焦燥5
「千穂は?」
開口一番壱華は啓太に千穂の所在を尋ねた。啓太はしまったと言う顔で押し黙る。
「一緒に帰ってきてよ!危ないじゃない!」
壱華はご機嫌斜めだ。また怒らせちゃったなと思いながら、啓太は手に持っているものを壱華に手渡す。壱華も腕を伸ばされたので自然に受け取る。その軽さから壱華は少し笑顔になる。
「全部食べれた?」
「うん」
啓太は頷いた。壱華の顔を見る。まだ熱は引いていないのだろう、赤い。しかし、特別体調が悪そうな様子はない。予想より元気で啓太は安堵の息をつく。
「おいしかった」
―本当はちょっと塩辛かったけど
「本当?」
よかったと壱華は笑った。ご満悦だ。
「うん。おいしかった」
そう繰り返して、啓太は壱華の肩に額を乗せた。これもまた反射的に壱華は啓太の後頭部に手を置く。
「すげーおいしかった」
―ひとつひとつ、すごく強く握ってあって密度がすごかったけど
―それが3つもあってお腹がパンパンになったけど
―どれにも具が入ってない塩結びだったけど
―それでも
「おいしかった」
よしよしと啓太の後頭部を撫でながら、弱ってるなーと壱華は体の大きな幼馴染を見る。熱に浮かされているのか、幼いころを思い出す。まだ、二人の身長がこんなにも離れていなかった頃を。
いつもいじけた啓太を迎えに行くのは壱華の役目だった。家から飛び出したとか、帰ってこないとか、そういう時はいつも壱華にお願いが来るのだ。
『壱華ちゃんの言うことなら聞くから』
そのおばさんの言葉に、私は啓太のお母さんでもなければお姉さんでもないと憤ったものだった。そして、ちょっとした誇らしさも感じていた。
―そうでしょう?啓太は私の言うことしか聞かないんだから
―啓太と一番うまくやれるのは私なんだから
「おいしかったならよかった」
「おいしかったよ」
―泣くかと思った。
「啓太、最近元気ないものね。お腹いっぱい食べれてないんじゃないかと思って」
―そう言えば、普段と比べれば食べてないな
「あんた、お腹すくとすぐおかしくなるでしょう?」
―ああ、そうかも
「少しは腹の足しになればと思ったんだけど」
「なった」
めちゃくちゃ
「なった」
優しく頭を撫でてくる柔らかい手の感触に、啓太は目を閉じる。思いは、するりと口からこぼれてきた。
「俺、ちゃんとするから」
「うん」
「千穂だけじゃなくて、壱華も、ちゃんと守るから」
「―うん」
壱華は、柔らかい笑顔で頷いた。啓太は顔を上げる。きらめく星空の瞳と目があう。壱華は、にっこりと笑った。
「頼りにしてる」
ただそれだけの言葉で、なんでもできると、啓太は思った。
「任しとけって」
悪戯っこのような、幼い笑顔で啓太は答えた。
※
「兄ちゃん、復活したっぽい」
樹は肩に乗っているハトほどの大きさの赤い鳥に話しかけた。
くるるるるるるるるるるるー
軽やかな音が、鳥ののどから聞こえてくる。鳥は、えいえいと懸命に自分の顔や頭を樹の顔になすりつけてくる。よしよしと撫でてやりながら、樹はぼやく。
「ずるいよね、兄ちゃんには壱華がいるのにさ」
千穂にいた貴輝は死んじゃったけど。と心をよぎった言葉に、樹は視線を落とす。リビングと廊下を隔てる扉のすぐ横。ソファの見えるその場所で、樹は座り込んでいた。
「いつもそうなんだよ。兄ちゃんすごく馬鹿でさ、役に立たないんだけどさ、でも、体でかいしさ、強いしさ。すごい能天気で」
少し涙がにじんだのが分かった。
「馬鹿だから、よくわかんないことで、それこそ自分でもわからないことでありえないくらいしょげて、でも」
でも
「壱華が大丈夫って言えば、笑えば、兄ちゃんすぐ元気になるんだ」
本当馬鹿。でも
「うらやましいなって。これから嫌なこととか、つらいことがあっても、兄ちゃんは壱華が笑ってくれれば元気になれるんでしょ?」
ずるいよね。そう言うと同時にこぼれた滴を鳥はくちばしで受け止める。口に入ったそれはしょっぱかったのか、小さくけほけほと変な音を鳴らしていた。それを見て、樹は笑った。
「そうだよね、俺にはクルルがいるもんね」
指先で頭を撫でてやると、クルルは気持ちよさそうに目を細めた。そして、頭のてっぺんにキスを落とす。
「頼りにしてるから」
くるるるるるる
クルルはいつもより大きく鳴いた。




