1-1*
まばゆい光が収まる。
まぶしさに真っ白だった世界が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
というか、暗い。やたらと暗い。
「ってかここ何処?」
暗さに慣れた私の目前に広がっていたのは、人気をまるで感じさせない場所だった。
レンガで組まれた壁や天井は私の身長を三倍ほどの高さはあるし、それを支えるようにたくさんのレンガ造りの支柱が並んでいて、ぽつぽつと並ぶ支柱には松明が小さな火花をあげて燃えていた。
床はレンガ作りのようだけど、ところどころが崩れて土が剥き出しになっている。
雰囲気があり過ぎてヤバイ。
そんなレンガ造りの建物内部と思しき通路の一角で、私はたった一人で立っていた。
「…………ひっ」
こっわあああああああ!!!
松明の音以外は静まり返っている。
静かすぎる横幅二メートルほどの通路の奥に、白い人型の何かがゆらゆらと立っているのが視界に入り、小さな悲鳴が口からもれた。
慌てて口を押えながら周りをみる。
幸いにも後ろに続く通路には、見える範囲に怪しい何かは居ないようだ。
明かりは松明だけではなく、壁の所々に設けられた窪みにほとんど溶けてしまった蝋燭のような何かが点在していて、これもまた私の視界をより鮮明に確保してくれていた。
ところで、私の視力は2.0だ。
だから、いくら薄暗いといってもたかだか二百メートルほど先にある人間サイズの物体を判別出来ないような事はない。しかし、そのとき私はソレを判別できないのではなく、判別なんてしたくなかった。
淡いオレンジ色の光に浮かび上がるおそらくは骸骨が、その手にギラリと輝く何かを持っていて、一歩一歩彷徨うようにフラフラと歩いているなどという事実を。
「おおおお化け……っ!」
静かに数歩あとずさり、そのままゆっくりと後退する私。
不思議と熱さを感じない松明の横を通り抜けて、さらに百メートルほど骸骨から離れたところで通りの脇道を見つけて入り込んだ。
広さで言えば脇道というより部屋のような大きさで、レンガで作られた柱と柱を繋ぐアーチ上の意匠を施された通路は、所々が崩れているけどとても立派な物だったんだろうなあと感じた。
壊れた木の樽のような物が散乱していたり、相変わらず所々で剥がれた足場から土がむき出しになっていた。
あらためて手にショートソードを握り直し、置かれた状況を思い返しながらようやく、これが本番ってやつなんだ! と言い聞かせてみても、完全に雰囲気に飲まれてしまった足はガクガクと震える事しかできない。
「はっ……はっ……はっ……」
恐怖で息遣いが浅くなっている。
バクバクと高鳴る鼓動が無性にうるさい。
まばたきする瞬間でさえ、恐怖と言う名の闇にこのちっぽけな私は飲み込まれてしまいそうだ。浅い呼吸を続けているせいか、次第に喉の乾きに荒い吐息が混じってきた。それに気付いた私は慌ててインベントリから水袋を取り出し、口へと注いだ。
「ぶっはあああああぁぁぁ」
何もかもを吐き出すように一息つくと、それまでの浅い呼吸から酸素を取り戻すような大きな深呼吸を数回行う。
「おちつけ、おちつけ、おちつけ。あ!そうだヘルプ!」
気が動転しすぎて忘れ去られていたヘルプ機能を今更ながら思い出した。
あんなにも練習したのに、本番の迷宮の怖さってこんな所に現れるんだね、なんて思いながらメニューからヘルプを展開する。
ヘルプには機能や説明が私の状態によって開放され、公開される知識が増える特徴がある(と書かれてた)。となれば、きっとなにか増えているんだろうなあと思っていたらまさにその通りだった。
プルダウンメニューには戦闘に関する項目を選ぶと、あっというまに私のまわりの空間が再構築されていく。
気づけば真っ白な壁に四方を囲まれた空間に早くも懐かしさを感じさせる大剣の偉丈夫――戦神ヴィクトリヌスが立っていた。
「何用だ!」
相変わらず耳には全然優しくない彼の大声で耳鳴りをおこしつつ、展開された箇条書きのメニューが現れているのを確認した。
ここまではいつも通り。
こうやって安全を確保するまでの一連の動作を、なんどとなく練習した少し前の記憶が、改めてセーフティゾーンのありがたみと心の平静を与えてくれる。
大丈夫だ、ここなら安全だ
ちょっとしたことで気が緩んで泣きそうになるけど、そのくらいは許してほしい。そういう意味では今はこの馬鹿でかいヴィクトリヌスの声ですら安心材料だよ。
それにしても、鼓膜にとっては危険のあまり破壊されかねない彼の存在が、こうして安心材料になるだなんて夢にも思わなかった。
本当いうとあのイケメン(識神ポポリウヌス)にそばに居てほしかったな~なんて思いがふとよぎった。
なんて現金なあたし。
「あーーーー……」
ヴィクトリアヌスのおじさん以外に誰も居ないことをいいことに、弛緩しきってどうしようもなくだらけた姿を晒しつつ、極度の緊張から解放されたことに安堵する。
マジ怖すぎてチビるところだったわ。
いまさらレディを気取る気もないけど、あえてかなぐり捨てる気も起きないようには見えないくらいにだらしないんだろうな、今のあたしは。
あまりの安心感に、私は両手を投げ出して座り込み、よだれが出ていないのが不思議なくらいにおよそ数分間は放心していた。
「はあ。まずは……」
私は新しく開放された、『モンスター』欄に現れた『スケルトン』の項目を選択した。するとヴィクトリヌスと私に対してちょうど三角形を描くような位置に、物言わぬ骸骨が現れていた。
『スケルトン』
果てなき迷宮の地下一階から地下五階を中心として分布している身長180センチ程度の最下級不死系モンスター。活動源となるコアクリスタルに宿るマナはそれほど多くない。
つよさ 3〜9
からだ 16〜55
こころ 1〜15
ARだったっけ? 眼鏡型のデバイスに文字を表示させて観光するってアトラクションがあったのを思い出した。専門職の人は直接デバイスを体に埋め込むらしいけど、寝てても情報を処理するから切り忘れるとビビるとかって友達が言ってた。
……にしても、
「コア……クリスタル?」
立派な見た目に反してそれほど強くなさそうな説明だ。
冗談抜きで見た目だけは本当に気味が悪い。
枯れた命を簡単に想像させる落ち窪んで真っ暗な両目からは、どんな理屈なのか薄っすらと赤い燐光が見えている。本来なら心臓がある位置には、これまた薄っすらと青い燐光を覗かせるきれいな石が浮いていた。
これがコアクリスタルだろうか?
再びヘルプを『スケルトン』から『モンスター』へと戻すと、そこに書かれていた簡易的な説明に目を通した。
『モンスター』
迷宮を彷徨う異形の化物。その種類や性質は生息するフロアにより様々だが、概してコアクリスタルと呼ばれる核を元に活動している。討滅後はダンジョンに吸収されるため雲散するが、コアクリスタルや一部の素材はその場に吸収されずに残される。
『コアクリスタル』
BITZENYとマナを含んだ直径5センチ幅3センチほどのクリスタル。ダンジョンに巣食う異形たちの核として機能している。含有するZNYをメニューへの移譲を行わずウォレットとして保管するといった活用も可能。
「ああ~、そういう事か」
今となってはデジタル化が進み過ぎて【財布を持ち歩く】なんてことが無くなってしまったので、一瞬ウォレットがなんなのか分からなかった。
つまりはゲームで言うところの【倒すとお金を落とす敵】ということなのだろう。拾ってそのまま私のキャッシュカウントに放り込んでもいいし、誰かに直接あげてもいい。
渡せる相手は見当たらないけど。
ちなみに現代日本では私個人を指し示すIDナンバーに紐づけされているので、網膜と指紋、もしくはDNAとかから個人を特定して支払いを行ったり、また逆に受け取ったりしている。
贈与税なんてものがあった昔とは違い、現代日本は受け渡しに手数料が発生する構造になっている。
流通に掛かるそうした税金は手数料に含まれるようになっていたし、総資産に掛かる年与税が設けられ、徴税されていたと思う。
固定資産とかの評価額も査定対象になっているものの、今となってはブロックチェーン技術によって変動評価額を数値化されてデジタル管理されていたので税金計算も一瞬だ。
つまり、国が個人の資産を調べようとするなら一瞬で計上されるような仕組みになっている。そのお陰で詐欺などの犯罪は、クレジットの流れを簡単に把握出来ることもあって物質貨幣時代に比べて激減したそうで、汚職に関する犯罪が表立って行われるような事もなくなったらしい。
ただ、あえて物品のみでやり取りさせるような抜け道を使うなどの手法で、チェーンで追いきれない場所を見つけては対処され、を繰り返すイタチごっこは続いているようだけど。
人間いくら進歩したところで根本的にやってることは同じだと思う。
「このコアを取っちゃえば良いってことよね」
ヘルプ空間で微動だにしないスケルトンをじっくりと観察した私は、改めてそんな結論をだした。
胸部肋骨の奥で静かに明滅するコアクリスタルは、そのまま抜き取ってしまえそうにも見える。
そのあたりは実際のスケルトンの動きの速さだったり、動いている状態のスケルトンから取ってしまえるのかどうかも試してみないとわからないけど。
何にしても、対処方法が分かるのは良いことだ。
どうすればいいのか分からない状態だとパニックになるしかにけど、ちゃんとやることが決まっていれば、なんとかなるんじゃないの? って希望で冷静になれる。
【知ってるか知らないか】で怖い思いをするのは、何も経済的な問題だけではもちろんないし、本質的にはこういう恐怖を克服してきた歴史が人間様を形作っているんだな、となんか感慨深く思ってしまった。
となれば、あとは人間万歳とばかりにその力を見せつけるしかない。
「――よし!ぼっこぼこにしてやるわ!」
ようやく振り絞られた勇気を糧に、私は自分にむけて宣言する。
恐怖に打ち震えて呼吸すら覚束なかったヘタレはもう居ない。
お化けの正体を見破ってドヤ顔をするような気分だけど、物事にイキオイほど大切なものはない。
ショートソードを握るこぶしに力を込めて、能力的に格下だと知った事でさらに勇気づけられた私はヘルプからエスケープし、再び松明や蝋燭の灯りで橙色に照らされる薄暗い煉瓦造りの廊下へと舞い戻った。
大きな廊下から先ほどの幅2メートルほどの廊下を覗き込む。
そこには変わらず300メートルほど先でスケルトンらしき影がウロウロと揺らめいている姿がうっすらと確認できた。
さすがにこの距離ではハッキリと確認できないけれど、やけに明るい廊下なのが幸いして、そのスケルトンが一匹だけで蠢いていることは確認できた。
今居る少し凝った意匠の通路は、覗き込んでいる通路に比べてその大きさからか少々薄暗い。逆に考えればこの薄暗く見通しの悪い大きな通路に比べれば、スケルトンが居るとはいえ一体しか見えない通路の方が見通しが効く分安全なのかもしれない。
そのことに気付いた私は慌てて通路へと足を進め、足音に注意しながらスケルトンを目指して歩き始めた。
50m、100m、近づくにつれてより鮮明に浮かび上がる不死の化け物。
ヘルプで眺めていたヤツとは違い、すこし草臥れているようにもみえる。
彼が手にしているのは、私が持っている物よりもさらに錆びて赤茶けたショートソードのようだ。生前身に着けていたのか、革製のベルトが腰骨に引っかかっており、のそりのそりと歩くたびに小さく揺れていた。
肋骨の隙間から覗く小さな青い光が、コアクリスタルの存在を告げている。
彼我の距離が50mを切るころ、ようやく私の存在に気が付いたのかスケルトンは左へ振り向くような恰好のまま、顎をカタカタと揺らして落ち窪んだ赤い燐光を放つ眼孔をわずかに瞬かせた。
他のスケルトンの存在はやっぱり確認できない。
私はそのまま小走りから勢いよく駆け抜けるように力を込めて走り寄った。
残り10mを切るころには完全にこちらに向き直ったスケルトンが、右手のショートソードをこちらの動きに合わせようと振りかぶる。
「――遅い!!」
すれ違いの刹那、袈裟懸けに振りぬかれるスケルトンの剣筋を避けるように右へと体をそらしながら、そのままの勢いでさんざんに振りぬいた軌跡をスケルトンの側面へと叩きつける。
「んぅっ!」
スケルトンに叩きつけられた剣先はその二の腕を乾いた音を立てながら粉砕し、肋骨をわずかに砕いてその勢いを失った。袈裟懸けに振りぬいたものの、スケルトンの砕かれた左腕はそのまま落下し、カラカラと音をたてて散乱する。そのためスケルトンは、錆びたショートソードを振りぬいた勢いと私の斬撃にバランスをうまく取れなくなってしまい、よろよろと前のめりに倒れ掛かる。
そうして自然と体が開いた状態で必死にバランスを取るスケルトンに、私は右から左に振りぬいた剣の勢いを利用して、正面からこれまた幾度となく練習を重ねた左から右への横薙ぎを繰り出した。
「ぉおああっ!!」
この時の表情だが、額に青筋をたてながら、いつもは耳から流していた髪を振り乱し、ひょっとこのような口に目を血走らせながら吼えていた。もう完全に女としてのNGラインを越えていると思う。
あくまでも私が主観的に感じられるくらいだから、他人が見てどうか、という恐ろしい想像は避けよう。
そうした(プライド的に)捨て身の攻撃を放った結果か、右腕を砕いたときよりもより確かな手ごたえをその手に感じながら、スケルトンの胸部が無残にも崩壊し、鈍く輝きを放つコアクリスタルがその胸から転がり落ちる。
するとそれまでスケルトンの目に灯っていた赤い燐光は、萎んでいくかのようにその勢い失う。やがて完全に消えてしまうのとほぼ同時に、スケルトンの体はダンジョンへと吸収されるように消えてしまった。
残されたのはスケルトンが持っていた錆びすぎて赤茶色に染まったショートソードと、転がり落ちてなお薄く燐光を放つクリスタルだけだった。