その32 カーミラの生活
正式にファルーンに嫁いだ日から、カーミラの地獄は始まった。
食事は3食、モンスターの肉。
最初は国元から連れてきた料理人が作った料理を別で食べていたのだが、せめて空腹にしないとモンスターの肉を食べるのが厳しく、その上、モンスターの肉を食べると気持ちが悪くなって、他の料理を受け付けられなくなるという悪循環に陥ったので、すぐに止めた。
彼女は食事のたびに、今までの自分の行いを悔いた。
カーミラがドルセンにいたころは「その料理は今気分ではない」、「わたしにそんなものを食べさせるつもり?」、「わたしが食べたいものはここにはありませんのよ?」等々と食事に文句ばかり言って、料理人たちや従者を困らせ、多くの料理を無駄にしてきた。
(自分は何と贅沢だったのでしょう。あのとき好き嫌いを言って無駄にしてきた料理など、今ならすべて美味しく食べることが出来るわ。いえ、もう金輪際食べ物に対して贅沢は言いません。それがモンスターの肉でなければ)
そう悔い改めてみるものの、目の前のモンスターの肉は消えてくれず、オグマの監視の目が光っているのもあって、無理矢理にでも口に詰め込むほかなかった。
そして夜である。カーミラはマルスの妻となったのだから、当然夜の相手もしなければならない。
しかも、王妃であるフラウが、カーミラが嫁ぐと同時に懐妊を発表したため、当分の間は彼女ひとりで王の相手をすることとなった。
カーミラの婚姻が決まったとき、フラウの従者がフラウに尋ねたことがある。
「王妃様、よろしいのですか? 陛下が新しい妻を娶るなどと……」
従者はマルスとフラウが仲睦まじい夫婦であることを知っていたので、マルスが新たな妻を迎えたことに、フラウが心を痛めてないか心配したのだ。
「良い。わたしはしばらく動けなくなる」
このときフラウは自分に子供ができたことを予期していた。
「それに、わたしひとりでは大変」
「?」
従者は何が大変なのかわからなかったが、恐らく王妃としての役割のことを指しているのだと考えた。
もうひとつ話がある。
王都にはたくさんの娼館があり、闘技場目当ての客で繁盛していたのだが、当然ハンドレッドのメンバーも客として来ることがあった。
しかし、彼らの評判は甚だしく悪かった。別に金払いが悪いわけではない。むしろ、良い方である。普通であれば上客なのだが、ハンドレッドの、中でもランキングが高いメンバーほど、娼婦たちは相手を嫌がった。
一晩、彼らの相手をすると心身ともに疲れ果て、2、3日動けなくなるほど疲弊してしまうのだ。
そうなるといくら払いが良くても商売上がったりである。かといって、断るわけにもいかないので、ハンドレッドのメンバーは娼館から嫌われていたのだ。もっとも、当の本人たちはそんなことを気にもしていないのだが。
モンスターの肉は体力も魔力も向上させるが、影響はそれだけに留まらず、そちらの方面にも多大な影響を及ぼしていた。
そして、ハンドレッドの頂点に立つマルスも例外ではない。というより、一番強く影響を受けていた。
同じくモンスターの肉を摂取し、感情の起伏がほとんど無いフラウでさえ、少々辟易するほどに。
ただ、マルスもフラウも他に相手を知らないので、こういうものだと思っていた。
一方、カーミラは自身の経験こそなかったものの、夜の営みを通じて、王を意のままに操った王妃の先例をいくつも知っていたので、自分もそうなってやろうと野心を燃やしていた。
フラウが先に懐妊したことは残念に思っていたが、血筋的に考えれば、出来てしまえば王族である自分の子供のほうが優遇されるだろうと考えており、夜の相手をするのに前向きだった。
そして最初の夜で心を折られた。
精も根も尽き果てて、ぐったりしている自分をよそに、元気に起床するマルスの姿を見て、カーミラは驚愕した。
これは人ではない、モンスターだと。
(こんなことをしていたら、いつか私は死んでしまうわ!)
カーミラは命の危機を感じた。そして思った。
身体に不調をきたせば、ドルセンに帰れるのではないか、と。
しかし、肝心の身体は最初こそ体調不良を起こしたものの、すぐに適応してしまい、いたって健康体であった。
仮病を使おうとしても、オグマが従者たちを蹴散らして、カーミラを引きずり出し、無理矢理食事を取らせるので無意味だった。
さらに不幸は続く。
1ヶ月ほど経ったある日、朝食という名の拷問を終えた後、ヤマトが姿を現した。
「カーミラ様、オグマ殿より身体が食事に慣れたという報告を頂きましたんで、本日より鍛錬を開始させて頂きたいと存じます」
身体が食事に慣れた? 確かに腹を壊すことはなくなったが、舌はまったく慣れていない。それを慣れたというのだろうか?
それよりも鍛錬とは何か? 王の妻が何故身体を鍛える必要があるのか?
「……わたしにその鍛錬を拒否する権利はあるのですか?」
色々と諦めがついてきたカーミラだが、一応聞いてみた。
「何をおっしゃる、カーミラ様。あなたはたぐい稀な才能の持ち主。それを伸ばさずに放置するなど、神に対する冒涜です!」
ファルーンという国の存在自体が神に対する冒涜であり、明日あたり神罰が下って欲しい、とカーミラは思った。
「……それで鍛錬とは、どういうことをするのですか?」
「簡単です。魔獣の森から生きて帰ってくるだけです」
ああ、そういえばそんな話をしていたな、とカーミラは自分が縛り上げられていたときの会話を思い出した。あれは本気だったのか。
魔獣の森に置き去り? それは鍛錬じゃなくて、生贄の儀式じゃないの?
だが、カーミラはここでひとつ思いついたことがあった。
魔獣の森から帰らなければいいのではないか? そのままドルセンまで逃亡してしまえばいいのではないか? と。
「わかりました。その鍛錬とやらをやりましょう」
一縷の望みを胸に、カーミラは魔獣の森へと向かった。
――――――――――――――――
無理、死ぬ。
魔獣の森の深部でカーミラは生命の危機にさらされていた。
「死なない程度のモンスターが出る」と言われて連れてこられた場所だが、とにかくモンスターが巨大な上に強い。
丸太のような蛇、小山の如きイノシシ、通常の100倍くらいのサイズの虫、さらに植物型のモンスターに精霊系、死霊系等々、目につくほとんどのものがモンスターである。倒せないこともないが、倒したところで次から次へと現れた。
もはや、逃げながら戦うしかなかった。目指す場所は、森からも視認できるファルーンの王城である。
そこに向かう以外の選択肢は無かった。
自分の持てるすべての力を使い、戦いに次ぐ戦いを切り抜けて、一昼夜かけて死に物狂いで王城に辿り着いた。
城の門の前で、カーミラは泣いた。
街の灯が愛おしかった、また人と会えることが嬉しかった、何よりも生きることが素晴らしかった。
そんなカーミラを見て、ヤマトは言った。
「次はもう少し奥まで行きましょうか?」
と。
ブチ切れたカーミラはヤマトを殺そうとしたが、あえなく敗北。
だが、その戦いの中でカーミラは、自分が確かに強くなっていることも感じたのだった。
――――――――――――――――
カーミラが僕の第二妃になってから1年ほど経った。
オグマが食事の管理をし、ヤマトが鍛錬を課し、フラウが魔法を教えることで、カーミラは急速に強くなった。
初めはホームシックなのか、食事の場でも寝室でも、よく泣いていたカーミラだったが、今では大分調子を取り戻している。
カーミラの従者たちによると、「人柄が優しくなって立派になられた」らしい。多分、ファルーンの朴訥な環境が彼女を変えてくれたに違いない。
そのカーミラだが、先日懐妊した。フラウはすでに男の子を出産しているので、2人目となるはずだ。
ハンドレッドでも変化が起こっていた。
騎士や戦士たちだけでなく、魔導士も参加するようになったのだ。また、男だけでなく、女性も参加するようになった。
どうも、闘技場で行われたフラウとカーミラの戦いを見て、魔導士でも騎士たちと戦えると思った者たちが、ハンドレッドへの参加を希望しているようだ。同様に、フラウやカーミラのように強くなりたいと思った女性たちが、ハンドレッドに参加し始めている。
オグマによると、ハンドレッドが求めているのは力なので、魔法使いだろうが、女だろうが、力がある者は拒まないそうだ。
まあ、そこまではいいのだが、困ったことも起きた。
強い女は、王妃の座に挑める、もしくは僕の妻になれる、という噂が流布しているらしい。
これもフラウとカーミラの戦いの話が広まった結果なのだが、別に僕は強い女が好みなわけではない。
結果的に王妃が『雷帝』、第二妃が『狂乱の皇女』となっただけである。
……よく考えてみれば、何で妃がふたりとも二つ名持ちなんだろう?
ともかく、オーガみたいな筋骨隆々の女が妻に名乗りを上げられても困るので、その噂はすぐに打ち消すよう指示を出そうとした。
しかし、思わぬところから反対された。
フラウとカーミラである。
「妻は増やすべき」
フラウが言った。
「お姉さまの言う通り、王たる者、もっと妻を増やすべきです」
カーミラも同調した。
「いや、僕はフラウを愛している。カーミラのことだってそうだ。だからこれ以上、妻を増やす気はないんだが……」
「お姉さまもわたしも、愛よりも他の妻が欲しいのです。せめて後3人は増やして下さいまし」
「何でそんなにいっぱい……」
「わたしは身籠りましたし、お姉さまは子育て中です。陛下のお相手はできません!」
カーミラは断言した。
妃の数など少ない方が良いに決まっている。金もかかるし、後の争いのもとになる。
そう思って、他の者たちにも話を聞いてみた。
ガマラスはフラウとカーミラから話を聞いていたらしく、
「そうですな。王妃様方の務めも大変なようなので、分担されるのも宜しいかと……」
奥歯に物が挟まったかのような言い方で、彼女たちの言い分を肯定した。
王妃の務めって何? 何かやってたっけ?
ハンドレッドの連中に聞いたところ、
「増やした方が宜しいかと存じます」
と全員から言われた。
理由としては「戦力の強化に繋がる」とのこと。
そういうわけで、僕の新たな妃候補の選考会が闘技場で開催されることとなった。