その19 ドルセン国
ファルーン国とカドニア国の北側には、ドルセンという国がある。
ドルセンの国土はファルーンの5倍はあり、ファルーンとカドニアを合わせても、ドルセンの半分にも及ばない。
その歴史も古く、アレス大陸ができた時から存在しているとされ、国王の血筋は女神の末裔と称されていた。現在もアレス大陸中央に位置する列強のひとつであるため、国土だけでなく、経済・軍事面でもファルーンを圧倒している。
ドルセンからしてみれば、ファルーンもカドニアも魔獣の森への緩衝地帯程度の扱いであった。
その緩衝地帯同士が突如合体した。
ドルセン王としては気に入らない動きであった。
近年、ファルーンが魔獣の森の開拓を進めて、急速な発展を始めたのは当然把握している。
それはまあいい。小国がいくら発展しようと、その規模には限界があった。闘技場という野蛮な施設を造って、賭博で収益を上げていたのも、「貧乏な国は必死なものよ」と鼻で笑えた。
が、隣国を合併して、国の規模を倍にすることは看過できない。
もちろん、まだファルーンはドルセンに遠く及ばない国である。だが、隣国を合併したということは、領土的野心があるということだ。
軍事的には大きな伸長は見せていないが、ハンドレッドという身分を問わない少数精鋭システムを導入している。また、実力はあるが性質面に問題のある魔法使いたちが、倫理を問わない魔法の研究が出来ると聞いて、ファルーンに集まっている情報もある。
そして、カドニアで発生したスタンピードの鎮圧。
しかも、大軍を使わず、少人数でファルーンは成し遂げたという。
これはファルーンの力が容易ならざるものであることを示していた。
情報によると、今回のスタンピードは小規模なものであったようだが、それでもファルーンの力を侮ることはできない。
今、ドルセン王の前では2人の男が頭を下げていた。
カドニアの第一王子と第二王子である。
スタンピードが起きるや否やモスから脱出し、父である王の死を知ると、途端に後継者争いを始めるという、どうしようもない愚物である。
そのせいで国内の支持を失い、ファルーンによるカドニアの併合を許すことになったのだ。
こいつらと死んだカドニア王がもう少しまともであれば、今のような事態は招かなかっただろう。
この2人はドルセン王に、自分たちの窮状を申し立てていた。
曰く、「不当にカドニアを追放された」「今回の件はファルーンによる侵略である」「父王もモンスターではなくファルーンに殺されたに違いない」「スタンピードはファルーンが起こした」「王妃となった妹がファルーンと企てた謀略である」等々。
証拠も何もない、文字通り負け犬の遠吠えである。これが自分の配下であったら、首を飛ばしているところだ。
なのだが、ドルセン王に今必要なのは大義名分である。その主張がどれほど荒唐無稽であろうと、この2人にはカドニアを継ぐ権利が一応あるのだ。
「おまえたちの言いたいことはわかった」
ドルセン王が厳かに答えた。
「ドルセンとしてもファルーンの暴挙を見逃すことはできない。対応を考慮しよう」
その言葉に、カドニアの王子たちは狂喜して、ドルセン王に感謝した。
まったく呑気なものだ。
ドルセン王は心の中で毒づいた。
中央の強国のひとつであるドルセンが動くということは、他の列強にその動向を注視される。下手をすれば他国の干渉を受ける。相応の事前準備と根回しが必要なわけで、かなりの手間と労力がかかる。開戦となった場合には、金銭的負担も莫大なものとなる。そう簡単なことではないのだ。
だが、それでもやらなければならない。問題は小さなうちに潰す。それが施政者としての務めである。
まずは外交ルートを通しての王位明け渡しの要求。その間に、カドニア側の貴族の調略。さらにはカドニア国境への軍隊の集結。
できる限りの兵力を動員して演習を行い、示威行為を行う。
恐らくそれで、カドニア北側の貴族の多くは、こちらの内応に応じるようになるだろう。
大人しく王位も明け渡してくれればしめたものだが、ファルーン国がそれを許すはずがない。
最終的にはドルセン軍とカドニア・ファルーン連合軍との戦いが予想される。
その戦いにさえ勝ってしまえば、後は傀儡の王をカドニアに立てて、意のままに動かせば良いだけだ。かかった戦費もカドニアから容赦なく徴収すればいい。
恨まれるのは、新たなカドニア王で、その後カドニアが混乱しようと知ったことではない。
今回の目的は、台頭してきたファルーン国を叩くことにあるのだから。
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新たなカドニア王となったニコルは、ドルセン国からの書状を見て、ため息をついていた。
書状の内容は、カドニアを乗っ取ったファルーン国への非難と、王位の明け渡しである。
要求を呑まなかった場合は、実力行使に出るということを婉曲的に記されていた。
正直、ニコルにしてみれば想定通りの事態である。
こんな派手な動きをしていれば、隣接する大国に目を付けられるのは当然。想定よりも遅いくらいだが、おそらくは国内外の調整に時間がかかったのだろう。
無論、カドニアを明け渡すのは論外である。せっかく、兄から自由に裁量を任された一国の運営なのだから、この機会をみすみす逃すわけにはいかない。
ニコルは幼いころから帝王学を叩きこまれて育った。ファルーン国の王太子はマルスだったのだが、廃嫡は決定事項となっていて、ニコルもそういうものかと思っていた。
母と祖父からは「おまえがファルーン国の将来を担うのだ!」と、政治・経済について手ほどきを受けた。
特に祖父ガマラスからは、具体的な政策や実践を伴った人の動かし方なども教わり、早い段階でニコルの政治家としての能力はかなり高いレベルになっていた。
ニコル自身も「国王となってファルーン国を素晴らしい国にする!」という理想に燃えていた。
だが、ある日、突然その未来がなくなった。
マルスによる軍事クーデターである。
祖父ガマラスは絶大な政治権力を持っていたが、暴力の前にあっさり屈したのである。
ガマラスや貴族たちが凡庸と考えていたマルスは、裏では軍事的カリスマであり、私兵ともいうべきハンドレッドを組織し、地方軍閥であった黒の騎士団や赤の騎士団の支持も得ていた。
また、マルスは婚約者であり、強力な魔法使いでもあったフラウとの結びつきも強めて、魔法師団をも抑えると、圧倒的な軍事力で王都を制圧したのだ。
主だった貴族たちは粛清され、ニコルも母と共に一時拘束されたが、ガマラスが許されたことにより、生き残ることができた。
その後、マルスは敵だったガマラスを重用し、既得権益層だった貴族を一掃した後に、大胆な改革も行わせている。ニコル自身もその一助を担った。
ファルーン国に必要だった政治的・経済的な改革をあっさり達成してみせたのだ。それも、政敵だった人材を活用して。
「かなわない」
ニコルは侮っていた兄を心から尊敬した。暗殺を恐れ、部屋に引き籠っていたのは仮の姿で、その裏では次期王として着々と準備を進めていたのである。
ニコルは王というよりは政治家として成長していたが、兄は「王とは何たるか」を示したのだ。
そして、マルスはカドニアの王としての職責をニコルに与えた。
これは尊敬する兄が、ニコルの能力を認めてくれたことに他ならない。恐らくは自分が幼いころからしてきた努力を認めてくれているのだろう。
ニコルはカドニア王女と縁づくと、北側の貴族たちには柔和に対応し、南側では国の直轄地を増やして、急速に立て直しを進めた。
カドニア王女は特権意識にまみれた典型的な貴族令嬢とは異なり、自分好みの聡明な女性で、能力的にもパートナーとしては最適の人物だった。良き伴侶を選んでくれたものだと、兄には感謝している。
また、ハンドレッドの幹部も何人か連れてきて、カドニアでも同様のシステムを導入した。
強力な軍事力の有用性はマルスが証明しているところであり、それを使わない手はない。
とはいえ、成就するには何もかも時間がかかる。近々に迫ったドルセン国の脅威に対しては当面無力だ。
開戦すれば、北側の貴族の大半が内応するだろう。
妃の祖父であり、北の有力貴族であるゴードン公爵にも、いざというときは降伏しても構わないという話は内々にしてある。抵抗するだけ無駄だ。
しかし、しかしだ。考えようによっては好機でもある。ドルセンに内応した罪に問えば、残った北側の貴族を取り潰すことができる。
既得権益層である貴族など、国にとっては不要な贅肉でしかない。
これを削ぎ落すことができれば、カドニアの国力を一気に上げることができる。
ひょっとしたら、ここまでの流れを兄マルスは読んでいたのかもしれない。
だとすれば、恐るべき先見性である。
恐らくドルセンとの戦いにも勝つ算段がついているのであろう。
現在、ファルーン国には軍事的支援を求めており、既に赤の騎士団が到着済みである。数としては少ないが、士気が高く、その実力は折り紙付きだ。
いざというときのために、マルスとフラウが参戦することも要請済みである。あの2人がいれば、どんな戦いでも負ける気はしない。
もちろん、ニコル自身も戦場に出るつもりだ。王が前線に出ることで士気を鼓舞するのも重要だが、モスをわざと空けて、ドルセン側に内応する者たちを炙り出す良い機会でもある。
戦争は外交的失敗であり、政治的失策、経済的負担となるが、これは避けては通れない道である。
兄マルスはドルセンに勝つことで中央への進出を目指しているに違いない。
巷で噂されている通り、マルスはアレス大陸の統一を最終目的にしているのだろう。
ニコルもマルスが小国の王に収まる器ではないと思っているし、アレス大陸初の統一王となるべき人物だと信じている。
そのためにも、ニコルは、弟として、カドニア王として、マルスに献身するつもりである。