その41 会談
イーリス国の北東に、アレス大陸でもっとも小さい国がある。
マーヴェ教国。アレス大陸最大の宗教マーヴェ教団の総本山にして聖地とされる国である。
国としては小さいものの、ほとんど唯一神といっていいほどの圧倒的な信徒の数を誇り、大陸全土の教会を管轄下に置き、熱心な信者の巡礼が絶えない。また、回復魔法を使える騎士で構成される聖騎士団を抱えているため、軍事的にも決して侮れる存在ではなかった。
その影響力は大きく、国の統治者であり、マーヴェ教の最高位である教皇の権威は、各国の王よりも上とされる。
そのマーヴェ教皇の元に、ふたりの訪問者が訪れていた。
イーリスの王とバルカンの王である。
「教皇猊下、これは世界の危機なのです」
イーリスの王が言った。金髪碧眼、凛々しい顔立ちをしており、目に力がある。
イーリスはマーヴェ教国と接していることもあり、歴史的にも繋がりが深く、貴族から平民まで国民に熱心な信者が多い。そのため王位継承にはマーヴェ教皇の意向が強く働くとも言われていた。
現在のイーリス王は40代と若く、野心家として知られている。隙あらば他国に介入し、自国の権益を伸ばすことに余念がない。ドルセン国に侵攻したのも、そういった野心故だった。
「世界の危機、か」
対するマーヴェ教皇は、60代であるが、白髪に長い白髭と年齢以上の外見をしていた。信徒の前に姿を見せる機会の多いマーヴェ教皇は、権威と慈愛を兼ね備えた存在であることを求められる。
「ファルーン国の噂は聞いている。変わった国である、と。マーヴェ教に対しても、あまり熱心な国ではない。我々としても好ましくはないが、だからと言って世界の危機とは……イーリスが敗戦した言い訳ではないのかな?」
眠そうにも見える眼で教皇はしっかりとイーリス王を見据えた。
「確かに我が国は負けました。私怨が無いと言えば嘘になるでしょう。しかし、あの国の力は尋常ではありません。結局、ドルセンはファルーンの傘下に収まりました。何年か前まで辺境の小国に過ぎなかったファルーンがカドニアを併合し、圧倒的な国力差があったドルセンをも従えたのです。これは異常です!」
握りこぶしを作って、イーリス王は力説した。
「左様です、教皇猊下。あの国は普通ではありません。我が国から、ファルーンに嫁いだ者がいるのですが、その者によると、毎食モンスターの肉を食べることを強要されているとのこと。あの毒としか言えぬモンスターの肉を、です。これは何かしらの良からぬものが、かの国に関与している可能性を示しております」
バルカン王がイーリス王に続いた。50歳程度の、がっしりとした体躯の男である。若いころは勇将として知られていた。
ファルーンの第四妃シーラはバルカン出身であり、その近況は手紙によって家族に知らされている。バルカン王はその手紙の内容の報告を受けていた。
「モンスターの肉を食べているのは本当なのか? あれはとても食えたものではないぞ? 興味本位でモンスターの肉を口にして、教会の世話になる者は過去にはいたが、最近ではファルーンの噂を聞いてモンスターの肉を食べる者が続出しておる。だが、食べることに成功した者の話など聞いたことがない。あれはただの毒だ。しかも、ファルーンの教会からは、モンスターの肉を食べたことによる治癒報告は入っていない」
マーヴェ教国でもモンスターの肉に関する情報を収集していたが、不思議なことにファルーンからはモンスターの肉による被害の報告が無かった。
「そもそも、モンスターの肉は禁止しておらん。それを理由に、マーヴェ教として何かするつもりはない」
教皇はファルーンに何らかの処罰を科すのは、あまり前向きではない。マーヴェ教国は基本中立が国是である。国家間の対立に関与したくないのだ。
「モンスターの肉を食べているだけではありません」
イーリス王が声を落とした。少々、演技がかっている。
「ファルーンではモンスターを使役しているのです。それもかなりの数のモンスターを」
「大がかりな見世物小屋のことであろう。その報告も受けている」
ファルーンが国家として、大掛かりなモンスターの見世物小屋を催しているのは有名な話で、教皇の耳にも届いていた。
「見世物小屋の話ではありません。モンスターを組織化し、兵団化しているのです」
「なに? 馬鹿な、そのような話は聞いたことがない。イーリスはそのモンスターの兵団と戦ったのか?」
教皇が険のある表情を作った。その話はマーヴェ教としては聞き逃せないものだった。
「いえ、戦ってはおりません。しかし、確かな証拠がございます」
「証拠? どのようなものだ?」
「こちらをご覧ください」
イーリス王が袖から巻物を取り出し、それを机の上に広げた。巻物には魔法陣が描かれている。
「これは?」
「キエル魔道国、マトウ師からです」
「マトウだと?」
巻物の魔法陣が光り、その上に青白く透けた、見るからに幻とわかる小さな人間が姿を現した。幻影を使用した魔法通信である。
「お初にお目にかかる、マーヴェ教皇。わたしはキエル魔道国のマトウだ」
マトウを名乗る人物の幻影は、フードを深く被り、長い杖を持っていた。
「こちらの声が聞こえるのかね、マトウ師?」
教皇がマトウの幻影に向かって話しかけた。
「無論。このような形で失礼するよ。何しろ、わたしは出不精なものでね。さて、早速だが話を始めようか。スクロールを展開したということは、イーリス王がファルーンがモンスターを使役しているという話をしたのだろう。それは本当だ」
「なぜ、そう言い切れる?」
「わが国でモンスターの研究をしていた者が、ファルーンに流れた。最近までわからなかったが、大規模な見世物小屋をしていると聞いて、我が国の者が研究のためにファルーンを訪れたのだ。その際にかの者の仕業だと判明した」
「ん? 見世物の件は知っているぞ。その程度なら問題ないと思うが?」
「かの者は見世物のために研究していたわけではない。兵器としての使役を目的としておった。そのために我が国でも危険な研究を繰り返し、少なからぬ損害を出しておる。故に追放したのだ」
「……そのような危険な者を何故処分しなかった? いささか無責任ではないかね?」
教皇が困惑した表情を見せた。
「わが国は国であって国ではない。魔導士のための理想的な環境を提供する場所に過ぎん。ただ、世界にとって危険な研究を行う者には出て行ってもらう、それだけだ。それにな、魔法の研究には金がかかる。研究内容にもよるが、かの者が行っていた研究は生きたモンスターが必要なのだ。他にも高価な素材がいる。とても個人で行っていけるものではない」
小さな幻影からはマトウの表情は読みづらいが、何となく慚愧の念があるように思えた。
「だが、その者はファルーンの援助を受けてしまった、というわけか?」
教皇が追及するように聞いた。
「……そうだ。正確に言えば、ファルーンの正妃フラウの庇護を受けた。フラウはその者だけでなく、我が国を追放された多くの魔導士を迎え入れている。フラウは事の良し悪しなどを考慮せずに、魔道を探求している節がある。危険な魔導士だ」
「雷帝フラウか。幼いころより天才として知られた者だな」
「確かにフラウは天才だった。だが、わたしの見立てでは典型的な早熟タイプで、すぐに魔力が頭打ちになると見ていた。だが、フラウの魔力は今でも伸びている可能性がある。現在のファルーンの魔法結界は強力で、わたしでも打ち破ることができん。故にファルーンの内情は我々でも掴めていない。だが、直接、モンスターの見世物小屋を見た者からの報告によると、モンスターはかなり従順な様子だったとのことだ。下位の弱いモンスターだけではない。アースドラゴンのような強力なモンスターもだ。となれば、ファルーンはすでにモンスターを軍団化しているとみて、間違いないだろう」
「うーむ」
教皇は迷っているようだった。確たる証拠があるわけではないが、マトウ師の言っていることは恐らく真実だろう。となれば、ファルーンは人にとって脅威となるかもしれない。
「猊下、迷っておられるようだが、ファルーンはあらゆる意味で危険なのだ」
そこに口を出したのはバルカン王だった。
「あの国は貴族を否定しておる。ファルーンではゼロス王の即位時にほとんどの貴族が粛清された。カドニアでも、ルビス王妃に連なる貴族以外はほとんどが廃されている。新たにファルーンの傘下に入ったドルセンもそうだ。アラン王に付いた貴族は皆殺しにされ、貴族の力は極端に弱められている。しかも貴族が減った分、税を減らし、平民たちの支持を得ている。我が国でも、ファルーンによる支配の期待を口にする平民がいるくらいだ。忌々しい! このままでは今まで我々の父祖が築き上げた秩序が崩壊させられてしまう。そうなったら、マーヴェ教国とて困るのではないですか?」
マーヴェ教団は「身分分け隔てない教えである」という建前を持つが、その実、聖職者のほとんどは貴族出身である。高位の聖職者になればなるほど、元の位も高い者になり、マーヴェ教皇もイーリス王家の血を引いている。
教団の運営も、各王家や貴族たちからの寄進で成り立っているところが大きく、教会が民衆から得る収入など、ほんのわずかなものだった。
「……確かに、ファルーンという国はマーヴェ教国にとって良い存在とは言えぬ。だが、どうする? 現状、我が教団としては、ファルーン王をすぐに処罰するわけにはいかんぞ?」
「既に案はあります」
イーリス王が口元に笑みを浮かべた。
「マーヴェ教として3つの禁止行為を発表して頂きたい。1つ目として、モンスターの肉を食べることの禁止。モンスターの肉を食べるのはモンスターだけであり、人の所業ではないとするのです。2つ目として、モンスターの大規模な使役の禁止。テイマーなどモンスターを使役していた既存の者たちは保護しつつも、モンスターで構成された軍団などを禁ずるものです。3つ目として、貴族の身分の保護。これは正当な理由なくして、貴族の廃止をすることを禁止し、秩序の安定を求めるものです。如何ですか?」
「ふむ。悪くないな」
教皇は髭に手をやった。落としどころとしては悪くないと思っている。
「で、それを破った場合はどうする?」
「破門にして頂きたい。むろん、ひとつを破った程度であれば注意程度でよいでしょうが、3つとも破った場合は破門にするべきです。マーヴェ教として権威を貶したも同義なのですから。そして、『ファルーンの王には魔王の疑いがある』として発表するのです」
「魔王だと!? さすがにそれは……ファルーン王家は魔王を倒した勇者の家系だぞ?」
「その勇者の家系が世界に牙を剥いているのです! 早急にこれを何とかしなければ、我々は終わるかもしれませぬ!」
「……バルカン王とマトウ師はどう考える?」
教皇はバルカン王と幻影のマトウに目をやった。
「イーリス王に賛同します」
バルカン王がすぐに答えた。
「わたしも賛成ですな。モンスターの兵器利用は危険が大き過ぎる。人の手には持て余す力ですな」
マトウも賛同の意を表した。
「わかった。して、魔王の疑いをかけた後はどうする気だ?」
「すべての国で連合を組み、討伐軍を起こすべきでしょう」
イーリス王は断言した。