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  焦燥2

「保健室行くんじゃないの?」

「保険医になんて説明するの?」


そう返されて千穂は黙る。黙ってしまった千穂を見て、二階堂は続ける。


「涙が止まったら、いけばいいんじゃない?」

「・・・・うん」


ぐずぐずと千穂は鼻を鳴らす。涙はまだしとしとと流れてきていた。よくこんなに水が体の中にあるものだと自分で感心する。


 二階堂が連れてきたのは食堂だった。お昼も終わったこの時分、人は少なく、しかしサボりなのだろうか、生徒の姿もちらほらある。程よい雑音と静寂に包まれている。


「何飲む?」

「ココア」


それだけ確認すると、椅子に座った千穂を置いて二階堂は自販機の方へ歩いて行った。その後ろ姿を目で追いながら、もう顔を隠したい相手もいないかと二階堂のカーディガンを頭から下す。その拍子にふわりと香った。


―お日様の匂い?かな?


と考えていると、ことりと缶のココアが千穂の目の前に置かれた。視線を上げると、向かいに座った二階堂も同じものを持っていた。何度か上下をさかさまにして振った後缶を開ける。その様子を千穂はじっと見ていた。それを口に付けながら二階堂は尋ねた。


「怪我したの?」


彼が何を問いたいのかそれだけで理解する。


「―うん」


千穂は力なく頷いた。少し止まるかもしれないと思っていた涙は、また思い出したように流れ出した。


「夜、いっぱい、変なの来て」

「うん」


二階堂は静かにうなずいた。


「壱華ちゃんが助けてくれて」

「うん」

「でも、たくさんだったから壱華ちゃんだけじゃ無理で」

「うん」

「ずっと繋がらなかった携帯が、なんか突然繋がったから、啓太と樹呼んで」

「うん」

「全部倒したんだと思ったんだけど」

「うん」

「なんか一匹首だけになったのに動けたのがいて」

「うん」

「そいつ、私に向かって飛んできたんだけど」

「うん」


大体先まで理解し始めたのか、二階堂の声のトーンがわずかに落ちる。千穂の声もあからさまに震え始める。


「私、けられなくて」


ぼたぼたと涙が落ちる。ぎゅっと握った手の甲ではじける。


「うん」

「壱華ちゃんが、私かばって、怪我して」

大きな牙で噛まれちゃって。

血がたくさん出てて。

平気ってその時は言ってたけど、朝起きたらすごい熱があって。


ただただ思いを吐き出すように千穂は話す。話さない方がいいんじゃないかとか、そんなことは頭をよぎらなかった。ただ聞いてほしかった。幼馴染ではない、少し距離のある人に。でも、話の通じる人に。


「―高野原は怪我しなかった?」


その言葉に千穂は視線を上げる。にじむ視界では二階堂の表情はよく分からない。手で涙をぬぐう。


「怪我しなかった」


怖くて、震えたり冷たくなったりしたけど、怪我も何もない。私は元気。そこまで言って、また嗚咽がこぼれる。


「壱華ちゃんは、怪我しちゃったのに」

「よかったね、怪我しなくて」


二階堂はただそう言った。でも、千穂にとって重要なのはそこじゃない。枯れることのない涙をぬぐって千穂は声を荒げた。


「話聞いてた?私、壱華ちゃんが怪我したって―」

「あんたが怪我してたら、その『壱華ちゃん』が今頃泣いてた」

「え?」


二階堂はココアを飲んだ。テーブルに缶を置いて、ゆっくりと回す。


「あんたは飯島が怪我したから泣いてる。だったら、飯島もきっと、高野原が怪我したら泣いてたんだ」

そういう仲じゃないの?二階堂が目線だけ持ち上げて千穂を見る。少し茶が混じった黒色の瞳だった。


『そういう仲じゃないの?』


その言葉はずしりと千穂の心に響いた。


―そうなのかな。私が怪我したら、壱華ちゃん泣いてたのかな


泣いて、わめいて、暴れて、部屋に閉じこもって。それをなだめる啓太の姿まで想像できた。


「・・・うん。そう。壱華ちゃんも泣いてた」


千穂は小さくそう言った。膝の上で握っていた手をゆっくりと開いて、撫でる。


「よかったね、飯島は今泣いてないよ。きっと」

あんたの心配をしてるかもしれないけど。でも

「泣いてない」

二階堂は目を柔らかく細める。

「よかったね、飯島のこと守れて」


その言葉に、千穂は驚いて顔を上げた。大きく目を見開いて、二階堂を見つめる。凝視されて、二階堂は苦笑する。


「いいんじゃない?泣いちゃうくらい苦しい気持ちから、飯島を守れたって考えても」

ばちは当たらないんじゃない?

「そうかな」

千穂は、問いかける。

「一般的にどうかは知らないけど、俺は良いと思うよ」

そうなのかな、と繰り返す千穂に、二階堂は笑った。

「そうだよ」

二階堂はココアを飲み干すと、ぽいと近場のゴミ箱に向かって投げた。それはきれいな弧を描いてゴミ箱に収まる。


「―保健室、行く?」

「行かなくてもいい気がしてきたなぁ」

どうしようかなぁと足をぷらぷらさせて考える。

「俺は保健室行った方がいいと思うよ」

「なんで?」

「目がはれてるから」

「!!!」


千穂は慌てて下を向く。ポケットにあった携帯を取り出して黒い画面に自分の顔を映してみる。泣いていたため、目はぼったりと腫れてしまっていた。


「え~~~~~」


失望の声を千穂があげる。それに苦笑しながら二階堂は立った。


「保健室行って、冷やして、腫れが引いてから帰った方がいい。飯島が心配する」


そうか、と千穂は素直に思った。壱華は自分に気にするなと言っていた。でも気にしてるだろうなという顔で朝自分を送り出してくれていた。大丈夫だって、平気だって顔で帰ろう。


そう心に決めていると、ぽんと頭に手を置かれた。それに顔を上げる。二階堂が手を差し出していた。


「行くよ」

「あ、うん」


その手を自然にとって、千穂はテーブルの上のそれに気が付く。


「・・・ココア飲むの忘れてた」

「保健室で飲めば?」


二階堂の言葉に、千穂はココアをポケットに突っ込んだ。


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