餌3
一面真っ黒だ。
―シャラン
涼しい音がする。
「誰?」
壱華はそう暗闇に呼び掛けた。
―シャラン
音がする。何もない黒いだけの世界に音だけがある。壱華はその音に惹かれるように歩を進めた。
ひたひたと、はだしの足が音を立てる。はだしの足からひんやりと冷気が伝わってくる。それが、なぜか胸をはやらせる。壱華は、進める歩を速くした。
ガッ!
「痛ッ!!」
何かにしたたかに額を打ち付けた。
「何よこれー」
涙目になりながら、目の前に屹立する不可視の壁をぱしぱしとたたく。
「ここから先には行けないって言うの??」
なによそれ、と壱華は壁を蹴ったが、はだしの足が痛んだだけだった。
―シャラン
あきらめて別の道を行こうとすると、耳に届く音がある。それに惹かれて進めぬ壁のほうへと視線を持ち上げる。
「千穂!」
そこにいたのは、黒い影から逃げ惑う千穂だった。
「どうして!!」
ばんばんと壁をたたくが、そんなことではびくともしない。詠唱しようとしても札も持っていない。
「なんでないのよ!!」
―絶対に札が必要なわけではない。ただ、札なしで力を具現化させるにはべらぼうに時間がかかる。詠唱に入るか、別の道を探すか。壱華は逡巡する。
「いやぁあ!!」
千穂が悲鳴を上げる。壱華は顔を上げて、やはり自分と千穂の間に立ちふさがる壁をたたく。
「千穂!こっちよ!こっちにきて!!!」
もう少しこっちに来てくれれば、詠唱が短くて済むかもしれない。しかし、壁に遮られているのか千穂に壱華の声は届かない。
―結界だ。
そう悟る。しかし、悟ったって意味はない。悟ったところでこの手は千穂に届かない。
影が、大きくその咢を開く。
「千穂っ!!」
どうして、自分はこんなに無力なんだろう。悲鳴と共に、涙が散った。
―シャラン
黄金が、走る。それは閃光のように閃き、影を一瞬で灰にした。バリンと壁が音を立てて崩れる。その衝撃に、壱華はへたへたとその場に腰を下ろした。
―シャラン
ざくりと黄金の剣が突き立てられる。その持ち主の陰は、少年。
「誰?」
壱華は小さく声をこぼす。
少年は、壱華に見向きもせず、しゃくりあげて泣く千穂にへとその手を差し出す。千穂は何かを言いながらその手を取った。千穂が立ち上がった拍子に、少年が壱華のほうを向いた。
髪は、金。瞳は冷たい。
「あなたは―」
そこで壱華は夢から目覚めた。
※
ハッと目を開ける。息は荒い。体中を冷たい汗が濡らしている。
「夢?」
壱華はゆっくりと身を起こす。あまりにも臨場感のあったそれに頭がまだ追いつかない。今のはなんだ?何の夢を見た?そう思い返して、壱華はベッドを飛び出した。
「千穂!!」
先日の戦闘でボロボロになった部屋には、いるはずの少女の姿はなかった。壱華は慌てて自室に戻り携帯を確認する。メールも、メッセージも入っていない。
部屋中を確認する。脱衣所にも、お風呂にもトイレにもキッチンにもいない。
『千穂が部屋にいないんだけど、そっちに行ったりしてない?』
優実とあかりにもメッセージを送る。そして、気持ちよさそうに眠りこける啓太に八つ当たりを含めてとびかかる。
「ゲホッ!!!」
啓太は突然の衝撃にゲホゲホとごほごほと咳をして身をよじる。目が覚めたことを確認すると、その体をゆさゆさと揺さぶる。
「啓太!千穂がいないの!!部屋にいないの!どこにもいないの!!」
「ちょ・・・・・と待って」
俺、マジで死にかけ。ぜーはーぜーはーと啓太はどうにか身を起こす。
「千穂、いないって?」
言われたことを繰り返して、その意味が痛覚を上回る。
「なんで!!!」
「知らない!」
嫌な夢を見たの!千穂が襲われてたの!助かってたけど!だけど!壱華は今にも泣きだしそうだ。落ち着けと背を撫でながら樹に視線をやる。
「樹?」
「起きてる」
もぞもぞと布団から樹は這い出してくる。少し髪の毛が跳ねている。
「悪いけど、俺らの部屋確認してきて」
「分かった」
樹は小さく頷くとさっとリビングを出て行った。その小さな背を見送った後、携帯が振動する。
『おはよー。千穂いないの?私のところには来てないよー』
『おはよう、壱華。私のところに千穂はいないわ』
メッセージが優実とあかりのもとには千穂はいないと伝えてくる。それに壱華は啓太に詰め寄る。
「どうしよう!千穂、友達のところにもいないって!!」
「落ち着けって。夢の中では無事だったんだろう?」
「でも!でも!」
「兄ちゃん!俺らのとこにはいない!!」
リビングにかけて戻ってきた樹の報告に、壱華はさらに取り乱す。
「どうしよう!どうにか先生に連絡とって!」
「待って!」
樹が屈んで壱華の顔を覗き込む。きれいな顔は涙こそ流していないにしろ泣いていた。そんな少女に言い聞かせるように、樹はゆっくりと言った。
「まだ探してないところあるでしょう?」
「え?」
携帯が振動する。それはあかりからのメッセージだった。
『二階堂のところにはいないのかしら?』
「―ここ」
樹は壱華の携帯の画面をとんとんと指差した。
―シャラン
音が木霊する。それは夢の記憶。黒い影を切り裂いたのは黄金の斬撃。その剣を手にしていたのは金色の髪をした―
「二階堂・・・・」
壱華はそう呟くと部屋を飛び出した。
※
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん
壱華はチャイムを連打する。
「どうしよう、出ない」
「開いてる」
ちょっとしたことですぐに冷静さを失う壱華に代わって、啓太がドアノブに手を掛ける。扉を開けると、少し妖気が漂った。それが三人の緊張を高める。
「俺、先行く」
そう言って、啓太が足を踏み入れる。
「おじゃましまーす」
そう奥に声をかけてみるが返事はない。何かが動く気配はない。
―残滓か?
確かに漂っているのは妖気だ。しかし、それはあまりに弱い。ここに姿を現したの事実だが、それはずっと前のようだ。漂っているわずかばかりのかすかな妖気を啓太はたどる。ある部屋の前に、濃く妖気が残っている。そこをずっと右往左往していたようだ。その部屋は間取りとしては壱華の部屋に当たる場所だった。本来の啓太の部屋の場所でもある。外の廊下に面する窓がある部屋。啓太はその扉のドアノブに手を掛ける。ぐっと引くと、ぶわっと清浄な空気があふれだした。残っていた妖気が始めからなかったかのように消える。
―こりゃ入れないわな
何がこの部屋を守っていたのか悟って、啓太は妖に同情した。主に行って来いと言われた場所は、そいつにとっちゃ地獄だったってわけか。
―ここまで来たのを褒めてやってもいいくらいだ
妖気が二階堂の霊力で浄化されていく勢いに目を閉じていた啓太は、風が止まるとゆっくりと目を開いた。そして、力なく肩を落とす。玄関でまだかまだかとこちらをうかがっている二人に向かって言う。
「いた」
壱華と樹は一度顔を見合わせてからバタバタとあがり込んで部屋の中を覗き込む。
その部屋にはど真ん中にベッドが一つ置いてあるだけだった。一人で寝るには少々大きい。低めの、少し柔らかそうなベッドだ。シーツは清潔感にあふれる白。それに埋もれて、千穂は心地よさげに寝息を立てていた。少し視線を下げると、床で寝ている二階堂の姿が目に入る。客用の布団は用意していないらしい。タオルケットを体に巻きつけて眠っている。枕代わりだと思われるクッションが頭の下にあった。
「何この図」
衝撃に冷静さを取り戻した壱華がつぶやく。樹が冷静に答えた。
「千穂がベッドから追い出したんじゃないかな」
「きっとそうなんだろうな」
千穂の特技にどれだけ困らされたものかと全員が遠い目をしていると、もぞもぞと二階堂が身じろきした。
「ん」
顔をしかめて伸びをする。きっと体のあちこちが痛いに違いない。
「寒い」
そんなことを言いながら、風を追ったのだろうドアの方に視線を向けた。三人を認めると、心底驚いた顔をしていた。
「なんでいるの?」
「千穂がいなかったから」
その驚きように驚きながら壱華が答えた。その答えに二階堂は、そうか、そうだよなとつぶやきながら体を起こす。そしてベッドで寝ている千穂をゆすった。
「ほら、起きて。迎え来たよ」
「眠いー」
「だったら自分の部屋で寝て」
やだーと千穂はこちらに背を向けてしまう。二階堂は諦めて三人の方を向いた。
「これ、どうにかして」
年上組を見上げてから、樹が二階堂の隣にしゃがんでみる。
「ねえ、千穂。どうして部屋にいなかったの?」
そう尋ねてみる。その質問に、千穂は夢から現実に引き戻されたようだ。ガバリと起き上り、樹の顔を見るとばっと抱き着いてきた。いくら千穂が小柄とはいえ、まだ小5でその中でも小さな樹にしてみればそれは支えきれるものではない。体が後ろに反る。倒れると思ったが、どうにか前に押し戻される。
「っ・・・・はあ」
冷や汗をかきながら隣を見やると、二階堂が樹の背を支えて千穂の首根っこを掴んでいるのが見えた。
「ぐるじい」
「考えなしに飛びつくのが悪い」
べしょっと二階堂は千穂をベッドに落とした。う~とうなりながら千穂は後ろ首を撫でた。
「詳細はこの人に聞いて」
俺よく分からないから。と言われて樹は頷いた。何となくいろいろ読めて、樹は小さく頭を下げた。
「お手数をおかけしました」
「・・・・・・どうすんの、負けてるよ?」
いろいろ。いいの?と二階堂に言われた千穂は、むっと二階堂を睨みながらベッドから降りた。
「私だってしっかりするときはしてるもん!」
「例えば?」
「え?え~と」
千穂はいかに自分がしっかりしているのかよほど二階堂に証明したいようで、懸命に実例を絞り出そうとする。それをしり目に二階堂はごめんと壱華と啓太に声をかけて部屋を出て行った。啓太がその姿を追うと、千穂の部屋―あるいは樹の部屋―と同じ部屋に入って行った。
「そう!優実ちゃんが消しゴム忘れた時2個持ってたから貸してあげた・・・・」
あったとそれでいいのかという例を二階堂に教えてやろうとして、やっと千穂は二階堂がこの部屋にいないことに気が付く。
「遅いよ」
樹に突っ込まれて、千穂は眉根を寄せた。そうしていると、二階堂が戻ってきた。その手には封筒がある。二階堂はそれを千穂に差し出す。千穂は二階堂をじっと見た後に、それに手を伸ばす。自然とその封筒を開けようとした千穂の手を二階堂は止める。
「よく聞いて」
「?」
千穂は訳が分からず二階堂を見上げる。
「これには大事なことが書いてある」
「大事なこと?」
「俺がまだ隠してること」
「!」
千穂は封筒に目を落とした。
「でも、まだ読まないで」
「どうして?」
「秘密」
二階堂は意地悪気に笑った。
「それで、もしなんだけど」
「うん」
「あと数日、何も起きなかったら。そうだな」
今日が水曜日だから、と二階堂は目を細める。
「土曜日まで何もなかったら、読んで」
「何かあったらじゃなくて?」
「そう」
二階堂は頷いた。
「何も起こらなかったら読んで」
「秘密なの?」
二階堂は、妖しく微笑んだ。
「そう、秘密」
千穂はじっと封筒を見つめていたが顔を上げると二階堂に言った。
「分かった」
千穂はパジャマのポケットにそれを入れようとする。
「千穂、そのまま洗濯しないでね」
「しないよ!」
隣で見ていた樹に突っ込まれて、千穂は叫んだ。
「その手紙さ」
「うん?」
意識が樹にっていた千穂は、首をめぐらせて二階堂を見上げる。
「ずっと持ってて。学校の時は制服のポケットとかに入れて、部屋だったら部屋着のポケットに入れて」
ずっと、持ってて。
千穂はむすっとした。
「秘密なの?」
二階堂は笑顔で頷いた。そしてその笑顔は、啓太の玄関の鍵壊されてるぞ発言にきれいに消された。




