永遠なる、傷と痛み
光の届かない、全ての色を飲み込むような薄暗い深緑の森の奥。
あらゆる知性ある生物から離れ、生きているだけの自然と一体化した不変の空間に、一体の存在がいた。
山のような巨体は腕や足がどこから生えてるか分からず、苔のような髭が胴体前面を覆っていた。
“トキミ”。そう呼ばれる由縁の、その存在の三つ目がパチクリと瞬きした。
足元……あるいは胴体の腹辺りか、一人の少女がこちらを見上げている。
十代半ば、ささくれ立った黒の長髪、埃で汚れたみずぼらしい服。何より特徴的なのは、全身に走る暴力の痕。
《オヌシ、どのようにして、ここに入れた?》
声を口から発したか、それとも少女の頭の中に伝えられたのか、ともかくトキミは少女にコンタクトをとった。
「分からない、逃げてたら、いつの間にここにいた」
《そうか……オヌシ、どこへ行こうとしてる?》
トキミの身体がズシリと揺れ、少女に対して身体を正面に向けた。
「ここじゃない、どこか遠く……この傷が、痛く感じないところ」
トキミは三つ目を大きく見開き、それぞれの目で少女の全てを覗いた。
《我はトキミ。過去、現在、そして今のオヌシを見つめるもの》
2つの目を閉じ、トキミは右の目で少女の怯えた顔と向き合う。
《我はオヌシの過去を見ている。オヌシは過去に行きたいか?》
「過去……過去に行けば、私はこの傷を消せるの?」
《そうだ、過去に行けば辛い出来事を消せる。過去にオヌシは道を行くか?》
少女はふぅっと息を吸い、一息ついて考えを至らせた。
「どうせ過去に行って原因を無くしても、この世が辛いことに変わりはない。傷痕が消えるだけで、身体が痛む世界なのに変わりはない」
トキミは右目を閉じ、左目を苛立つ少女に向き合った。
《ならばオヌシ、我はオヌシの未来を見ている。オヌシは未来に行きたいか?》
「未来……未来に行けば、この傷は痛まないの?」
《そうだ、未来ではオヌシの傷を痛ませない技術がある。未来にオヌシは道を行くか?》
少女ははぁっと息を吐き、一息ついて考えを至らせた。
「どうせ未来に行って傷の痛みを無くしても、未来では新しい傷が出来るじゃない。傷っていうのは、慣れたところで新しく生まれ続けるの」
トキミは左目を閉じ、額の目を全てに諦めた少女に向き合わせた。
《オヌシは今を生きている。消せず、新たに傷の生まれる世界。オヌシは今ある道を歩きたいか?》
「今ある道を、この傷痕と共に生きよってこと?」
《そうだ、傷の痛みはオヌシの生であり、オヌシの存在だ。今にオヌシは道を行くか?》
少女は口を結び、呼吸を止めて考えることを止めた。
「痛みを感じる限り、私は生き続けなきゃいけないんだ。私から傷は消えないんだね」
《傷に痛み続ける限り、オヌシはオヌシであり、本来ここにいるべきでない。ここは存在なき者の果て。いずれオヌシもここの一部となる》
少女の傷まみれの身体が痛みを叫び、トキミの額の目に吸い込まれる。
《痛むことこそ、在るべき形なのだ。オヌシには、ここに留まらず歩み続ける意思がある》
少女は悲鳴と笑い声を高らかに叫んだ。暴力と理不尽にまみれようと、少女は生きようとしていた。
《生きよ人間。傷とは人生であり、痛みとは存在なのだ。それが尽きぬ限り、オヌシは不滅であり、ここに迷い込むことはないだろう》
トキミは額の目を閉じ、全てを飲み込むような森の奥、不変の世界で再び長い眠りについた。