標的4
「冷たい~」
ひゃあ~と千穂は悲鳴を上げた。
「冷たいよな。この水」
啓太も溢れてくる水に足をつけて顔をしかめる。その啓太に千穂はえいッと水をかけた。
「冷たっ!何するんだよ!」
顔を上げようとした啓太に、千穂はまた水をかける。
「わっぷ!」
「こっち見ないでよ!啓太のエッチ!!」
「くそ~」
どうせ大した体じゃないだろうにとぶつぶつ言いながら啓太は重厚な扉の方へ向き直った。が、千穂は啓太のつぶやきを聞き逃さず、またも水をかけた。
「うるさーい!!」
「冷てーーーー!!!」
「ああもう!騒がないで!!」
壱華が止めに入り、どうにか二人とも黙る。
「壱華ちゃん~寒いよ~」
「終わったら、もう一度湯船を張りましょう?」
明日は学校サボってもいいかもね。と壱華は困ったように笑った。
「うぅ~」
サボり案は魅力的だが、水の冷たさは解決されない。千穂は泣く泣く水に体を浸すべく、階段を下りていく。
禊をする千穂がまとっているのは白い浴衣一枚のみ。そんな状況で水につかったら、裸も同然だ。だから見るな騒ぎが起きるのだ。
「そりゃ~見ない方がいいけどさ。それでいざとなったら守れるのかよ」
ぶつぶつと啓太はまだ何か言っていたが、その背を壱華は見てため息をついただけだった。
視線を移すと、千穂はゆっくりと水に浸かっていくところだった。自分はというと、部屋着のジャージで、そのポケットに札を突っ込んである。補充用札も待機室に大量にある。
「大丈夫、よね?」
二階堂という欠員は、皆を不安にさせるには十分だった。教頭はどうにかすると言っていたが本当だろうか、と壱華はきゅっと手を握った。
―そもそも無事なのかしら
「ねえねえ、外に花が置いてあったよ~」
壱華の思考は、樹の声に遮られる。エレベータがある方の部屋を樹は見回っていた。
「ぐるっと一周してみたけど、エレベータからしかここ来れないみたいだった」
階段も見つからなかったよ。この建物大丈夫かな。
「で、その花はどうした」
啓太が花束を指差す。樹には少々大きな花束だ。
「で、そこの扉からスタートして時計回りにぐるっと回ったんだけどさ。一周して帰ってきたら扉の所に置いてあった」
「なんだよそれ」
大丈夫か?啓太が樹のもとに歩み寄る。そして花束を見下ろす。
「カード付いてるな」
少し奥に入り込んでいて分かりにくかったけれど、確かにカードが添えてあった。それを啓太は取り出す。
「『千穂へ 誕生日おめでとう』」
「これ、誕生日プレゼントってこと?」
樹が首をかしげる。
「誰から?」
樹は弟らしく啓太を見上げ問いかける。
「千穂にこんな花束送りそうなキャラと言えば・・・」
啓太はうーんと考え込む。
「あの教頭くらいしか思いつかないな」
「そんなにあの先生と仲良いっけ?」
「なんか、人の祝い事にはプレゼントやる性格してそうじゃね?」
「・・・・しなくはないけど」
見せて、と樹は啓太に手を伸ばす。啓太はその手にカードを渡し、代わりに花束を受け取った。
「でかいなーこれ」
と啓太が感心している横で、樹がおかしいと声を上げた。
「ねえ、教頭先生からだったら、『千穂へ』って呼び捨てにしないと思うよ」
「確かに」
啓太はすぐさまうんと頷いた。
「じゃあ、先生から?」
「―それが一番ありそうかな??」
「とりあえず、気持ち悪いから捨てましょうよ」
二人がああでもないこうでもないと考えているのを見守っていた壱華だったが、とうとうそう割り込んだ。
「それもそうか」
「敵の罠だったらあれだし」
「待って!!」
千穂が声を上げた。ぺたぺたと濡れた浴衣の裾を重そうに持ち上げながら、三人のもとへ歩いてくる。胸のあたりまで水に浸かっていたらしく、ほとんどが体にぴったりと張り付いていた。つい目が行ってしまう啓太を樹が小突く。それに気まずそうに啓太は花束に視線を落とした。
「大丈夫な気がする」
千穂は花束に顔を近づけてそう言った。ふふふと小さく笑う。
「いい匂い」
千穂は笑いながら隣の壱華を見上げた。
「飾っちゃだめ?」
「―千穂が、大丈夫って言うなら」
大きな瞳に見つめられて、壱華はそうとしか答えられなかった。
「確か、部屋に花瓶あったよね!!」
待機用の部屋を思い出し千穂は言った。
「花瓶があるとか、変な部屋だよね」
「まあ、いいんじゃね?」
啓太は前を向くにも向けず、今さら背を向けるのも何となくあからさまな気がして樹の方を見るしかなかった。樹も樹で、啓太を見上げるしかなかった。
「じゃあ、私、活けてくるわね」
壱華が啓太に手を伸ばし花束を受け取る。
「うん!」
千穂は大きく頷いた。そして小さくくしゃみをする。
「うぅ~寒い~」
「とりあえず水に戻ったら?」
「あとちょっとだから、頑張れ」
樹と啓太が千穂を水の中に戻そうと言葉をかける。
「頑張る!」
千穂はうんと力強くうなずいてまたぺたぺたと戻って行った。
その背を見送りながら、兄弟はふうと大きく息を吐いた。
「くっそ疲れる」
啓太のつぶやきに、樹は黙って頷いた。




