その43 教皇
マーヴェ教皇は頭を抱えていた。
(まさか、ファルーンの王が直接来るとは)
新しい教義を発表したのはいいが、この動きは予想外だった。
というより、ドラゴンに乗って、直接マーヴェ教国にやってくるとは誰が想定できようか。
頼みの聖騎士団はファルーン王の5人の部下によって、片っ端から返り討ちになっているという。
(ファルーンの騎士が強いとは聞いていたが、まさかここまで強いとは思わなかった。ファルーンの王が魔王のように強いというのは本当かもしれん)
今からイーリスやバルカン、キエルなどに助けを求めるのは現実的ではない。かと言って、このまま放置しておくと、マーヴェ教の権威が堕ちてしまう。
(仕方ない。面会に応じるか)
教皇は側近の者を呼ぶと、ファルーンの王と面会することを告げた。
ただ、できるだけゆっくり連れてくるように、とも命じた。
相手の要求はわかっている。新しい教義の撤回だろう。だが、そんなものに応じるわけにはいかない。一度決めたことをすぐに撤回するなど、それこそあってはならないことだ。
教皇は別の側近に命じた。
「聖騎士団を全員招集しなさい。あと、呪文を使える者も可能な限り集め、いざというときに備えておくように」
面会している間に態勢を整え、ファルーンの王を討つ算段である。いかにファルーンの王が強くとも、相手は少数。集団で行使する神の奇跡の効果は絶大であり、十分に勝機はあるはずだ。
しばらくして、外から騒がしい音が聞こえてきた。どうやら、ファルーンの王が到着したようだ。
扉が開き、特に特徴のない平凡な青年貴族のような男が部屋に入り、その後に武骨な騎士がひとり続く。
「お初にお目にかかる、教皇猊下。わたしがファルーンの国王マルスです」
マルスと名乗った男が微笑みながら挨拶をした。後ろに控える騎士は胡散臭そうに教皇を見ている。
騎士のほうはともかく、マルスは温和で人の良さそうな外見をしていた。とても狂王や魔王と言われるファルーンの王とは思えない。
「この出会いもまたマーヴェ神のお導きによるものでしょう。あなたがたに神の祝福があらんことを。
……さて、今日はどのような用件で参られたのですか、マルス殿」
挨拶もそこそこに、教皇は話を切り出した。
「新しい教義に関して、猊下のお話をお聞きしたく、参りました」
マルスがにこやかに答えた。
(やはり、それか)
「話も何も、内容はあの通りなのですが?」
「いやいや、今までマーヴェ教の聖典に記載されていなかったことを、猊下が新たに追加されたのですよ? これはマーヴェ教でも歴史的な出来事ではございませぬか? それとも、猊下はマーヴェ神の天啓でも受けたのですか?」
むっ、と教皇は言葉に詰まった。確かに新しい教義は聖典に由来するものではない。かと言って、マーヴェ神の天啓を受けた、と偽ることはできなかった。
意外とファルーンの王は弁が立つようだ。
「人として正しいあり方を教義に取り入れたまでのことです。至極当たり前のことですが、近年、それを守れない方々がいらっしゃるようなので、明文化したまでのことで……」
ガン、と音を立てて、部屋に置かれていた初代教皇の銅像の首がもげた。
マルスが連れてきた騎士が銅像をぶん殴ったのだ。
「すいません、この銅像の顔が気に入らなかったんで、つい……」
騎士は銅像の首を拾い上げて、ヘラヘラと笑っている。素手で銅像を破壊するなど、とんでもない腕力の持ち主だ。部屋に控えている側近たちが青ざめた表情をしている。
「おい、オグマ。失礼だろう!」
マルスが騎士を叱りつけた。この無礼な騎士はオグマというらしい。
「すいません、猊下。我が国は荒くれものが多くて、わたしの言うこともなかなか聞いてくれないのですよ」
「そっ、そうですか……」
(白々しい嘘をつきおって。どうせおまえがやらせているのだろう。見え透いた恫喝をしおってからに。
……うん? そういえば、こいつの部下は5人と聞いていたが、残りの4人はどうしたんだ?)
「そういえば、マルス殿は供を5人連れてきたと聞いておりましたが、他の4人の方はどこへ? 部屋の外で待機しているのですか?」
「ええ、外で大人しくしているよう命じています」
そうマルスが答えた時、部屋の外で騒がしい音がし始めた。誰かが大暴れしているような、そんな音だ。
教皇は非常に嫌な予感がしたのだが、マルスはまったく聞こえていないかのように話を始めた。
「それでですね、猊下。人として正しいあり方と仰りましたが、モンスターの肉を食べるのも、モンスターを使役するのも、貴族を廃するのも、決して人として間違ったことではございません。現にわたしは食べ物に毒を盛られて、何も食べることができないでいたところを、モンスターの肉を食べることで飢えを逃れることができました。そして、そのモンスターの肉が力となり、わたしは王となることができたわけです。決して邪悪なものではございません。
モンスターの使役とて、人々の役に立てれば良いではありませんか。マーヴェ教の聖典にも、マーヴェ神がモンスターを使役している様が記述されていたはず。現にわたしも本日はワイバーンを使って、ここまで参りました。通常であれば、5日かかるところを、たった1日でたどり着いたのです。これは人にとって大いなる進歩に他なりません。
貴族に関しても、マーヴェ教は身分分け隔てないことが原則です。貴族にのみ特権を与えるかのような教義は、マーヴェ教の原則から外れるのではございませんか? むしろ、平民たちのほうが、マーヴェ教の敬虔な信者が数多くいます。わたしは一握りの貴族よりも、大多数の平民たちの幸せのために政を行っていきたいのです」
マルスが教皇に新しい教義への反論を滔々と述べる。
しかし、教皇はそれどころではない。部屋の外の喧騒が収まらないのだ。というより、明らかに戦闘音がしている。何なら悲鳴や罵声すら聞こえてきている。
「マルス殿、仰りたいことはわからんでもないが、その……部屋の外が騒がしくて、どうも頭に入ってこないのだが……」
「騒がしい? おい、オグマ、そんなにうるさいか?」
とぼけた表情を浮かべてマルスはオグマに目を向けた。
「さあ? ファルーンではこの程度の騒ぎは日常茶飯事なので、俺は特にうるさく感じませんがね」
「そういうわけです、猊下。お気になさらず、話を先に進めましょう」
にこやかに会話の続きを始めようとするマルスだったが、部屋の扉がノックされ、顔色を悪くしたマーヴェ教団の人間がひとり部屋の中に入ると、教皇の側近に耳打ちした。
それを聞いた側近はやはり顔色を悪くすると、そっと教皇に近づき耳打ちした。
「猊下、聖堂に集めた聖騎士団の騎士と司祭たちが、乱入してきたファルーンの騎士たちによって制圧されました」
「……わかった。下がれ」
最悪の事態である。マルスはこちらの動きを読んで、部下たちに先手を打たせたのだ。
つまり、これはいつでもマルスたちが教皇たちを殺すことができる状況になってしまったということだ。
(くっ、温和な顔をしながら、裏ではしっかり手を打つとは……ファルーンの狂王の名は伊達ではないということか!)
「マルス殿、わかった。言いたいことは理解したつもりだ。単刀直入に伺おう。何がお望みかな?」
教皇にできることは、どうにかこの局面を穏便に済ませることである。下手に刺激すると、銅像のように自分の首と胴体が泣き別れすることになりかねない。
「新たな教義に関して罰則を設けないことを公表して頂くことと、現在、我が国に不在の司教を、新たに任命して頂きたいのです」
新たな教義を廃止するのではなく、罰則を設けないとするのは、教皇にとってギリギリ譲歩できるラインだ。ファルーンの王は現実的な案を提示してきたといえる。
「罰則に関しては了解した。で、新しい司教というのは、どういうことですかな?」
「今回の件に関しては、相互理解が足りず行き違いがあったと、わたしは考えております。そこでファルーンに司教を配置して頂いて、密にやり取りすることで、互いに理解を深めていきたいと思っているのですよ」
「なるほど」
確かにファルーン国に王宮付きの司教がいなかったため、マーヴェ教団としてもファルーンの情報が手に入りづらいというのはあった。
それ故に、イーリス、バルカン、キエル魔道国の後押しで、新たな教義を設けたのだが、これが完全に裏目に出てしまっている。ファルーンの情報がもう少しあれば、この状況を避けられた可能性は十分にあった。
そもそも、目の前のファルーンの王を魔王と判断するのは、さすがにやり過ぎなように思えた。マルスが本当に魔王だったら、自分たちはとっくに殺されているはずだ。このようなやり取り自体が不要である。暴れているファルーンの騎士たちも、殺しまではしていないようだ。
「わかりました。後でファルーンの司教を選出することにしましょう」
教皇は信頼できる人間をファルーンに送り込む気でいた。
「いえ、猊下。できれば、わたしに選ばせて頂きたいのです」
「はっ?」
「ファルーンは実力が無い人間は評価されない風土でありまして、いかに徳の高い司教であっても、力がない、例えば回復魔法が苦手な方では、肩身が狭い思いをさせてしまい、上手くいくものもいかないかもしれないのですよ。それゆえにわたしのほうで実力を見極めさせて頂きたいのです」
「はあ、何ともそれは……」
教皇がファルーンの司教候補として頭に思い描いていた人間たちは、交渉事には長けていても、確かに回復魔法はロクに使えなかった。そもそも高位の司教たちは儀式を執り行うことさえできれば、魔力の実力は問われないのだ。
「ですが、マルス殿。司教というものは回復魔法の力は必要ではないのです。あなたが希望する人材がいるかどうか」
「それは実際に面通しさせて頂ければと思います。今、聖堂のほうに集められているのでしょう? この国でも魔力に実力のある方々が」
(そこまで見抜かれていたか)
教皇は深く息を吐いた後、立ち上がった。
「わかりました。案内いたしましょう」