その26 カーミラ
カツンカツン、とヒールの高い靴を石畳で鳴らしながら、女が優美に歩いている。
華美な白いドレスを着こなし、扇子で顔を仰ぎながら、鼻歌交じりに歩いている。
最近のファルーンの王都では珍しい、身分の高そうな女である。ゼロス王の政変後、貴族はほとんどいなくなり、特に身なりの良い女性の姿はとんと見かけることはなくなった。
そもそも、政変前であろうと、身分の高い女性が街の往来を歩くこと自体、珍しいことなのだが。
というわけで、王都に住む人々は奇異の目で、女性を見ていた。
彼女の顔立ちは整っており、均整の取れたスタイルは蠱惑的ですらあるのだが、それ以上に「この人、何でこんなところを歩いてるんだ?」という怪しさが先に立った。
女はそんな周囲の視線をまったく気にすることなく歩みを進め、城の門へと向かった。
城の入り口の警護をしているのは、青の騎士団である。先のドルセン国との戦いで活躍した黒の騎士団や赤の騎士団とは違い、主に王都の守備を任されているため目立つことが少ないものの、団員のほとんどはハンドレッドにも所属しており、実力的には他の騎士団と遜色はない。
警護にあたっているふたりの騎士は、だんだん近づいてくる白いドレスの女に嫌な予感がしていた。
「なあ、あの女、まさか城に入るつもりじゃないよな?」
騎士のひとりが相方に話しかけた。彼らは任務上、城に出入りしている人間の顔をほとんど覚えており、近づいてきている女が、城の関係者でないことがわかっていた。
「いや、あの迷いのない歩調はそのつもりじゃないか?」
「おまえ、あの女を見たことあるか?」
「あるわけないだろ? 貴族たちがいたときでも、城に歩いてやってくるドレスの女なんか見たことないぞ?」
貴族たちは外を歩くのを殊更嫌う。可能な限り馬車を使う。特に貴族の女性はその傾向が強かった。ドレスや履いている靴が機能性にはほど遠い代物なため、歩くのが億劫だったからだ。
「ひょっとして、あれは貴族の恰好をしている娼館の女か? そういうのが好きな男もいるという話を聞いたことがあるが」
「かもしれんな。ということは、男女間のいざこざを直談判しに城に入ろうとしているのか?」
「ありうるな。男のほうはクロム様か、ワーレン様といったところか?」
黒の騎士団長と赤の騎士団長は若いころから遊び人として知られていた。今でも独身であることをいいことに、歓楽街に頻繁に出入りしているという噂だ。とはいえ、さすがに城に乗り込まれるような遊び方はしていないため、ふたりとも冤罪である。
「まあ、うちの団長ではないだろうな」
「それはそうだ」
青の騎士団団長のブレッドは品行方正で素行の良い、騎士の鑑のような男である。政変のときは旧政権を裏切る形でマルス側に付いたが、それも国の腐敗を憂いてのことであり、基本的には実直で真面目な人間だった。
警護のふたりが軽口を叩いている間に、白いドレスの女はとうとう門のところまでやってきた。
「失礼ですが、どちら様でしょうか? 城にどのようなご用件ですか?」
青騎士のひとりが丁寧に尋ねた。女は怪しいことこの上ないが、万が一にも城の人間の関係者である可能性を排除しきれないし、力づくで押し入ろうという輩にも見えなかったため、丁重な対応をとった。
「あらあら、わたしこれでも有名なつもりだったんですけど、さすがにここでは知られてないのかしら。困ったことだわ」
女は困っているとはまったく思えない感じで、扇子で口元を隠しながら笑った。
「有名……ですか?」
「そう、有名なの私。少なくとも国元では、わたしを遮る者などいないくらい、はね」
他国の貴族だろうか? しかし、そういう予定は聞かされていない。護衛のふたりは顔を見合わせた。
「面会予定の方はどなたでしょうか? 確認してまいりますが」
「予定なんかありませんのよ? ただ、ちょっと……お会いしてみたいと思いましてね。ゼロス王に。
ひょっとしたら、勘違いされているのではないかと思いまして。弱い弱いふたりを倒したくらいで、五天位を見くびっていらっしゃるとしたら、それは私にとって悲しいことですし、ドルセンにとっても嘆かわしいことでしょう?
わたしも五天位のひとりとして、これは国のためにひと肌脱ごうかと思いまして、ね。国王陛下にも内緒でこっそりとここまでやってきましたの。
田舎道を歩いて、わたくし疲れたわ。中に入れていただけるかしら?」
これを聞いて、青騎士のふたりは困惑した。
「ドルセンの五天位? その恰好で?」
「カーミラと申しますの。ああでも、マテウスやダンテと同列に並べないでくださいまし。あのふたりは五天位の数合わせにすぎませんから」
カーミラと名乗った女は、扇子でそっと顔を仰ぎながら妖艶に微笑んだ。その佇まいは騎士というよりも、高級娼婦のようであり、五天位のひとりと名乗っても、いまいち真実味が感じられなかった。
「……とりあえず、お引き取り願いましょうか? 五天位かどうかはともかく、ドルセンの人間を城内に通すわけにはいかないので」
「ふふっ、融通が利きませんことね」
カーミラは扇子をふたりに向かって、そっとあおいだ。
すると、扇子のささやかな風が強烈な波動へと変わり、騎士たちの身体を吹き飛ばした。彼らはそのまま門に叩きつけられ、大きな音を立てて扉が開く。
「あら、ちょうど門が開いたわ。さすが門番ね」
動けなくなったふたりを横目に、カーミラは城の中へと入っていった。
城内では音を聞きつけて、警備していた青の騎士団の騎士たちがすぐに駆け付けた。
カーミラは気にもかけずに、カツンカツンと音を立てて先に進む。
「おい、女! 何者だ!?」
何人かの騎士たちが、カーミラの行く手に立ち塞がった。
カーミラはまたも扇子を彼らに向かってあおぐと、風が波動となって、騎士たちを弾き飛ばした。倒されたうちの何人かは血を吐いている。
「何だ、今のは? 魔法か? 囲んで討ち取れ! 先に行かすな!」
さらに多くの騎士たちがカーミラを取り囲もうと動く。
それを見たカーミラは扇子を持たない右手で、パチンと指を鳴らした。
音と共に指先から風の刃が発生し、ひとりの騎士の身体を鎧ごと斬り裂いた。
「ソニックブレードだと!?」
騎士たちに動揺が走った。ソニックブレードは剣技であって、魔法ではない。実際、カーミラが魔法を詠唱した素振りはなかった。魔法使いでないとすれば、この女は何者なのか?
カーミラはパチンパチンと立て続けに指を鳴らした。
その度に、指を向けられた先の騎士が血まみれになって倒れた。
何人かの騎士が、カーミラの死角から斬りかかったが、攻撃が上手く当たらない。避けられているわけではないのだが、剣がカーミラに届かないのだ。
攻撃が空をきった騎士たちは、至近距離からカーミラの反撃を受けて倒されていく。
こうして、ファルーンの王城は血に染まっていった。
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カーミラは行く手を阻むものがいなくなった城の廊下をカツンカツンと進む。
城の文官や侍女たちの多くは、この騒動で慌てて城から逃げ出している。
カーミラはそれには手を出さずに、玉座の間へと向かった。
「止まれ」
そこに盾と剣を構えた男が立ちはだかった。青の騎士団を示す青い鎧を身に着けている。
「私は青の騎士団団長ブレッド。部下たちをやってくれたようだな、何者だ?」
少し癖のある短い茶色い髪に、同じく茶色の瞳。凛々しくも生真面目そうな顔立ちをしているブレッドは、相手の出方を伺うように盾を構えた。
「……名乗られた以上は返さないわけにはいきませんね。わたしはカーミラ。ドルセン国・五天位の第三席です」
ふぅ、と息を吐いたカーミラは煩わしそうに答えた。
「無駄な抵抗は止めて、道を開けませんこと? わたしが用があるのはゼロス王ですの」
「五天位の第三席か。わたしとてハンドレッドの10位の座にある男。そう簡単には倒せると思わないことだな」
「辺境国のマイナーな騎士団の序列10位程度が偉そうなこと……」
カーミラがパチンと指を弾いた。
ギンッ! と音を立てて、ブレッドの構えた盾が風の刃を防ぐ。
「……ソニックブレード? あの動作で撃てるのか!?」
ブレッドはカーミラの攻撃に驚きつつも、慎重に間合いを伺う。
「あら、わたしの攻撃を防ぐなんて、ミスリル製かしら、その盾?」
カーミラも攻撃を防がれたことに、意外そうな表情を浮かべた。
「陛下から下賜された盾だ。その程度の攻撃は通らん!」
ブレッドの盾は円形でやや小さめだが、ミスリル製で魔法も付与されている強力な防具である。
マルスが魔獣の森で見つけたものだが、マルスを含め、攻撃一辺倒のハンドレッドのメンバーには盾を使う者が少なく、盾の扱いが上手いブレッドに渡された。
マルスとしては要らないから渡しただけなのだが、ブレッドはこれに大いに喜び、この盾を家宝として、以来愛用している。
カーミラは今度は扇子をあおいで、波動をブレッドに叩きつけたが、これも盾によっていなされた。
「忌々しい盾だこと」
間合いをつめて剣を振るってきたブレッドに対し、カーミラは舞うように後ろへ飛ぶと、パチンパチンと立て続けに指を鳴らし、風の刃を幾重にも放つ。
それをブレッドは的確に防ぎ続けた。安定した防御、それが青の騎士団団長ブレッドの特徴である。
闘技場でも、派手さはないが堅実な戦いぶりで、一部の玄人から評価が高い。
「守るだけでは勝てませんよ?」
風の刃に加えて、扇子からの波動も織り交ぜて、間断無く攻撃するカーミラ。
ブレッドは攻撃を防ぎつつも、腰を落として姿勢を低くすると足に力を溜めて、盾を構えたままカーミラに向かって跳躍した。
「防御だけと思うなよ!」
シールドバッシュという攻防一体となった剣技であり、単なる体当たりではあるのだが、盾と自分を同一化し、全身に魔力を帯びて突進する強力な打撃技となっている。
だが、この攻撃はカーミラに当たらなかった。ブレッドはすり抜けるようにカーミラの側を通り抜ける。
「まだまだ!」
ブレッドは着地するなり、その反動を利用して、再びシールドバッシュを発動させる。
この連続攻撃こそブレッドの得意技であり、闘技場で何人もの相手を倒してきた。
ブレッドは床、壁、はては天井まで利用して、跳ね回る玉のように何度もシールドバッシュを試みたが、カーミラにはまったく当たらなかった。
「何故当たらん!?」
「奥ゆかしい方ね。女性と触れ合うのが恥ずかしいのかしら?」
困惑するブレッドを見て、カーミラは嗤った。
「でも飽きたわ。愚直なのはいいけど、物足りなさを感じる攻撃ね」
「なっ……」
私生活で似たようなことを言われた経験があるブレッドは一瞬言葉を失い、立ち止まった。
そして、カーミラの姿が陽炎のようにゆらめく。
「色々と経験不足ですわね」
その声はブレッドの背後から聞こえてきた。
残像を利用した高速移動。
振り向きながらも即座に間合いを取ろうとしたブレッドだが、パチンという音と共に身体を斬り裂かれた。