7.焦燥1
千穂の顔は暗かった。寝不足もあったが、壱華が昨夜の怪我で熱を出したのだ。今の自分と二人でいるより学校のほうが安全だろうと言って、壱華は千穂が学校を休むことを許してはくれなかった。
4人でいればいいと言ったら、啓太を休ませるわけにはいかないと却下された。テストが悪いから出席率でカバーするしかないのだとか何とか壱華は言っていたが、それで本当にカバーできるのか千穂には謎だ。
しかし、4人でいることが出来ないのなら、確かに力のある人間で人気のない部屋にこもっているより学校に出てきた方がよかった。人の多い活気のある場所は、妖の苦手とするところだ。でも、樹が壱華と一緒に休んでいるのは解せなかった。
「千穂ー元気ないぞー?」
優実にちょんちょんと頬をつつかれる。それにさえも千穂は反応しない。優実とあかりは顔を見合わせる。どうしたものかと首をかしげ、隣席の少年に助けを求めるように視線を向けた。本人は華麗に無視する。彼は、薄いが洋書を読んでいるようだった。
「―ねえ、何か知らない?」
朝からずっとこうなんだけど。
「知らない」
優実の問いに、二階堂は単語ひとつで答えた。そのどこかぶっきらぼうな態度に、少女二人は気分を害する。
「もっと優しくしてよ!!」
「そんなことしたって元気になるわけじゃないでしょう」
「案外冷たいのね」
「案外って、どう思ってたの」
「意外に優しいのねって」
「『意外に』優しい奴に『案外』冷たいってむちゃくちゃ」
「人間に一貫性を求めるのが間違ってるのよ」
「その意見は認める」
「はいー難しい話はやめてくださいー」
「別に難しくはないよ」
「難しくはないわよ」
「はいはい、どうぞそのまま難解なお話を続けてください」
どうぞどうぞと優実は手を振る。それには二人は答える。
「別にいい」
「遠慮しとくわ」
「めんど!」
優実は叫んで机をたたいた。
「つか、守るんでしょ~?」
「メンタルヘルスの面倒まで見るとは言ってない」
つれないな~優実は机に頭を乗せる。ふと廊下側に視線をやると、そわそわと男子たちがこちらを見ているのに気付いた。同じクラスの男子もいれば、別のクラスの男子もいる。
―あれは隣のクラスのやつだな
―隣ってことは、壱華のクラスか~
―その面子で千穂に何の用だ?
優実は眉根を寄せながら体を起こした。彼らと視線が合う。少年たちは仲間内で何やらこそこそと会議をしたあと、意を決したようにこちらに足を向けた。隣のクラスに千穂に気のある男でもいるのだろうかと、それくらいしか用を思いつけない優実はのん気に彼らを待つ。
同じクラスの由紀が、代表として口を開いた。ちなみに何事かとあかりは興味津々と瞳を輝かせ、二階堂はわれ関せずと読書に戻っている。
「あの、高野原さん」
千穂はぼうとしたまま答えない。少しどうしたものかと由紀は後ろの男子たちに視線をやったが、すぐに千穂のほうを向いてとりあえずというように続けた。
「今日、飯島さんがお休みなんだけど、先生は熱って言ってたけど、怪我したって噂もあるんだ。本当なのかなって思って」
「え?」
千穂は、由紀の顔を見上げた。その大きな瞳はゆらゆらと揺れていた。それに危うさを感じながら、由紀は尋ねる。
「高野原さんは部屋も同じだし、本当かどうか知ってるでしょう?」
―どこから情報が漏れたのだろう。
千穂は、ただそればかりに混乱していた。昨日の騒ぎは自分たちしか知らないはずで、学校には熱で休むとしか伝えてはいない。それなのに、どうして―。
血が、脳裏に浮かぶ。白い肌に真っ赤な血はよく目立ち、痛々しかった。
―私のせいだ―
またその言葉が浮かぶ。
いけない、ちゃんと答えなきゃ。昨日のことは隠そうって話になったから、それは違うと答えなきゃ。ただの熱だよって。
しかし、唇が震えてしまい言葉にすることができない。否、声を発すれば泣き出してしまいそうだった。
早く、早く答えてここから去ってもらおう。でも、ダメだ―。
「珍しく週末に街に出たから疲れでもしたんじゃないの?」
その声は、二階堂のものだ。
「田舎出が人ごみの中うろついたから疲れたんだよ」
慣れないことはするもんじゃないな。
「そういう言い方はないと思うけど」
由紀は、少しおどおどしながら二階堂に食って掛かる。そう言えば、彼は二階堂に話しかける集団のメンバーではないなと優実とあかりは冷静に観察している。二階堂は本を閉じて、笑った。
「ただのファンならいいけど、狙ってるならさっさと動いた方がいいよ。あの人街でナンパされてたから」
その情報に、教室がざわめく。
「早くしないと、女慣れした男に持ってかれちゃうかもよ?」
外に出て遊ぶのもなかなか楽しかったみたいだし。
「別に、僕は狙ってるなんて」
「じゃあ、いいんじゃない?元気になって登校するのをおとなしく待ってれば」
その言葉に、由紀はぐっと黙るしかできない。後ろの男子も何か言い返せるわけでもなかった。
「怪我じゃなかったらいいんだ」
それだけ言って、少年たちは去って行った。
「あ、ありがとう」
それだけ言って、千穂は安堵に決壊したように涙をあふれさせた。
「千穂?」
「大丈夫?」
あかりがハンカチで涙をぬぐい、優実がよしよしと頭を撫でてくれる。後悔と、緊張が胸を締め付けて、安堵が体から力を抜いていく。涙は次から次へとあふれて、止まる気配を見せない。二階堂はちらと時計を確認して立ち上がった。
「―保健室、行く?」
「ふぇ?」
へ?さえうまく言えない。二階堂は静かに上から見下ろし、もう一度言った。
「授業、受けたくないんじゃない?」
それどころじゃないんじゃない?その言葉に、千穂は頷いた。
―ここはいやだ、いたくない。
由紀たちは去って行ったけれど、彼らを含めた生徒の視線が消えたわけではなかった。二階堂は、自分の椅子に掛けてあったカーディガンを取ると、千穂の顔を隠すように頭からかぶせてくれた。
「行こう」
そう言われて、千穂は立ちあがった。
ガラリ
教室の扉が開く。入ってきたのは英語教師本間だ。
「もう始まるぞ?」
彼は出て行こうとする二人に座れと言外に伝える。それに二階堂は動じることなくすらすらと答える。
「高野原さん、気分悪いみたいなんで保健室連れてきます」
「保健委員がいるだろう」
二階堂は笑った。
「保健委員が泣かしちゃったみたいなんで」
由紀はびくっと反応したが、千穂を見てすぐにふいと前を向いてしまった。まだ授業が始まっていない時間。たくさんの視線が集まる。
「泣かしたってなんで?」
「そこまで俺は事情通じゃないんで」
二階堂は由紀から本間に視線を移す。そのどこか鋭い視線に本間はびくりとなる。
「―先生も顔色悪い。一緒に保健室行きます?」
「馬鹿か。俺は今から授業だ」
「じゃあ、頑張ってください」
そう残して二階堂は後ろの扉を開ける。大きな手に背を押され、千穂は教室を後にした。




