その45 聖女購入
マリアは聖堂にいたすべての聖騎士たちを癒すと、良く通る声で言った。
「聖騎士の皆さま、ここは一旦、聖堂から立ち退くようお願い致します。神の聖名において、ファルーンの王と約束したことです」
「ですが、マリア様……」
騎士たちは心配そうな眼でマリアを見ている。
「心配ありません。お願い致します」
マリアは慈愛を感じさせる穏やかな顔で、騎士たちに微笑んだ。
騎士たちはそれを見て、後ろ髪を引かれるように聖堂から出ていく。
「陛下、これでよろしいですか?」
マリアは僕のほうを向いた。約束を果たしたと言いたいのだろう。
「そうだな」
「それで、どのような御用事でこちらに?」
問われて、用件を思い出した僕は、教皇のほうを振り返った。
「猊下、ファルーンの司教はマリア殿にお任せしたい」
素晴らしい癒しの力である。これくらいの力量を持つ人に来てもらいたい。
「なっ……」
教皇が表情を強張らせた。マリアは驚いた表情を浮かべている。
「それは無理だ。マリアは司教ができる立場ではない」
「立場? 彼女はどういう立場なのですか?」
「マリアは聖女候補のひとりだ。平民の出だが、強い癒しの力を持っている。その力をマーヴェ教のために役立てなければならない」
「聖女候補なのに、司教にはなれないのですか?」
「それは……司教になるには他にも色々なものが必要となるのだ」
教皇は苦い表情をしている。
「身分や金銭面のことですかな?」
「そういうことではない。癒しの力だけでなく、他にも教団に対して様々な貢献をする必要があるのだ。司教とはそう簡単になれるものではない」
「教皇様の仰る通りです。わたしには司教になれるような資格はありません。聖女候補になれただけでも十分なほどです」
マリアが儚く笑った。
馬鹿馬鹿しい。ここにいる連中は、マリアよりも明らかに魔力の面で格段に落ちる。マリア以外の聖職者たちは未だに怯えているし、人格面で優れているとも思えない。
「そうですか。では、ここにいる方々にお聞きしますが、ファルーンに来て、司教をやっていただける方はいらっしゃいますかな? 何しろ、ご覧の通り、荒くれもの揃いでして、マーヴェ教の教えを通して、こいつらを正しい道に導いてくださる人材をわたしは欲しているのですよ」
これは嘘ではない。やれるものならやって欲しい。
僕の言葉を受けて、アーロンが聖職者たちを睨みつけた。
「おら、誰だよ、俺たちを清く正しくしてくださる高貴な方はよ? 早く出て来いよ。あー何だか、マーヴェ教のありがたい説法が聞いてみてぇなぁ!」
理想的なチンピラを演じるアーロン……というより、それが素か。
聖職者たちは一斉に首を横に振った。そりゃそうだろう。こんなヤツに何を言ったところで、清く正しくなるわけがない。来世に期待したほうがマシだ。
「ふむ、困った。誰も我が国の司教になる気はないらしい。どうだね、マリア殿。君はファルーンに来る気はあるかね? それとも君もファルーンのような野蛮な国には来たくないかね?」
僕はマリアに語りかけた。
「いえ、わたしはマーヴェ教の布教のためであれば、どのような場所にも参ります。ですが、先ほど申しました通り、わたしには司教の資格がなく……」
マリアはファルーンに来ること自体は、それほど嫌では無いようだ。
「猊下。司教の資格については、何とかなりませんか? わたしたちにはマーヴェ教の教えを説いてくれる方が必要なのですよ」
「しかし、マリアは聖女候補。マーヴェ教団にとっても大切な……」
「何か、この石像の顔が気にくわねぇなぁ」
色よい返事をしない教皇に対して、オグマが聖堂にあった巨大な石像をポンポンと叩いた。
「待て! それは聖人クォンタムの像! それを壊してはいかん!」
顔色を変える教皇。何やら大切な石像らしい。もう一押しといったところか?
「もしマリア殿をファルーンに派遣して頂けるなら、金貨1000枚を寄進致しますが」
「金貨1000枚!?」
教皇とその側近たちは、寄進する金額に驚いた。まあ、マーヴェ教国くらい小さな国であれば、年間の予算ぐらいにはなるだろう。
金貨に関してはワイバーン隊に持ってこさせているので、すぐに渡すことが可能だ。
「最終的には金で折り合いがつく可能性がある」とガマラスに助言を受けて、あらかじめ用意していたのだ。まあ、こんな人身売買みたいな形で使うことになるとは思っていなかったが。
「し、仕方ありませんな。それほどまでに仰るのであれば、ファルーン国とマーヴェ教国の親善のためにも、特例としてマリアに司教代理の資格を認めましょう」
司教代理か。さすがに司教の資格を与えるのは難しいのだろう。
「マリア殿、それで宜しいかな?」
僕はマリアに確認した。
「はっ、はい。宜しくお願い致します!」
マリアは反射的に答えた。何が起こっているのか、よくわかっていないかもしれない。
そういうわけで、早速マリアはファルーンに連れて帰ることになった。
代わりに金貨1000枚をマーヴェ教国に寄進し、今回の件に関して、正式な書類を取り交わした。
で、ドラグーンを呼んで、マリアを同乗させた。
「今すぐ行くんですか? このドラゴンに乗って?」
マリアは驚いていたが、気が変わられても困るし、何度もマーヴェ教国に来たくない。
ワイバーンに慣れていないマリアは、飛び始めるなり、「いやーっ!」とか「きゃーっ!」とか叫んでいたが、とにもかくにも僕たちは目的を達成し、ファルーンへ帰還した。
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「教皇様! なぜ、マリア様をファルーンに引き渡したのですか!」
マリアをファルーンに連れ去られた後、マーヴェ教国は紛糾していた。
聖騎士たちは聖堂を取り囲んで、教皇に詰め寄っている。
「引き渡したのではない。司教代理としてファルーンに派遣したのだ」
騎士たちの直談判に、教皇は不快な顔を隠さない。
「司教代理? マリア様は有力な聖女候補、司教代理にするような方ではないでしょう!」
マリアは何人かいる聖女候補のひとりだったが、聖騎士団の団長はマリアこそが聖女だと思っていた。それは聖騎士団の総意でもある。
聖女候補といっても、そのほとんどは貴族出身者で、癒しの力もそこそこでしかない。聖女とは名ばかりで、形骸化しているといってもいい。ところがマリアは平民出身であるが、その力は本物であった。
危険の伴う聖騎士の任務にも、マリアは志願して同行し、その癒しの力を遺憾なく発揮している。また、癒しの奉仕も相手の身分を問わず積極的に行い、民衆からの支持も得ていた。
「平民出身のマリアを司教代理にするのは、教皇様の英断。それを聖騎士団にとやかく言われる筋合いはない!」
教皇の側近たちが騎士団長に反論した。そもそも、聖騎士団はマーヴェ教団の中では、それほど地位は高くない。それが教皇の意向に反するなど、あってはならないことだった。
「英断? マリア様は我々を助けるために、その身をファルーンに差し出したのでしょう? しかも、代わりに金貨を受け取ったという話ではありませんか! 金で聖女を他国に売り渡すことの何が英断なのですか! 彼女はファルーンに連れていかれるとき、泣き叫んでいたというではありませんか!」
泣き叫んでいたのは、ワイバーンに乗って空を飛んだせいだが、はたから見れば、ファルーンに行くのを嫌がっているようにも見えた。
「言葉を慎め、騎士団長! マリアは司教不在のファルーンに自ら進んで行くと申し出たのだ。今回の件はマリアの意志。それに聖女候補はマリア以外にもおる。それにも関わらず、おまえたちはひとりの聖女候補に肩入れするつもりか?」
教皇は語気強く言った。類稀なる癒しの力を持っていたマリアを聖女候補にしたのだが、実のところ、聖女は教団内の派閥の論理で決定されており、何の後ろ盾もないマリアが聖女になる可能性は低かった。
むしろ、聖騎士団や平民からの支持が厚いマリアを少々持て余していたというのが、正直なところである。
今回の件は、教皇たちマーヴェ教国の上層部にとって、都合の良い側面もあったのだ。
「マリア様は聖女候補などではありません。マリア様こそ真の聖女! 他の聖女候補など、身分が高いだけで、お飾りに過ぎないでしょうが! 彼女こそ100年にひとりの逸材! それをみすみすファルーンのような邪悪な国に送るなど……」
聖騎士たちのマリアに対する評価は高い一方で、ファルーンに対する印象は最悪を極めていた。
何しろ、少数のファルーンの騎士たちになすすべなくやられてしまったのだ。聖騎士として誉れ高い彼らのプライドはいたく傷ついていた。
「真の聖女というのであれば、何故おまえたちは命を賭けてマリアを守らなかったのだ? そもそも、聖騎士団がファルーンの騎士たちとまともに戦うことができれば、このようなことにはならなかったのだ。それをすべて教皇様の責任にするなど、おまえたちはそれでも聖騎士なのか?」
教皇の側近が騎士団の不手際を指摘した。
「それは……」
自分たちの不甲斐なさを自覚しているだけに、騎士団長は言葉に詰まった。
だが、それも一瞬のことだった。
「わかりました。ではわたしがファルーンに赴き、マリアを奪還してまいります!」
「何を言っておるのだ? マリアのファルーン行きは正式に決定されたことだぞ? 聖騎士であるなら、教団の決定に従え!」
教皇は忌々しそうに騎士団長を見た。
「であれば、聖騎士団を辞するまでの事。わたしは聖女のために身命を捧げます!」
騎士団長は決意に満ちた目で教皇を見返す。
「わたしも辞めます!」「わたしも!」「わたしもです!」
聖騎士を辞する動きは、聖騎士団に一気に広がっていった。
「馬鹿なことを! そのような勝手な真似は……」
教皇の言葉を最後まで聞かず、騎士団長は身を翻した。聖騎士たちはそれに従い、一斉にその場を後にした。
その後、彼らは身支度を整えると、今回の聖騎士団の決定を支持する民衆たちに見送られて、マーヴェ教国を発った。
この聖騎士団の動きに、イーリス、バルカンなどの国々が同調。やがて聖女奪還という旗印のもと、ファルーン討伐軍が編成されることになる。




