標的5
―何が起きてるの?
あかりは勝手に動く体が見ているものに驚愕する。うようよとそれは廊下を闊歩していた。動物のようなもの、人間のようなもの、人と動物が合わさったようなもの。
吐き気がすると思ったが、体の主導権は貸し出してしまったので吐き気など実際にはやってこない。
―本当にいたのね
ある放課後の騒ぎを思い出す。これが二階堂の見ている世界なのかとあかりは恐ろしくなる。見えていて、あんなに冷静でいられる彼が恐ろしい。
「武尊は強いから!」
自分の体がそうしゃべった。
―意識も共有されているのね
「お姉ちゃんが考えたことは、俺にも分かるよ」
―そうなの
しかし、考えずにはいられない。例えば、自分の体がいつもよりよほど身軽に速く駆けていくこととか。
―いつもこれだけ走れたら、優実といい勝負ができるわね
「お姉ちゃんもなかなか強いね」
ふふふとやっぱり自分の体が勝手に笑う。そんな会話をしていると、青白く光る扉が目に付いた。英語準備室と書かれている。そこは、何度あかりが入っても誰もいない部屋だった。それが仄かに光っている。
「あれが結界だよ。あれのせいで普通の人間は本当にはあの部屋の中には入れない」
―私は「普通の人間」なのね
あかりは子供の声に自分の立ち位置をそう理解した。
「でも、今回のことで前より「普通」じゃなくなるかもね」
―それは迷惑なような、楽しそうなような
あかりはんーと唸りたかったがそれは無理だという話だ。
「これくらいの結界だったら俺にも壊せるんだ」
そう喜々として言って、ドアノブに手をかける。ぱちりと何かがはぜた気がした。するりと音もなく扉をスライドさせ中に入る。
「あんたが本間として乗り込んできて、高野原を捕まえて、本物の本間を戻して、高野原の存在を関係者の頭から消してしまえば完全犯罪の出来上がりだ。力の見せつけにちょうどいい」
そんな声が聞こえてきた。ガンと何か固い音がする。
「少しは表現くらい考えろ」
本間の声だ。
「図星だった?」
「っこの!!」
あかりはぎゅっと目を閉じたかったが、それを無視して体は廊下に向けて手のひらを伸ばした。ガシャンと音を立てて廊下用の掃除用具が入っている棚の中身が躍り出た。
「誰かいるのか?」
乾いた声がそう問うた。本間の声が動揺に揺れている。
「誰か、いるのか?」
もう一度繰り返し、扉に歩み寄っていく。あかりの体は物陰に小さくなって隠れた。本間は準備室を出て廊下を駆けていった。それを見送って、体は扉を閉めて鍵をかけた。
「あんた、何してるの?」
そう問いかけてくる二階堂は、お決まりのようにパイプ椅子にその体を固定されていた。白いシャツが汚れている。暴力を振るわれたのかもしれない。あかりが冷静に光景を分析していると、自分の体が勝手に二階堂に飛びついた。やめてという前に、厳しい声が降ってきた。
「誰だ?」
体は自分でありながら、中身はそうではないと瞬時に見抜いた二階堂にあかりはほっとし、また恐れが大きくもなった。自分の体は答えた。
「俺、名前ない。だから、武尊がつけて」
名がないことに、あかりは驚いた。目の前の少年は、名を請われ考え込み始める。時折視線がこちらに来るのは中身を見抜くためか。
「お前の名前は碧だ」
あかりが二階堂を観察していると、二階堂は名を碧と決めた。自分の顔が喜びの笑みを見せたのが分かった。
「ちょっと待ってね。この縛ってるの焼いちゃうから」
碧はそう言って二階堂の手足の自由を奪っている縄に触れた。器用に縄だけを燃やしてしまう。二階堂は縛られた痕しかない手首を不思議そうに見つめた。しかしすぐに立ち上がり問いかける。
「碧は今何が起きてるか分かっているの?」
「この建物の一番上で禊をするって。片割れはそこで剣が顕現するのを待ってる」
「―じゃあ、攻撃は受けていないってこと?」
「たぶん」
二階堂は考え込んだ。
「剣が俺の前に顕現しないなら、俺はそれを取る必要はないってことか」
「でも、剣は武尊を選ぶと思うよ。銀の器のところに行こう?」
碧が二階堂の袖を引っ張った。それに注意を引かれたと同時に耳が低い男の声を拾う。
「使い魔がいるのか」
次の瞬間扉が大破した。鍵が閉められた扉を本間が吹き飛ばしたのだ。しかし、二階堂は慌てない。
「弟さん、最上階にいるんだね」
その言葉に本間は眉根を寄せた。
「いつ知った」
「こいつが教えてくれた」
「剣は藤吾のものだ」
すっと本間が片手を前に突き出すと、本間の左右に妖が現れる。
「殺せ」
左にいつぞやの黒い影が姿を現し、右に大きなハサミを手のように生やした妖が現れた。
「武尊。俺はこいつらは倒せないよ」
「いい、下がってろ」
二階堂は自分の後ろに碧を隠す。碧の正体が何にしろ、体はあかりのものだ。傷つけさせるわけにはいかない。
刃が先に振り下される。それを横殴りの蹴りで粉砕する。
「さっすが武尊!」
碧が後ろでピョンピョンと飛び跳ねる。次に振り下された刃を避ける。避けた先に待っていたように黒い影がその大きな咢を開いていた。それにかかと落としを食らわせる。影は二階堂に触れられたことによりその霊力に当てられ砂に姿を変えた。横殴りに払われた刃を跳んで避け頭部を狙って蹴りを放つ。これで2匹目も砂へと姿を変える。
「馬鹿みたいに霊力をもってやがるな」
本間は舌打ちをしたが、まだ余裕のある顔をしている。
「よくできましたと言ってやりたいが、駒はいくらでもある」
扉の前に立っている本間の周りに妖が集まり始めていた。
「多いな」
息も乱さずに2匹の妖を退治した二階堂は小さく呟いた。
「大丈夫!武尊は強いから!」
後ろから元気にかかってくる声に、
「本当?」
小さくつぶやいて臨戦態勢を取った。




