その22 五天位
優勢だった自軍が突如後退し始めたことに、キンブリーは驚いた。
5倍の兵力で押していた戦いの流れを変えることなど、そう簡単なことではない。
(もしや、ゼロス王が前戦に出たのか?)
そうだとしたら、こちらも五天位を投入しなければならない。
あるレベルを超えた戦士の相手を一般兵にさせるのは、無駄死にが増えるだけだ。
キンブリーは前線からの報告を急がせた。
そして、帰ってきた伝令から
「前線の複数の場所に、敵の精鋭が投入された模様です」
という報告を受けた。
「精鋭? ゼロス王ではないのか?」
「はっ、精鋭の数は10人程度。容姿からするにゼロス王ではありません。ですが、かなりの強敵です。3人組の連携がまったく機能せず、一方的に蹂躙されています。人数をかけても止められません」
ゼロス王ではないということは、ハンドレッドのランキング上位の人間だろう。
ランキング上位者の闘技場での武勇は聞いていたが、それは興行的に誇張された話だと、キンブリーとその参謀たちは判断していた。伝え聞いた話が、いずれも人間離れしていたからだ。
ファルーンのような小国に、そこまで強い戦士が何人もいるというのは想定外だった。
「一旦、退かせるか」
キンブリーは即座に判断した。崩れた戦線はそう簡単に立て直せない。
敵戦力を過小評価したミスもある。
「しかし、敵の勢いは激しく、退却となれば総崩れになる可能性も……」
伝令には状況判断のできる優秀な騎士を使っている。その騎士が言っているのであれば、退却はそう簡単なことではないだろう。
(直属を投入するか?)
キンブリー直属の騎士団は精鋭揃いである。一度戦線を押し戻せるかもしれないが、本営を手薄にする危険と、失敗した時のリスクが大きい。
「キンブリー将軍。我々が行きましょう」
傍に控えていた五天位のひとり、マテウスが進言した。
マテウスは長い金髪を後ろで束ねた眉目秀麗の男だが、五天位にふさわしく神速の剣技で知られる騎士である。
もうひとりの五天位であるダンテも、キンブリーの視線を受けて頷いた。こちらは褐色の肌を持つ偉丈夫で、巨大な大剣を軽々と振るう剛力である。
「ずっと、ここにいても暇ですから」
マテウスは笑みを浮かべて軽く言った。
恐らく、予定外に五天位を使うのを、キンブリーが躊躇すると思っての気遣いだろう。
「……わかった。頼む。主軍が撤退する時間を作るだけでいい。深追いも不要だ。相手にはまだゼロス王が控えている」
「了解しました。では」
そう答えると、マテウスとダンテは戦場に向かった。
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ブラッディロッドをブンブン振るっていたワンフーはご機嫌だった。
闘技場では簡単に勝てないものの、ここでは自分の強さを実感できる。
(やはり腕力は偉大だな)
倒した敵の数はもはや数えきれない。自分が進んだ分だけ、敵が後退していく。
他の味方たちも、自分の勢いにつられるように攻勢に転じている。
(トップランカーの連中が出てくる前に、このまま敵を一気に打ち破るか)
そうワンフーが思ったとき、一人の騎士が前に立ちふさがった。
男のくせに長い金髪をなびかせた優男の騎士である。
「でかいね、君。人間じゃなくて、熊かなんかかい?」
金髪の男は、口元に笑みを浮かべて軽口を叩いた。
「むん!」
ワンフーはそれには応じず、代わりにブラッディロッドを横殴りに振るった。
金髪の男は軽やかに跳躍してかわすと、くるっと空中で回って着地した。
「返事がないなんて、やっぱり人の言葉が通じないのかな?」
「……誰だ、おまえは?」
一撃を避けた身のこなしは、容易ならざる相手である。ハンドレッドでも上位に入ることができる。
「おや、言葉がわかるんだね、熊さん。僕の名前はね、マテウス。五天位のひとりと言ったらわかってくれるかな?」
五天位。その称号は知っていた。ドルセン国でも最強の5人が関する称号。一騎当千と称される勇者たちである。
「五天位か、面白い! 俺はハンドレッドのワンフーだ! 叩き潰してやる!」
ワンフーは先ほどまでの力任せの攻撃から一転、速さを重視した攻撃に切り替えた。
その巨体に似つかぬ風切り音のする疾風のような棒術。闘技場で勝ちあがるために身に着けたスタイルである。
縦横斜めからの打撃に、突きを加えた連続攻撃。一撃でも剣で防げば、ブラッディロッドの超重量で防御の上から相手にダメージを与える自信がワンフーにはあった。
だが、その攻撃のすべてをマテウスは避ける。
「怖いね。その攻撃をまともに受けたら、骨が折れそうだよ?」
マテウスはワンフーの攻撃の意図を読み取っていた。
そして、一旦距離を取ると、体勢を低くし剣を後ろに引く。マテウスの持っているのは剣幅が短めな細身の剣だった。
(くる!)
ワンフーが反撃を予期した瞬間、マテウスの姿が消えた。反射的にブラッディロッドで防御態勢を取る
キィンと微かにブラッディロッドで弾いた感触があったが、脇に熱い感覚を覚えた。
見ると、脇腹を斬り裂かれている。
だが、マテウスの攻撃は終わりではない。神速と称えられた超絶速度からの斬撃が次々と襲ってくる。
ワンフーはブラッディロッドで防ぎつつ、身をよじって致命傷を避けたが、身体は徐々に切り刻まれていった。
そしてとうとう膝をついた。
(死ぬな)
ワンフーは敗北を悟った。
(だが、ただでは死なん。とどめの一撃が来たところで一発くれてやる)
敢えてその身を斬られたところを、筋肉で剣を挟み込み、動けなくなった相手を素手で殴る算段だった。
ワンフーが闘技場で何度かやった捨て身の攻撃であり、やるたびに回復役のルイーダに怒られた。
「実戦でそんなことをやったら死ぬからね!」と。
戦いの中で死ぬのは構わない。ハンドレッドは全員がその心構えができている。むしろ、死を恐れて逃げることなど、到底考えられなかった。
(さあ来い!)
ワンフーが覚悟を決めた時、マテウスが周囲のドルセン兵に指示を出した。
「よし、撤退しろ!」
「撤退ですか? あと少しでこの化け物を倒すことができますよ!」
ドルセン兵のひとりが言った。
「将軍の指示は撤退だよ。わたしはその時間を稼ぎに来たに過ぎない。ここ以外も苦戦しているから、わたしはそこも救援して回らなくてはならないからね。それに……」
マテウスがワンフーを見た。
「彼はまだやる気だよ。手負いの熊は何をするかわからない。彼が動けないうちに引きたまえ。敵の救援が来る前にね」
そう言われたドルセンの兵士たちは、後ろに下がり始めた。
(助かったのか?)
去っていくマテウスを見たワンフーは、緊張の糸が切れて意識を失った。
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ドルセン軍が引いていくのを見たマルスは、追撃を禁じた。
自軍にも被害が出ていたので、負傷者の手当てを急がせたのだ。
特に最前線に出た20位クラスのハンドレッドのメンバーたちは、現れた五天位の2人によって、その全員が戦闘不能に追い込まれている。
ワンフーなど意識不明だったが、ブラッディロッドの回復効果とルイーダの治療のおかげで一命を取りとめた。
一方、ドルセン軍は、主軍にかなりの被害が出たことに衝撃を受けていた。
5倍の兵力でこの有様である。一体、ファルーン軍はどれだけの強兵なのか、と。
「どうしたものか」
本営の天幕の中でキンブリーは参謀たちと、これからの展開を練り直していた。
まともに戦うと損害が激しい。だが、戦い方はいくらでもある。参謀たちは五天位と直属の騎士団に先陣を切って押し込む案や、ファルーン軍を釣り出して各個撃破する案などを献策していた。
軍議を行っている最中、天幕に伝令が入ってきた。かなり緊張した面持ちである。
「報告します! こちらに向かっていた補給部隊が襲われ壊滅しました!」
「補給部隊が? カドニア貴族たちが裏切ったのか?」
参謀の一人が問い質した。
設定した補給ルートは、ドルセンについたカドニア貴族たちの領土である。それを襲われたということは、そのカドニア貴族たちの裏切りしか考えられなかった。
「いえ、襲ったのはモンスターのようです。山間部で狼のようなモンスターの大群に襲われたということです。その数は数百匹という話も」
「数百匹のモンスターに襲われただと! そんな情報入ってないぞ! 南部ならともかく、カドニア北部にそんなモンスターの大群がいるわけがない!」
魔獣の森に隣接しているカドニアの南部はモンスターが頻出する地帯だが、それ以外の地域でモンスターを見かけるのは少ない。補給部隊とはいえ護衛がついている軍隊を襲うほどの大群などありえなかった。
「そのモンスターを動かしているのは、ファルーンの仕業かもしれん」
報告を聞いて考え込んでいたキンブリーが口を開いた。
「スタンピードといい、モンスターの動きがあまりにもファルーンに都合が良すぎる」
「まさか! モンスターの大群を動かすなど人間の所業ではありません!」
1匹、2匹のモンスターを操るテイマーと呼ばれる者たちはいるが、一度に数百のモンスターを操れる人間の話など古今東西知られていない。
「あくまで推測だ。常に最悪を考えろ。
だが、今の問題はそこではない。補給が無ければ軍は動けん。カドニア北部を抜けたのは良いが、その分補給ルートは長くなっている。その安全が確保されなければ、これ以上の軍事行動に支障をきたす」
すぐに次の補給部隊を向かわせるにしても、補給ルートの安全が確保されてなければ、同じことが起きる可能性がある。
近隣のカドニアの領主たちから現地調達するという手もあるが、1万の軍の補給となると簡単ではない。下手をすると、ドルセン国が略奪を行ったと悪名を広めてしまう恐れもある。そうなると政治的な問題も生じる。
「撤退だな。余力があるうちに退くべきだろう」
キンブリーはそう判断した。
「お待ちください、将軍! 目の前のファルーン軍を短期決戦で破れば、カドニア軍は降伏するはず。そうすれば補給の問題はどうとでもなります。」
参謀たちが反論した。彼らにしてみれば、ファルーンのような小国を相手に、撤退など不名誉極まりなかった。多少無理をしてでも戦うべきだと考えている。
「補給路を潰したのが、ファルーン軍によるものだった場合、こちらが短期決戦を望んでいても、向こうは守りに徹する。最悪、兵を引かれてモスに籠る可能性もある。
そうでなくても、短期で勝負を付けるには、五天位と直属の騎士団を使わなくてはならないが、ファルーン軍にはゼロス王という切り札が残っている。確実性が低い」
キンブリーの言葉に参謀たちは沈黙した。モスに籠城されれば、さすがに陥落させるのに時間が必要となる。
また、今回の戦いでファルーン軍の強さは嫌というほど思い知らされた。となれば、ゼロス王の強さは計り知れない。五天位を前線に出した場合、ゼロス王と1対1になってしまえば敗れることも考えられる。
現状では、あまりに状況が悪いことを参謀たちも理解した。
こうして、ドルセン軍は翌日の朝に撤退することを決定した。