仮初3
「平和だね~」
校舎の入っているビルのすぐ外にある喫茶店のテラス席で千穂はほうっと息をついた。中身はもちろんココアだ。
「平和って、いつも平和じゃない」
くすくすとあかりが笑う。
「平和じゃないよね!大脇の小テストとかさ!」
抜き打ちは酷いよねと優実はぶくぶくとアイスティーに息を吹き込む。その優実の頭をこれ、とあかりが軽くはたく。それにペロッと舌を出して優実は息を吹き込むのをやめた。
「今日は抜き打ち小テストもなかったし、水の入ったバケツも落ちてこなかったし、大事な手紙も飛ばされなかったし、そういうことを平和って言うのよね」
あかりが千穂の指す「平和」を優実に説明してくれる。
「そうだね~。今日は平和そのものだったよね~」
といってから優実ははっと表情をきりっとさせる。
「いつも平和って言ったのはあかりじゃん!」
「そうだったかしら?」
あらぁ?と長い髪を指でいじってあかりはわざとらしく視線を外す。それに優実はうぬぬぬと唸る。
「しらばっくれる姿さえ色っぽいとは許せぬ」
「優実の視点って、本当個性的よね」
あかりがしらばっくれるのをやめて、ため息をつきながら肘をつく。紅茶をティースプーンでくるりと回した。
「そうかなー」
「さすが経営者の娘ね」
「それ、そのまま返すよ。情報通過ぎるお姉さま」
「ふたりともすごいねー」
はわーと千穂は改めて二人を見つめた。視点が他人と違うことも、情報通なのも千穂にはうらやましい。銀の器であることを除けば、自分はあまりに凡庸だ。
「千穂もすごいじゃない」
「何が?」
あかりが気付いてないの?と笑う。
「二階堂を手なづけてるじゃない」
「確かにー」
それはすごいよ。やばいよ。と優実が頷く。千穂はそれに慌てて手を振った。
「そんなんじゃないもん!私が愚図だから、優しくしてくれるだけだもん」
「優しくしてくれるって、千穂だけじゃん」
「それは、お父さんがそうしろって言ったから!」
「そういえばそうだったわね」
「変な親御さんだね~」
ちうーとストローでアイスティーを飲んでいる優実の後ろから、慌てたようにコーヒーを抱えた壱華が現れた。
「ごめんなさい!大崎ったら話長くて!」
「それはとても有名」
うむと優実が腕を組んで頷いた。
「そうね~それは誰でも知ってることよね~」
あかりもふわふわと笑って見せる。壱華はそれに苦笑いしながら席に着いた。
「ありがとう」
鞄をどさっと椅子の足元に置いた。
「疲れたわ」
ふぅっと壱華はため息をつく。千穂は壱華が注文したアイスコーヒーに興味津々のようだ。
「コーヒーっておいしい?」
「私は気分によって変わるわよ」
壱華は長い髪を後ろに流しながら答えた。千穂は視線で残りの二人にも答えを要求する。
「私も気分によっては美味しいかしら」
「私は砂糖とガムシロを飲むことになるから頼まない」
前者があかりで後者が優実である。優実の言葉に千穂は笑った。
「だよね」
「せっかくだから、飲んでみる?」
はい、と壱華に差し出されて千穂はストローを口に含んだ。そしてしばらくして眉根を寄せる。
「苦い」
「まだ何も入れてなかったわね」
「砂糖入れても苦いよこれー」
「あははは!千穂ったら私より舌、お子ちゃまなんじゃない?」
「そう笑うあなたがお子ちゃまよ」
すぐからかうんだからとあかりが優実を諌める。それに、えーっと優実は不満げに笑って返した。
「だって、砂糖入れても飲めないって」
「砂糖とガムシロを無限に入れる人が何を言っているのよ」
「あれはコーヒーと呼べないことは認める」
うむと神妙な顔で頷いて見せる。
「真面目な顔するのだけは得意なんだから」
まったくと肩をすくめる。優実はその漫才を見ていた千穂を見るとぱちんと器用にウインクして見せた。それにはうっとなっていると、壱華が切り出した。
「それで、今日は何もなかったのよね」
―昨日あったことは伝えた。ひっくり返った、水の入っていたバケツ。小鬼に手紙を取られて優実に取り返してもらったこと、大脇の説教中にも狙われたこと。
壱華は全て知っている。当然、助けてくれたのが二階堂だと言うことも。端折った内容しか知らない二人はうんと頷いた。
「昨日が嘘のようにね」
「呼び出しも喰らわなかったし」
そう言った後、優実があっと声を上げた。
「二階堂から見たらどうかは分からないけどね。あいつ見えるって言ってたし」
「その設定ずっと忘れてたわ」
よく覚えてたわねとあかりは紅茶を口にする。それにぎくりと壱華と千穂はそれとなく二人から目をそらす。
「本人に聞いてもいいんじゃない?」
「呼び出しちゃう?」
「教室にまだいるなら来るんじゃないかしら」
「えーあいつすぐ教室出てったじゃん」
「でも、彼、数学の中村と仲がいいらしいわよ。よく放課後おしゃべりしてるって聞いたけど」
「それどこ情報」
本当何でも知ってるよね、と優実は頭痛でもするのか頭を押さえた。あかりはにっこりと笑うだけだった。
「文理選択は理系かもね」
ふふっと笑う。それを聞いて、千穂は純粋に困ると思ってしまった。
―私、どう考えたって文系だ
文理が変われば教室も変わる。となれば離れてしまう。互いの事情も分からなくなるだろう。千穂は、絶望だと言う顔をした。
「千穂。どうしたの?世界は滅ばないよ?」
優実にそんなことを言われて、千穂は顔を引き締めた。
「知ってる」
むっとして答えたけれど、優実に効くわけないのだった。それがちょっと悔しくて、むっとそのまま睨みつけていると、優実はなにやら携帯をいじると耳に当てた。
「もっしー!今、壱華とあかりと千穂とお茶してんだけど、来ない?」
―本当に電話をかけた!!!千穂は驚きで引き締めていた口をかぽっと大きく開けた。
「へ?エレベーター乗った?止まったら下に行くボタン押せばいいじゃん」
奢るからさーと優実はどうにか二階堂を懐柔しようとしている。千穂は、無理なんじゃないかと思ったが、案外そうでもないようだ。
「あ。来る?おっけー!席取っとくから!」
じゃ!と優実は電話を切った。そして親指を立ててみせる。
「二階堂確保」
「今のどこに決定打があったのかしら」
あかりがうーんと首をかしげる。優実はけらけらと笑った。
「私の人望!」
「それが一番ないわ」
あかりがスパッと切ってしまう。それにつれないなーと優実は唇をとがらせるのであった。
「でも、なんで来る気になったのかしら」
壱華も首をかしげる。
「千穂と噂になったばかりだったのにね」
くすくすとあかりが笑う。それに千穂がかっと頬を染める。それに壱華が何事かと視線で問う。
「二階堂の部屋に、千穂が泊まったって言われたのよね」
「あったね、その騒ぎ」
予習を餌に黙らせられたけど。
「あれ、もっと聞きたいな」
にひひと優実が悪い笑みを浮かべながら隣から椅子を自分の隣に引きずった。
どさ
その音は突然聞こえた。優実が隣増やした席に二階堂が鞄を投げた音だった。見上げれば、心なしか機嫌が悪いような気がした。
「マジで暑い」
「まだ春よ」
あかりが涼しい顔で答えた。千穂の向かいに座る形になった二階堂は汗をかいていて、制服もおざなりに着ていた。いつもより大きく開いた胸元に、少し、ドキドキする。千穂が視線のやり場に困っていると、二階堂は汗で張り付く前髪を掻きあげた。この男は本当に整った顔をしていると唖然とする。というか、色香が啓太と全然違う。千穂は結局視線を落とすことにした。
「藤谷が、突然金髪が校則違反だとか言いだして」
二階堂はアイスココアを選んだらしい。ストローを口に含み、少し飲んでからそれを乱雑に置く。
「校庭走れってさ」
むかつく。と二階堂は話しを締めくくる。
「もう、その金髪は暗黙の了解なのかと思ってたわ」
あかりが少し茶色い毛先をいじりながら言った。
「俺も思ってた」
あいつ、ずっと見てんだもんよ。と、普段なら聞きなれない乱暴な言葉を二階堂は吐く。
「腹立つから全力でやってやった」
「藤谷、なんだって?」
「部活入れってさ」
あははと優実は笑った。
「二階堂、運動神経良いもん!どこも欲しがってるよ!」
「でも、金髪じゃ試合に出られないわ」
「そん時だけウィッグなりなんなりあるじゃんね」
ねーと優実は二階堂に笑いかける。それにはっと二階堂は笑った。
「本当、あんたって呑気だね」
「そうかな」
「うん。楽」
そう言うと、またココアの紙コップに手を伸ばした。
「校庭走った後だから暑いし汗だくなのね」
なるほど、と壱華が小さくまとめていた。それをちらと見て、二階堂は何も言わなかった。
「校庭と言えばさ、やっぱり屋内なのがウケるよね」
屋内に作られた人工の校庭は、体育くらいでしか使われない。昼休みに遊んでもいいのだが、人工なのが人を寄せ付けないのだろうか。
ウケるとひとしきり笑った後、優実がそう言えばと切り出した。
「最近千穂の周りはどうなの?あと、泊めた泊めてないとかさ」
本当のところをさ。と優実は笑う。
「どうって、何が?」
「妖怪とかいるんでしょう?」
そう言われて、ああと二階堂は設定を思い出したのか話し出した。
「昨日手紙が飛んでったのは、風じゃなくてその妖怪とやらのせいだよ」
「そうなの!?」
優実が素っ頓狂な声を上げる。二階堂は頷いた。
「小さい鬼みたいなのが高野原から手紙を奪って走ってた。あんたはそれに追いついて取り返した。でも小鬼も負けまいとしがみついてからそれをあんたは重たいって言ったの」
「・・・・・まじかよ」
触っちゃったよ。と優実は自分の掌を見つめた。ごめんねと言いそうになって、千穂は壱華と二階堂に視線で諌められた。
―そうだ、見えるのは二階堂だけってことになってるんだった
千穂は背筋を伸ばした。
―気を付けないと
旨の前でぎゅっと手を握る。それがもはや何かありますという動作なのだが、本人に他意はない。
「じゃあさ、千穂が泊まったってのは?壱華が怪我したってのもあったけど」
「怪我って、火傷でもしたんじゃないの?お茶淹れて」
「そうそう。いつか良いティーカップ買えたらいいなって思ってたら手が滑っちゃって」
ついでにはしゃいだせいで熱も出ちゃって。
「まだ子供ね」
ちろっと壱華は舌を出した。何というチームワークかと千穂は感嘆する。そんな千穂を置いて会話は続く。
「じゃあ、千穂が泊まったのは?」
「黒くてやばいのが襲ってきたから家に逃げてきたの」
「え?千穂見えんの?」
「さすがにそれだけやばい奴だったってこと」
「見えない人にも見えちゃうくらいってことね」
優実の疑問を二階堂とあかりが解決する。優実はなるほどーとてきとうに頷いていた。納得いかなかったのかもしれない。しかし、それ以上追及しないのが優実の長所であり短所である。
「やっばいのに襲われたから、二階堂のところに逃げて、そのまま泊まったの?」
「倒したわけじゃなかったからね」
戻った後また襲われたら嫌じゃん?と二階堂がフォローを入れてくれる。
「すごい怖かったの。だから、泊めさせてもらった」
「よかったねー」
そんなに怖かったのかーと優実はにやけ顔で千穂を撫でる。
「千穂に何もなくて良かったよ」
うんうんと優実は頷く。
「本当にそれ。なにかあったら親父が何言いだすか分かったもんじゃない」
「お父様が守れっていたんだものね」
「そう」
二階堂が頷く。
「そういや、なんで封筒狙われたの?」
「それはまだ秘密で」
二階堂は悪戯っぽく笑った。ストローを行儀悪く差し入れする。
「この調子だと、明日読んでいいよ。その時はメールする」
「分かった」
―そういえば、いつの間にこいつは私のアドレスを知ったんだ?
あかりあたりに聞いたのかと千穂は勝手にあたりを付ける。
「さて、帰ろうかな」
二階堂がそう言って立ち上がる。
「もう帰るの?」
優実が見上げる。
「飲み物なくなったし、愚痴は言ったし、聞きたいことも聞いたでしょ?」
とりあえず、俺は帰るよ。と二階堂は去って行った。
「―千穂も二階堂も、苦労してるんだね」
優実がそう、話をまとめた。




