033
ヤマメが呼んだのは、クロコノイドの軍神だ。
圧倒的な強さを誇る、セビド砦戦で大活躍した将軍。
話は聞いているけど、黒い戦闘用コートから覗く美しい赤い鱗が特徴だ。
「綺麗……」チカは、赤い鱗に見とれていた。
「ユナ・イエンツーユイ、入ります」
「よく来てくれたね、イエンツーユイ将軍」
ヤマメが歓迎したが、クナシュアは冷めた目で見ていた。
元々イエンツーユイとクナシュアは、敵同士。クロコノイドは停戦破棄もしていた。
現在半魚人と同盟国のスキュラと、イエンツーユイのクロコノイドは交戦状態。
クナシュアが怒りを抑えているのが、チカの目からも見えた。
だけど、相変わらず無表情のイエンツーユイ。
そうだった、イエンツーユイは感情の起伏が無いお人形のようなクロコノイドだ。
「ヤマメ州領主様、お久しぶりです」
「元気そうで何よりです、右将軍ですか?」
「はい、合っていますよ」
イエンツーユイの言葉に、ヤマメの目尻が下がっていた。
親友に話すかのような、穏やかな顔に変わった州領主。
それでも、イエンツーユイはクールだ。冷めた顔で、ヤマメを見ていた。
「なぜイエンツーユイ将軍を、ヤマメ様が呼んだのですか?」チカは問う。
「簡単な事よ、イエンツーユイ将軍。あなたに既に理解しているのでしょう?」
「何をですか?」
「エツ皇帝の変化」
ヤマメの言葉を聞いて、一瞬にして緊張感が会議室を支配した。
イエンツーユイは、立ったままヤマメを見下ろしていた。
「なるほど、我が皇帝『ロッシーニ・エツ』の好戦的な性格を理解していたのですね」
「ええ、あなたは頭がいいから。それでエツ皇帝の近くにいるあなたに、選んで欲しいの」
「選ぶ?」
「私たちは、今から一つの依頼をするわ。
それはあなたにとって、とても難しい依頼だと思うけど……それでもこの海のためにあなたに協力して欲しい」
チカの隣に座るヤマメは、立ち上がった。そのまま、イエンツーユイの手を握っていた。
手を掴まれたイエンツーユイの瞳に、ヤマメの顔が映った。
「要件は、なんですか?」
「あなたにエツ皇帝を、暗殺して欲しい」
ヤマメの一言で、この場が一気に凍りついた。
無表情のイエンツーユイも、さすがに眉をひそめた。
「できません」
「でも、エツ皇帝がトリトンならば?一番近くにいるあなたは、一番理解しているはずです」
「トリトンではありません」
クロコノイドで皇帝に次ぐ位の右将軍イエンツーユイは、やはり否定した。
無論イエンツーユイも、クロコノイドだし、七種族だ。トリトンの話は、知らない筈も無い。
「あなたは、ちゃんと調べたの?
常に周りの状況をよく調べて行動するあなたは、エツ皇帝の異変に気づいていない訳はないでしょう?」
「それでも、将軍は皇帝の為に戦うのが仕事です」
「確かに将軍として正しい道ね。
でも私たち七種族ならば、トリトンの存在を見過ごすことは許されない」
はっきり言い放つイエンツーユイに、ヤマメも引かない。
激しい言い合いを、チカはただ見ていた。だけど二人の雰囲気が、怒りの空気で満ちていた。
(お人形みたいなイエンツーユイって、怒ったりもするんだ)
前の戦いで同盟を結んで、仲間だったイエンツーユイをチカも少しは知っていた。
だけど、無表情で何を考えているか分からないクロコノイドの将軍と言う認識しか無い。
あるいは何も考えずに、ただ戦いを淡々とこなす将軍とも思っていた。
黒いコートを着たイエンツーユイが、否定していた。
ヤマメに対して、怒っているようにも見えた。
「トリトンの事は、知っています。
ですが、エツ皇帝はトリトンではありません」
「でも、エツ皇帝とトリトンの行動と合致しているわ。
好戦的で、以前のエツ皇帝とは違う。あなたは、エツと長い付き合いなんでしょう。
一番、あなたが理解しているはずよ」
「確かに、少しエツ皇帝は変わられました。強気になりました」
「そうそう、それよ。
あなたの他にも、エツ皇帝の変化に気づいた人がいるでしょう。
誰かいないの?変化に気づいた人は」
「言っていた人物が、一人心当たりがあります」
「それは、誰なの?」
「ゴンスイ元皇帝です」
「ほら、やっぱりおかしいじゃない!」
ヤマメは叫んだ。普段は穏やかなヤマメも、感情的になっていた。
イエンツーユイは、それでも首を横に振っていた。
「いいえ。私の感じたこともゴンスイ皇帝の違和感も、あくまで推測の中に過ぎません」
「それでも、エツ皇帝には私たちも会っているわ。
彼はおかしくなっているし、私より長い付き合いのあなたやゴンスイ皇帝もそう感じている。
これではっきりしたでしょう、エツ皇帝がトリトンよ!」
「それでも、私はトリトンであることを……」
「認めなさい!疑う余地は、どこにも無いわ」
頑なに信じるイエンツーユイと、トリトンだと疑わないヤマメの会話は平行線だ。
でも一つ新情報が出たのは、ゴンスイ元皇帝の発言だ。
かつてゴンスイ元皇帝は、エツとイエンツーユイを三銃士として任命した。
それは、エツの強さと性格を信じないとできないことだ。
ゴンスイにとって、エツは信用できる人物だからこそ彼は三銃士になって皇帝に推挙された。
それに、エツ皇帝と一番近いクロコノイド……イエンツーユイ将軍の話は興味深い。
エツ本人も言っていたが、イエンツーユイは軍学校の同期だと言っていた。
エツ自身が、どうしても叶わない最強の武人だとも本人が言っていた。
「イエンツーユイ将軍はどうして、ゴンスイ元皇帝を信用しないのですか?」
頑ななイエンツーユイに対し、チカは初めて問いただした。
「それは……」
「ゴンスイ元皇帝は、なんであなたにこの話をしたのかを、あなたは考えたことある?」
「私になんとかして欲しいから……ですか?」
「そうよ、イエンツーユイ。
ようやく気づいたようね、あなたは前の戦いで得たモノがあるわ。
それは、チカたち同盟を結んだ他種族の仲間との絆」
チカは、イエンツーユイに言い放った。
ヤマメも、イエンツーユイの方を優しい眼差しを見せていた。
「あなたは、一人じゃ無い。私たちが、七種族の仲間がついているわ」
「そうよ、イエンツーユイ。あなた一人で、大きな問題を抱え込まなくてもいいの。
チカ達に頼ったっていいんだから!」
「頼らなくても、私たちクロコノイドは大丈夫です。でも……」
「でも?」
「絆は、いい言葉ね」
イエンツーユイに、チカの言葉が響いていた。
ヤマメは、そのままイエンツーユイを抱きしめた。
「うん、いいものでしょ。絆って。
私たちと一緒にトリトンを一緒に倒しましょう」
イエンツーユイも、どこか穏やかな顔に変わっていた。
座るクナシュアも、申し訳なさそうな顔でイエンツーユイとヤマメを見上げていた。
普段は敵として戦っているかもしれないが、ポセイドンに生み出された七種族だ。
深海世界に住んでいる仲間であることに、変わりは無いのだ。
七種族を結ぶものは、絆。同じ神ポセイドンによって生み出された絆は、永遠だ。
ヤマメは、再び彼女に言う。
「間もなく、七種族会議が行われる。
七種族会議だと、規則で一人の護衛しか用意できない。
だからエツは、クロコノイド一の武芸の持ち主でアルあなたを七種族会議の護衛に任命する。
会議終了後のセビド砦の帰り道に、エツ皇帝を暗殺する計画がある。
そこにいるクナシュア様直属のスキュラ暗殺部隊が、エツを襲う。
そこで、あなたに暗殺部隊の援護してくれないかしら?」と。
ヤマメは、イエンツーユイにはっきり言っていた。
数秒間の沈黙の後、イエンツーユイは首を縦に振っていた。




