餌2
千穂はふらふらと立ち上がり、どうにか二階堂のリビングのソファに座りこんだ。まだぐずぐずと泣いている。二階堂がタオルとティッシュを渡してくれる。
「何か飲む?」
こくりと千穂は頷く。
「何飲む?」
「・・・・」
千穂は答えない。それに、二階堂は冷蔵庫の中身を眺めてとりあえず牛乳を温めることにした。じーっとレンジの音が響く。
時計を見ると夜中の三時過ぎだ。二階堂はキッチンで牛乳が温まるのを待ちながら、時計をじっと見つめていた。
チン
とレンジが鳴る。二階堂はホットミルクの入ったマグカップを千穂の前に置いた。千穂はひくひくと肩を揺らしながらそれを両手に持った。
「熱いから気を付けて」
千穂は小さく頷いたけれど、すぐにあちっとマグカップを顔から離した。
「―だから言ったのに」
そう言いながら、二階堂は適当に横から新聞を手に取って広げた。しばらくぺらぺらとめくっていたけれど、飽きたのかすぐにラックに戻すと今度は難しそうな本を手に取った。
千穂は本を読む二階堂を見たり、ホットミルクを飲んだりしているうちに落ち着いてきた。とりあえず涙は止まる。―思い出すとまたあふれてきそうではあったけれど。
「さっきのなに?」
話せるくらいには落ち着いたろうと、二階堂は話を切り出す。
「わかんない」
千穂はマグカップを持ったまま答えた。
「気づいたら、あいつと二人だった」
「・・・・どういうこと?」
そうか、二階堂は結界とか知らないんだと千穂は思い至って、始めから説明しようと試みる。二階堂も千穂の説明を待っている。
「えと、突然目が覚めたの」
これは昨日と同じ。
「うん」
「今日は、携帯そのものが作動しなくて。昨日のことがあるから、啓太と樹も今うちの部屋にいるの」
「うん」
二階堂もホットミルクを飲みながら話を聞く。
「で、私、何もできないから壱華ちゃんがお守りにってお札くれてて。それでしのげば啓太たちのほうには行けるかなと思って」
2人はリビングで寝てるから。
「そうなんだ」
お札の効力とやらは二階堂にはよく分からなかったが、とりあえず一通り千穂の説明が終わるのを待つことにする。
「壱華ちゃんは怪我してるからまずは啓太を頼ろうと思ってリビングに行ったんだけど、2人ともいなくて」
「え?」
二階堂は軽く眉根を寄せる。
「もぬけの殻で。壱華ちゃんの部屋に行っても、壱華ちゃんいなくて」
そこで私
「結界に隔離されたんだって分かって」
「隔離されて、あいつと二人だったって?」
「うん」
千穂は弱弱しく頷く。マグカップを眺めがらこぼす。
「部屋から出たのは失敗だったなって思って」
「出たの失敗だったの?」
「うん」
千穂は頷く。何度でも。
「私の部屋にだけ別に壱華ちゃんが結界張ってくれてるから」
「わざわざ自分から飛び込んだってわけ」
「うん」
千穂はしゅんとなる。
「まあ、昨日は幼馴染に邪魔されたみたいだから、一人を狙われたんだろうな」
冷静な分析に、千穂は胃がきりきりとしてくるようだった。
「また、狙われちゃうかな」
「かもね」
「もっと励ましてよ!」
「そんなこと言われても。俺こういうのよく分からないし」
無責任なこと言えないし。と叫ぶ千穂に対してやっぱり二階堂は冷静なのだった。それにむーっと頬を膨らませて二階堂を睨む。
「だから怖くないんだって」
お決まりのように二階堂は言った。カップをテーブルに置く。
「で、どうして俺は隔離されてるはずの結界の中に入れたの?」
「ああ」
そうだね、そこも分からないよね。私も感覚でしか分からないけど。
「二階堂って、自分の霊力、強い自覚ある?」
「ない」
即答する。だよねと千穂は内心頷く。
「二階堂の霊力ってちょっと桁違いに強いの。リアルに、一人桁が違うの」
「よくわかんないけど、そういうことにしておくよ」
「助かる」
千穂はぬるくなり始めた牛乳をまた口に含む。こくりと喉を鳴らす。
「扉を開ける、という行為をきっかけに、二階堂は結界を破っちゃったんだよね」
「扉開けたら入れるもんなの?」
千穂はうーんと首を盛大に傾げた。耳が肩につきそうだ。
「えーとね。怖いテレビとか映画とか見たことある?」
「少しは」
「こう、扉を開けたせいで怖い思いするやつとかあるじゃん?」
「開けなけりゃよかったのになってやつ?」
「それ」
千穂はそれよそれと何度も頷く。少し年よりくさい。
「ああやって招かれないと入れないわけね?」
それくらい、戸を開くって大事なことなの。儀式みたいなもんなの。千穂は懸命に説明する。
「それを、桁違いに強い二階堂がやったから、結界の一部が吹っ飛んじゃったの」
自覚ないだろうけど。
「ないね」
自覚。
「あ、いや、繋がっちゃったって感じかな?」
千穂はむむっと額に指先を当てて考え直し始める。
「・・・・どっちでもいいよ」
二階堂はカップを持って温めた牛乳を飲む。
「温めなおそうかな」
案外冷えるのが早いそれに一人小さくつぶやく。
「あ!私のも!!」
しかし千穂は聞き逃さず、向かいの二階堂の方へえいとカップを押す。それに少しげんなりとした顔をしてから、二階堂は結局二つマグカップを持って立ち上がった。去っていく背を、千穂はご機嫌というように足をふらふらさせて見送った。
―なんか落ち着くな
―さっきまで怖かったの嘘みたいだな
千穂はひとりへにゃへにゃと笑う。
―強い人の近くは良いな~
チン
という音に、千穂は顔を引き締めた。すぐに二階堂は戻ってきた。
「はい」
湯気を上げるカップを千穂の前に置く。
「ありがとう~」
普段は気が向いた時だけしか飲まない牛乳だったが、今日は格別おいしく感じた。音符が飛びそうなほど機嫌のいい千穂に、二階堂はもう一回と口を開く。
「―剣について説明するつもりないんでしょう?」
千穂はびくっと肩をはねさせたが、ぶんぶんと首を縦に振った。
「しないよ!教えない!」
そう。二階堂はじっと千穂を見た。負けないぞと千穂も二階堂の目を睨みつける。先に視線を外したのは二階堂だった。
―よし!勝った!!
私言わなかったよ!壱華ちゃん!!と一人心でガッツポーズを決め壱華に報告する。歓喜している千穂に、二階堂は言った。
「落ち着いたんだったら、送る」
そう言われて、千穂は笑顔がこわばったのが分かった。懸命に言い訳を探す。
「私、まだなんで二階堂があの時間に部屋出たのか聞いてない!!」
自分ばかり説明したことを思い出して千穂は口早に理由を求める。
「ああ、あれ」
二階堂は行儀悪く片足をソファに乗せて思い出そうとしているのか軽く首をかしげた。
「―ちょっと、寝つき悪くて」
絶対に嘘だと千穂は思った。
「寝つき悪いくらいじゃ出ないでしょ!!」
二階堂は視線を落としたまま、自分の耳たぶに指を置いた。そこには父親からもらったと言うピアスがある。その行為が何かを意味する気がして、千穂は少しどきりとした。
「言いたくない」
「ええ~」
千穂は自分のことを棚に上げて非難の声を上げる。二階堂は、ピアスをいじりながら答えた。
「教えちゃったら、どれに反応したのか分からなくなっちゃうから」
なんだそれ、と千穂は思ったが、二階堂が言わないと言うのなら絶対に言わないのだろう。おとなしくあきらめる。千穂があきらめたのを確認すると、二階堂は腰を上げた。
「送るから、用意して」
用意も何も、千穂にできることと言えば牛乳を飲み干すか残すか選ぶことしかないのだが。それでも、千穂はじっと白い面をじっと見つめて黙りこくった。沈黙が満ちる。二階堂は、それに嫌な予感がした。どことなく、主導権が千穂に握られているような感覚。
「ごめん、無理」
千穂は固い声でそう言った。二階堂はああとため息をつき額に手の平を当てる。その次にくる言葉は容易に予想できた。
「今日泊めて」
「・・・・・・」
気持ちは分からないでもない。しかし、こちらの身にもなってほしいというものだ。どう言いくるめようかと考えていると、千穂が先手で攻めてくる。
「またあの黒いの来たら無理だもん!!3人いるけど!戻ったらいるんだろうけど!3人じゃだめだったもん!怖いもん!!」
やだやだと千穂は首を横に振る。長い髪が首とは逆向きに揺れる。それをあきらめたように見つめて、二階堂は小さく言った。
「・・・・じゃあ、俺ここで寝るからベッド使って―」
「やだ!同じ部屋がいい!!」
「あぁ~~~~~~~~」
二階堂はしゃがみこんで両手で顔を押さえる。これを見た優実とあかりは爆笑だっただろう。
分かる。言いたいことは分かる。起きたことも分かる。彼女は一人でいたら結界の中に隔離されたのだ。だから、一人になるのが怖いのだ。二人でいたら二人でしか隔離されないのかは分かりはしないが、そこはきっと彼女にとって問題ではない。二階堂はしゃがみこんだまま、ちらと上にあるだろう千穂の顔を見た。
千穂は両手をにぎりしめてお願いお願いと大きな目で訴えていた。ダメだと言えば、その瞳はすぐに決壊して大粒の涙がこぼれるのだろう。それを予想しただけで胸が痛むのはなぜか。きっと、これはそういう生き物なのだ。守ってもらうことによって身を守る。だからきっとこんなに小柄で瞳は大きいのだ。そう分析に思考を逃がす。
視線が自分からそれたことに危機を感じ取った千穂はその場にしゃがみ込んで二階堂と目を合わせようとする。
「お願い!お願いお願いお願い!!!」
眉はハの字。瞳はうるうる。
どうにでもなれと、どこかから声がした。
「分かった」
視線を上げると、天使ばりにキラキラとほほ笑む千穂の顔があった。
※
「くそ!」
男はダンと机を叩いた。後ろにいる妖たちが不安げに様子をうかがっている。
「何もせずに逃げだすとは」
役立たずにもほどがある。ぎりと男は歯噛みする。
―本当は違うと、分かっている。
「二階堂武尊」
それは剣を巡って敵対関係にある可能性が露呈した少年の名前だ。しかも、その意思は本人ではなく父親のものらしい。
「読めないにもほどがある」
男は目を細める。敵は二階堂だけではない。彼は高野原千穂を守ると言う。しかし、そうではなく彼女そのものを狙っている者もいる。競合者がいるのだ。
―土曜日の夕刻、彼女に忍び寄った影はなんだったのか。
とても、強かった。自分たちが使役できる妖の限界を超えた強さは、男を焦らせるには十分だった。
「箱の中にいれば敵は少ないと思っていたが」
誤算だったか。
「いいじゃない」
そう声がかかる。
「いいんだよ、楽しめば」
それは、その男の口癖。
「お前は楽しめるのか?」
「俺は楽しいよ?」
兄貴と一緒なら、なんでも。男はにっこりと笑った。




