、逃げ出さないであろうことはすぐさま理解できた。

 そうして、俺は自分の机に置いてある、筆箱から一つの筆記用具を取り出す。それをポケットにしまい、二つの覚悟を決める。


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 星乃花学園グラウンド。入学式が終わり、午後は部活動を始める生徒がほとんど。その中でも、ここを使用するサッカー部とラグビー部は用具の準備をしているようだった。

  グラウンド内は基本的に運動部が整備することになっている。だが、グラウンド隅には木々が生い茂っているエリアが存在し、そこには手は付けられていない。要するに、誰からも見られない場所であり、隠れて何かコソコソやりたいときにはうってつけの場所であるということだ。

「こんな場所に呼び出してすまない。要件は早く済ませる。」

 想志はとても真剣な面持ちで俺の話を聞く。

「お前は美鮮のことが好きか?」

 驚いたような表情。だが、俺を見てすぐさま無表情になる。その真意は計りかねるが、今はそんなことはどうでもいい。この質問に対する答え。それこそが俺の聞きたいこと。

 ―――。問うてから一分ほど経っただろうか。

 想志は俺の瞳を真っ直ぐに捉えて告げる。

「答えられない。」

 瞬間、俺はポケットからカッターナイフをすぐさま取り出し、彼の喉元に当てる。想志は身動きもせず、再び驚いた表情を見せる。そして、あろうことか、悲しいモノを見るような顔を浮かべる。

「想太。ナイフは他人に向けるべきではないよ。」

 ―――理解できなかった。そんな俺に畳みかけるかのように彼は続ける。優しく諭すように。

「そういうモノは他人ではなく、自分に向ける物だ。」


 意味が解らなかった。何を言っているのか。前者は理解できる。ただ、俺が分からないのは後者の方。

『自分に向ける物』

 確かにそう言った。だが、今はそんな事はどうでもいい。

「答えろっ‥‥‥!」

「じゃないと首を掻き切るぞっっ‥‥‥!」

 これではただの脅迫だと思いつつも、問いたださなければとナイフを更に強く押し当てる。

 想志は困惑した表情を浮かべる。しばらく目を泳がせ、再度向き合う。

「わからないんだ‥‥‥。」

「はっ‥‥‥?」

「それは、好きでも嫌いでもないってことか?」

「‥‥‥」

 もう何度目の沈黙だろうか。そうして、短く息を吐く。

「そうだね。確かにどちらでもないっていうのは正しい。」

 その言い回しに違和感を覚える。

「でもね、想太。」

「俺には何が好きで何が嫌いなのか、わからないんだ。」

 想志が必死で考えて話してくれていることは伝わってくる。だが、コイツの考えが全く理解できない。

「楽しいとか嬉しいとか、悲しいとか辛いとか、そういうのも何もかもがわからない。」

 さらに続ける。まるで、今まで押し留めていたものを残さず吐き出すように―――

「美鮮に限った話ではなくて、何に対してもそういう感情が出ないんだ。」

「ただ、世間一般で『これが楽しい、嬉しい、悲しい、辛いっていうモノ』があって、その場その場で一番適した感情を頭の中で導き出して、それらしく振る舞っているだけなんだ‥‥‥。自分が何をどう思っているかなんてわからない。ただ、これは悲しいコトなんだ、嬉しいコトなんだってそう思わなければ感情表現というのが出来なかった。そういうモノなんだって理解するようにしていた。」

 俺は気づいたらナイフを地面に落としていた。全身から力が抜ける。膝から崩れ落ち、倒れ込む。

「そうか―――」

 俺は想志のことを何もわかってやれないが、コイツにはもっと人間らしく生きていてほしいと願う事しかできなかった。そう思うと、思わず呆れ笑いが込み上げてくる。

「こんなの、手に負えねぇ‥‥‥。」

「アイツ、本当に"ヘン"な奴を好きになっちまったんだな。」

「しかも、何年も‥‥‥なんだろ。ずっと―――。」

「こんなの勝てるわけねぇだろ‥‥‥。」

 人間として欠陥だらけのコイツを好きになっている彼女から、どうやってその恋心を奪い取ればいいというのだろう。

『そもそも、美鮮はこのことにに気がついてんのかね‥‥‥。』

 一つの懸念を心の中にしまう。地面に座り込んだまま、俺の側に立つ『何か』を見上げる。

「大丈夫か?」

「立てるか?」

 そう言って手を差し伸べる『何か』は『心配する』ような表情を浮かべていた。

 だが、さっきの話を聞いてしまった事で、『心配する』という感情を精一杯表現しているようにも見えた。


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 そうして教室へと戻る道中。

「そういえば、言い忘れていたことがある。」

 想志は思い出したように口にする。

「確かに、俺にはわからない事だらけだけれど―――」

「美鮮と結愛と過ごしたあの時間だけはとても大切なものなんだ。」

 大切なものに優しく触れるかのように微笑んだ。

「それだけは、俺の心からの感情だよ。」



『何だ‥‥‥。よかった‥‥‥。』


 想志の表情は今まで見せた笑顔とは比べ物にならないほど、とても綺麗で純粋な何かを想うものだった。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。彼の思考回路、在り方に疑問は尽きない。だが、最後に伝えてくれた想いだけはちゃんと理解することができた。思わず、口角が上がる。


 そうして―――俺の一目惚れの恋は幕を下ろすことができた―――


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