その31 初めての晩餐
―――カーミラ視点―――
王妃の座を巡る戦いで敗れたわたしは、別の分野でこの国に影響を与えることを決めました。
スケルトンドラゴンを使役したり、闘技場ごと消し炭になるような呪文をぶっ放してくる女と戦うのは二度とごめんです。わたしも陰で『狂乱の皇女』と呼ばれていたようですが、狂乱の二文字はあの方にお譲りします。
わたしたちは王の妻なのですから、戦いなどという野蛮な分野で競おうとしたのが、そもそもの間違いでした。
ちょっと魔力が強いくらいで、わたしの上に立ったと思ったら大間違いです。
人の価値というものは、剣の腕や魔力で決まるようなものではないのです。何でも力で解決しようというのは、野蛮人のすることです。
わたしがファルーンという後進国にもたらさなければいけないもの。それは文化です。
この国は貴族の数が少なく、信じがたいほど文化が洗練されていません。わたしのような煌びやかな中央の文化に触れて育ってきた人間にとって、これは耐え難いものです。
王城にしても実用性のみを考えて建設したような武骨なもので、華やかさが足りません。
そういえばヤマトと戦った際に、ちょっと城の壁や天井や柱が壊れたのですが、それを宰相のガマラスときたら、修繕費用がどうのこうのと、ぐちぐちと言います。こんなことなら、城ごと崩壊させて、力づくで城を建て直させれば良かったわ。
……まあ過ぎてしまったことはどうしようもありません。
とにかくわたしは高貴な貴族として、ファルーンに新たな文化の風を吹き込まなければならないわけです。
文化と言っても、いきなり絵画や彫刻を見せても、あの連中は何も感じないでしょう。何しろアクセサリーとして囚人の腕輪をするような人たちです。芸術の良し悪しなどハードルが高過ぎます。犬に言葉を教えるほうが、まだマシでしょう。
粗野で無教養な人間にも文化を教える糸口、それは食事です。
ドルセンの洗練された食事を与えれば、いかに自分たちが文化的に遅れているかを思い知るでしょう。
そのためにはとりあえず、ファルーンの料理を死ぬほど貶す必要があります。例えある程度美味しかったとしても、徹底的に粗を探して、料理人を呼び出し、罵詈雑言を浴びせて精神的に追い詰めて追放しなければなりません。
そして代わりに、私がドルセンから連れてきた一流の料理人を宮廷料理人の座につけるのです。これはわたしの横暴とかではありません。ファルーンが文化的に発展するために、必要なプロセスなのです。
そういうわけで、わたしは今、マルス王と二人きりの初めての夕食の席にいます。どんな質素な料理が出てくるのか楽しみです。
側仕えたちが銀の盆にのせられた料理を持ってきました。
さて、どんな一品なのでしょう?
……皿の上には生肉が1枚のっているだけです。
これはどういうことでしょう? ひょっとして他国から嫁いできた妃に対する嫌がらせでしょうか?
そう思って、わたしの夫となったマルス王のほうを見ると、わたしよりも巨大な生肉を躊躇なく口に運んでいました。
この国の食生活は1万年くらい前で止まっているのですか?
まあ良いでしょう。想像以上に劣悪な環境ですが、その分、わたしの計画が上手く進むというもの。
さっそく料理人を呼びつけましょう。
「何なの、この料理は? 生肉をそのまま食べさせようとか、わたしをオークか何かと勘違いしてるんじゃないの? 料理人を呼びなさい、料理人を!」
「料理人ですか? あの、これを作ったのは料理人ではなく……」
わたしの想像した通り、側仕えたちは怯えています。今日から誰がこの城の女主人になるのか、わからせなければなりません。
「誰でもいいから、この料理を作った責任者を呼んできなさい!」
側仕えたちは慌てて部屋の外に出て行きました。
マルス王は黙って生肉を食べています。何も言わないなんて、強いようだけど意気地がないのかしら。これは案外簡単に、この国の実権を握ることができるかもしれません。
わたしが内心ほくそ笑んでいると、ひとりの男がずかずかと部屋に入ってきました。
ハンドレッドの1位・オグマです。ファルーンを象徴するような、頭も体も筋肉でできているような男です。ブリックスの戦いでは騎士の首級を50以上もあげたことで、ドルセンでも恐れられていました。
「あんたか、俺たちが献上したモンスターの肉に文句をつけているのは?」
はい? モンスターの肉? 牛とか鹿ではなくて?
「こっ、これはモンスターの肉なのですか? そんなものを王やその妃に食べろと? 無礼にも程がありますよ!」
「無礼じゃない。これは俺たちハンドレッドの強い肉体と精神を作り上げるために必要なものであり、偉大なるゼロス王が広められた食事だ。毒はあるが、体力も魔力も向上する。黙って食え」
「毒? 毒があるのをわかってて出しているんですか? あなたは一体どういうつもりで……」
ふうっ、とオグマは面倒くさそうに息を吐きました。
「あんたに出したのは、モンスター中でも一番食べやすいキラーラビットの肉だ。そんなものはハンドレッドに入りたての16才の小僧でも食べている代物だ。……まあ、16に満たない、身体が出来ていない子供に食べさせると死ぬかもしれないが」
「死ぬ? 今あなた死ぬって言いませんでした?」
「うるせぇな。あんたはもう18は超えているだろ? だったら死にはしねぇよ。
見ろ、陛下の姿を。陛下が召し上がられているのは、俺たちが総出で倒してきたベヒモスの肉だ。
その肉を食ったが最期、大の大人でも楽勝で死ねる。俺とて食べるのは辛い。この国で平然と食べることができるのは陛下だけだ。
それをキラーラビットの肉ごときで、ぎゃあぎゃあ言いやがって。陛下の妃となるなら、その程度の覚悟は示してもらおうか?」
ベヒモス? ベヒモスは上級のドラゴンと並ぶ超弩級のモンスター。動く災厄とも呼ばれています。
その肉をこの国の王が食べている?
見ると マルス王はわたしたちの話がまるで聞こえていないかのように、一心不乱に肉を食べています。
「ベヒモスは滅多に現れないモンスターだが、でかいだけあって肉も多い。だが、この国でその肉を平然と食べることができるのはゼロス王のみ。そこで肉は魔法で冷凍保存され、陛下が毎食食べていらっしゃる。そう、ベヒモスの肉こそ、ゼロス王が到達した頂きの証。陛下は常に我々のはるか上の世界にいらっしゃるのだ」
マルス王を見るオグマの視線は、純真な子供のように輝いていました。
まったく理解できません。この国の身分は毒に耐性がある順番で決まっているのでしょうか?
「馬鹿馬鹿しい。わたしはドルセンから来たのよ。ファルーンの野蛮な風習に従う必要はないわ」
「そうはいかん。あんたは既にハンドレッドの一員だ。その肉を食べる義務がある。食べなければ、俺が無理矢理口に突っ込むまでだ」
オグマがわたしに向かって一歩前に出ました。
「無礼者!」
わたしはその威圧感に、つい指を鳴らしてソニックブレードを撃ってしまった。いやこれは不可抗力です。わたしは悪くありません。が、
バチンッ!
風の刃をオグマは掌で受け止めました。
「あぶねぇな。俺じゃなかったら指が飛んでいたぜ?」
いや、それは指どころか首が飛ぶような威力のはずですが、なんで素手で受けられるんですか?
「その程度のソニックブレードじゃあ、陛下の足元にも及ばないぜ? あんたは陛下に挑みたくてこの国に来たんだろう? じゃあ、なおさらモンスターの肉を食べなきゃダメだ。食べる勇気が出来ないっていうなら、俺が食わせてやるよ?」
ゆっくり近寄ってくるオグマにわたしは恐怖した。
「食べます! 食べるから近寄らないで!」
わたしはそそくさと皿の上の生肉に向き合うと、ナイフで小さく切って、口に運んだ。
……意識を失いかけました。不味いとかそういうレベルではありません。
身体が受け入れるのを拒否しています。明らかに食べてはいけない何かです。
吐き気をこらえて、何とか咀嚼して呑み込みました。
あまりの不快感に、コップの水を一息で全部飲んでしまいました。
それでも食べた肉が、お腹の中で蠢いているような気がします。
「おーやればできるじゃねぇか」
出来の悪い子供を褒めるかのように、オグマが言いました。
「……あなたたちは本当にこんなものを食べているの?」
一口食べただけでも、この有様です。これを毎食食べているとは、到底信じられません。
「食べてるよ。弱いモンスターの肉から始めて、徐々にレベルを上げていっている」
毒のレベルを上げている? この国の人間は自殺願望でもあるの?
「無理です。わたしには無理です!」
こうなったら泣き落としです。悪魔と鬼のハーフとしか思えないオグマは無視して、マルス王に懇願するしかありません。
ちょうど彼は肉を食べ終えたところです。
わたしは目を潤ませて、マルス王を見つめました。
「陛下。わたしにはモンスターの肉を食べることはできません。どうかお慈悲を賜りたく……」
ここで涙を一筋こぼすのがコツです。わたしは世界一の美人なのですから、こういう風に頼まれて、嫌といえる男はいないはずです。
「カーミラ」
マルス王はにこやかに微笑んで、わたしの名を呼びました。よし! これは成功です!
「わたしは君に期待している。頑張ってくれ」
そう言うと、王はそそくさと部屋から出ていきました。
えっ? 見捨てられた?
呆然とするわたしの肩に、オグマが手を置きました。
「陛下はあんたに期待しているそうだ。その期待に応えないわけにはいかないだろう。いや、応えないなど、神が許しても俺が許さん」
こうして、肉をすべて食べきるまで、オグマはわたしのことを監視していました。
わたしは涙を流しながら、ときにはあまりの不味さと悲しみに嗚咽を漏らしながら、1時間もかけて肉を完食致しました。
その晩、わたしが猛烈にお腹を壊したことは言うまでもありません。
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ベヒモスの肉は相変わらず不味い。精神を集中させて、身体の毒耐性を極大にまで活性化させないと、食べている途中で毒にやられてしまう。
今日はカーミラと初めて食事を共にしたが、このベヒモスの肉のせいであまり話ができなかった。
食べ終わって、気付いたらカーミラとオグマが話し合いをしていた。
そして、カーミラが僕に「モンスターの肉を食べたくない」と訴えかけてきた。
うん、僕もそんな不味い肉を食べる必要はないと思う。人間らしい食事をしたほうが良いに決まってる。
あと、頼みもしないのに毎回モンスターの肉を運んでくるオグマを何とかして欲しい。
そういうわけで
「わたしは君に期待している。頑張ってくれ」
と伝えた。
他国からやってきたカーミラなら、モンスター食という、この国に蔓延るおぞましい習慣を撤廃してくれるのではないかと期待しているのだ。
ただ、それを僕の口からオグマに伝えることはできないので、とっとと食堂を後にした。
がんばれ、カーミラ!