その44 聖女
マーヴェ教の神殿に着き、古めかしくも格式のある廊下を通って、僕は教皇の部屋の前まで案内された。そこで連れてきたアーロン、バリー、ビル、ブルーノに命じた。
「おまえたちはここで待っていろ。いいか、大人しくしてるんだぞ? わかってるな?」
念を押したのは、聖堂の方に気配を感じたからだ。力のある人間がかなりの数、集められているのだろう。恐らく、それでもって僕たちを何とかする気なのかもしれない。
でもまあ、平和的に話し合いに来たのだから、下手に揉めて欲しくない。
「わかってますよ、陛下。わかってますって。長い付き合いじゃないですか」
アーロンが口元に笑みを浮かべながら答えた。「長い付き合い」だから何なんだ?
「はい、陛下の仰っていること、我々は充分に理解しています」
ブルーノは胸に手を当てて頭を下げる。
特に深いことを言っていないはずなのだが、何をどう理解したんだろう?
「それでは陛下、こちらにどうぞ」
案内してくれたマーヴェ教の聖職者が部屋の扉を開く。
アーロンたちの態度に多少のひっかかりを覚えつつも、僕はオグマを連れて、部屋の中へと入った。
中にいたのは、椅子に座った偉そうな白髭の爺さんと、壁際に並んだその側近たちだった。
「お初にお目にかかる、教皇猊下。わたしがファルーンの国王マルスです」
恐らくは教皇であろう偉そうな白髭の爺さんに挨拶をする。
「この出会いもまたマーヴェ神のお導きによるものでしょう。あなたがたに神の祝福があらんことを。
……さて、今日はどのような用件で参られたのですか、マルス殿」
白髭の爺さんが教皇であっていたらしい。見た目通りだな。
「新しい教義に関して、猊下のお話をお聞きしたく、参りました」
「話も何も、内容はあの通りなのですが?」
うん、まあそれはわかるけどさ。
「いやいや、今までマーヴェ教の聖典に記載されていなかったことを、猊下が新たに追加されたのですよ? これはマーヴェ教でも歴史的な出来事ではございませぬか? それとも、猊下はマーヴェ神の天啓でも受けたのですか?」
この辺は、ガマラスやニコルと事前に相談済みである。何でも、マーヴェ教の聖典にないことだから、勝手に教義にするのは本来的に不味いらしい。かといって、神の天啓を受けられるほどの能力も、現教皇は持ってないとのこと。
「人として正しいあり方を教義に取り入れたまでのことです。至極当たり前のことですが、近年、それを守れない方々がいらっしゃるようなので、明文化したまでのことで……」
うん、まあそうだよね。正直、あの3つの項目は一般常識みたいなものだ。守ってないのは、うちの国ぐらいなものだろう。
耳が痛いなぁ……と思っていたら、突然、ガン、という音が響いた。
なんと、部屋に置かれていた初代教皇の銅像の首がもげている。
「すいません、この銅像の顔が気に入らなかったんで、つい……」
オグマが床に転がった銅像の首を拾い上げた。
顔が気に入らなかったら、とりあえずぶん殴るのか、おまえは!
「おい、オグマ。失礼だろう!」
話し合いに来たのだから、チンピラの恫喝みたいな真似は止めて欲しい。
「すいません、猊下。我が国は荒くれものが多くて、わたしの言うこともなかなか聞いてくれないのですよ」
「そっ、そうですか……」
教皇は顔を引き攣らせながらも、僕の謝罪を受け入れてくれたようだ。
「そういえば、マルス殿は供を5人連れてきたと聞いておりましたが、他の4人の方はどこへ? 部屋の外で待機しているのですか?」
オグマの乱行を見て、他の同行者たちのことが気になったのか、教皇はアーロンたちのことを聞いてきた。
「ええ、外で大人しくしているよう命じています」
と僕が答えたところで、部屋の外から騒音が聞こえてきた。誰かが派手に暴れているようだ。いや、暴れているのはどう考えてもアーロンたちだろう。
わざとか? おまえら、わざとなのか? 僕の発言に合わせて、嫌がらせをするように示し合わせているのか?
……もういい、聞こえなかったことにしよう。
「それでですね、猊下。人として正しいあり方と仰りましたが、モンスターの肉を食べるのも、モンスターを使役するのも、貴族を廃するのも、決して人として間違ったことではございません。現にわたしは食べ物に毒を盛られて、何も食べることができないでいたところを、モンスターの肉を食べることで飢えを逃れることができました。そして、そのモンスターの肉が力となり、わたしは王となることができたわけです。決して邪悪なものではございません」
「なんて強さだ! これがモンスターの肉を喰った邪悪な力か! うわぁっっっ!」
「モンスターの使役とて、人々の役に立てれば良いではありませんか。マーヴェ教の聖典にも、マーヴェ神がモンスターを使役している様が記述されていたはず。現にわたしも本日はワイバーンを使って、ここまで参りました。通常であれば、5日かかるところを、たった1日でたどり着いたのです。これは人にとって大いなる進歩に他なりません」
「人では太刀打ちできない! 神よ、わたしたちに力を、お願い、助けてぇぇぇっ!」
「貴族に関しても、マーヴェ教は身分分け隔てないことが原則です。貴族にのみ特権を与えるかのような教義は、マーヴェ教の原則から外れるのではございませんか? むしろ、平民たちのほうが、マーヴェ教の敬虔な信者が数多くいます。わたしは一握りの貴族よりも、大多数の平民たちの幸せのために政を行っていきたいのです」
「おまえらもどうせ貴族の出だろうが、いい気味だな、ええおい!?」
ガマラスと打ち合わせて覚えてきたことを、僕は一気に喋った。外から悲鳴やら怒号が聞こえてきたような気もするが、そんなものは無視である。
とにかく、外の騒音から教皇の気を逸らしたい一心だ。
「マルス殿、仰りたいことはわからんでもないが、その……部屋の外が騒がしくて、どうも頭に入ってこないのだが……」
ですよね。僕もそう思います。でも、ここはとぼけて話を進める以外にない。
「騒がしい? おい、オグマ、そんなにうるさいか?」
「さあ? ファルーンではこの程度の騒ぎは日常茶飯事なので、俺は特にうるさく感じませんがね」
断っておくが、ファルーンはそんな治安が悪い国ではない。
「そういうわけです、猊下。お気になさらず、話を先に進めましょう」
僕が強引に話を進めようとしたところで、部屋の外から人が入ってきた。彼は側近のひとりに耳打ちすると、その側近がさらに教皇に耳打ちした。皆一様に顔色が悪い。恐らく、外の惨状を伝えに来たのだろう。
「マルス殿、わかった。言いたいことは理解したつもりだ。単刀直入に伺おう。何がお望みかな?」
急に教皇の聞き分けがよくなった。多分、僕の必死の説得が効いたのだろう。アーロン達がどうにもならないので、一刻も早く帰って欲しいとか、そういうことではないはずだ、多分。
「新たな教義に関して罰則を設けないことを公表して頂くことと、現在、我が国に不在の司教を、新たに任命して頂きたいのです」
ガマラスによると、教義の撤回はさすがに受け入れられないということなので、新しい教義はあくまで努力目標的なものにしてもらい、罰則を無くすことで骨抜きにする方針にした。
「罰則に関しては了解した。で、新しい司教というのは、どういうことですかな?」
教皇も撤回を求めなかったことにほっとしたのか、罰則を無くすことにはあっさり了解してくれた。
「今回の件に関しては、相互理解が足りず行き違いがあったと、わたしは考えております。そこでファルーンに司教を設置して頂いて、密にやり取りすることで、互いに理解を深めていきたいと思っているのですよ」
「なるほど。わかりました。後でファルーンの司教を選出することにしましょう」
「いえ、猊下。できれば、わたしに選ばせて頂きたいのです」
――――――――――
というわけで、ファルーンの司教を選ぶために、僕たちは聖堂にやってきた。
マーヴェ神の巨大な石像が鎮座し、意匠を凝らした装飾、聖典の場面を再現した絵画、天井には壮大なステンドグラスがはめ込まれており、何千人という信者を収容できる広さだ。
ここはアレス大陸でもっとも神聖な場所なのである。
が、今は何百人という聖騎士たちがそこら中に倒れていた。結構な数の伝統がありそうな調度品が破損しており、聖堂の片隅では、アーロン達に囲まれて、マーヴェ教の聖職者たちが肩を寄せ合い震えていた。
その惨状を見た教皇たちは絶句して立ちすくんでいる。
ただ、ひとりの若い女性の聖職者が毅然として、アーロンと向かい合っていた。
「陛下、ご命令通り、大人しくしていましたよ」
入ってきた僕たちを見るなり、アーロンがニヤリと笑った。
大人しく、という言葉の意味を今一度聞いてみたい。
「……そのお嬢さんは?」
アーロンのような粗野な輩に立ち向かえる聖職者であれば、なかなか気骨がある。
「神聖な聖堂で暴れるな、とか、聖騎士たちを治療させろ、とかうるさいんですよ。まあ、抵抗してくるわけではないので、手は出していませんがね」
彼女は年若いが気品のある美しい女性だった。見る者を魅了するような神々しさを感じる。
「あなたがファルーンの王であらせられますか? お願いです、わたしに治療をさせて下さい。死んでいないとはいえ、重傷を負った騎士様たちが大勢いるのです」
「あなたの名は?」
「マリアです」
「マリア殿か。ここに騎士たちを集めたのは、恐らく我々に危害を加えるためだと思うが、それを回復させれば、我々の身が危なくなるのではないかな?」
まあ、この程度の連中であればどうにでもなるけどね。
「わたしがそのようなことはさせません。神の聖名において、それは約束します」
何でそんなことが断言できるのだろうか? ちょっと可愛いからといって、調子に乗ってやしないか?
ただ、彼女からは他の連中とは別格の強い魔力を感じる。
「ふむ、ならばよかろう。治療を許可しよう」
とりあえず、お手並みを拝見することにした。
「陛下の慈悲に感謝いたします。では……」
マリアはその場で魔法の詠唱を始めた。怪我人は大勢いるが、彼女の目の前にはいない。
何を始めるつもりなのかと、オグマ達がマリアに剣を向けたが、それを僕が制した。
敵意を感じる呪文ではない。
そうして長い詠唱の後、彼女は呪文を完成させた。
「ヒーリングフィールド!」
聖堂全体に呪文が行き渡り、その効果が発動する。
さっきまで倒れていた聖騎士たちが次々と立ち上がり始めた。彼らは傷が完全に癒えている。
「おおっ、さすが聖女様!」
「我々を一度に癒すとは、さすが……」
「これこそ神の奇跡……」
彼らは口々にマリアへの賛辞を口にした。
聖女? 何だ、それは?