9.仮初1
千穂はご機嫌だった。壱華と同じ布団で寝るのは久しぶりだ。傷だらけの部屋なんて気にならない。
「これ、どこに依頼したらいいのかしら」
恐竜にでも引っかかれたような削り後に、壱華はそう呟いた。
「だって、絶対理由訊かれるでしょ?こんな変な傷なんだもの」
「そうだよね~」
絶対、何があったの?って訊かれるよね。と千穂は口ぶりでは困っていたが顔はにやついていた。
「もう、千穂。真剣に考えてる?」
あきれたと壱華は腰に手を当てる。しかし、千穂はそんなこと気にしない。
「ねえねえ、早く寝ようよ!」
ぽんぽんと自分の隣を千穂は叩く。壱華はそれに不思議そうな顔をした。
「・・・・私、布団こっちに持ってくるつもりだったんだけど」
その言葉に、千穂の顔はこれほどの不幸がこの世にあろうかというほど歪んだ。壱華はそれに慌てる。
「あ、そうね、せっかくだものね、一緒に寝ましょうか」
今度は光輝かんばかりの笑顔を見せる。それに壱華がほっとしていると、千穂はひょいとベッドに寝転んだ。
「速く~」
わくわくと足をバタバタさせている精神年齢の幼い幼馴染に壱華は苦笑する。
「はいはい」
そう言うと、電気を消して千穂の隣にもぐりこむ。
―懐かしい
壱華は素直にそう思った。
よく森にテントを張って遊んだ。テントを張っているのに、寝袋は外に出してみんなで空を見上げた。たくさんの星が輝いていて、自分たちが空に落ちていきそうだった。寒くないように、みんなでひっついていた。まだ小さかったから、樹は仲間に入れてはもらえなかった。
―4人で、星を見てたわ
―そう、4人で
ふるりと長いまつげが揺れる。本当なら、ここにいるのは5人だった。
「貴輝」
声には出さず、呼ぶ。強く優しい少年の名を。暗闇に目が慣れてくる頃、千穂から規則正しい寝息が聞こえてくるようになった。そっと、その柔らかい髪に触れてみる。
小さな千穂。弱い千穂。私たちが守ってあげないといけない千穂。
「ねえ、貴輝」
壱華は軽く上体を起こす。額を出すように髪を触ると、千穂はくすぐったそうに身を丸めた。それに笑みをこぼす。
「どうか、千穂を守って」
小さな願いをこぼす。それが呪いだとでも言うように、壱華はそっと千穂の額に唇を落とした。
「私たちに、力を貸して」
―あなたはもう、いないけれど。
壱華は悲しげに目を細めた後、もぞもぞと千穂の隣で横になった。眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。
※
『開けないで』
その言葉と共に、封筒が現れる。
「開けちゃだめなの?」
千穂は問いかける。答えなど百も承知なのに。
『だめ』
そこにあるはずの笑顔はない。
「どうして?」
『秘密』
いたずらっ子のように輝く瞳もそこにはない。
『何も起こらなかったら、開けて』
「何もって?」
千穂は聞き返す。しかし、声はそれを無視する。
『そうだな、今日が水曜日だから』
『土曜日まで何もなかったら、読んで』
―土曜日まで
千穂は、封筒に視線を落とした。真っ白の、いかにも上質そうな紙だ。固いのに柔らかい。撫でていると、そばにいた気配は消えた。彼は帰ったのだと千穂は思った。
「いじわる」
千穂はつぶやく。
「気になるじゃん」
ぷくっと膨れる。それが彼には意味をなさないことを知っている。
「いじわる」
声は小さくなる。
―読んだら、怒られるんだろうな
絶対、こういうところの勘はいいのだ。整った気に食わない顔を思い出す。
「いいもん、我慢するもん!」
―我慢できるもん
ぶすっと千穂は渡された封筒を睨み続けた。
※
イライラと男は歩き回る。右往左往する主人を、妖が不安げに見守る。否、正確には主人の兄を。
「あいつ、俺が誰か気づいているのか?」
ぎりぎりと歯噛みする。
「夢、見れないんだったっけ?」
虎のような妖を撫でながら、もう一人の男は確認する。弟の言葉に、男は足を止める。
「そうなんだ。あいつだけ、夢を読めない」
何が邪魔をしている。男は目を細める。
―霊力が強いことは分かっている。しかし、その霊力自体は守りにはならない。何らかの障壁として形にしなければ、男の前では意味などなさないのだ。―そのはずだ。しかし
「読めない―」
一番重要な人物から、記憶を読み取ることが出来ない。あの少年が何者なのか、彼の少年の父親が何者なのか、少年は何を言い使っているのか。
ふわり
机の上の水晶玉が薄く紫の光を上げた。
「兄貴」
そう呼ばれて、男は振り返る。自分の水晶が夢の始まりを告げていた。男は水晶に手をかざすと、念じた。
―出ておいで、その体に眠る記憶のかけらよ
紫の光は深さを強めていく。一瞬強く光を上げたかと思うと、くたりと男の体は力を失った。弟は、そんな兄の体を受け止める。ずるずるとベッドまで引っ張って、布団をかけてやる。
「今日は、どんな夢を見るのかな?」
銀の器さん?
弟は、水晶に映る千穂の顔に微笑みかけた。




