五匹目 後編
◆◇◆
「〝フェイズ1〟感覚共有──ッぐ」
〝蟲学〟の時間。
座学よりも実践のほうが多いこの授業では主に体育館やグラウンドを用い、蟲の寄生度を上げる訓練が行われる。
不亞武流もヒスイタランチュラとの感覚共有精度を高めにかかっていたが、相変わらず脳のリソースをこそげ落とす勢いで圧迫してくる八つの視界に慣れなく、呻いていた。
「虫明~。闇雲に感覚共有しても使いこなせないぞ~。お前、クモについてどこまで知ってる?」
「あ? いや……大したことは」
「まずは相手を知れ、だ。クモの視覚、聴覚、触覚、嗅覚──人間とは全く違うからな。それぞれどんな風に機能しているか知っておけ」
体育館にて、八つの視界に圧し潰されて蹲っていた不亞武流に音鳴先生がおざなりな声色ながらも的確なアドバイスを投げかける。
不亞武流は感覚共有を解除して、その場に胡坐を組んでヒスイタランチュラと向き合う。
ヒスイタランチュラが孵って一週間以上。すっかり毛も生え揃い、手のひらサイズの真っ白な毛玉にしか見えぬヒスイタランチュラは雪玉のよう。八本の肢も隅々まで白い毛が覆い尽くしていて、そのおかげかクモ特有の恐ろしい外見が和らいでいるようにも見える。翡翠のような八つの目が二列になって並んでおり、一見すれば宝石箱のようだ。
「教えようか? 全てのクモ、特に蟲のクモに該当するワケじゃないけど……姉貴から聞きかじった程度の知識なら」
百足がムカデと〝フェイズ2〟肉体共有し、首元からムカデを生やしているというどう見ても人食いムカデにやられた犠牲者にしか見えない様相で声をかけてきて、不亞武流は一旦絶叫してからその提案を受け入れた。
「まずクモといえば糸だよね。巣を作るクモ、作らないクモがいるけど糸は絶対にクモと切り離せないって言ってた」
「ああ……コイツが時々自分の糸に絡まってもがいているのを助けるな」
クモの尻には〝糸いぼ〟と呼ばれる三対の射出口があり、そこから糸が吐き出される。使用用途に応じて糸の種類を使い分けているが、百足の知るところによれば〝壺糸〟〝鞭糸〟〝隠れ糸〟〝しおり糸〟〝擬態糸〟があるという。
〝壺糸〟と〝鞭糸〟は主に巣を作ったり獲物を狩ったりする際に用いられる糸で、まず粘着性のない壺糸で縦状に基礎を作り、それから粘着性の高い鞭糸で横状に巣を作っていく。クモが自分の巣に絡まないのは鞭糸を踏まないよう、壺糸の上を伝って歩いているからである。縦糸、横糸とも呼ばれている。
〝隠れ糸〟は別名を隠れ帯と言い、レース編みのように繊細な装飾が可能となる細い糸を指す。この糸を用いて巣に鮮やかな帯を飾り付けて自らの姿を隠すクモもいるが、ヒスイタランチュラにこの性質があるかどうかは定かでない。
〝しおり糸〟は何もしていなくともクモの尻から勝手に出てしまう糸で、ぶら下がったり風に乗せて飛ばし、別の場所へ飛び移るのに利用したりと使用用途が多岐に渡る。ヒスイタランチュラが絡まったのはこのしおり糸であろう。
〝擬態糸〟はここ蟲喰学園を外界から隠すのにも使われているが、元々は卵を保護するために使われていた糸である。非常に高機能なステルス能力があり、極めれば鏡面の如く外界を拒絶し景色に溶け込むことができる。
「〝フェイズ2〟肉体共有に移れば不亞武流にも使えるようになると思うよ」
「マジか。スパイダーマンになれんのか」
「なれるなれる。姉貴も糸を駆使して空走れるから」
「マジかよ」
俄然やる気が出た、と目を輝かせる不亞武流に百足は笑い、どうやらヒスイタランチュラも糸の使い方が未熟なようだから一緒に使い分け方を学んでいくといいと助言する。
「使い分けるつっても、コイツ巣作らねえタイプだしな……どうやって練習すっかな」
「姉貴は繭を作らせるって言ってたよ。こう、糸をくるくる丸めて毛糸の玉っぽくする感じで。高品質の糸なら売れるらしいよ」
「ほぉ」
「粘着性のある糸玉はトラップとして使えるし、粘着性がない糸でも強度があればロープ作りとかに使えるし。綺麗な糸だったら服にも使えるから結構稼げるって」
蜘蛛のクモたちが織り成す糸は非常に質が高く、高くて十万ほどで売れるとのことで不亞武流が目の色を変えてヒスイタランチュラに糸を出せと叫び、両者ともに糸に絡まってもがく羽目になったというのはまた別の話である。
「クモの毛も使いこなせると壁だろうが天井だろうか歩けるようになるね。それこそスパイダーマンのように」
「そういや……虫って壁や天井にへばりつけるよな。何でだ?」
不亞武流の素朴な疑問に百足が答えたところによれば、蟲の肢先には無数の毛が生えており、張り付く面との接触点を無数に作ることによって付着しているとのことだった。
表面がどんなにつるりとしている金属の板だろうとガラスの窓だろうと、分子レベルで見れば表面に凹凸がある。その凹凸に引っ掛けられるくらい微細な糸を無数に持っていて、だから壁だろうが天井だろうが歩けるのだ。
「〝フェイズ2〟肉体共有はヒスイタランチュラの含有面積分しか使えないからへばりつくのは難しいだろうけど……〝フェイズ3〟肉体寄生にまで至ればヒスイタランチュラの大きさ関係なく、その特性を自分のものとして自由自在に使えるから便利だよ」
〝フェイズ2〟肉体共有はあくまで蟲と肉体を共有するだけであるからして、蟲の体積以上のことはできない。だから蟲遣いは基本的に大きな蟲を相棒にするし、臨機応変で大小様々、種類様々な蟲を使役する。
「……そうなのか」
「別にヒスイタランチュラ以外に何か使役しろってワケでもないし、そこは好きにすればいいよ。姉貴だってコクドムソグモクラスのデカいのいっぱい使役してるけど、相棒は飴玉くらい小さいよ」
這うだけで金属を溶かすほどの猛毒持ってるけど、とぼそり付け加えられた言葉に不亞武流はぞっと身震いした。
「そうそう、毒といえば不亞武流も毒慣らししていった方がいいよ。蟲遣いは毒使いも多いからさ。毒に耐性持っておいた方がいい」
「毒慣らしって……」
「まあ見たところ、不亞武流もう毒にだいぶ抗体持ってるみたいだし大丈夫だろうけど」
「は? いやおれ毒に耐性なんて……」
──そこでふと、不亞武流は思い出す。
幼い頃──父親の作る食事を口にした後はいつだって腹を壊し、トイレに籠っていた。いつからかトイレに行くことはなくなったものの、父親の食事はどうにも不味かった。どう不味かったかというと、えぐみが強く舌先が痺れるような──……
「あンのクソ親父!!」
不亞武流の絶叫が体育館内に反響して、他のクラスメイトたちが不亞武流を見やる。百足が大したことじゃないとひらりと手を振ったことですぐ関心を失っていたが。
「気付いてなかったの? ヒスイタランチュラ、毒グモだよ」
「はっ!?」
「致死性は低いみたいだけど……麻痺毒かな? 毒性については大等部の研究室にサンプル渡せば正確に分析してくれるからやっておくといいよ」
ヒスイタランチュラは全身の毛先に微細な麻痺毒を持たせているほかに、牙から強力な麻痺毒を分泌させることができる。これまで不亞武流がヒスイタランチュラを撫でくり回しても何ともなかったのは、ひとえに父親による毒慣らしのおかげであった。
不亞武流は納得いかねえ、と嫌悪に顔を歪める。先日の一件で若干父親への評価を改めたとはいえ、やはり嫌いなものは嫌いな不亞武流であった。
「あとはやっぱり目だね。前にも言ったけどクモの目ってそれぞれが違う機能を持ってるから使いこなすとすごく強いんだよね」
「それはわかるがよ……頭割れそうになるぜ」
「どういう目があるかはわかったの?」
「いや……動体視力がイイ目と、なんかサーモグラフィーっぽい目と、あと夜目が効くヤツがあるのはわかったけどよ」
「じゃ、どういう目なのかひとつひとつ書き出して行こう。ぼくも協力するからさ」
「お、おう」
──ありがとう。
そう口にしようとして、形にならず息だけを吐き出す不亞武流に百足は気付かぬまま、〝フェイズ1〟感覚共有に切り替えて感覚を研ぎ澄ませ始めた。
「まず〝動体視力〟だよね」
「おぉ」
不亞武流の頭上にいるヒスイタランチュラと感覚共有する際、不亞武流はまず頭痛に襲われる。一気に圧しかかってきた八つの視界に脳が処理しきれず、頭の奥をスプーンでほじくられているような激痛を覚えるのだ。しかしすぐ、八つのうちひとつ〝動体視力〟に意識を引き絞ることで頭痛は和らぎ、軽い片頭痛レベルになる。
「多分まだ感覚共有しきれてないんだと思う。モノを見る時、いちいち左目と右目それぞれの視界を意識しないでしょ? そんな感じでクモの視界も自分のものって思えるようになれば頭痛もなくなると思う」
「そう言われてもなあ……」
生まれつき二つの目から見る視界しかなかったのに、そこに八つも追加である。順応しきれなくて当然だ。
「じゃあ目を閉じて。クモの視界だけで見るんだ」
言われて、不亞武流は両眼を閉じる。クモにはまぶたがないからそもそも閉じるという概念さえなく、そのままである。ただし八つの視界のうち〝動体視力〟のみに意識を引き絞ったまま、不亞武流は深呼吸する。
「……お前の体を這い回っているムカデがリズミカルに手拍子してんのが見える。何してんだてめえ」
「オシタリムカデの密かな特技、這い回りながら拍手する」
「ンだそりゃ」
「確かに、ムカデの素早い肢の動きがわかる程度には動体視力が上がっているね。鍛えればもっとすごいことになりそうだ」
それから数分ほど目を閉じたまま百足の動きを追っていると次第に不亞武流から頭痛が抜けていき、ヒスイタランチュラの視界がまるで自分のものであるかのように自然に対応できるようになっていた。それを見計らって次に進もうか、と言う百足に従って第二の目、〝熱感知〟に意識を移す。その際にまた頭痛が迸ったが、数十秒ほどで順応した。
「ムカデ……見づらいな」
「蟲は変温動物だからね。周囲の熱に応じて変化するから熱探知だと見つけ辛いかも」
不亞武流の目──いや、ヒスイタランチュラの目には中央部が赤々と発熱しており、表皮部に近付くにつれて橙色、黄色、緑色と落ち着いていく百足のシルエットがよく見えた。しかしムカデのほうは百足とほぼ同化していて、かろうじて周囲よりかすかに色が黄色、緑色に近いとわかる程度だった。
「多分、姉さんのスズメバチとかは羽ばたく際に生まれる熱とかでわかると思うけど……」
「蟲っつーか……対人間って感じかぁ?」
「暗視もあるんだよね? それと組み合わせれば夜間でも有利に動けると思うよ」
それから終わりのチャイムが鳴るまでの時間いっぱい、ひたすら百足とともにヒスイタランチュラの持つ八つの視覚を模索した。体育館倉庫を闇に閉ざして引き籠ったり、他のクラスメイトたちに協力を仰いで不亞武流をドッジボールの的にしたりと方法を変え替え代えで視界の特性をノートに書き起こしたのだ。
その結果、四つまでは把握できた。
第一の目〝動体視力〟──スポーツビジョン。高速で飛び回るハサミのクワガタムシたちの動きが手に取るようにわかる程度にはあるが、亜音速近い速度を出す百足のムカデの突進は見定められなかった。
第二の目〝熱感知〟──サーモビジョン。蟲はほとんど見えないが、人間は手に取るように見える。〝フェイズ1〟感覚共有している最中の蟲も、あるじと離れた場所にいても体温がわずかに上がることもわかった。
第三の目〝暗視〟──ナイトビジョン。色の識別は不可能になるものの、半径十メートル以内であれば飛んでいる蟲を視認することも可能であった。
第四の目〝望遠鏡〟──スコープビジョン。最大倍率十倍とまだ伸びしろが感じられる視覚であった。ここで言う倍率は例えば百メートル先の対象物を倍率十倍で視る場合、距離感が十分の一になることを指す。
「ぐあああ……頭が……!!」
「お疲れ。しばらくはこの四つを使いこなすことだけを考えればいいと思うよ」
激しい頭痛に蹲る不亞武流に百足が励ましの言葉を投げかける。目を閉じ、人間の視界を閉ざすことでヒスイタランチュラの視覚それぞれに意識を集中させ、扱えるようになった不亞武流であったが──それでもやはり、長時間の感覚共有は堪えたようだ。
ズキズキ痛む頭に呻きながら不亞武流は視線を上げ、無駄に顔が整っていて模範的優等生にしか見えない百足を見やる。自分の訓練よりも不亞武流の慣らしを優先して協力してくれた百足だが、それを恩に着せるようなことは当然しない。ごくごく普通に、当たり前のように不亞武流に手を伸ばして笑うだけだ。
そういえば入学式当日からこういうやつだった、とお人好しな百足の行動を思い返しながら不亞武流は頭を掻いてしばし、逡巡する。
逡巡して──ぽつりと、風に吹かれれば消えてしまいそうな声で囁いた。
ありがとう、と。
百足は一瞬何を言われたのか理解できず目を丸くしたが、すぐ破顔して〝友だちなんだから当たり前だろ〟と言った。言ってくれた。
友だち。
端的な単語ながらもそれは不亞武流の心を貫いた。貫いた、と形容するよりは沈み込んだ、と表現した方がいいかもしれない。かつての不良仲間たちには感じ得なかった感情が〝友だち〟という単語とともに不亞武流の中に沈み込んで、決して取り出せぬおもしとなる。
いや──おもしではない。
〝尊重したいもの〟だ。
不亞武流ははじめて、彼らとの〝これから〟を見据えて関係性を尊重したいと思ったのだった。
◆◇◆
蟲喰雀蜂。蟲喰高校高等部二年生であり、風紀委員長であり、〝雀蜂遣い〟でもある絶世の美少女。
それを前にして、不亞武流は硬直していた。
物陰からハサミの頑張るっちゃという潜められているようでちっとも潜められていない声が投げかけられる。
蜂蜜を溶かし込んだような輝く金髪と、蜂蜜を閉じ込めたような輝く金の眼差し。百足によれば母がイギリス人であったらしい。
百八十を下らない不亞武流ではあるが、いいのは図体だけで腰の位置は圧倒的に雀蜂の方が高い。目線も不亞武流が首を曲げなければ合わせられないなんてことはない。雀蜂はとにかく、高身長でスタイルが良くて美人であった。美少女の蜂蜜色の眼差しに見つめられるというのはさしもの不亞武流も二の句を継げなくなるというもので、先ほどからずっと不亞武流は何も言えずにいた。
キィキィと頭上のヒスイタランチュラも不亞武流に声援を送る。
が、いざ覚悟を決めて口を開いても息が吐き出されるばかりで声が形にならない。そうこうしているうちに決めたはずの覚悟が萎んでいって、またもごもごとまごつく。その繰り返しでかれこれ十分ほど、彼らは静止していた。
「…………辛抱強いっちゃね、百足っちの姉ちゃん」
「その分キレたら一番怖いけどな」
「あんな美人と見つめ合えるなんてねたましい」
「……でんでん丸、くん。口調……」
「おっと。でんでん」
廊下の角に身を潜めて不亞武流を見守りつつ、好き放題喋り散らかしている男子たちを眺めて灯籠はため息を零す。
「ワタシはもう寮に帰りたいのですが」
「でもファーブルっち見守ってやんなきゃっちゃ?」
「告白するわけでもないのに何をそんな大層な……」
「でもアレ、まんま告白する雰囲気っちゃね」
「あークソねたまし」
「……だから口調」
灯籠はまたため息を零して、廊下の角から少し顔を出して不亞武流と雀蜂を見やる。相変わらず不亞武流は硬直していて、雀蜂は微笑んだまま静止している。
「こういうのに興味持つのはもっぱら女性たちだと思っていたんですがね」
「さそりなんか〝雀蜂パイセンに告白とかフツーすぎっしょ! そこはみつみつパイセンコンビに同時に告白してぶん殴られろっての!〟だったもんね」
「……告白じゃないよ、念のため……」
「でもモグラっち、アレどう見ても告白っちゃ」
「……まあ」
好き放題言いまくっているクラスメイトたちにほんの少しだけ不亞武流が気の毒になったモグラであったが、何も言わずミミズたちと戯れながら不亞武流の見守りに徹していたので結局は面白がっているだけである。
「そういえば百足さん、姉君が告白されることには何も思わないのですか?」
「だから……告白……ちがう」
「ん~、姉さんは別に……いつものことだし。でも姉貴に告るヤツがいたら詰めるかな」
「何でっちゃ? 雀蜂先輩が告られるのはいつものことってのはわかるっちゃけど……蜘蛛先輩だってミステリアスでカッコいいからモテるっちゃ?」
「姉貴はホントにすごいからさ。ぼくと姉さんが認めるくらいの男じゃないと告白すら認めたくないみたいな」
「……ベクトルの違うシスコン来たっちゃ」
蟲喰百足。並びに、蟲喰雀蜂。
重度のシスコンであった。
「す……雀蜂!」
「はい」
お、とハサミたちが前のめりになる。
不亞武流が顔を真っ赤に染め上げながら雀蜂をまっすぐ見据えて、ほとんど怒鳴るような形で叫んだ。
「──ありがとう!!」
一度、たったの一度でも口にさえしてしまえばあとは捻られた蛇口のようにするりするりと不亞武流の口から言葉が流れ落ちる。
「入学式ん時も……その日の夜も、それからも何かと助けてくれて……その、ちゃんと礼を言えてねえって、思ったから……だから、ありがとう」
思えば、蟲喰三姉弟にはいつも助けられっぱなしだった。
百足は最初から不亞武流と友だちになろうとしてくれていたし、雀蜂も不亞武流をただの不良と切り捨てず導くべき後輩として接した。蜘蛛だって不亞武流の父親に頼まれたとはいえ、虫嫌いの不亞武流ひとりのために配慮を尽くした。
親身になってくれたのは彼らが不亞武流をいとこだと知っていたからかもしれない。だとしても、自分勝手な行動しかしていない不亞武流に向き合おうとする姿勢はそう易々と真似できるものでもこなせるものでもない。
何より。
人の親切に理由をつけていいものでも、ない。
「……ありがとう。色々、本当にすま──」
すまん、と言いかけて不亞武流はかぶりを振る。
「すみませんでした」
虫嫌いを理由に、蟲遣いたる彼らを罵倒したこと。カブトムシを踏み潰したこと。中途半端に謝罪して誤魔化そうとしたこと。雀蜂が止めてくれたおかげで謝罪せずに済んでよかったと内心ほっとしたこと。夜中にネットを壊して逃げたこと。逃げた先で襲われ、救われたというのに礼のひとつさえしなかったこと。いざ自分も相棒を得て蟲遣いになってみれば一転して、蟲喰学園の学生ヅラをするようになったこと。自分がやったこと言ったことその全てを彼らが触れないのをいいことになかったことにしたこと。何事もなかったかのようにいち生徒として呑気に青春を謳歌し始めたこと。それらの、いろいろ。いろいろ。
それに謝罪して、不亞武流は頭を深く下げた。
そんな彼の肩に雀蜂が手を置いて、頭を上げるよう言う。
「常々思っておりましたけれど、貴方は本当に真面目な殿方ですわね」
とろける蜂蜜のような甘やかであどけない笑顔を浮かべて、雀蜂は礼も謝罪も受け入れると言った。
「どうぞこれからもよろしくお願いいたしますわね、不亞武流くん」
「……あ、ああ」
笑顔を浮かべながら一礼して立ち去っていく雀蜂を呆然と見送る、林檎のように顔を赤く熟れさせた不亞武流の背中にハサミたちが強烈な蹴りを喰らわせに行くまで、あと数秒。
【※カタツムリは実は貝の仲間】




