その18 カドニアの王女
「カドニア王の王女がモスにいる?」
「はい。我々が保護していました」
心ならずもカドニアの南部を平定してしまった僕に、ゲオルクが妙な話を持ってきた
カドニア王には当然何人か子供がいて、後継者争いをしていたらしいのだが、今回のスタンピードで全員モスから脱出している。そいつらは、それぞれ母方の貴族に身を寄せているらしいのだが、ルビスという王女だけが城に残ったようだ。
「ルビス様は『残っている民がいるのに、自分たちだけが逃げるわけにはいかない』と、城に残られたのです」
「ほう、それは立派なことだな」
貴族がほとんど脱出したモスで、王族なのに民のために残ろうというのだから大したものだ。
「ですがその……モスを救出して頂いて何ですが、マルス王といえど他国の王なので、どのように出られるかわからなかったため、今まで隠しておりました」
「ふむ」
まあそれはわからないでもない。ひとり残った王女など、他国の王がどのように利用するかわかったものではない。
「それを今になって私に知らせるのはどういうことだ? 脱出する機会など、いくらでもあったと思うが?」
「ルビス様の意志です。マルス王がカドニアの民を救う姿を見て、会いたいと仰られました」
ほう、そう言われると悪い気はしない。
「なるほど。では会ってみようか」
「なお、会談は極秘にしたいため、マルス王のみと会食の形を取って、お会いしたいそうなのですが、宜しいでしょうか?」
「それは構わないが……」
極秘にしたところで、フラウには契約紋を通して筒抜けなんだけどね。
「ありがとうございます! ではそのように手配させて頂きます!」
そう言うと、ゲオルクはそそくさと下がっていった。
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カドニアの王女ルビスは国を憂いていた。民衆を残してモスを逃げ出した挙句、死んでしまった父王のせいで、カドニアの民の心は王家から離れ、代わりに助けてくれたファルーン国の王マルスに移りつつある。
しかも、マルス王はスタンピードの被害地に惜しみなく金を与え、カドニア南部の人心を掌握してしまった。なぜカドニアに訪れたマルス王がそんなに金を持っていたのかといえば、それの出所は父王がファルーン国に要求していた賠償金だという。
出来過ぎた話だ。最初からすべては仕組まれていたのではないかと、ルビスは疑っていた。
そもそもカドニア国がファルーン国に賠償金を要求すること自体、無理筋だったのに、それをあっさり承諾してしまうのもおかしな話だ。
ファルーン国がスタンピードを起こした。
そう思えば、すべては辻褄が合う。合うのだが、ファルーン国にモンスター討伐を要請したのも父王であるなら、賠償金を請求したのも父王。
ファルーン国はこちらが要求したことを実行しただけで、非難される謂れは無い。
今更「すべてはファルーン国の企みだ!」と糾弾したところで、確たる証拠は無いし、城から逃げ出したカドニア王家の言い訳としか聞こえないだろう。
いや、証拠があったところで、ファルーン国の強さと気前の良さが知れ渡った今となっては、民衆はそれを信じようとはしないかもしれない。
これが本当にマルス王の企みなら、恐るべき智謀である。カドニアが要求したことを逆手に取り、侵略を進める。しかも現状打つ手がないのだ。
……いやあった。ひとつだけ手が残されていた。古来より非常時に使われてきた手段、それは暗殺である。マルス王の行動を逐一報告させた結果、かの王は毒見役を用意していないという。毒見をさせないのは自身の豪胆さを示すためなのかもしれないが、王族としてはわきが甘いとしか言いようがない。
毒殺しかない——————ゲオルクとも相談した結果、そう結論づけた。
寝込みを襲う、不意を衝く、という手もあったが、モス入城の際に示した、かの王の強さは常軌を逸している。暗殺者を何人用意したところで、とても成功する気がしない。
まず護衛に付いているハンドレッドからして、文字通り一騎当千の勇者たちだ。実力行使は通じないだろう。
となれば、毒殺一択である。だが、マルス王の妻であるフラウは強力な魔法使い。同席させれば、何らかの魔法で毒を検知される恐れがあるため、マルス王ひとりのときを見計らって、毒を仕込まなければならない。
自分が会食に誘い出す以外に手はない。
むしろ、誰の手によってかわからない状態で毒殺した場合、ファルーン国がどのような規模でカドニア国に報復するかわからないため、犯人は明確にしておいたほうがいいのだ。
何よりもカドニアの残る北側は、彼女の母方の祖父であるゴードン公爵が大きな影響力を持つ地である。自分に優しい祖父には迷惑をかけたくない。
すべては己ひとりの命で済ませたい。ルビスは悲壮な覚悟を決めた。齢14才だが、彼女は立派な王族であった。ゴードン公爵の縁戚であり、幼いころからルビスと親しくしてきたゲオルクも、その覚悟を涙ながらに受け止めて、マルス王への伝言役を果たした。
そして迎えた会談当日。場所はモスの王城の一室で行われた。
マルスは護衛も付けずに、ひとりでその場にやってきた。
これにはルビスたちも驚いたが、マルスにしてみれば、極秘というからひとりで来たに過ぎない。単独行動は子供の頃から慣れており、周囲の人間もこういったマルスの振る舞いに慣れていた。そもそも、実質的にマルスに護衛が必要だとは、誰も思っていないのだ。
部屋のテーブルにはカドニアの伝統的な宮廷料理が並んでいた。
お互いに挨拶を交わした後、まずはルビスが料理に口を付ける。料理の安全性をアピールするためだが、ルビスはあらかじめ解毒薬を飲んでおり、なおかつ料理に含まれた毒の量はそう多くは無い。
一定量食べなければ、即座に毒がその効果を発揮するわけではないのだ。
なお、毒は料理すべてに均一に含まれている。
マルスが突然、マルスとルビスの皿を入れ替えるように要求してくる可能性もあったからだ。そうしたことは王族として当然の自衛手段である。
もっともマルスはそんな要求をしなかったのだが。
「それで、わたしに会いたかったとのことだが、具体的には何が話したかったのかな?」
マルスが尋ねた。
「はい。私の祖父であるゴードン公爵はカドニア北部の有力貴族なのですが、現在カドニア南部を平定されているマルス王と祖父が結びつけば、現在混乱しているカドニアを安定させることができるのではないかと思いまして……」
ルビスは敢えてマルスの気を引くような話題を振った。話題に食いつかせることで、自然と食事を進ませるのが目的だ。
が、マルスといえば
「なるほど」
と言いつつも、「政治的な話題は面倒くさいなぁ」と内心思っていた。
しかし、カドニアの宮廷料理は意外と美味しく、話を聞きながらパクパクと食べていた。スパイスがピリリと効いているのが実に良い。
実のところ、カドニアの料理にスパイスが効いているのは、伝統的な部分もあるが、今回に関しては毒を誤魔化す側面もあった。
ルビスの方はといえば、カドニアの統一をほのめかしているのに、あまり話題に乗ってこないマルスに当惑していた。しかし、料理の方は積極的に食べてくれたので、毒殺の成功を確信していた。
最初は。
マルスがいくら料理を食べ進めても、まったく調子に変化が見られないのだ。
一方のルビスはというと、いくら解毒薬を飲んでいるからといっても、量を食べてしまえば、その効果も薄れてしまう。
会食の時間が長引けば長引くほど、ルビスの体調だけが一方的に悪化していった。
ルビスが傍らに控えているゲオルクに目をやった。ゲオルクは「マルス王の料理にもちゃんと毒は入っています!」と目配せで答える。
マルスが解毒の効果があるアクセサリーを身に着けていないのは、事前の調査で確認済みである。
魔法使いたちに遠目からマルスの装飾品を鑑定させた結果、
「マルス王は加護の効果を持った装飾品を身に着けておりません。ただ、身に着けている腕輪と指輪は、加護とは逆の、禍々しい呪いのような効果を持っているようですが……」
と言っていた。
マルスが呪いのアクセサリーを身に着けていることに一抹の不安を覚えたものの、とにかく解毒効果がないことは確かだった。
にも拘らず、料理を気持ちよく平らげているマルスはピンピンしており、小食を装って、それほど量を食べていないルビスは徐々に意識が朦朧としてきている。
「ところでルビス殿は今何才なのかな?」
政治的な話に飽きたマルスが別の話題を振った。
「……14才です」
ルビスは自分の体調の変化を気取られないように、平静を装って答えた。
「14か。やはりな。実はわたしの弟も14才でな、ルビス殿を見ていたら、ちょうど同じくらいの年回りではないかと思っていたんだ」
ルビスはこれを聞いて身構えた。この話の持って行き方は、間違いなく婚姻を前提としたものである。マルス王は弟と自分を娶せようとしているに違いない。
その目的はただひとつ。北部の有力貴族を祖父に持つ王女と縁組させることで、自分の弟をカドニア王に付け、円満にカドニアを併合しようとしているのだ。
初めからそれが目的だった?
ルビスは戦慄した。マルス王は自分たちの企みなど、すべて見通した上で、掌で泳がせていたのだ。
何とかそれは避けなければならない。
「どうだろう? 私の弟は政事に詳しいし、ルビス殿と上手くやっていけると思うのだが?」
断る、にしても直接的に断るのは、もってのほかである。丁寧に婉曲的に断るのが常道だ。それが貴族としての当然の立ち振る舞いである。
だが、聡明で知られるルビスといえど、毒の効果で思考がはっきりしない。むしろ、会談を早く打ち切って、早く解毒したかった。
死ぬ覚悟はしていたが、ここで死んだら無駄死にどころか、自分が死んだことでカドニア側が暴発して、流血沙汰になる可能性がある。
「……はい。前向きに検討します」
ルビスには、そう答えるのが精一杯だった。
一方、マルスは、14才であるルビスが一生懸命王族としての役割を果たそうとしているのを見て、ある思い付きが閃いていた。
弟のニコルも14才なのだから、王族として働いてもらおう、と。
いい加減、カドニアのことが面倒くさくなってきていたのだが、押し付ける適当な相手がいなかった。ファルーン国は貴族が少なすぎて、大役を担える人材が枯渇しているのだ。
が、カドニアの王女ルビスは14才で立派な王族として振る舞っている。なら、弟であるニコルにも同じことが出来て当然なのではないか?
ニコルには、自分の代行としてカドニアに来てもらい、ルビスと相談しながら、カドニアの運営に当たってもらおう。
マルスはそう考えた。だから、ルビスにも「上手くやっていけると思う」と聞いたのだ。婚姻とか、そういうことは一切考えていなかった。マルスは弟に面倒ごとを押し付けて、早くファルーンに帰りたかっただけである。
ルビスからも「前向きに検討する」という返事を得たので、会食が終わった後、魔法を介して、国元のガマラスと連絡を取った。
無論、真っ当な貴族的思考をするガマラスは、事の成り行きを聞いて、「これは婚姻の話である」と判断し、婚姻の準備を整えてニコルをカドニアに送り出した。
ガマラスとしても、孫がカドニア王となるのだから、この話には大賛成である。
むしろ、
「さすが、マルス様。即位したとき、ニコルを殺さなかったのは慈悲だけでなく、将来的にこういう役回りを持たせるためだったのか!」
とマルスの先見性に感服した。
こうして、マルスのあずかり知らない間に、そして、ルビスが毒で寝込んでいる間に、外堀がどんどん埋まってゆき、ニコルとルビスが結婚することとなった。
ニコルが婿入りする形で、カドニア王家に入り、そのまま王の座についたのだ。
カドニア北部の有力者であるゴードン公爵も、自分の孫娘が王妃となり、またファルーン王家とも縁戚関係となれたことで、ガマラスと利害が一致。積極的に婚姻を推し進めた。
ニコルはカドニア南部のほとんどを直轄地とした一方、北部の貴族たちには柔軟な対応を見せ、今までの権益を保証した。
ルビスも、事の成り行きはともかく、政治的なセンスを持つニコルに惹かれ、この2人は仲睦まじい夫婦となっていった。
こうしてカドニア国はファルーン国の事実上の属国となることとなった。