ぼくのちょっとした魔法
そもそも貨幣というものは肉体的苦痛を目に見える形に移し替えたものでしかない。たとえば、ぼくの場合、1時間だけスーパーで肉体労働をすることで800円の給与をもらっていた。肉体的苦痛を伴う労働に1時間耐えることによって、ぼくはそのお金を得るのだ。
もしぼくがその肉体的苦痛を癒すために800円以上の支出をしたのならば、ぼくは損をしたことになる。逆にその肉体的苦痛をたった150円で癒すことができたならば、ぼくは得をしたことになる。つまり貨幣とは肉体的苦痛であると同時に癒しを買うためのアイテムでもあり、ぼくたちはこの二つの働きのバランスを考えて生きなければ搾取される運命にある。
ぼくは少年がどのように精霊を手に入れているのか知りたい。なぜなら、ぼくの好奇心が知りたい知りたいとぼくを苦しめるのだ。ただ、少年はいくら出されても教えるつもりはないという。
しかし、少年の固い意志も、彼に一生遊んで暮らせるだけのお金を与えれば簡単に覆るだろう。お金があれば大抵のものは買える。ただ、最大の問題はぼくにそのような大金はないということだ。何かこの原則をかいくぐるような方法が必要なのである。
「手を出してくれないか?」とぼくは訊いた。
「えっ、なんですか急に?」と少年は訊き返したが、ぼくはそれを無視して勝手に彼の右手をぎゅっと握った。
「ああ、そうだ、好みのタイプも教えてくれないか?」とぼくはいった。
男に手を握られた上にそんな質問をされたため、少年はさらに困惑し、今度は不信気にぼくを見た。きっとほくのことをホモか何かだと思ったに違いない。
「貧乳派、巨乳派?」とぼくはより分かりやすく訊いた。
「巨乳ですかね……」と少年はいった。「金髪で背が高く足が綺麗な娘がいい」
「なるほど」ぼくは頷き、少し考え込む。
さあ落ち着けよ、とぼくは自分に言い聞かせる。この少年には何を見せてやるべきか?たぶん『ヘブンズトリップ(巨乳版)』あたりが合うだろうな、それでいくか……
「それじゃ、いくよ」とぼくはいった。
「待ってください!」と少年は慌ててぼくを止めようとする。
「君は天国に行ったことはあるかい?」と唐突にぼくが訊くと、少年はぽかんとしたまま言葉を失う。
「ないよね、おめでとう」とぼくはいった。「3……2……1……よっ!!」
その掛け声を合図に少年の体はバネのように弾ける。気を失い、そのまま地面に倒れ込む。がっ、という音がした。きっと頭からいったのだろう。
ここで再び貨幣の話。ぼくは少年にやってほしいことがある。しかし、お金はない。ここでポイントとなるのは、貨幣が癒しを買うためのアイテムでもあるということだ。
ぼくが少年に与えたのは、世界最高級の癒しである。それこそ普通の人がいくらお金出しても得られないような代物だ。お金で買えないものは、お金で買えないものと交換すればいい。
そして、彼はいま、天国にいる……
数秒待つだけでいい、彼は目を覚ます。
「おはよう、夢の旅からお帰りなさい」とぼくは少年の耳元に囁く。
彼は呆けたようにぼくをじっと見つめる。目を何度もぱちくりさせる。腕を何回かつねる。
「バニーちゃんたちはどこ?」というのが彼の第一声だった。
「彼女たちはいないよ」とぼくは教えてあげた。
「どこにいったの?」と少年は顔を歪ませて訊いた。
「言い方が悪かったね」とぼくはいった。「彼女たちは存在しないんだ」
思うに、少年はかなり遊んだらしい。体はすっかり火照っていて、頭からは湯気も出ている。
「あれはぼくの魔法なんだよ」とゆっくり言葉を選びながらぼくはいった。
少年は焦点の定まらない目でぼくを見た。どうやら、ちゃんと説明する必要があるようだ。
ぼくは手ぶらで異世界転移をしたわけではない、ということはすぐに分かった。まるで幼児が本能的に歩き出すように、ぼくは自分に魔法が使えることが分かった。
ぼくの能力は夢をつくりだすこと。
ぼくはつくり出した夢を強制的に相手の頭に叩き込むことができる。夢というのは、たとえて言うならば映画のようなものだ。ぼくは自分のつくった物語にタイトルを与えて夢をつくる。そして、その中へ対象者を送り込むことができる
夢の内容は自由だ。さっき少年に見せたのは『ヘブンズトリップ(巨乳版)』といって金髪巨乳美女に囲まれるパラダイスだ。他にも『オリエンタル・ハーレム』という東洋系の美女を集めたものや『スパイダー・ヘル』という生きたまま巨大蜘蛛に食べられる恐怖物もある。
膨大な情報を一気に送り込むことで、対象者の脳はその情報処理に追われ、体感時間は遅くなる。彼にとっては長い時間だったかもしれないが、ぼくからしたらほんの数秒だ。
「分かったかい?」とぼくは確認した。
どうやら、少年の容態はだいぶ落ち着いてきたようだ。そろそろ本題に入ったほうがいい。
「あなた一体何者なんですか?」と少年は疲れ果てたように訊いた。
「何者でもないさ」とぼくは答えた。「それより交渉を再開しよう」
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