一匹目 前編 【オシタリムカデ】
〝獣遣い〟──〝爬遣い〟──〝鰭遣い〟──〝禽遣い〟──〝蟲遣い〟──……
永い人類の歴史において、彼ら〝遣い手〟を知る者は少ない。
常に歴史の裏に潜み、闇で暗躍し、影から人類を支え──そして、彼らの存在は決して語られることがない。
時には大統領暗殺を阻止し。時にはテロ組織を壊滅させ。
時には闇の権力者を暗殺し。時には国家内の腐敗を清め。
時には被災者を影で救命し。時には代理戦争に身を投じ。
時にはスパイとして潜入し。時には救国あるいは滅国し。
しかし、彼らの存在が語られることは絶対にない。
閉ざされた歴史を紐解けば紀元前四千年以上にも遡れるほど、彼らの歴史は古い。だが現代に至るまで彼らの存在と活躍はどんな書物にも遺されなかった。
人と獣の関わり、人と蟲の関わりという名目でささやかな痕跡を遺すのみで、決して彼らの存在は語られなかった。
それはこれからも変わらない。どんなに時を重ねようとも、決して語られない。
◆◆ 蟲喰学園 ◆◆
第一章 梅田ダンジョン編
一匹目 【オシタリムカデ】
虫明不亞武流。
性が虫明で、名が不亞武流。
読みはむしあけふぁぶる。通称、ファーブル。
それが本作の主人公である。不亞武流曰く〝虫狂いの糞親父〟によって名付けられたこの名前が原因で、不亞武流は小学校時代、毎日のように虫をけしかけられていた。カブトムシだったりミミズだったりチョウチョだったりはたまたゴキブリだったり、色々。筆箱の中だったり鞄の中だったり机の中だったり靴の中だったりはたまた服の中だったり、色々。
泣きながら帰宅する不亞武流に〝虫狂いの糞親父〟はいつだって「どんな虫だったんだ? 模様は? 大きさは?」と目を爛々と輝かせて問い詰めていた。不亞武流がどんなに泣こうと蹲ろうと助けを求めようと、いつだって。
結果、不亞武流はグレた。
あと、不亞武流は重度の虫嫌いになった。
「新入生かい? 遅刻だよ。もう入学式も終わっている。自分の教室はわかるか? 早く入りなさい」
花の入学式当日だというのに正門を開け放つこともせず重厚に締め切り、正門脇の通用門をささやかに開けて警備員が言う。背丈も図体も大きく筋肉質な不亞武流とは対照的に、典型的な中年の小柄な男という風貌ではあったが、だというのに警備員に不亞武流を恐れる気配はない。ただ無機質に、事務的に不亞武流に入るよう促すだけの警備員に不亞武流は盛大な舌打ちをし、じゃらじゃらとわざとらしくアクセサリーを鳴らしながら入っていった。
蟲喰学園。
自身が入学することになるここを五百年近い歴史を持つ全寮制の名門校、としか不亞武流は知らない。が、確かに歴史の古さを裏付けるが如く校舎は夥しい量の蔓に覆われている。正門から視認できる校舎は三棟だが、そのどれもが見事に蔓で埋め尽くされている。不亞武流はとりあえず、足の赴くままに正面の校舎へ入った。
「うわっ、なんだこりゃ!」
蔓が中にまで侵食していた。外壁よりはマシだが、それでも結構な量の蔓が天井や壁、床にまで這い回っている。加えて、ヴゥゥンとかすかな羽音まで聞こえていて、不亞武流が腕を粟立たせながら来なきゃよかった、とぼやく。
不亞武流の足が一旦はここを出ようと後ろを向く。が、すぐ思い留まって盛大に舌打ちしながら蔓這い回る廊下を土足のまま進む。
不亞武流には行くところはおろか、帰るところもなかった。
元々不亞武流は地元公立高校に合格していた。だがしかし、その翌日に地元の高校生グループとの大喧嘩をかまし、暴行事件として補導されてしまった。そのせいで合格取り消しとなり、行くところがなくなってしまったのだ。
そこに口を出してきたのが〝虫狂いの糞親父〟──不亞武流の父親、虫明隆であった。父親が斡旋した蟲喰学園に行くことを当初、不亞武流は拒絶していた。けれども中卒のまま就職する男気を持ち合わせていなかった不亞武流は、全寮制という響きに喰いつく形で父親から離れる道を選んだのであった。
不亞武流は不機嫌を隠そうともせず、燃え盛る炎をイメージして染め上げた真っ赤な髪を靡かせながら大股で彼岸館へ向かう。蟲喰学園は広大な敷地を誇る学園であるが、その特性上、全校生徒は五十人にも満たない。小等部・中等部・高等部・大等部から成っているが現在小中等部に生徒はひとりもおらず、大半が高等部を占めている。小中等部の校舎にあたる勿忘館、高等部校舎の彼岸館、そして大等部の研究室や職員室が集結する鬼灯館が主要設備となっている。他にも様々な施設があり、専門性が非常に高い学園として知られている──そう、不亞武流の父親が語っていたのだが不亞武流は当然、聞いていない。
手元の入学案内書を頼りに渡り廊下を介して彼岸館へ移動した不亞武流は、しかしそこでも変わらずあたり一面を這い回る蔓にうんざりしつつ二階へ上がった。
無意識か、不亞武流の手が顔に埋め込まれているボディピアスに触れる。耳はもちろん、目元に鼻に下唇とボディピアスの山である。真っ赤に燃え盛る髪も含め、彼なりの父親に、ひいては社会に対する威嚇のつもりなのだろう。確かに普通の高校生であれば不亞武流のような風貌の学生は忌避しようと考えるし、不亞武流自身も忌避されることに慣れていたし、むしろそれを望んでいた。
紹介でしか入学できない特性を持つこの学校に、己が嫌う父親の推薦で入った──そんな事実に対する、ささやかな反抗とでも言えようか。
クラスメイトと慣れ合うつもりも、真面目に学校生活を送るつもりも一切なかった彼はいかに相手に忌避感を覚えさせるか、それだけを考えて何度も何度もボディピアスに触れていた。彼のそんな目論見は、きっとうまくいったのだろう。
クラスメイトが普通の高校生だったならば。
教室に入る寸前、意図してかせずか首からぶら下がる大量のアクセサリーに混じってひとつだけ異彩を放って存在している、小さく薄汚れたお守りを一回握り締めて──不亞武流はドアを開けた。
「あれ、きみもしかして最後の新入生くん?」
不亞武流はまず、呆然とした。
赤い髪を逆立ててボディピアスにまみれ、アクセサリーで己を誇示している不亞武流に気安く声をかけてくる詰襟の男子がいたからではない。
教室の中も廊下と同じく、蔓が這い回って廃墟と変わらぬ様相を醸し出していたからでもない。
「あん? なにコイツ、いきなり固まったんですけど。マジウケる」
不亞武流と同じく髪を明るすぎる赤色に染めて、露出過多に改造したセーラー服に派手なメイクに煌びやかすぎる大量のアクセサリーにと着飾っているギャルがいたからでも、ない。
「は……はじめましてぇ……」
まず一人目。背中に巨大なチョウチョの羽をおぶさり、頭からも根元がぷっくりと膨らんだ二本の触角を生やしている女生徒がいた。
「わあ……おいしそうなトマトみたいな色……おしゃれ……」
二人目。薄いピンク色の毛をもじゃもじゃと全身に生やした一体型のタイツを着用している男子生徒。
「お噂はかねがね。虫明博士の御子息が入学するとお聞きして、楽しみにしておりました」
三人目。カマキリを模した着ぐるみを着用している男子生徒。
「はっじめまして~、でんはでんでん丸ってーのよ、よろしくでん!」
四人目。カタツムリのような、しかし実際のそれよりもはるかに巨大な殻を背中におぶさっている男子生徒。
「ちっとも動かねえっちゃ。大丈夫っちゃか?」
五人目。この中では一番大人しいように思う──頭部に、クワガタムシのような角をつけているだけの男子生徒。
出鼻を挫かれた不亞武流であった。
「はじめまして。ぼくは蟲喰百足。よろしく」
硬直から解け、よろめくように空いている座席に座った不亞武流に詰襟の男子生徒が話しかける。この中では最も普遍的な、凡庸と言ってもいい普通の男子高校生の風貌をしている。かと思いきや、何故かタスキをしていた。何も書かれていない、赤みを帯びた褐色のタスキを斜め掛けしている。
謎のタスキに一瞬気を取られつつも、不亞武流はその男子生徒が口にした名につい、喰いついた。
「ムカデ? お前ムカデって名前なのか」
「うん。百足でいいよ。きみは?」
「……虫明不亞武流」
「不亞武流ね。よろしく」
「お、おう……」
出鼻を挫かれた不亞武流はそのまま、ろくに思考することもできず、目の前にいる〝百足と名付けられてしまった男子生徒〟につい、仲間意識を抱いて差し伸べられた手を握ってしまった。
「よっす。なに? ファーブル? いい名前じゃん。うちは蛇蝎さそり! ヨロシク~」
十分派手派手しい見た目ではあるものの、この教室内だとよっぽど〝普通〟に感じられるギャル、さそりに不亞武流は力ないながらも頷いて応えた。と、そこで不亞武流は気付く。よくよく見てみればこのギャル、髪飾りに指輪にネックレスにピアスに──ありとあらゆるアクセサリーが悉くサソリモチーフであった。不亞武流の顔が実に微妙そうなものになる。
「あのう……はじめましてぇ。わたし、蛾々我てふてふって……言いますぅ。えっと……よろしくねぇ、ファーブルくん……」
不亞武流は沈黙する。名前が奇特だから、というだけでない。女生徒──てふてふの背負う巨大なチョウチョの羽が羽ばたいたような気がしたからである。
「おら水目モグラ……よろしく」
不亞武流は息を呑む。全身薄ピンクもじゃもじゃ男に、ではない。そのもじゃもじゃが──蠢いているように見えたからである。
「ワタシは鎌切灯籠と言います。虫明博士のことはよく伺っておりますよ」
不亞武流は戦慄した。大嫌いな虫を模した着ぐるみが近寄ってきたからである。
「でんは渦巻でんでん丸でん。でんでん丸って呼んでん」
不亞武流は頬を引き攣らせる。巨大なカタツムリの殻を背負っているその男子生徒が心なしか、ヌメっているように見えたからである。
「よう! 俺っち鍬形ハサミ! 見たところ何もいねぇみてぇだけど何遣いなんだっちゃ?」
不亞武流は安堵する。頭から変な角が生えているものの、それ以外は普通だったからである。
蟲喰学園高等部一年──虫明不亞武流。蟲喰百足。蛇蝎さそり。蛾々我てふてふ。水目モグラ。鎌切灯籠。渦巻でんでん丸。鍬形ハサミ。以上──八名。
不亞武流が見事に埋もれた瞬間であった。
「で、きみは何遣いなんだい?」
「あ……? なにつかい……?」
意識をバーストさせている不亞武流は百足が一体何を問いかけてきているのか理解できず──いや、バーストさせていなかったとしても理解できないだろうが。
「あぁ、ですがそういえば虫明博士は蟲遣いではないと母が言っていました。昆虫学者でこそあれど、蟲遣いではないと。ならばファーブルさんもまだ蟲遣いではないのでは?」
灯籠がカマキリの腕を模した鎌付きアームで眼鏡を押し上げながら言う。
「成程、そうかもね。ああ一応ぼくらも紹介しておこうか。改めて──ぼくは蟲喰百足。〝百足遣い〟だよ。こいつはオシタリムカデ」
のそり、と百足が斜め掛けにしていたタスキが鎌首をもたげる。三対の、内側に折れ曲がった鋭い牙と顎を持つ頭部が不亞武流に向く。黒い詰襟制服に埋もれて見づらくなっていたが、よく見ればタスキからは無数の黒い肢のようなものが伸びていて、がっちりと制服を掴んでいる。
不亞武流は、何も言わない。
「蛇蝎さそり、〝蠍遣い〟! このコらキレーっしょ? ホウセキサソリっつーの」
ぞり、とさそりの真っ赤な髪をまとめる役目をこなしていたサソリモチーフの髪飾りが動く。
不亞武流は、何も言わない。
「あっと……あの、蛾々我てふてふ。〝蛾遣い〟ですぅ」
不亞武流は何も言わない。
「水目モグラ……〝蚯蚓遣い〟」
不亞武流は何も言わない。
「鎌切灯籠、〝蟷螂遣い〟です」
不亞武流は何も言わない。
「渦巻でんでん丸、〝蝸牛遣い〟でん!」
不亞武流は何も言わない。
「鍬形ハサミ、〝鍬形遣い〟っちゃ!」
不亞武流は何も言わない。
何も言わず──臨界点に達した。
「あっ!? 不亞武流!?」
百足の制止も聞かず、不亞武流は教室を飛び出し──凍り付く。
ぞぞぞぞぞ、と蜘蛛の子を散らす勢いで廊下中を這い回っていた何かが逃げ去っていったからである。不亞武流の脳内に、幼い頃大好きだったアニメ映画の〝まっくろくろすけ〟とも〝ススワタリ〟とも呼ばれる真っ黒で小さい生き物が逃げ惑うように埃まみれの部屋からいなくなっていくシーンが思い浮かべられる。
不亞武流は絶叫した。
絶叫しながら、狂ったように廊下を駆け出した。
一階に降り、彼岸館と鬼灯館を繋ぐ渡り廊下にまで戻ったところでようやく不亞武流は足を止め、ぞわぞわと粟立つ腕を擦ってふうっと細く息を吐く。その顔は脂汗にまみれて色も悪く、今にも倒れてしまいそうな酷い様相であった。
「なんだよ……なんだよ、ここっ」
声が震えている。当然である──不良学生である自負がある彼はクラスメイトに忌避されるどころか、個性のひとことでは片付けられないレベルの奇人に取り囲まれた揚げ句、大嫌いで大嫌いで仕方ない虫の存在まで匂わされたのだ。
単なる嫌悪ならまだしも、生理的嫌悪は理性ある人間とてどうにもできない。
はっ、はっと浅い呼吸を繰り返しながら不亞武流は必死に混乱する思考を収めていた。が、なかなかうまくいかないようで何度も何度も、何度も舌打ちしては地団駄を踏んでいる。
ふと、がさがさと視界の端で動く存在に気付いて不亞武流の全身という全身から汗が噴き出る。
カブトムシだった。立派な角を生やしたカブトムシが、蔓這い回る渡り廊下をのそりのそりと歩いていた。
ぎりっと不亞武流の歯が噛み締められる。
「──クソが!!」
ごしゃっと音を立てて、不亞武流の足が勢いよく振り下ろされた。何かが潰れる音とともに、足の裏にひしゃげる感覚が届く。不亞武流は憎々しげな顔そのままに踵を返して、踏み潰したカブトムシには視線もくれず校庭へ出た。目指すは、正門。
「不亞武流!」
「ひっ」
不亞武流は息を呑む──あの詰襟の学生、百足が追いかけてきていたからである。咄嗟に逃げの構えを取るが、その前に百足がムカデは置いてきたと叫んだ。
「あ?」
「──やっぱり。きみ、虫嫌いだろ?」
様子がおかしいと思った、と百足は不亞武流を見上げて苦笑する。背丈もがたいもいい不亞武流に比べ、百足はおそらく百七十にも満たないであろう細身の男子であった。とは言っても顔は比較的整っていて優等生のような空気を纏っているから、女子にはモテそうであったが。
「不亞武流はこの学園についてどこまで知っているんだ? ぼくはてっきり、虫明博士の御子息だから知っている前提で入学したのかと思っていたけど、さっきの様子を見るにそうでもなさそうだったし……」
斜め掛けのタスキをしていない百足の穏やかな声色に、産毛も逆立つ勢いで緊迫していた不亞武流の心がほんの少しだけ静まる。それでも神経質になってしまった気分からは抜けきらない様子であったが、百足に応対できる程度には平静になったようで不亞武流の口が開く。
「……五百年続く名門校としか知らねぇよ。あんな糞親父が紹介してきた学校なんざ行くんじゃなかった」
「それだけなのか? それは……まいったな。なるほど、道理で蟲を連れていないはずだ」
百足が困ったように頭を掻きながら説明してくれたところによると、ここ蟲喰学園は一種の養成校だという。
「ここは〝蟲遣い〟を養成するための学校なんだ」
「は? 虫……?」
「漢字が違う。虫を三つ重ねて、〝蟲〟──不亞武流の知っている昆虫とは生態も系譜も種も違う」
〝蟲〟──端的に表すならば虫の上位互換のような存在だが、猿とヒトくらい差異があるためにそれが正確とも言えない。不亞武流ら一般人が日常的に目にするような昆虫よりも知恵が高く、古来より人類と共存してきた歴史があると百足は語る。
「例えば古代エジプト。スカラベって聞いたことあるだろ? 表の歴史では古代エジプト人がスカラベを太陽神と同一視して聖なる甲虫とみなし、スカラベをモチーフにした装飾品が多く作られたことになっている」
だが表には決して出ない裏の歴史では古代エジプト人がスカラベを使役し、己の体重の何十倍、何百倍にも及ぶ質量を転がす剛力を借りて重い石材や木材を運んだとされている。
「ギリシャ神話のゼウスはとんでもない浮気者で、色んな浮気話があるんだけどその中にアイギーナという娘と結ばれ、アイアコスが生まれた話があるんだ。このアイアコスを嫉妬深い妻ヘラの手から守るために小さな島に閉じ込めて、オマケにそこのアリを全員人間の姿に変えて従者にしてしまった」
これもまたただの絵物語というわけでなく古代ギリシャに当時いた、無数のアリを使役し人間の手足のように巧みに操る軍師がモデルになっていると言われている。
「他にもクモ、ミツバチ、ハエにまつわる色んな話がある。日本だとトンボやカイコかな」
そして、と百足は微笑みを浮かべて不亞武流を見上げる。
「そんな蟲と人類の歴史は今でも続いている──呼び名は時代によって変わるけれど、蟲と心を通わせ、蟲を使役する者たちのことを現代では〝蟲遣い〟と呼ぶ。ここはそんな蟲遣いのために設立された学校なんだ」
そこで言葉を切り、百足は不亞武流の反応を待つ。
不亞武流は呆然としていたものの、一応百足の話を聞いてはいたようだ。震える唇でじゃあさっきのは、と呟かれる。
動くサソリモチーフの髪飾りをしていたさそり。
蠢く薄ピンクのもじゃもじゃを全身に纏っていたモグラ。
鎌首をもたげるタスキを斜め掛けにしていた百足。
その他、虫を模した羽やら着ぐるみやら角やら装着している奇人連中は抜きにしても、彼らが身に纏っていたあれらは。
「蟲だよ。虫とは違うから好き勝手這い回らないし、あるじがちゃんと命令していれば不亞武流にも近付かな」
不亞武流が絶叫した。
先ほど眼前にまで迫ってきた面々に、本物の虫が蠢いていたという事実に耐え切れなくなったのだ。
「じ……じゃあお前ら、おまえら全員っ……虫狂いなのかよ!?」
「虫じゃなくて蟲だよ。別に無類の虫好きでも、蟲好きでもないんだけど」
「でも虫飼ってるってことだろ!? ココはそういうやつらの集まりってことだろ!?」
「蟲だよ。うん、まあそうなるね。蟲遣い養成校だから使役する蟲は不亞武流以外みんな持っているし」
要するにここ蟲喰学園は〝虫を飼っている人間が集まる場所〟なのだと理解した不亞武流はざあっと蒼褪めて凍り付く。凍り付くが、体を震わせて怒りに身を焦がすのにそう時間はかからなかった。
「──あンの、虫狂いの糞親父がッ!!」
がいんっと傍にあった花壇を蹴って、不亞武流は激昂する。ふざけんな、おれをこんなところに入れやがって、死ねクソが、殺す糞親父、と罵倒を口にしながら花壇を踏み荒らす不亞武流を、百足は制止もせずただ見守る。
それが気に入らなかったのか、あるいはただ近くにいたからなのか、不亞武流の怒りはやがて百足にも向く。
「てめぇも何なんだよ!! 気色悪ぃ! なにがムシツカイだキッメェ!! てめぇ頭おかしいんじゃねぇのか? ああ?」
「ん~、でもぼくとしてはきみにも素質、ある気がするんだよね。蟲遣いの」
「ざっけんなボケ殺すぞ!! 虫狂いと一緒にすんな!! てめぇら虫好きのキチガイとはちげぇんだよ!! ありえねぇ、虫好きとかありえねぇ。きめぇ寄るなぶっ殺す」
ぶっ殺す、と血走った目で百足を睨む不亞武流に、けれど百足は少しも怯まない。怯まないどころか、子どもの癇癪を見ているような調子で苦笑していた。それがどうしようもなく腹立たしくて不亞武流はまた、花壇を踏み荒らす。
その時だった。キンカンコン、キンカンコンと軽快なチャイムが鳴って百足がああっと声を上げる。
「ホームルーム始まっちゃう。不亞武流──」
「行くかボケッ!! おれは出ていく!!」
「いや、出られないよ。門はもう閉じているし。入学案内書見なかった? 蟲たちがこの学園から出ないように学園を巨大なネットで封鎖している都合上、穴を最小限にするために外出は土日祝日しか認められないよ。教師も、生徒も」
「は?」
不亞武流は唖然と口を半開きにして、己が今向かおうとしていた正門を見やる。五、六メートルは下らない鋼鉄の門が硬く閉ざされている様子は先ほどと変わらないが、通用門もがっちりと錠が何重にも掛けられていた。正門を登ろうにも、門の切れ目から天高く──遥か彼方に広がる天空を遮る勢いで、いや文字通り天空を遮らんと鋼鉄のネットが張り巡らされている。
「今日は月曜日だから……土曜日になるまで開かないよ」
「は……はぁ!? ふざけんな!! なんだそりゃ!! ふざけんなこの野郎!!」
「ぼくに怒鳴られても困るんだけど……とりあえず、ここを出たいなら理事長に直談判するしかないんじゃないかな」
「理事長だと?」
「うん。鬼灯館の一階に理事長室があるから……たぶん今いるだろうし」
ぼくとしては不亞武流にぜひこのまま学校に残ってほしいけどね、という百足の言葉を不亞武流は殺すのひとことで切り捨てて、正門へ向かった。百足の言う通りもう出られないのか、登って脱出できないか試すためだ。
百足はそれを見送ってまた苦笑し、不亞武流に踏み荒らされた花壇を直すべくその場にしゃがみこんだ。