043
奥には、岩と岩の細い道を阻む大きな門。
その巨大な門を守るのが、金属鎧のマーメイド。下半身は赤い鱗の魚だ。
赤く短い髪のマーメイドは、険しい顔で僕らを見ていた。
小さな体で、それでも門の前を守るマーメイドが私を睨んでいた。
対する私の後ろにも、クロコノイド軍がいた。
クロコノイド軍の中央には、灰色鰐鱗で鰐頭の私がいた。
「か、かわいい」マーメイドの女は、少女だ。年齢的に若い。
声は凜としているが、見た目はかわいらしい少女。
来ている金属の鎧は、ゴツゴツとしていて重そうでミスマッチだ。
「お前は、イエンツーユイ将軍ではないな」
「いや、かわいいね。君」
「はあ、何を言っているの?」
僕の感想に、テトラというマーメイドは不満な顔を見せた。
彼女の後ろにはマーマンやマーメイドの兵士が、棘珊瑚の槍を持って立ち泳ぎだ。
「いや、なんというか。童顔で、かわいらしいというか」
「勝手なことを言うなっ!」
「マーメイドって、本当に小さいんだね。驚きだよ」
初めて見た僕の素直な感想を口にした、だけど目の前のマーメイドは顔を赤くしていた。
同じクロコノイドの女でイエンツーユイも小柄な方だが、このマーメイドはさらに小さい。
見た目の顔も、少女という顔つきだ。だから大人で大柄な私が見て、子供のように見えてしまう。
「ば、馬鹿にしているのか!」
「馬鹿にはしていない。ただ、かわいいと思っただけ」
「あたしを愚弄するとは、許さない。あたしと勝負しろ!」
テトラはすぐさま背負っていた大きな剣を握り、僕を挑発してきた。
「え?勝負?」
「そうだ、お前はイエンツーユイ将軍では無い。
だけど、ここに来たクロコノイドを一人たりとも通すわけにはいかない」
「いいの、君よりずっと大きいよ?」
「仕方ないがお前でいい、とりあえずは我慢する」
「私は、これでもクロコノイドの左将軍だよ」
一応クロコノイドの左将軍ナヨシは、この私だ。槍の腕には、これでも自信がある。
戦争は苦手だけど、弱いわけではない。
こんな小さな少女に、戦いでは私は負けるつもりは無い。
「いいよ。私が相手になる。私の名は」
「イエンツーユイ将軍では無いからいい、行くよ」
赤髪のマーメイドテトラは、言葉の後に泳いでいた。
少し距離があったが、一瞬にして僕の目の前から消えた。
「え?」僕はいきなり驚いた。
マーメイドが消えた、前にいたはずなのにいなくなった。
僕は、周囲を見回していた。
「どこ?」
だけど、いきなり僕の顔を目がけて、巨大な剣先が振り下ろされた。
テトラの素早い泳ぎで、私は彼女の動きが見えなかった。
素早く泳ぎ、私との距離を詰めてそのまま剣をためらいも無く振り下ろした。
「おわっ!」
「外したか」
だけど、私の頬をかすめていた。
そのままテトラが、後ろに下がる私に対して一瞬で間合いを詰めてきた。
小柄な体に似合わない大きな剣を、何度振ってきた。
テトラの間髪入れない連続攻撃で、私は槍を構える隙が無い。
(早いし、的確だ)私は、圧倒されていた。
剣を振り下ろすフォームも綺麗で、一切隙が無い。
金属の重い剣を、軽々と振り回すマーメイドのテトラ。
剣先が、僕の鎧を次々と傷つけていく。
(やばいな、強いよ、早いよ。このマーメイド)
なにより、近づいて分かったことがあった。
赤毛の童顔少女だが、強い目力だ。
はっきりと、殺しにかかっていた。
剣に迷いも無く、大きな体の私に臆することも無く、剣を振り殺しにかかっていた。
「加勢を!」叫ぶ私は、後ろの若い副官に助けを求めた。
「しかし、ナヨシ様。こういう戦いは一対一が基本では?」
「僕を見てみろ!」
戦いと言うより、一方的なテトラの攻撃と私の回避。
私は後ろに下がって、攻撃を避けるしか無い。
スピアを構える隙も無く、間合いが近いので体が窮屈だ。
それでも見かねた副官は、さすがに僕に対して加勢をしようと近づいてきた。
「させない」テトラは僕らの動きを察知して、兵を動かしてきた。
半魚人軍が、テトラの優勢を見て一気に私の軍に迫っていた。
剣を持ったマーメイドが、クロコノイドの兵士に突進してきた。
突進するマーメイドの軍に、私のクロコノイド軍は圧倒されていた。
「凄いな」テトラの剣を避けながら、僕はテトラの用兵術に感心した。
「お前、逃げていないで戦え!卑怯者っ!」
「でも、私も用兵術だけなら負けないけどね」
「だが、そんな状態でどうするというのだ?」
テトラが、首を捻った。
だけど、テトラの動きに少しだけ慣れた私は上手くテトラと距離を取った。
そのまま、スピアをもった左手を離して口に突っ込んだ。
僕は口から大きな音、口笛を鳴らした。
「な、なんだ?この音は?」
「撤退信号だ」副官が声を出した。
僕が吹いた甲高い口笛音は、撤退信号。
クロコノイド軍は、すぐに動き出した。
背後にいた数人のクロコノイドの魔術師が、同時に魔法の詠唱を始めていた。
戦場を取り囲むように、クロコノイドの魔術師が輪になって詠唱を始めた。
「水流魔法『ウォーターサークル』っ!」
後ろの魔術師が、作った水流を発生させた。それを見て、僕は水流の裏に逃げていく。
追いかけるテトラと僕の間には、流れの急な水流ができていた。
いきなりできた水流の発生で、テトラは僕には近づけない。
クロコノイドの兵士も逃げ出すように、水流の中に入っていく。
ためらうことも無く、私は背を向けた。
「全軍撤退!」私の指示で軍はそのまま、門を背にして逃げ出していた。
門から離れるように泳ぎながら、私は思っていた。
(マーメイドは、かわいいのに化け物のように強いんだな)
又一つ、私にトラウマが出来上がってしまった。
逃げる私の軍を、テトラ達は呆然と観ていた。
追いかける様子は、どうやら無い。
その一方で、後ろから声が聞こえてきた。
「こっちはハズレか、だとしたら……」
「テトラ様」
「あたしは、これから増援に向かう。ここはお前達に任せたぞ」
最後にテトラとマーメイドの会話が、水流に乗って微かに聞こえてきた。




