その35 カサンドラ
妃候補選考会の後、フラウ、カーミラ、ガマラス、オグマ、ヤマトで構成される選考委員が協議した結果、準優勝のシーラも第四妃として迎えることになった。
……結婚する僕の意見を聞かないのはどういうことだろうか?
あと、他の30人くらいいた妃候補たちは、ハンドレッドに所属するカレンを除いて、そのほとんどをカーミラが召し抱えた。
カーミラ曰く、
「お姉さまには直属の魔導士団がいるのに、わたしにいないのは不公平」
とのこと。
いや、魔導士団も、れっきとしたファルーンの部隊なんだけどね。
完全にフラウの私兵と化しているけどさ。
意外なことに、このカーミラの我儘のような提案に対する反対意見はなかった。
妃が増えたことで、その身辺警護を兼ねて、戦力となる女性が多いに越したことはないという判断だ。
『雷帝』『狂乱』『剣聖』『双剣』と二つ名を持つ妃たちのどこに護衛が必要なんだろうか?
ともあれ、カーミラ直属の部隊が結成され、パレス騎士団と命名された。
カーミラは妊娠中なのだが、パレス騎士団の鍛錬に余念がなかった。何でも、自分がファルーンで受けた鍛錬を、彼女たちにも受けさせたいらしい。
新たに出来た部下たちに、親身になって手ずからモンスターの肉を食べさせたり、自ら魔獣の森の奥深くまで案内するなど、カーミラはとても活き活きしている。彼女にこんなに面倒見が良い一面があったとは驚きだ。
師匠はというと、ファルーンの妃という立場を満喫していた。
久しぶりに僕に稽古をつけたり、オグマやヤマト、クロム、ワーレンといったハンドレッドの上位陣に請われて、練習試合の相手をしたりしていた。夜はほとんど僕の寝室にいる。
何かフラウやカーミラに悪いなぁと思って、ふたりにも声をかけるのだが、「育児が大変」「妊娠しているのでお相手できません」とそっけない返事が返ってきた。ひょっとして僕って嫌われているのだろうか?
「おまえの部下たちは手ごたえがあっていい。これだけの強者を揃えた国は他にないかもな」
寝室で、僕のとなりに寝そべっている師匠が言った。
「しかし、まさかモンスターの肉をこれだけ多くの人間に普及させるとは思わなかったぞ?
あれを食べることができる人間は限られていると思っていた。それをおまえは強さを求める連中に分け与えて組織化した。わたしには思いつかなかったことだ。
さらに分け与えた連中を訓練相手にして、自分自身も成長させるとはな」
結果的にそうなっただけで、初めはそんなつもりはなかったんだけど、師匠が褒めてくれるから良いとしよう。
「そういえば、師匠は何で10年前にファルーンに来てたんですか?」
そのころの僕は、訓練という名目の師匠の虐待に耐えるのが精一杯で、あまり師匠のことを聞けてなかった。
「うん? 言ってなかったか? 魔獣の森を探索するためだ」
「魔獣の森を?」
魔獣の森はかなりの広い。アレス大陸の南側はほとんどが魔獣の森と言っていい。アレス大陸はふたつの山脈によって南北に分けられており、その山脈の切れ目、南北がわずかに接している部分にファルーン国とカドニア国がある。
「そうだ。魔獣の森には強いモンスターが山ほどいるからな。何年もかけて、そのすべてを制覇してやろうと思ったのだがな。さすがに広過ぎた。ファルーンを拠点に、できるだけ遠いところまで行ってみたのだが、あの森は底が知れない。7日ごとにファルーンに戻って、おまえに稽古を付けていたのは、わたしも7日以上は、あの森にいられなかったからだ」
師匠でもあの森は7日が限度だったのか。
現在、ファルーンでは魔獣の森の開拓を進めているが、その規模は魔獣の森の全体から見れば、ほんのわずかな面積だ。しかも開拓すればするほど、強力なモンスターが現れるので、そのうち限界が来るだろう。
「魔獣の森は僕も結構深くまで行きましたけど、モンスターは際限なく強くなりますね。言い伝えによれば、あの森の最奥には魔王が封印されているとか」
僕の先祖である勇者が、魔獣の森の奥深くに魔王を封じ込めたという伝承がある。
「魔王がいたら戦いたかったんだがな。あそこでは魔族すら見かけなかった。あの森は、何というか、もっと原始的なモンスターしかいない。魔族のような人間型のモンスターは見たことがない。モンスターの肉を手に入れるには、ちょうどいいんだがな」
魔族とは、人間に近い外見をした種族だ。人間とは異なり、長い寿命、高い魔力、圧倒的な身体能力を持つ。その頂点に立つのが魔王だ。魔族をモンスターに分類していいのかわからないが、魔族は多くのモンスターを従えているという話だ。
「中央では、モンスターの肉は手に入りづらいんですか?」
「まあ、日常的には手に入らないな。選ばなければ手に入るだろうが、ファルーンのように常時キラーラビットの肉が手に入るようなことはない」
「ファルーンでもキラーラビットは絶滅しかけましたよ。今は量産化に成功して、モンスターの肉を無駄なく供給する体制が整いましたけどね」
量産化といっても、食べにくいモンスターの肉はそこまで大量に必要なわけではない。
以前はモンスターの肉は獲った人間がちょっと食べて、残りは廃棄していたのだが、現在では1匹の肉を適切な人数分に分けて、無駄なく行き渡るような体制が整えられている。
「そういったこともファルーンならではだな。恐らく、他の国ではモンスターの量産化などできまい。中央ではモンスターは明確に人の敵だ。ファルーンは魔獣の森が近く、民もモンスターに対する忌避感が薄いから、モンスターを飼育することに対する反発もないのだろう。中央ではモンスターの肉を食べるなど、もっての他だ」
師匠は意外とまっとうなことを言う。寝室を共にするようになってから気づいたのだが、この人は決して戦いのことばかり考えているわけではなく、結構冷静な物の見方ができるのだ。
「ゆえにモンスターの肉を使って、軍事力を上げることができるのはファルーンだけだ。他国でも調査はしているだろうが、真似することはできまい」
「軍事力を上げるつもりはないんですけどね。ハンドレッドは純粋に強くなりたい人間の集まりなだけですよ。僕は平和を望みます」
「軍事力を上げるつもりはない? ではあのモンスターの軍団は何だ? あれは軍事力ではないのか?」
師匠が僕のことを見つめた。厳しい目ではない。決して責めているわけではないようだ。
「あれはまあ……確かに戦力ではありますけど、あれはあれで良いと思ってます。半ば成り行きで軍団化しましたが、戦争のときに民を兵士にする必要がなくなります。民の代わりにモンスターが戦ってくれるのであれば、そういうのも良いのではないかと」
戦争のときは民も兵士として徴集するのが常だが、戦意は低く、戦力としては脆弱だ。それに比べてモンスターは好戦的であり強い。モンスターを民兵に代わる戦力として使うことは、適材適所ともいえる。
「ワイバーンを軍団化するのは過剰戦力ではないか?」
師匠は悪戯っぽい表情をして、僕を揶揄した。
ワイバーンはウォーウルフの次に目を付けたモンスター軍団の第2候補だ。
選んだのは僕である。理由は「ドラゴンはカッコいい」からだ。
そんな適当な理由なのだが、キーリによると「ドラゴン系は知能が高いので、意思の疎通が難しくなく、できなくはないだろう」という見立てだ。
中級以上のドラゴンは単独行動を好むが、下級のワイバーンは群れを作る性質がある。そのため、ウォーウルフと同じように、群れの主を捕獲してしまえば、群れ自体を支配下に置くことができそうだ。
現在は10匹程度のワイバーンの群れを調教中である。
「まあせっかく軍団化するならドラゴンがいいじゃないですか。カッコいいですし」
「そうだな。確かにドラゴンは良い」
師匠は、布を敷き詰めた籠の中で寝ている白竜の幼体に目をやった。
そういえば、こいつもドラゴンだったな。
「その白竜はどうするんですか?」
「うむ。大きくなったら、こいつに乗って旅をしたいと思っている」
伝説の白竜に騎乗した剣聖とか怖すぎだろ。旅先の街や国が恐慌状態に陥るのではないだろうか?
「どれくらいで大きくなるんですか?」
「さあな? わたしが10年凍っていたのに、これくらいの大きさなのだから、乗れる大きさになるには、大分時間がかかるのではないか? まあ、わたしも子供ができて、ある程度育つまでは旅をする気もないし、ちょうど良い」
「今は、中央はあまり旅ができるような状況ではないみたいですしね」
今回の妃候補たちから収集した情報によると、現在中央は緊迫した情勢で、各国が戦力の増強に余念がないらしい。有力な人材に対する勧誘がかなり強引になってきており、それを嫌って、ファルーンに来た妃候補も何人かいた。その代表格が第四妃となったシーラである。
「おまえのせいではないのか?」
師匠がニヤリと笑った。
中央の情勢が動いたのは、ドルセン国が弱体化したことが大きい。1万の兵の損失に加えて、結果的に五天位のうちの3人を失っている。これを好機と見た周辺諸国がドルセン国へと侵攻を試みているのだ。
「僕は攻められた側ですよ。正当防衛です」
「おまえがカドニアを併合しなければ、ドルセンとて動かなかっただろう」
「……それは結果的にそうなっただけで、僕は領土なんか欲しくなかったんですけどね。ファルーンで平和に暮らせればそれで良かったんです」
「王位を獲ったのも成り行きなら、カドニアを獲ったのも成り行きか。それはもう、おまえの運命なのではないか?」
師匠は目を細めて、意味深なことを言った。
「師匠、それはどういう意味で……」
言いかけた僕の口を、師匠は指でそっと押さえる。
「師匠はやめろ。わたしはおまえの妻になったのだぞ? カサンドラと呼べ」
「……カサンドラ、今言ったことはどういう意味ですか?」
師匠を名前で呼ぶのは、何かとても気恥ずかしい。
「そのうちわかる。少なくとも、おまえの周囲の人間は何か感じているはずだ。おまえはそういう男なんだよ」
カサンドラと呼ばれた師匠は、ちょっと頬を赤らめていた。