その3 とある侍女の独り言
―――とある王城の侍女視点―――
私は王子であるマルス様の側仕えとして、城に奉公に出ている侍女です。
一応、とある貴族の三女ですが、長女でない限り、良縁に恵まれるわけではありません。
将来、貴族として生きていくためには、侍女をしている間に、そこそこの地位の貴族に見初められる必要があります。
……ですが、そんなささやかな野心もお構いなしに、私にはある使命が課せられました。
本家筋のランドルフ伯爵から『マルス王子を毒殺せよ』と指示されたのです。
ランドルフ伯爵はガマラス宰相の派閥。大方、ガマラス宰相から命令されたのでしょう。
個人的には、ランドルフ伯爵もガマラス宰相も顔が嫌いなのですが、それはそれとして、分家である実家と本家の力関係もあり、断ることもできません。
とはいえ、王太子の毒殺もそう簡単にいきません。そもそも毒見役が付いています。
ランドルフ伯爵自身も、毒殺は成功しなくて良いと思っていたようです。
マルス様に『自分が狙われている』と思わせることで、精神的に弱らせることが目的だったのでしょう。
実際、マルス様は、毒見役が3度も倒れるのを目の当たりにして、食事に一切手を付けなくなりました。
これでは心身ともに衰弱していくに違いありません。
……そう思っていた時期が私にもありました。
マルス様は一時的に衰弱したものの、どうやらどこかで食事を取っているらしく、だんだんと生気を取り戻し、むしろ以前よりも逞しくなりました。
伯爵から、どこで食べ物を手に入れているのか調べるように言われましたが、まったく見当がつきませんでした。
ところが、それから1年ほど経ったある日、突然マルス様が食事を取ると言い出したのです。
これには驚きました。さすがに1年も食事を取っていないので、毒なんか混ぜていません。
そう混ぜていなかったはずなのに、何故かマルス様は倒れました。
あれ? 何で?
とても不思議だったのですが、毒を仕込んだのは私だと思い込んでいたランドルフ伯爵からは、お褒めの言葉と幾ばくかの報酬を頂いたので、とりあえず、自分がやったことにしてあります。
それから三日三晩、マルス様は死の淵を彷徨うような状態でしたが、何とか回復してしまいました。
私はとても複雑な気持ちでした。やったのは私ではありませんが、回復してしまうと、それはそれで私が失敗したみたいに思われてしまうからです。
実際、マルス様が回復したことを知ったランドルフ伯爵は
「今度は失敗するなよ」
という言葉と共に、今まで使っていた物よりも、さらに強力な毒を渡されました。
幸いなことに、回復したマルス様は毒見役を使わずに食事を取るようになったので、毒を盛るのは比較的容易でした。
毒で死にかけたのに、毒を警戒しないとか、この王子様は人生を舐めてらっしゃるのでしょうか?
ちょっと頭にきたので、今まではバレにくいように毒は少量だけ混ぜていたのですが、人生の厳しさを教えるために、たっぷり食事に毒を仕込んで差し上げました。
食事を口に入れた瞬間に、亡くなった王妃様とあの世で再会できることでしょう。
ところが、毒をたっぷり入れたはずのお食事を、マルス様はパクパクと食べるではありませんか。
それどころか、
「やっぱり普通の食事は美味しいなぁ」
などと、食への喜びを噛み締めていらっしゃいます。
あれ? おかしい? 何で生きているの、この人?
同僚の侍女に罪をなすりつける準備までしたのに、これではその苦労も水の泡です。
でも、これは私の責任ではありません。
きっとランドルフ伯爵が毒と間違って、無害な薬を渡したに違いないのです。
とはいえ、相手は伯爵。証拠も無しに「おまえのせいだ」と言えるはずもありません。
そこで私は、たっぷり水が入った盃に、渡された毒を、ほんの少し垂らして、よく混ぜて、舌先で舐めてみることにしました。
あの王子がバクバク食べていたものですから、無害に違いありませんし、万が一、毒だったとしても、大したことにはならないはずです。
これで渡された毒が紛い物であったことを証明し、ランドルフ伯爵に貸しを作ることにいたしましょう。
……そんな風に考えていた私は、世界一の愚か者でした。
舐めた瞬間、全身が痙攣し、喉を裂かれたような痛みが走りました。喉に指を突っ込んで、お腹の中のものをすべて吐き出しました。
それでも身体には痺れが残り、しばらくは身動きが取れませんでした。
というようなことを、ランドルフ伯爵に報告すると、
「おかしい。解毒薬すら間に合わぬあの毒で、生きていることなどありえぬ。考えてみれば、前のときも、医師と治癒魔法師を買収したのに、最終的には助かってしまったのも妙だ」
伯爵は眉間に深い皺を作って考え込みました。恐らく、この人も毒殺に失敗したら、ガマラス宰相から怒られてしまうのでしょう。
「最近、王子に変わったことはなかったか? どんな些細なことでも構わぬ」
変わったこと? 王子に特に大きな変化を感じるようなことはありません。でも些細な事でもとなると……。
そういえば、侍女の間で、少し前から王子が指輪をするようになったことが話題になりました。
そのことを伝えると、
「まさか、マジックアイテムか? 毒を無効化するという指輪があると聞いたことがあるが、まさかそんなものを手に入れていたのか?」
そんなものがあるとは初めて知りました。言われてみれば、あの指輪をするようになってから、マルス様は毒が平気になったような気がします。
「そうか。やはり、そうに違いない。だから、毒見役を廃止するなどと思い切ったことができたのだ!」
なるほど。毒見役を廃止した時は、周囲から「マルス様はお優しい」などと称賛の声が上がったですが、とんだ偽善者もいたものです。私も何だかマルス王子に対する怒りが湧いてきました。
「よし! おまえはその指輪の形を子細に伝えよ。偽物を用意させる。その偽物と指輪をすり替えたのちに、安心しきったマルス王子を毒殺する!」
―――――――――――――――
しばらくして、よく出来た偽物が、ランドルフ伯爵から送られてきました。その装飾といい、大きさといい、本物とそっくりです。
私はその偽物を懐に忍ばせると、王子が湯浴みをしている間に、外していた指輪とすり替えることに成功しました。
そしてすぐに、その指輪をランドルフ伯爵の元へと持っていきました。
「ほう、これが毒を無効化する指輪か」
伯爵は指輪を手に取ってご満悦です。
「聞くところによると、相当な高値で取引されているようだが、どうしたものか。ガマラス宰相に渡すには少々惜しいし……」
そう言いながら、伯爵は自分に似合うか試すように、自分の指にその指輪を嵌めました。
「グッ、キィェェェッ――――――!!」
その瞬間、伯爵は怪鳥のような叫び声をあげると、嵌まった指輪を外そうと手をかけ、そのまま床に倒れこんでしまいました。
顔が蒼白で、目・口・鼻から血を流しています。
完全に死んでいました。
私は自分の口を押えて、叫び声を上げるのを抑えると、とりあえず証拠隠滅を図って、指輪を伯爵の指から外し、それを持って、逃げ出しました。
翌日、私と伯爵が密会していた場所から、ランドルフ伯爵の死体が発見され、城内は大騒ぎになりました。
表向き、私と伯爵はほとんど面識がないことになっていたので、私には何の疑いもかけられませんでした。もっとも、私が殺したわけではないのですが……。
それからしばらくして、騒動が落ち着いたころ、マルス様が湯浴みをしている時に、指輪を本物とすり替えました。
もちろん、私は怖くて、一度もあの指輪を付けたりはしていません。
どうなる事かと思って、湯浴みを終えたマルス様を見ていると、何の躊躇もなく指輪を嵌めました。
マルス様は「うん?」という表情を浮かべると、
「今日は少し身体の調子が悪いのかな?」
と呟いて、そのまま自室へ歩いていきました。
―――ガマラス宰相視点―――
ランドルフ伯爵が死んだ。それも毒によって殺されたらしい。
彼にはマルス王子の毒殺を示唆していた。無論、直接的には何も言っておらず、私の関与を示すものは何もない。
万が一、毒殺が失敗しても、伯爵を切り捨てれば、私には何の累も及ばないようにするためだ。
ところが、伯爵は逆に毒殺されてしまったのだ。
これは警告に違いない。
マルス王子に手を出した者は、相応の報いを受けるという……。
恐るべき相手だ。まったく何の痕跡も残っていない。そもそも城に王子に味方する者など、ほとんどいない上に、こういった裏の仕事を実行できる人間は皆無だ。
裏ギルドは私と手を組んでいる上に、利害関係が一致しているので、裏切ることなどありえない。
一体、王子は誰を味方に付けたのだろうか?
わからない。それが恐ろしい。
正直、マルス王子は大した障害にはならないと踏んでいたし、暗殺できなくとも問題ないと思っていた。毒殺はちょっとした脅しのようなつもりだった。
だが、これは私の見当違いだったようだ。
マルス王子は、どんな手を使ってでも殺さなければならない。それには周到な用意が必要だ。
まずは失敗したときに、私の身代わりとなる貴族を見繕わなければ……。