0-4*
また一人、か。
どうせ進むしかできないんだから、とりあえずイケメン様の余韻を今だけは味わっていたいよ。
頭では、理性では、現実に起きているこの状況をどうやって打開していくのか? そしてその為にできることが情報収集なんだろうな、ってのは分かってる。こうして説明と言う形で手順について教えてもらっているんだろうし、ここでの情報は手掛かりになる。
いわゆるゼニーが扱われている事だとか、まるでゲームみたいな状況に置かれたってのは分かった。でもリアルには、私は飲み会帰りの服装で、足を擦りむいていて、お腹が減ってきているし喉も乾いてきてる。
夢や幻や仮想空間じゃないんじゃない? そう判断するしかない結果がここにある。
「あ、そういえばカバンにサンドイッチとか入ってたっけ……『メニュー』」
そう言葉に出して展開するメニューから、インベントリ以下に表示される『どうぐ』を選択する。
ちなみにメニューの実行については項目がアクティブ状態の時に(コレ)と思い浮かべるだけで出来る。ほぼ無意識でやっていたけど、感覚としてはそんな感じだ。
ほぼノータイムでインベントリ内に保有しているアイテムが列記される。
[ショートソード*1]
[サンドイッチ*∞]
[水袋*1]
ショートソードと水袋が一つずつと、サンドイッチが……∞《むげんだい》。何だこれ。
疑問に思った私がサンドイッチに意識を向けると、その詳細が表示された。どうやらインベントリ内のアイテムは意識を向ければ詳細を確認出来るようだ。
――柔らかいパンでいろいろな食材を挟み込んだ軽食。挟む食材は多岐にわたり、ランダムで生成される。使用数量=制限無し 売買不可 ――
「つ、突っ込みどころが多すぎて意味不明なんだけど……」
まあ無限大っていうくらいだからそういう事だろうとは思ってたけど、まさか何が出てくるかわからない闇鍋状態のサンドイッチとか誰得なのそれ? だいいち一般的なサンドイッチが出てくるのかどうか分からない、ギャンブル染みた食事事情なんて嫌がらせにしかみえない。売買不可って事は取り出したサンドイッチをショップにそのまま売られないようにって意味かな? ゲテモノサンドイッチをそうそう買い取ってもらえるとは思えないんだけど……。
もしかしたら一般的なサンドイッチが出てくるのかもしれないし、とりあえず一つ出してみようかな?
私は背負っていたカバンを下ろすと、早速サンドイッチを取り出してみる。手を抜けばそこには三角形でおなじみの姿が苦もなく現れ、具材として挟まれていたコールスローサラダやハムとレタスの組み合わせだったことに心底安堵した。包装紙なんてものはないらしく、鮮度的にもごくごく普通の代物のようだ。
「前フリ殺しってやつね」
絵面として期待していただけに肩透かしを喰った気分なのは否めないけど、まともな食事にありつけるならそれは歓迎すべきだ。そんな複雑な安心感は別として、空腹を満たすべくサンドイッチを咀嚼していると、失われる水分に飲み物への欲求が更に高まる。次いでインベントリから水袋を取り出し、二枚の革を袋状に縫い合わせたようにして外装を整えられた、矢鱈と頑丈な作りに時代考証を検討しながら蓋に使われていたコルクを抜いた。
くんくんと匂いを嗅いでもても、これといって嫌な匂いはない。もっと革の独特な香りがするのでは? と思っていたけど、乾いた砂のような匂いがするだけだった。
私は意を決して水袋を口につけ、口内に流し込んだ。
またたく間に潤されていく口内に、ほうっとため息を漏らす。匂いと同様に、味にも大した違和感はなく、むしろ美味しい部類だったのは僥倖と言えた。
「ふーむ、次の部屋かあ。戦闘って……不穏しかない」
こういう場所に一人だけで居るとついつい独り言が顔を出すのは、仕事に就いてからだとおもう。学生の頃はすぐそばに友達がいたし、携帯ですぐに連絡が取れたからそういう事も感じられなかった。
たった一人。
ふいに挫けそうになる心を、まだ見ぬ希望を支えにして踏みとどまる。一息ついて水袋をインベントリに放り込み、次へと足を進める事にした。灰色の通路を歩いて、これまでと同じように『戦闘説明』のプレートが掲げられた部屋へと入る。するとそこには、屈強を体現したかのような偉丈夫が私の腰ほどもあろうかという大きな剣を前にして佇んでいた。
二メートルはある体躯は、圧倒的な筋肉の鎧を獣じみた革鎧で覆っており、隙間から覗く褐色の肌には無数の白い痣が浮き出ている。鉄板付きのバンダナのような物を頭に巻いたその顔には、体と変わらない傷跡が無数に残っており、左目には埋め込まれるようにして宝石で意匠を施された眼帯が張り付いていた。白髪混じりの髪が肩口で無造作に切り落としてあるようで、そこに立っているのは圧倒的なまでの戦士だと感じた。
「よく来た!」
「ひっ!」
体のサイズと声の大きさは比例するのかどうかは分からないけれど、ビリビリと骨にまで響くような音量が私に襲い掛かってきた。
ちょっと声がデカすぎると思うんだけど!?
「ここでは迷宮における戦闘について訓練を行う。迷宮で生き残るには、現れる敵を確実に対処できなければならない」
「うひい!」
先程の挨拶は何だったのかと思うようなごくごく普通の声量で説明を始める偉丈夫に、安心半分呆れ半分で耳を傾ける。演出というべきかデモンストレーションというべきか、男が言い終わると同時に彼の傍らに不気味な化物が空間が揺らぎと共に現れ、直ちに男が持っていた大剣で両断された。
いちいちびっくりさせないと気が済まないのかこのオッサンは。
一瞬で両断されたのは山羊のような頭と筋骨隆々の体、槌なのかハンマーを持った猿の体の化物だったが、断末魔を挙げる暇なく体を2つに分けられたかと思えば、跡形もなく消えていった。南無。
「敵の死体は迷宮によって吸収されるため残ることはない。これはモンスターであろうと人間であろうと同じだ。ただし、貴様が死ねばインベントリを除く全ての所持品を失ってリスポーンされるから気をつけろ」
振るわれた剣は再び軽々と振り回され、重厚な風切り音を撒き散らした後に床に突き立てられた。男は大剣の柄を両手で支えるようにして持ち直し、さらに説明を続けた。
顔色一つ変えないその姿はもはや人間離れしすぎており、先程の山羊頭の悪魔とどちらが化物か判断に悩む。
「迷宮の序盤は大したモンスターが居ないが、少なくともこれを折れる程度には戦えなくては話にならない。最初の試練は……」
男は左手を体の横へと伸ばすと、地面に手のひらを向けながら言葉を紡いでいく。淡い輝きを放っているように見えた手に見とれていたら、次の瞬間には上から半分を藁でくるまれた竹棒のようなものがニョキニョキと生えてきた。
「この巻藁を折ってみろ」
いつの間にか手元に現れている刃渡り50cmほどの粗雑なショートソードの重みを両手に感じながら、私は早くも諦念感に心を侵食されつつあった。
普通に考えてみて! 木こりが木を切るのってすごい大変だよね? こんな粗雑な切れそうにもないショートソードでやれ、と言われる……と。
そういうアレなんでしょうかね?
え?
マジで?
それに最低限レベルがコレだとか、この先出てくるモンスターたちの強さはどんだけヤバいんだろう……。うっわ~、引くわ。
そんな想像はますますただでさえ傷ついたの心を容赦なく陰鬱な方向へと攻め立ててくる。そんな私にのしかかるようなショートソードの重さは、かろうじて振り回せるにしても気を抜けば手を離れて明後日の方向に吹っ飛んで行きかねない感じだった。こんな物で誰かを殴れば只では済まないことは容易に想像出来るし、それだけの質量を感じさせている。
それでもやらないと進まないんだよね、ここも。
変わらず仁王立ちと呼ぶに相応しい威容を晒し続ける戦士風の男は、隻眼を閉じたまま私が結果を出すその瞬間を少し離れた場所で待ち続けている。すくなくとも、微動だにしない男の姿からは、これ以上の何かを期待できそうもない。
「ちきしょう! やったろうじゃん!!」
意を決して、ショートソードを両手でしっかりと握った私は、刃を巻藁の中央目掛けて横殴りに思い切り薙ぎ払った。
ガツッ!
「……っつ!……いったーい……」
鈍い音をたてて振れる巻藁からは、少量の藁が折れて切れ落ちた程度で到底折れそうな気配を見せないまま、確かなしびれを私の両手に残して佇んでいる。驚くべきは次の瞬間には傷んだ藁は元通りになってしまい、燐光を伴いながら現れた時と同じ姿をその場所に晒している。
一太刀で折らなきゃならない。
ショートソードに申し訳程度に巻かれた粗雑な取っ手は、素人同然の私の柔い手の平を確実に破壊していた。たった一振りしただけで手の平は真っ赤になり、ヒリヒリと痛みを感じさせていた。
「なんでアタシがこんな事……」
へたり込んで両手を眺め、取り落としたショートソードがカランと音を奏でる。男は変わらず瞳を閉じたまま少し離れた場所で仁王立ちで佇んでおり、さながら彫像のようにも思える。不安や焦燥、様々な思いが胸中を駆け巡るが、この思いを晴らすには目の前に聳える巻藁を折らなければ話にならない。改めて巻藁を見据えた私は、ショートソードを拾い直して立ち上がった。
「やって……やればいんでしょ!」
理不尽への怒りを原動力に変える。
半身に構え野球のスイングを想起させるスタイルで、私の渾身の切り払いは、再び巻藁を折ることなく鈍い音を残して揺らすだけに留まった。ジンジンと響く両手に容赦なく表皮に加わった摩擦が言いようのない痛みを与えてくる。正しく振り抜かれたショートソードは私の両肩に至るまで打撃の振動を伝えており、あまりの痛みにショートソードはあっけなく私の手からこぼれ落ち、カランカランと乾いた音を響かせた。
声にならない叫びを噛み締めながら、私はショートソードを睨みつける。怨嗟の視線に動じることもなく転がるショートソードを痛みの収まった手で再び拾い上げ、構えた。
帰りたい。
お風呂に入りたい。
暖かいベッドで眠りたい。
みんなに……会いたい。
全身全霊を込めて、私は剣を振る。
この手に希望をつかむために。




