編入生3
「千穂は編入生君と知り合いなの?」
ホームルームと1限目の間の休み時間に、そう優実に切り出された。ちなみに隣の編入生君は男子生徒に囲まれていた。こちらの話が聞こえているとは思えない。それをちらと確認して、千穂は小さく首をかしげた。
「親が、私を知ってるみたい」
「親が知り合いなのかな」
「でも、お母さんから『二階堂』って言葉も、『武尊』って名前も出たことないよ?」
優実の言葉に、千穂の首はさらに傾げられる。それにつられて優実もどんどん首を傾げていく。それをあかりが面白そうに見つめる。
「-仲良くできそう?」
あかりに優しい笑顔で問われて、千穂は難しい顔をした。
「よく分かんない」
「まだ分からないよねー」
優実がわしゃわしゃと頭を撫でてくる。あかりは、あら、と声を上げた。
「私は仲良いのねって思ったんだけど」
「まあ、斉藤に注意されるくらいにはおしゃべりしてたし」
「あれは!」
千穂はまた恥ずかしくなって俯いてしまう。それにけたけたと優実は笑った。
「本当に千穂はかわいいなー」
「優実、顔が原型とどめてないわよ」
情けない顔ねとあかりもくすくす笑う。
「それは仕方ないよ~。千穂かわいいもん~」
でれでれ~と優実は千穂の頭をぐりぐりと撫でまわす。啓太ほどではないにしろ、なかなか乱暴だ。やっと千穂の頭から手を離したかと思うと、優実は瞳をきらめかせて夢見る乙女の顔で語るのだ。
「私は、もうね、千穂がどんな人と恋に落ちるのかな~ってそれが楽しみで今生きてるわけよ」
「え!」
なにそれ!と千穂はガバリと顔を上げる。優実は気にせず続ける。
「千穂に惚れる男がごまんといるだろうことはもう分かってるじゃん?だったら千穂はどんな人を好きになるのかなって」
「生きがいにするのはどうかと思うけど、気になりはするわよね~」
「えぇ!!」
あかりも便乗してきたため、千穂はさらに悲鳴を上げる。
「千穂、男子と話すのそんな得意じゃないみたいだし、男子もずっと様子うかがってるだけだし、ここ2か月何も進展なかったし」
優実はぐっと手を握る。
「ここにきて、話せる男子が来たのかと!!」
きゃーっと優実はよく分からない舞を始めた。千穂はおたおたとあかりに助けを求めて視線を投げるが、あかりはおかしそうに笑っているだけだった。
「もう!違うから!!全然そんなんじゃないから!!」
「でも、そこから始まるのが少女漫画の王道!!」
「優実ちゃん!ここは現実だよ!マンガじゃないよ!!」
しっかりしてと優実を揺さぶるが、小柄な千穂では優実を現実に引き戻すことはできなかった。見かねたあかりが、優実の顔の前でパンと手を鳴らした。
「わっ!」
優実はのけぞって、千穂の二階堂とは逆隣りの席にぶつかった。ガタンと音がして、それもまた優実の頭を冷やす。
「お楽しみは、心のうちに取っておくものよ?」
それはどうかと千穂は思ったが、優実は感心したように力強くうなずいた。1限の始まりを告げるチャイムが鳴り、優実はそのまま何も言わず自席に戻って行った。
「そうか、そうだよね」
と何やらつぶやいていたが、怖かったので千穂はそれ以上考えることはやめた。
※
「千穂ー」
昼休みにかかった声は
「壱華ちゃん!」
千穂は飛び跳ねて椅子から立ち上がりぱたぱたと廊下へと駆けて行った。ちなみに、お昼用にコンビニで買ったカルボナーラはしっかりと胃袋に収めた後だ。
「様子はどう??」
壱華は長い髪をさらりと揺らしながら尋ねる。視線は感じるが、話の内容まで注意を払われている様子はなかったので―基本壱華を見るので精一杯であるため―千穂は日常会話のように情報伝達をする。
「特に何もないよ」
優実ちゃんがちょっと壊れかけているけど、という言葉は頭に浮かべるだけにする。あと、もしかしたら少し話しやすいのかもしれない。もしかしたら。というのも飲み込む。これはまだ確証がないし、というのが千穂の判断である。
「だったらいいわ」
よかったと壱華は胸をなでおろす。
「どんな感じの人??」
千穂はその質問にうーんと頭をひねる。
「席はとりあえず隣になった」
「えッ!」
千穂の情報に、何かお守りでも改めて持たせた方がいいかしらと壱華はぶつぶつとつぶやき始めた。それを見つめながら、千穂はうーんと考える。
「それくらいなのかなー」
うーんと唸りに唸り、千穂は一つ思い出す。
「あ!何か聞きたいことあるって言ってた!!」
ぱんと大きく手を鳴らす。その勢いに壱華はぶつぶつ何やら言うのをやめた。そして眉根を寄せる。
「なにそれ」
なんかいい気配しないわね。と今度は壱華がうーんと唸り始めた。
「それで、千穂は何が聞きたいことかはまだ知らないの?」
「うん。そこまでで話終わっちゃった」
「そうなの」
怪しいわねーと壱華は頭を悩ませる。こちらとしても軽く接触してあちらの様子をうかがいたい。しかし、下手してこちらに不利になることは避けたい。と、書いてあるなーと千穂は壱華の顔をじーっと見上げた。その視線に壱華はきょとっと視線を返す。それに千穂は笑って首を横に振った。
「なんでもないよ」
ちょっとかわいいなって思っただけだよ。というのは秘密だ。ふふふと笑う千穂を、壱華はいぶかしげに見つめたけれど、詮索はしなかった。
「聞きたいことは何かって、話し戻した方がいいかな」
千穂の問いに壱華はまたうーんと両目をぎゅっと閉じる。なかなか百面相だ。思案が終わると、夜空を思わせる瞳が再び現れる。
「-あっちが改めて話してきたら聞いておきましょうか。こっちからその話題を振るのはいったん止めましょう?」
「分かった」
千穂は一回うんと頷く。それに壱華は笑って教室に戻ると手を振った。
「お昼休みにごめんね。気を付けて」
「うん。ありがとう」
そう話を終わらせ、二人は別れた。
※
午後の授業は眠い。千穂はうつらうつらと揺れていた。他にも揺れている生徒はたくさんいる。しかし、千穂の一角は特に目立つ。隣に居る二階堂が諦めて机に伏して寝ているからだ。
午前中はずっと外の景色を眺めていたが、午後になると伏してしまった。中には人が寝ているのを見て目が覚めるというタイプもいるが、千穂は残念ながらそうではないのでずっと揺れている。
なんとなく視界の隅に入る姿がどうやら寝ているようだと判別できているが、もう頭は自分も寝たいとしか思わなくなっている。このまま自分も伏してしまおうかと思った時、ぽかっと隣の二階堂が教科書で頭を叩かれた。もぞもぞと動いて身を起こす。
「何?もう終わったの?」
「終わってない。寝てないで起きなさい」
英語の授業をしている本間が二階堂を起こそうとしているらしい。隣で軽くいざこざが始まったというのに千穂の頭はまだ覚醒しない。二階堂も二階堂で寝ぼけているのか性格なのかさらっと暴言を吐く。
「無理、あんたの授業つまんないもん」
―別にあんただけじゃないけど。とフォローにならないフォローも忘れない。
「っ!!」
どこかでぶっと吹き出す音がする。本間はパッと後ろを振り向くが、生徒たちは何食わぬ顔で板書を写したり教科書を見たりしている。少し赤くなった顔で二階堂に向き直り咳払いをする。
「いいから、ほら、ここ訳して」
「めんどい」
「いいから!」
教科書は一応開いてあるのでそのまま押しつける。二階堂はそれなりに目が覚めてきたのか嫌そうな顔をしながらそれを手に取る。ちらと上から睨んでくる本間を見て、そのまま動かなくなる。
「先生の顔に答えは書いてないぞ」
教科書を見ろとポンポンと頁を指さす。二階堂はやっぱりまだ寝ぼけていたのか、全く見当外の質問をした。
「―先生さ、名前なんだったっけ」
「―本間だ本間。ほらこれで落ち着いたろう、さっさと訳せ」
「はい。―」
その後は本間の惨敗だった。二階堂は一言一句違えることなくそれはそれはきれいな日本語に訳してみせた。
というのを千穂は授業後優実とあかりに聞いて知ったのだった。優実に至ってはそれは大層面白く、笑いをこらえるのが大変だったとか。あかりが言うには、どうやらこの学校の授業など簡単であくびが出てしまうほどの進学校からやってきたのではと思わされたとか。
どちらにしろ、結局二階堂はその後突っ伏して寝てしまい、本間はそれを起こすことができなかったらしい。ちなみに、千穂は爆睡してしまった。授業の終わりがけに気持ちよく目が覚め、終わりの礼だけきちんと参加した。その隣で、二階堂は寝たままだった。