その38 ドルセンの政変
妃候補選考会から1年ほど経った。
あれから程なくして、カーミラは無事に男児を出産し、カサンドラも懐妊に至った。
僕は二児の父親となり、ほどなく3人目が生まれてくることになる。
ファルーンとしては平和そのものだが、中央ではついに情勢が動いた。
ドルセンで政変が起こったのだ。
王弟アランが五天位の第二席であるランドルフを味方に引き入れ、自分の母の出自であるイーリス国を後ろ盾に、クーデターを起こしたのだ。ドルセンの貴族たちの中にも、ファルーンに敗れたことで求心力が低下していたドルセン王を見限り、アラン側に付くものも多かった。
五天位の筆頭であるジークムンドは、同時期に押し寄せてきたバルカンの軍勢と戦っていたため対応できず、王都はあっさり陥落した。
「このようなことは見逃すことはできませんわ」
重臣たちが並ぶ会議で、カーミラは断言した。
「わたしはファルーンに嫁いだとはいえ、一度はドルセン王に忠誠を誓った身。ええ、決して許すわけにはいかない蛮行です」
そんなことを言っているが、明らかにカーミラに怒りはない。むしろ、喜んでいるようにさえ見える。
「わたしとパレス騎士団はドルセンに向かいたいと思います。陛下、宜しいでしょうか?」
宜しくはない。ないのだが、兄である王を助けたいという話を無下にするわけにもいかない。
そして、ガマラスやオグマを始めとして、臣下たちはこの話に乗り気だった。
「パレス騎士団だけで大丈夫なのか?」
パレス騎士団は、妃候補選考会の出場者を中心に集められた30人ほどの女だけの騎士団だが、その下にはミネルバの盗賊団、レイアの炎狐傭兵団、シャーリーが連れてきたアサシンたちが連なっており、それを含めれば数としては100人を超える。
だが、それでもたった100人である。ドルセン王を救いに行くには数が少ない。
「お心遣い感謝いたします、陛下。それではハンドレッドからも人を借り受けたいと思います」
「俺の方で希望者を集めておこう」
オグマがすぐに応じた。恐らく自分自身も行く気だろう。まあ、オグマが行くなら、戦力的には問題ないはずだ。
「陛下、仮に、仮にですが」
カーミラは酷薄な笑みを浮かべている。
「ドルセン王が亡くなっていた場合、次の王を我が子レオンにしたいと思いますが、いかがでしょうか?」
集まった臣下の者たちにどよめきが広がった。だがそれは肯定的なものである。
恐らくはこの場に集まった全員が、それを望んでいるのだろう。
皆が僕のことを期待の眼差しで見ていた。
「よかろう」
子供の頃、誰にも期待されていなかった僕は、それに背くことはできなかった。
――――――
「アラン様、ファルーンが挙兵しました。敵将はカーミラ。その数は200人程度と思われます」
報告したランドルフは嗤っていた。いくらなんでも数が少なすぎる。少数精鋭にも程があるというものだ。
「ふん、ファルーン王を誑かして、ドルセンを獲りに来たか、カーミラ」
玉座に座っていたアランは自分の髪をくるくると弄っていた。その色はドルセン王家の特徴である紫ではなく、イーリス王家系の茶色である。
アランはこの髪の色のせいで、自分が王になれなかったと考えていた。
ドルセン王となった兄も、その救援と称して兵を挙げたカーミラも紫の髪だった。
「2000人もいれば十分か、ランドルフ?」
「はい、問題ありません」
相手の兵力の10倍である。この中にはランドルフ自身が鍛えた直属部隊も含まれている。質的にも申し分なく、負けるはずがなかった。
「では行ってこい。カーミラは殺して構わん。あれは生け捕りにするには厄介だ」
カーミラは元五天位。その力は侮れるものではない。
「わかっております。その任、必ずや果たして見せましょう」
――――――
ドルセンの王都を目指すカーミラは、国境をあっさり突破した。
元々、国境に配備された兵は少なく、守将がクーデターを起こしたアランに付いたわけでもなかったため、救援に赴くと称したカーミラを通すことを選択したのだ。
(まあ、強引に通った方が早かったんでしょうけど、我が子がドルセン王になるのですもの。悪評は少ない方がいいわ)
カーミラの中では、自分の子がドルセン王になることは確定していた。今の自分には、いやファルーンにはその力がある。
夫であるマルスは、私生活では平々凡々としていて、巷で噂されるほどの野心は感じられなかったが、その一方で力を着実に蓄えていた。
(ハンドレッド、お姉さまの魔道師団、モンスター軍団、そして剣聖。これだけ揃えておいて、王として何もしないなどという選択肢は無いでしょう)
カーミラはマルスのことが嫌いではなかった。むしろ、こういう穏やかな気質の男のほうが、自分には合っているのかもしれないと、今では思っている。
だが、夫は異質なほど強く、その回りには強者が集っていた。いずれも力を追い求めて集まってきた者たちだ。彼らがその先に求めるものなど、端から決まっていたのだ。
(世界を、獲るのでしょう。そういう運命なのです、あなたは)
遠方に展開している敵軍の姿を、カーミラは確認した。
(この戦いはそのための一歩)
カーミラは高揚していた。自分は強くなった。ファルーンに来る前よりも、ずっと強くなった。
その力を振るう機会が来たのだ。高揚しないはずがなかった。
結局のところ、強さは戦いを求めるのだ。
――――――
ランドルフは2000の将兵の前に立っていた。
五天位として、自ら先陣を切ることが肝要だと考えていたからだ。
対峙したファルーン軍からは、カーミラが進み出てきた。
「裏切ることで五天位の筆頭にでもなるのかしら。相変わらずの小物ね」
ドルセンにいたころのカーミラは戦場でもドレス姿だったが、今は白銀の、恐らくはミスリル製の軽装の鎧を身に着けていた。
右手には細身の剣を握っている。以前は魔道具の扇子などを愛用していたが、ファルーンに行ってから随分変わったものだと、ランドルフは思った。
「五天位はドルセンの勇者で構成されるべきもの。それを他国の者でも何でもいいから、その席を埋めようなどと、ジークムンド殿も先王もどうかしたとしか思えぬ」
ランドルフはドルセンの騎士から五天位の座に就いている。彼はそのことに誇りを持っており、冒険者出身のジークムンドや皇女であったカーミラのことを快く思っていなかった。
「……先王? 兄上はもう亡くなったのかしら?」
カーミラは妖艶に笑った。昔から外見だけは美しい姫だったが、年を経て、さらに艶やかになっている。子を成したと聞いていたが、そうとは思えぬ美しさだった。
「亡くなった、と申せば帰って頂けますかな?」
「笑止ですわ」
カーミラは笑みを深めた。
「ならば救援が弔い戦に代わるだけのこと」
持っていた剣が、魔力を帯びて光る。
(ソニックブレード? いやしかし、あの魔力は?)
カーミラが真横に剣を薙いだ。剣の軌跡が光の刃と化して放たれる。
(迅い! 剣筋が以前とまったく違う!)
ランドルフは一瞬で危険を察知し、跳躍することでその攻撃をかわした。
「強くなりましたな、カーミラ様! ドルセンにいたころとは違って研鑽を積んだようですな」
ランドルフに言葉ほどの余裕はない。カーミラがファルーンに行ってから2年も経っていなかった。しかも1年は出産に費やしていたはず。にも関わらず、ここまで強くなっているとは想定外だった。
「後ろをご覧なさいな、ランドルフ」
言われて、後ろを振り向いたランドルフは、自軍の惨状に愕然とした。
前列に並んでいた騎士たちのほとんどが、胴体を切断されて倒れていたのだ。
他の者たちは恐慌状態に陥っている。
「馬鹿な! この距離でまだあんな威力を誇る攻撃など!」
魔法だろうと剣技だろうと、距離が離れれば離れるほど威力は損なわれる。
自軍とカーミラの距離は充分に離れていたはずだった。
「ランドルフ、ファルーンという国はね」
カーミラは嗤った。
「地獄のような場所なのよ?」
そこからは一方的な展開だった。
――――――
ランドルフ敗死。
その報はアランを愕然とさせた。ランドルフはアランの持つ唯一の大駒だった。兵力はまだ十分に残っているが、頼みにする勇者がいない。
領土を割譲するという条件でイーリスとバルカンが味方に付いている。バルカンはジークムンドの足止めをしており、あとはイーリスの軍に頼るしかない。
イーリスには三伯と呼ばれる武勇の誉れ高い3つの伯爵家が、名を馳せており、今回のアランの支援として、そのうちのひとりであるゴドウィン伯が来ていた。
「ゴドウィン伯、申し訳ないが、ファルーン軍を倒してもらえないか?」
すぐにゴドウィン伯を呼び出したアランは、ファルーン軍の対処をイーリス軍に任せたいと申し出た。
「ファルーンを、ですか?」
対してゴドウィン伯の返答は鈍い。
すでにランドルフが戦死したことは知っている。ランドルフは決して弱い男ではない。国境の小競り合いで何度か戦ったことがある。三伯に匹敵する五天位のひとりとして、申し分のない実力を持っていた。
それゆえに『自分であれば勝てる』などという慢心は持っていなかった。
「10倍の兵を率いたランドルフ殿が敗れたということは、かなりの強敵でしょう。迎撃するのではなく、城にて迎え撃つべきかと……」
「馬鹿な! あのような田舎者どもを過剰に恐れるなど、それでもイーリスが誇る三伯のひとりか?」
アランはファルーンを見下していた。それゆえにファルーンに敗れ、妹を差し出した先王に対して叛意を抱き、クーデターを起こしたのだ。
「しかし、すでにドルセンはブリックスの戦いと、ランドルフ殿の敗戦と2度も負けているのですぞ? 相手を侮るようでは足をすくわれるばかりでは?」
ゴドウィンは内心ウンザリしていた。アランは王としては、明らかに愚かで資質を欠いていた。だからこそイーリスとバルカンに担がれているのだが、この状況は不味い。
バルカンからはファルーンは要注意だと喚起されている。
「まぐれだ! そうに決まっている!」
救いようのない馬鹿だな、ゴドウィンは心の中で罵倒した。しかし、ランドルフを失った今、ドルセンの将兵を動かせるのはアランしかいなかった。
どうしたものか、と思案を巡らせていた時、兵士が部屋に飛び込んできた。
「敵襲です! 敵が城内に侵入しました! ファルーン軍かと思われます!」