その48 聖女の野望
わたしの前に運ばれてきたのは、何かもう全身血まみれで、顔色は青白く、脈が止まっている人でした。
端的に言えば死体です。
えーっと、これをわたしにどうしろというのでしょうか?
もう死んでいるのだから、治癒は無理でしょう。まさか、蘇生の魔法をかけろと言っているわけではないですよね? わたし、さすがに蘇生の魔法を使ったことは無いんですけど?
回復職であれば蘇生の魔法は一応教わるものの、高い治癒能力と経験が必要とされており、実際に使える者はほとんどいません。そもそも、マーヴェ教では死は自然なものであり、よっぽどのことがない限り、使っていいものではないのです。
賭博の対象となっている闘技場の戦いで死んだ者など基本放置です。
というわけで、これはどうしたものでしょうか。
……あれですかね、聖なる炎で浄化して差し上げれば良いのでしょうか?
きっとそうです。そうに違いありません。
「神よ、かの者をその大いなる炎で清め……」
「ちょっと、あんた何してるの!?」
聖なる炎の呪文を唱え始めたら、ルイーダさんが血相を変えて、わたしを止めに入りました。
「何って、死体を炎で浄化しようとしたんですけど?」
「死体? ……まあ確かにそんな風に見えるけど、ハンドレッドではそれは負傷者に分類されるのよ!」
「負傷? 心臓止まってますけど?」
心臓が止まっているのに負傷に分類されたら、どうやったら死亡判定されるのでしょうか?
「まっ、まあそうなんだけどね、首でも切断されない限りは、死にたてなら蘇生の魔法がかかるのよ。だから、それは負傷なの! 言ってるわたしもおかしいと思うけどね! いいわ、わたしがやるわ」
そう言うと、ルイーダさんは蘇生の魔法を唱え始めた。
蘇生の魔法といえば、使える者が滅多にいないまさに奇跡の術なのですが、ルイーダさんのそれは手慣れた作業という感じであまり緊張感を感じさせません。
本当に復活するのか疑問でしたが、祈りが進むにつれて、死体だった人の顔に血の気が戻り、全身に生気が宿り始めました。
え? ルイーダさんってすごくないですか? わたしより癒しの力があると思うんですけど?
わたしなんかより、この人が聖女をやるべきなのでは……
このとき、わたしは生まれて初めて聖女になる自信を失いかけました。
しかし、呪文が完成した直後、
「ほら、いつまで寝てんだ、手間かけさせやがって! とっとと起きて金払え!」
ルイーダさんは死体だった人の頭を蹴飛ばしました。
蹴られた人は、目を覚ますと、苦笑いして起き上がり、
「すまねぇ、姐さん」
と言って、懐から金貨1枚を取り出してルイーダさんに手渡しました。
……この人は聖女に向いてなさそうですね。やっぱり、聖女にふさわしいのは、心技体を兼ね備えたわたししかいません! ちなみに心技体の体は外見のことです。ルイーダさんの見た目も良い線行っていますが、心の部分が終わっています。
失われた自信は一瞬で復活しました。
そうして、この日は一日、闘技場で治療の手伝いをしました。
最初は戸惑うことも多かったのですが、途中からは感覚が麻痺してきて、流れるように癒しの呪文を唱えるようになりました。
色々と思うところもありましたが、この作業……治療行為には大きなメリットが存在します。
それは金です。この日、貰った小金貨が10枚を超えていました。庶民が一月かけて稼ぐような額を1日で稼いだのです。ぼろ儲けです。
ルイーダさんは金貨1枚を含めて、わたしの倍以上稼いでいました。富豪です。よく見たら、装備や装飾品もかなり良いものを身に着けています。お弟子さんが10人できるのも納得です。
お弟子さんたちは元々腕の良い冒険者の僧侶だった人が多いみたいですが、闘技場のほうが安全にたくさん稼げるので、ここで働くようになったようです。
そりゃ貧乏人……貧困にあえぐ方たちを相手にちまちま癒しを施すよりは、正当な対価を貰いつつ、働く方が良いですよね。
闘技場での最後の試合はマルス王が自ら出場されましたが、何ですか、アレは?
魔王と噂されるのも納得です。ハンドレッドのみなさんも化け物揃いですが、それをたやすく蹴散らすマルス王は人が戦って良い相手ではありません。
闘技場での最後のわたしの仕事は、マルス王に蹴散らされた人たちを一気にヒーリングフィールドで治すことでした。
城に戻ると、すぐにアニーが夕食を運んでくれました。今回はわたしのためにモンスターの肉を用意してくれたみたいです。
用意されたお肉はキラーラビットという初心者向けのもので、大きさも小さいものでした。
アニーが心配そうに見つめる中、わたしはそれを一口で食べました。
うん、毒性も大したことありませんね、これは。
「アニー、明日からもう少し強めのをお願いします」
「えっ?」
わたしがそう注文を付けると、心配そうに見守っていたアニーが驚きました。ちょっと初心者らしからぬ振る舞いだったかもしれませんが、わたしは力を付けるためにファルーンに来たので、この程度の肉を食べ続けても意味がありません。
「マリア様、その、身体は何ともないのですか?」
「ええ、これくらいなら問題ありません。ですから、次はもう少し強いモンスターの肉を大き目でお願いしますね?」
「はあ、聖女様というのは、モンスターの肉にも耐性があるのですねぇ」
アニーは呆れたような顔をしました。
そんなわけないでしょう。毒は毒です。わたしはこれに慣れるのにめちゃくちゃ時間がかかりました。
でも、「マリアはモンスターの肉の毒を物ともしなかった」というのは、わたしの起こした奇跡のひとつとかになりそうなので、そういうことにしておきましょう。
―――――
「モンスターの肉を食べても平気だった?」
マリアに付けた侍女からの報告をガマラスから伝えられて、僕は訝しんだ。
「はい。さすがは聖女候補といったところでしょうか。いや、その資質を見抜いたマルス様のご慧眼も素晴らしいのですが」
ガマラスはその報告をあまり怪しいとは思っていないようだ。まあ、ガマラスは、僕の周囲ではモンスターの肉を食べていない数少ない人間のひとりだから、あれがいかに強力な毒なのかを理解していないのだろう。
あれは神の加護如きで防ぎきれるようなものではないと思う。
ただ、キラーラビットの肉はそこまで毒性の強いものではない。
「マリアはもっと強いモンスターの肉を要求したそうだな? ブラッドベアの肉を与えろ」
ブラッドベアは中級レベルのモンスターだ。毒性がかなり高く、普通の人間が食べれば間違いなく命を落とすレベルである。ハンドレッドでも食べられるようになるまでに1年はかかるとされている。
「畏まりました」
ガマラスは特に反対もせず、僕の命令に従った。
そして翌日、
「ブラッドベアの肉も食べただと?」
「はい。ちょうどいい、とのことでした」
やはり、ガマラスは疑っていないようだが、これは怪しい。いくら聖女候補とはいえ、毒耐性が高すぎる。ファルーンでは何千という数の人間がモンスターの肉を食べているが、誰一人としてそんなに高い毒耐性を示したことはない。というより、例外なくキラーラビットの肉に慣れるところから始めている。
僕自身もそうだし、フラウ、オグマといった実力者たちでさえそうだ。師匠であるカサンドラも、キラーラビットではなかったようだが、最初は弱いモンスターの肉から身体を慣らしていったと聞いている。
にも関わらず、マリアだけが最初からブラッドベアを食べることができるなどありえない。それが神の加護というなら、贔屓が過ぎるというものだ。
こうなってくると、聖女としての力も疑わしい。聖女候補だからモンスターの肉が食べられるのではなく、モンスターの肉を食べたから聖女候補になれたのではないだろうか?
そういうわけで、マリアを私室に呼び出した。
「マリア、おまえはファルーンに来る前からモンスターの肉を食べてただろう?」
「はい、食べていました」
曇りなき眼であっさり白状しやがった。
「わたしがファルーンに来たのは、より良いモンスターの肉を食べて、癒しの力を伸ばし、確実に聖女になるためです。あと、陛下にわたしの後ろ盾となってもらって、権力と暴力と財力で次の教皇の座を狙うためです」
……何かとんでもないことを言い出したぞ、こいつ。
見た目は清楚で綺麗なのに、中身はカーミラよりも欲にまみれてやがる。
「そっ、そうか。しかし、おまえが聖女や教皇になったからといって、ファルーンにどんな利がある?」
「マーヴェ教団がファルーンを全面的に支援します」
支援……支援ねぇ、何もしないでくれれば問題ないんだけどなぁ。僕は現状に満足しているし、新しい教義からは罰則を無くしたし、別にいらないかな?
僕が黙って考えていると、マリアが少し焦ったように言葉を継いだ。
「さすがは陛下、マーヴェ教団の支援だけなら価値がないと、武力だけでアレス大陸を統一できるとお考えですね?」
え? いや、そんなことは考えてないけど?
「ですが、陛下、軍事、経済だけでなく、宗教を押さえてこそ、真のアレス大陸統一は果たされるのではないでしょうか? 愚民たちの心を掌握するためには宗教面でのアプローチは必須です!」
愚民? いま、こいつ、平民たちのことを愚民って言ったぞ?
「それだけではなりません。わたしを教皇にして頂ければ、イーリス国をマーヴェ教国に併合した上で、ファルーンへの帰属を誓います。ご存じかと思いますが、イーリス国は元々マーヴェ教国と一体で、宗教部分を切り離すために分かれただけの関係。わたしはイーリスの出身で、イーリス国にはわたしのシンパが大勢います。わたしが教皇になれば両国の再統一は容易いかと。そうなれば、陛下のアレス大陸統一にも貢献できます」
なんだろう、さらっと邪悪な将来の夢を聞いた気がする。イーリスにシンパがいるとか言うけど、それって潜在的なテロリストでは? 聖女候補のくせに、教皇どころかイーリス王の座まで狙ってるのか?
「……何故、イーリス王の座を狙うのだ?」
「人として生まれたからには高みを目指すのは当然では? 陛下ならわかっていただけるでしょう。アレス大陸統一という前人未到の野望をお持ちなのですから。恐れながら、わたしと陛下は共に見果てぬ夢を見ている仲間なのです。どうか一緒に夢を追い求めては頂けませんか?」
なんかもう、意識が高過ぎて頭がくらくらしてきた。僕はアレス大陸統一とか見果てぬ夢なんか見たことねぇよ。何だったら、傭兵として自由に生きるのが夢だったわ。
「わかった、そのことに関しては一考しよう」
もうお腹いっぱいだから、とりあえず部屋から出てって欲しい。
「まだ、わたしのことをお疑いですか?」
僕への感触が悪いと思ったのか、マリアがさらに迫ってきた。
「何でしたら、わたしを非公式の妃として扱っていただいても構いません! そうすれば、陛下とわたしの子を将来のイーリス王にできます。あ、公式にはその子は処女受胎した形にしてくださいね、わたしにも聖女としての体面というものがありますので」
……頼むから、出て行ってくれないか?




