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  焦燥3

 時はさかのぼり千穂と壱華の部屋のリビングで、樹は壱華と昼食をとっていた。


「樹まで私に付き合っておかゆ食べなくてもよかったのに」

「こういう時じゃないと、薄味のものにありつけないから」


―確かに食堂は味付けが濃いわね、と壱華は思い出す。スプーンにとり、少し冷まして口に含む。お米の甘い味がした。


「樹って、本当何でもできるわよね」

樹が作ったおかゆの味に、壱華は嬉しそうに笑う。熱はまだひいてはおらず、顔は赤い。


「何もできない兄がいるんで」


そう言うと、そうねと壱華はおかしそうに笑った。何かを思い出すように目を細める。


「―でも、本当二人が来てくれて助かったわ」


ちょっと違うような気もしたけれど、とりあえず昨夜のことだと樹は判断した。


「携帯、繋がってよかったよ」

運がよかったね、と樹もおかゆを口に入れながら言う。壱華は、おかゆに付けたスプーンをくるりと回した。


「いつも、結局助けてもらっちゃうのよね」


―弱ってるな

樹は少し困った顔をした。啓太まで後ろ向きなのに、壱華にまでマイナス思考に入られたら終わりだ。自分一人じゃ支えられない。そうひやりとしている樹に対して、壱華の笑顔は穏やかだ。


「千穂、元気なかったわね」


失敗しちゃったわ。ここで、やっと少し表情に陰りが出る。


「壱華のしたことは正しかったよ」


俺たち、全然動けなかったもん。そう言って、自分たちが情けなくなる。


―女の子にけがさせちゃった


ちらと包帯が巻かれている腕を見る。あの妖の牙は大きかった。それでこれだけのけがで済んだのだから幸運と言える。しかし、


―変な毒とか入ってなかったらいいけど


あれだけ発達した牙だ。獲物を狩るために毒を持っていてもおかしくないと樹は思っていた。そういう心配もあり、樹は壱華の傍にいることにした。そして、無茶しないよう見張るという役目もある。


何かあれば啓太にすぐ連絡することになっている。案の定千穂の部屋を掃除すると言い出した壱華に代わって、樹は午前中いっぱいかけて掃除機をかけた。


―あんなに砂だらけになるんだな


先週の放課後、次の廊下掃除は大変だったのではなかろうかと樹はどうでもいいことに思いはせた。


「そういえば、まだお米残ってたかしら」

「少し多めに炊いたから、まだあるよ」


突然の壱華の質問に、何事かと思いながら樹は答えた。壱華はそうなの、と少し考えた後、ぺちっと顔の前で両手を合わせた。


「ちょっと、お願いがあるんだけど、いい?」


―啓太がなぜ壱華の頼みを断れないのか、樹はこの日身をもって知った。



 ひょいと、視界にアンパンが入ってきた。啓太はそれを無視する。するとアンパンは視界から消え、ひょいとカレーパンに姿を変えた。それも無視すると、カレーパンは味玉入りおにぎりになった。それさえ無視する啓太に、大滝と清水はどうしようかと目を合わせた。


「啓ちゃん、お昼食べないと午後持たない人でしょう?」

「6限は体育だぞ」


 朝からずっと黄昏ている啓太に、大滝と清水は手を焼いていた。


「何があったのかな~」

「幼馴染の美人のほうが体調を崩しているという情報ならある」

「それ誰に教えてもらったの?」

「下が勝手に騒いでただけだ」

「やぁちゃん、地獄耳だもんね」

「うるさい」


清水はぐいぐいと大滝の耳たぶを引っ張った。


「痛い痛い!!」


やめろと大滝が清水の腕をたたいていると、廊下側から声がかかった。


「戸川~弟来てるぞ!」


大滝と清水はまた目を合わせ、啓太を見る。ダメだ、全然聞こえていない。そしてなにより。


「弟って言ったよな」

「弟って言った」


二人は頷くと声のした廊下の方へ歩いて行った。扉の下には、確かに小学生の中学年か高学年くらいの少年がいた。弟は小5だと啓太から聞いている。


「啓ちゃんの弟?」

「似てないな」

「よく言われます」


冷たいともとれる清水の言葉に、啓太の弟―樹は冷静に返した。


 しげしげと二人は樹を見る。啓太とは違って細い体のつくりだ。髪の毛も細くてさらさら。美少年と言える。ちらと教室に目をやると、女子が少々騒がしい。


「戸川啓太の弟の樹って言います。兄ちゃん、今どうしてます?」

「啓ちゃんね。今意識がどっか飛んじゃってるの」

「会話もままならない」


友人らしい2人の言葉に、樹は大きくため息をついた。


「ちょっと失礼します」


そう言うと、高等部の教室に気にもせずずかずかと入っていく。


「肝っ玉のある弟だな」

清水は大滝に耳打ちする。大滝も頷いて同意した。


 樹はきょろきょろと兄を探す。

「戸川君ならあっちだよ」

窓側の前!と後ろに固まっている女子の誰かが教えてくれた。樹は声のした方ににこっと笑った。


「ありがとう」


きゃーっと黄色い声が上がる。


 グッジョブでしょ?私良いことしたでしょ?

 あの子がいい子なだけだって


そんな声が聞こえてくる。樹はそれを無視してまっすぐに啓太のほうに歩いていく。兄は机に頭を乗せて空を見上げていた。


「兄ちゃん。昼飯は?」

「食べたくない」

「―壱華の言った通りだ」


その言葉に、啓太は顔を上げた。


「てかなんでお前ここにいるんだよ。壱華といろって言っただろ」

「壱華からお使いに出されたんですー」


そう言って、樹はどすっと机に大きなハンカチで包まれた何かを置いた。


「なにこれ」

「おにぎり」

「だから食べないって」

「壱華が作った」

「・・・・なんで作らせたんだよ」


動揺をどうにか飲み込んで啓太は返した。しかし、樹は冷たい。


「食べるの食べないの?」

「だからなんで寝かせてないんだよ」

「もう作っちゃったんだからしょうがないじゃん。壱華が作ったおにぎりはもうここにあるの」


で。樹は兄を睨みつける。


「食べるの?食べないの?」

啓太はぐっと歯をかみしめた。

「壱華は兄ちゃんにって作った」


とどめとでもいうように言う。啓太はおにぎりが入っているそれから視線を外す。


「お前が食べればいいだろう」

「俺、もうお昼食べた」

「育ちざかりだろ、いける」


樹は大仰にため息をついて見せた。


「いい?壱華が言ったこと一言一句そのまま言うからよく聞いててね」


その言葉に、教室中が耳を澄ませる。それに兄弟は気づかない。


「熱出して作ったおにぎりなんて啓太にしか食べさせられないわ。風邪っぴきのおにぎりを食べて風邪ひかない馬鹿なんて、私啓太しか知らないもの」


ぐっと、啓太は手を握った。


「俺、馬鹿じゃないからこれ食べられない」

啓太は答えない。

「壱華今熱あるから、兄ちゃん以外の人に食べてもらうなんて言語道断」

てか

「珍しく料理したから、きっと感想訊かれるよ」

答えられるようにしとかないと。

「変に機嫌損ねさせて、体調悪化させないでよね」


そう言い放つと、樹は教室から出て行った。扉の所で失礼しましたと言ってお辞儀することも忘れない。それを見送った清水が一言。


「戸川の弟とは思えないしっかりぶりだな」

「そこもすごいけど、すごいのはそこじゃないよ!!」


大滝は気づけと清水の袖を引っ張る。清水はなんだと大滝の方に首をめぐらせる。

「あれ!あそこにあるの、啓ちゃんの幼馴染が作ったおにぎり!」

大滝は懸命に啓太の机にある四角い物体を指差す。

「あれ、俺欲しい!!」


それは教室中のほとんどの男子の心を代弁していた。学年は違えど、飯島壱華を知らないものはいないと言っても過言ではない。自分のおにぎりが狙われているとは知らず、啓太はずっとその包みを睨んでいた。一向に食べ始める様子がないので、大滝は啓太に近寄ってみる。


「食べないの?」

無言。

「啓ちゃん、食欲なさそうだったよね?」

無言。


 大滝は一度清水を見てからそっと包みに手を伸ばしてみた。指先が触れようとしたその時。ばっと、高速で啓太がそれを取った。


「食べるの?」

「時間ないぞ?」

「・・・・5限サボる」

「6限は?」

「出る」


そうとだけ答えると、啓太は包みと一緒に教室を飛び出していった。



 壱華はソファで横になっていた。すうすうと規則正しい呼吸音が静寂に響く。


「おやおや、こんな場所で寝てしまって」


悪い子ですね。と男は笑う。ソファまで歩み寄って身をかがめる。包帯をほどいて、部屋着の袖をまくりあげる。するとあらたに包帯が出てくる。


「荒っぽい治療だ」


男は笑ったまま、傷口に直接まいてある包帯もほどいた。赤黒い線が白い腕に走っている。ところどころまだ固まっていないように見える箇所もある。


「よく噛みちぎられなかったものだ」

感心したように眺める。そしてつ、と触れてみる。


「ん」


痛いのか、壱華は眉根を寄せた。


「治療についても勉強が必要ですね」

貴昭たかあきに言っておかなければ、と呟く。


 男は壱華の傷の上に手を広げる。そこからほのかに光がこぼれる。光を注がれた傷は、音もなく消えていった。その様子をずっと見守っていた少女が不服そうに口を開いた。


「ご主人様は優しすぎます」

宙に浮いたまま、ぷーっと頬を膨らませる。

「このままでは毒が回ってしまうからね」

これは専門外のようだし。回りが遅いものでよかったよ。

「でも、だからって!」

大きな声を出す少女に、男はしっと唇に指を当ててみせる。少女は申し訳なさそうに口を閉じた。


「いいんだよ、生徒の健康を守ることも教頭とやらの役目だからね」

男は楽しそうに笑う。

まあ、と付け足す。

「私がそう思っている間だけね」

おいで、と男が腕を出すと、少女はカラスにへと姿を変え差し出された腕に止まった。


「お大事に」


笑顔でそう言って、教頭は姿を消した。



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