その51 バルカンにて
深夜、自領の邸内で寝ていたガライは突然目を覚ました。
敷地内に何者かが侵入したのを察知したのである。
ガライはベッドの側に立てかけておいた2本の剣に手を伸ばした。2本の剣を自在に使いこなすガライは、双剣の二つ名で知られ、近隣諸国にその名を轟かせている。
ただ、近年は娘のシーラが双剣を使う冒険者として名を上げ、さらにファルーンの第四妃となったことで、双剣といえばシーラを連想する者も多くなった。ガライにしてみれば、愛娘が名を上げたことが嬉しくもあり、そのシーラを跡取りにできなかったことを残念にも思っていた。
ガライは侵入者に心当たりがあった。
バルカン国の中核を担う七星剣のひとりとして、ガライはファルーンとの友好を推し進めるよう主張してきたのだが、王はそれを受け入れなかった。それどころか、王はイーリスと歩調を合わせて、ファルーンと同盟関係にあるドルセンを侵略。さらに聖女奪還を謳ってファルーンと敵対する連合軍にも参加している。
国内は反ファルーン派が主流で、娘がファルーンの妃となっているガライは、反主流派の筆頭と見られていた。「ファルーンに肩入れしている」と王からも疎まれている。
(恐らくは王からの刺客だろう)
ガライはそう考えていた。王と主流派の七星剣の四家は、連合軍に合流するために、すでにバルカンを発っていたが、その間、ガライは蟄居を命じられている。反乱を起こすのではないかと、自分は疑われているのだ。であれば、刺客を送られても、おかしくはない。
ガライは王に対して背信する気はなかった。ただ、実際にファルーンに赴き、その力を目の当たりにしたことで、敵に回すことの愚かしさを悟り、国のためにファルーンとの友好を進言しただけなのだ。娘の嫁ぎ先ということも、もちろんあるが、だからといって国のためにならないような判断をするガライではなかった。
(死ぬわけにはいかん)
侵入者の気配を感じる庭園へとガライは向かった。できれば大事にしたくはない。王との諍いを表立ったものにはしたくはないのだ。もし、ファルーンの外戚となった自分が王に誅殺されたとなれば、ファルーンがバルカンを攻める理由にもなりかねない。それゆえにバルカンのためにも、ガライは殺されるわけにはいかなかった。
気配を察するに侵入者は10人もいない。であれば、ガライは後れを取るつもりはなかった。
ガライは相手に気取られぬよう、間合いを詰めていった。両手には既に抜き身の剣を握っている。
ところが、その侵入者のひとりが庭園の目立たぬところに無防備に立っていた。
そして、「父上」と呼びかけてきたのだ。
立っていたのはシーラだった。
――――――
「どういうことだ、シーラ。なぜ、おまえがここにいる?」
剣を収めたガライはシーラに尋ねた。複数の気配の正体はシーラと、その護衛として付いてきたハンドレッドのメンバーだった。その中にはファルーンの重臣と目されているヤマトの姿もあった。
護衛たちは周囲への警戒と、ふたりへの配慮もあって、今は少し離れた場所におり、会話を聞かれる心配はなかった。
シーラは冒険者時代のように軽装の鎧を身に纏い、背に2本の剣を差している。
「陛下からバルカンのことを任されました」
「任された? それはどういうことだ?」
「実はわたしは懐妊しています」
「!」
ガライは息を呑んだ。本来であれば自分にとっての初孫であり、慶事であるが、シーラの子ということはファルーンの王子か姫となる。
「周囲には秘密にしていましたが、陛下は気づいたのでしょう。そのわたしにバルカンを任せたということは……」
「その子にバルカンを継がせろ、ということか……」
実際、第二妃カーミラの子・レオンは幼くしてドルセン王となり、ドルセンは事実上のファルーン領となっている。マルス王の弟・ニコルは婿入りする形で、カドニア王となった。
マルス王が血縁を用いて他国を支配しているのは、誰もが知っていることだ。
シーラもそれを知っているからこそ、利用されることを恐れて懐妊の事実を伏せていたのだが、「バルカンを任せる」と言われたとき、マルスには気づかれていたのだと考えたのだ。
ただ、マルス本人は縁戚関係を用いた他国の支配など考えておらず、成り行き上、そうなってしまっているだけである。もちろん、シーラの妊娠にも気づいていない。シーラをバルカンに派遣したのも、「外交的に穏便に解決できればいい」くらいにしか考えていなかった。
ファルーンでは絶対的カリスマであるマルスの発言を周囲が勝手に深読みすることが多く、シーラも他にならって自然とそうなってしまっている。
ちなみに他のファルーンの重臣たちも、シーラと同じ認識で、「バルカンを任せる」というマルスの命令は、何らかの形でバルカン本国を制圧するものだと思っている。そのためにヤマトはシーラに付いてきたのだ。
「身籠っているおまえを派遣するとは、ファルーン王も非道なことをされる」
身重の娘を気遣ったガライは、マルスに怒りと恐れを覚えた。覇道のためとはいえ、自分の妻をこのように使うとは……。
「どうでしょう? 普段は優しい平凡な方なのですけどね。ただ、すでにキエル魔道国にはモンスターの軍を派遣しました。バルカンをわたしに任せたのは、温情なのかもしれません」
実のところ、マルスは連合軍との戦いの際に、キエル魔道国軍にモンスター軍をぶつけるつもりだったのだが、命令するときにキエル魔道国と言ってしまったがために、モンスター軍を率いるキーリは直接キエル魔道国へと出撃した。マルス本人はキエル魔道国もバルカン国も直接攻める意志はない。
「む……」
ガライは思案した。確かにハンドレッドの猛者やモンスターの軍団が直接攻めてくるよりも、シーラを使って搦め手から攻略してくれた方が、バルカンの民への被害は少ないようにも思える。
「で、おまえはどうするつもりなのだ? いくらハンドレッドとはいえ、この人数でバルカンは陥すことはできんぞ?」
「父上はどうするつもりですか?」
シーラは質問に質問で返した。
「今のバルカン王が即位する際に、父上は王弟であった現王ではなく、王太子を支持しました。その時の禍根が未だにあるからこそ父上は疎まれ、王はファルーンとの友好を拒んだのでは?」
「…………」
その指摘は正しかった。現在、非主流派となっている三家は、今の王が即位するとき、先王の子である王太子を支持し、他の四家が支持する先王の弟であった現王と後継を争った。結果、現王が後継争いに勝利することになったのだが、以来、ガライたちは冷遇されている。
争って負けたのだから、仕方ないことではあったが、そもそも先王が後継に指名したのは王太子のほうであった。それを「幼い」という理由で反故にした現王とそれを支持した四家に、含むところが何もないといえば嘘になる。現にファルーンとの友好を含め、王へのガライの進言はほとんど聞き入れられていない。
「この人数でも、主だった騎士団がいない王城を制圧することくらい可能です。そうなれば、連合軍に参加しているバルカン軍は引き返してくるでしょう。恐らくキエル魔道国も本国を攻められ、頼りにはなりません。そもそも、聖女自身はファルーンに味方するつもりです」
「何? 聖女は攫われたのではないのか?」
聖女はマーヴェ教国から無理矢理奪われたと聞いていたガライは、その話に驚いた。
ちなみにマリアはまだ聖女候補であり、聖女として正式には認定されていないが、世間的には聖女という扱いになっている。
「連れていく過程に問題はあったようですが、聖女本人はファルーンに協力的です。陛下との仲も非常に良好で、ファルーンが後ろ盾となって、次期教皇に推すという話もあります」
「何だ、それは? では、連合軍の目的とする聖女奪還とは何なのだ?」
「ファルーンを滅ぼすための口実です。今更、聖女自身が止めに入ったところで、戦いは避けられないでしょう」
「連合軍は5万を超える大軍だぞ? ファルーンはそれに勝てるのか?」
「勝てます」
シーラは断言した。強がりを言っている様子はない。
「ファルーンにとって最大の脅威であったキエル魔道国が連合軍から離脱してしまえば、兵士が何人いたところで問題ありません。凡庸な戦士が何人集まっても、1匹のドラゴンを倒せないのと同じです。今のファルーンはそれほど強大な力を持つのです。父上も闘技場でファルーンの戦士たちの力を見たでしょう? 彼らはあのときよりも力を付けています。現にわたしも、冒険者だったときより腕は上がりました」
「おまえもか?」
ガライは訝しんだ。シーラはS級冒険者として、かなりの実力を持っていた。それ以上の伸びしろはあまりなかったはずだ。しかも、今のシーラはファルーンの王宮に入り、剣士として腕を上げる機会は減っているはずだが……
「それほどまでにモンスターの肉は効果があるのか?」
力を伸ばす要素があるとすればモンスターの肉しかない、とガライは考えた。
「モンスターの肉は確かに力の上限を上げる効果がありますが、結局のところ、鍛錬を怠れば何の効果もありません。わたしは第三妃に鍛えられました」
シーラは苦笑して答えた。
「第三妃? 妃候補選考会でおまえを素手で倒した白い仮面の化け物か? あれは何者なんだ?」
妃候補選考会で優勝した第三妃のことは、ガライの記憶にも強烈に刻まれていた。
「赤鬼カサンドラ。剣聖ですよ、あの方は」
「赤鬼カサンドラか!? 10年以上、噂を聞かなかったから、どこかで死んでいたものと思っていたが、あれが剣聖だったのか。しかし、仮面を着けていたから顔はわからなかったが、あの剣聖カサンドラであれば、もっと年齢が上であったはずだ。外見はかなり若く感じたが?」
カサンドラは10年ほど凍っていたので、外見の年齢と人々の知る実年齢とはかなりの開きがあった。
「そのあたりのことはよくわかりませんが、本人であることは確かのようです。というより、あんなデタラメに強い人が何人もいたらたまりませんよ。間違いなく剣聖です」
「ということは、ハンドレッドやモンスター軍の他に、剣聖まで抱えているのか、ファルーンは?」
カサンドラはひとりで一国を滅ぼしたという逸話の持ち主である。戦力としてはかなりの脅威だ。
「はい。そのファルーンと戦うなど無謀です。父上はどうしますか? 父上を冷遇してきた王に従うのか、それとも孫を次の王に据えますか?」
シーラはまだ目立たない腹を少し撫でると、父に選択を迫った。
ガライはしばらく黙った後、ふっと息を吐いた。
「まさか、マルス王はここまで先の事を読んで、おまえを妃として迎え入れたのか?」
「恐らくは。あの一見馬鹿げた妃候補選考会も、結局は剣聖を第三妃として迎えることに成功しています。他の参加者はすべてファルーンの戦力として組み込まれ、カーミラ様の配下としてドルセン攻略で武功を上げました。陛下のすることには一切の無駄がないのです。わたしのこともよくよく調査してから、王宮に迎え入れたと考えるのが自然です」
ガライはマルスの先見性に身震いした。武勇だけでなく、そのような深謀遠慮を誇る王に誰がかなうというのだろうか?
「……わかった。わたしも腹をくくることにしよう。だが、他の二家にも話を通さねばならん。それでいいな?」
「もちろんです」
こうして、バルカン国では軍事クーデターの計画が進められようとしていた。