03
確かに彼女は『僕の家に行き放題だ』と言っていたけれど、今日来るとは聞いてないぞ? たまたま両親とも休日出勤で家の中が空だけど、いやだからこそ女子とふたりきりだ……大丈夫なんだろうか? 不純異性交遊、という言葉もあるくらいで……
「不純じゃないでしょう! 私達は正当な恋人だよ!」
「……まあ、そうか」
ただ、あまりにも家が散らかっていて恥ずかしい。僕の部屋なんて、散らかっている所ではない。比喩ではなく足の踏み場が無いのだ。
「ちょ、ちょっと待っててね、片付けしなきゃいけないから……」
と、僕は恥ずかしながら彼女を僕の玄関で待たせる。怪我でギプスもまだ外れていない彼女を立たせたまま待たせるのも悪いと思い、一応上がり框に座っていてもらうことにする。
「ほんとうに申し訳ない……ごめんね」
と言って、僕は部屋を見渡す。ティッシュのような衛生用品をまず捨て、食べ終わった皿を台所にとりあえず下げて、床に落ちている目に見えるサイズのホコリを取ってゴミ箱に捨てた。つぎに掃除機を取り出そうとしたところで、僕は肩を叩かれる。
振り向くと、彼女の立てた人差し指に僕の頬が当たる。
「っ……」
恥ずかしくて、でも彼女の微笑みが可愛くて、僕はどうすることもできない。ただただ照れてしまった。顔が真っ赤になっているかもしれない。
「最低限の片付けは終わったでしょ? あとは手伝うよ」
「……そんな……申し訳ない」
「来客を上がり框に座らせたままにしておくことのほうがよっぽどどうかしてるわよ」
「はは……反論できないわ」
「君の部屋は?」
「いや、まだ……」
「じゃあ、行こう」
「……いや、ちょっと」
「え、でも最低限の掃除は終わったんじゃないの?」
「いや、それはこのリビングだけだから」
「なんだよー……逆になんで自分の部屋を片付けずに掃除機をかけようとしてたんだよ」
「……僕はもともとお前を僕の部屋に上げるつもりじゃなかったんだよ」
「まあいい、五分上げるから最低限の片付け終わらせてきてね? それじゃあよーい……どん!」
*
五分……と言われると、逆にどこを片付ければいいのかわからなくなる。いかがわしい本やビデオの類いは持っていない。彼女がいるというのに、他の女性のことを女性として意識したくはないのだ。
とりあえずベッドの上に脱ぎ捨てた服をクローゼットに投げ込み――でもこのクローゼットの中も見られることがあったらどうしよう、と思って畳み直す。散乱しているリュックやバッグの類いもクローゼットに押し込む。
床に落ちている本を本棚に無理やり入れて、入り切らない部分をどうするか悩んだ末、クローゼットの中に入れたリュックに入れることにした。省スペースになって割といいと思う。
そこで一階から、「タイムアップー!」と叫ぶ声が聞こえた。――僕の部屋は二階にあるのだ。
「ほら、もう行くからね? 覚悟しといてよ」
階段を登る音が聞こえる。どたどたどた。結構大きな足音だ。
なんとなく怖くなって、クローゼットの扉を閉めた。
「うわあ……こういう感じなのね?」
「どんどん入って来といて、どんな言い方なんだよ……」
「さぁ、じゃあ片付けしてくよ」
片付けはテキパキとしていた。見られたくないと思っていたクローゼットの中も、特に何も言わずにどんどん開けて、僕の部屋に散らかっている本も筆記用具もコード類も片付けていく。足が不自由だとは思えないくらいテキパキとしていて、本当に人間なのかどうか疑わしいくらいだ。
ショルダーバッグからマスキングテープを取り出して、分別したものに貼っていく。そこに僕が分類名を書け、ということらしい。僕の仕事が無くて手持ち無沙汰だったから助かる――と思ったけれど、一体どういう分類なんだ? ハサミ、鉛筆、消しゴム……筆記用具ということだろうか? しかしその割には、シャーペンは別のところにしまっているようだし……
「それは『よく使う筆記具』と『時々しか使わない筆記具、または予備の筆記具』で分けてある。使う頻度で分類するのは常識だよ」
彼女は少し誇らしげだった。こんなに片付けが上手だなんて知らなかった。一年間恋人として関係を続けてきたけれど、でも発見することは今でも多い。もし彼女に出会わなかったら、世界の面白さを今の四分の一も知ることができなかっただろうと思う。――この世界に悪魔が居ることだって、彼女がいなければ知ることはできなかった。
「すごいよ」
僕は分類名さえ書くことができなかったので、やることが本当になくなってしまった。そういうわけで、彼女に感嘆を伝えておくことにする。
「本当に――すごい」
「そう? ありがと」
彼女がこんなにも素直に『ありがと』なんて言うのは珍しく、本当にそれだけで生きていてよかったというような気持ちになる。
*
「片付けだけで一時間かかったんだけど」
彼女はとても不機嫌そうに頬を膨らましている。でも頬を膨らます余裕があるくらいだから、実際はそこまで不機嫌ではないのではないかと思う。
「そうだな、そういうことになる」
「もうちょっと手伝ってくれても良かったんじゃない?」
「いや……でも、僕が参加してもかえって邪魔になっちゃうと思って」
「’こういうときは言い訳せずに素直に謝るほうがいいのよ?」
「……僕が邪魔になっちゃうというとこは否定してもらえないんだ……」
「ははは」
「あ、やっぱり否定しないのね」
「まあ端的に言って邪魔だったよね」
グサッ。僕の胸に刃物が刺さる音が聞こえる。……比喩だけれども。
「何しよっか」
と、足の踏み場がようやくできた僕の部屋の床に体育座りをしながら彼女は言う。
「……やることが思いつかない」
「なんか私、片付けで疲れ切っちゃった」
「うーん……肩揉もうか?」
「おお。いいね……恋人って感じ」
肩揉みの何が恋人なのかはよく分からないが――というか、むしろ恋人と肩揉みに関連性を見出すのは初耳だが――でも彼女がそうだというんならそうなんだろう。
彼女の背中に回って、肩を揉む。回したり揺らしたり、彼女の肩がほぐれるように色々試してみる。
「結構うまいじゃん?」
「でもねぇ……もともと全然凝ってないじゃん」
「私結構入院前は運動してたしね」
「やっぱ運動すると肩って凝らないもんなの?」
――誰のためにもならない話や、下らない話ばかりだ。時間の無駄みたいな話もあって、でもそれが楽しい。
幸せだなあ、と僕は心から思えた。
「あれ、ちょっと手が疲れてきてる?」
彼女はそういうことにすぐ気付く。
「うーん、まあ」
肩揉みというのをそもそもあまりやったことがないということもあり、結構体力は消耗していた。あと、いくら彼女とは言え――キスもしたことがあるとは言え異性に長時間触れているのは恥ずかしいものだ。
「交代してあげる」
そこで僕が座り、彼女が僕の後ろに立つ。彼女の肩揉みは力強く、しかしそれでいて優しく、包容力があって――ん? 包容という形容は前にもしたことがある。悪魔の目つきについてだったか――
一ヶ月も前のことになるというのに、よく覚えているものだと自分でも感心する。
ぐっ、と引いて、すっ、と下ろす感じ。そしてぎゅっぎゅっぎゅっ、と肩を揺らすように揉む。素晴らしい、見本のような肩揉みだ。
「なかなか上手いでしょ?」
「うん」
「しかし、君けっこう凝ってるんだね……」
この時間がいつまでも続けばいいのに――と願うような、幸せな時間だった。しかしそういった類のものには、いつも終わりがある。
今日は僕の親が帰ってくるまでには彼女に帰ってもらわなければならない――万が一でも不純異性交遊だと思われてしまっては困る。
それでも、この日常がずっと続くことは疑いたくなかった。
*
「なあ」
と――また悪魔は唐突に現れる。
ショートカットを後ろで束ねるというのはかなり変わった髪型だと思うのだが、この悪魔には結構似合っている。
「どうだ、元気してるか?」
……一体ここはどこだろう、見覚えのない空間だった。
「いやね、日中はずっとお前、彼女といちゃいちゃしてるだろう? お前に干渉できる時間が無くてさ。結局お前の夢の中に入ることになった」
……夢の中?
「ああ、夢の中だ。見覚えのない空間だろうが、お前が創り出してるものなんだぞ?」
……よくわからない。なんで悪魔が――
「さっき言っただろ? ちゃんと人の話は聞かなきゃだめだろ? 日中に干渉できなかったからだよ」
……その『干渉』というのもよく分からないが……ただ、僕が気になった所はそこではなくて、目的の方だ。
「ああ、それは大したことないよ。カスタマーサポート的な? つまり、顧客であるお前の満足度調査だ」
満足度調査?
「で、一つ目の質問が『元気かどうか』だ。二十四年という長めの時間を設定してるけど、それでも人によっては精神をやんでしまう人も居るからな」
元気だよ? お前も見てるんだろ。
「まあそうだけど、直接話すことに意味があるんだよ」
……そんなもんなのか?
「そんなもんだ」
直接って言っても、ただ夢の中で話しただけだけどな。
「そんなもんなんだって」
……ふーん。
「次。幸せか?」
……幸せだ。
「だろうな」
……なんだそれ。
「いちゃいちゃしすぎなんだよなあ、お前とお前の彼女。そんなんじゃ破局した後辛いぞ?」
なんで破局する前提なんだよ。
「僕は結構カップル関連の願いを叶えてきてるからねえ……どろどろしたカップルも多いし」
……『僕』か。やっぱりギャップがすげえわ。
「僕の話真面目に聞いてる?」
……むにゃむにゃ。眠いなあ、眠いなあ。
「……聞いてね―なお前。お前の覚醒も近づいて来たみたいだから、そろそろ退散することにするよ……また来るからな」
さよならー。
「さよなら」
*
夢は起きた時点で忘れてしまったが、でもなぜか楽しい感覚だけは残っていた。一体どんな夢だったんだろう?